十一月のベッカライ ②
例年より遅い、初雪が降り出した。
みっちゃんが言うには、観測史上最も遅い記録だそうだ。
普段、ニュースをあまり見ないリスさんと私だったが、お天気はお客さんの動向に影響すると分かっているので、重要な関心事だった。それなのに、みっちゃんから知らされるという体たらくに、私たちは思わず顔を見合わせながら、舞い落ちる雪の行方を見守った。
鉛色の空の下、ちらちらと、風に流れるように雪は舞った。
この雪は、まだ積もらないだろう。
私たちは、午後から焼き上げる予定のパンの個数もいつもと変えず、お客さんを待った。
お客さんたちは、溶けない雪の欠片を肩に乗せて、ベッカライウグイスを訪れた。リスさんと私は紙コップに熱いコーヒーを入れ、ガスストーブの前で温まることをお勧めした。
カランコロン
「こんにちは!」
「いらっしゃいませ」
砂金生花店のマダム、砂金さんだった。
砂金さんは、取引先への配達を息子さんに任せたとはいえ、お店の切り盛りに忙しく、めったにベッカライウグイスを訪れることはなかったが、この辺り一帯に散在する、商店街連合を牛耳る重鎮であり、昔からのお得意様でもあった。
「とうとう降ってきたわね」
砂金さんは、薄手の、綺麗なピンク色のマフラーを緩めた。
「ここは、温かくていいわー。うちは、暖房費がかからなくていいけどね、その分年々、体に堪えますよ」
リスさんは、優しく言った。
「夏は、南極みたいに冷えてますしね」
「そうなの。はーっ。早くお嫁さんでも来ないかなー」
「ふふふ。お嫁さんが、他に好きな仕事をしているかも知れないじゃないですか」
「だから、息子には、お花好きのお嫁さんを見つけて欲しいわけ」
「上手くいくといいですね」
「ほんとよ」
砂金さんは、挨拶代わりの楽しい会話を一通り終わらせると、お店の中を見渡した。
「すっかり、クリスマスね!あ、あったあった!今日は、これお目当てで来たのよ。ちょっと前に、ここからうちへ寄ってくださったお客さんが、『シュトーレン出てたわよ』って教えてくれて……お店が空いてる時間帯に慌てて来たってわけ」
「砂金さん、お電話で言ってもらえれば、こちらから夕方お届けしますよ?」
「だって、この前栗のペストリーを届けて貰ったばっかりだったから悪いわよ。お互い、仕事ですからね」
リスさんは控えめに笑った。
私は、レジ横のカウンターを跳ね上げ、シュトーレンの山へ向かった。
「黄色が効いてて、いいわね!あ、だじゃれじゃないわよ。去年食べられなかった分二本にしたいけど、他のお客さんが食べられなかったら困るから、一本で我慢しておくわ」
「ふふふ」
私は、シュトーレンを一つレジの奥へ持ち帰り、袋を準備していたリスさんへ手渡した。
「おねがいします」
「はい」
「あぁ、リスさん、私、久しぶりに思い出したわ」
クリスマスツリーを見ていた砂金さんが、リスさんを振り返った。
「なんですか?」
「うちの三太郎が、この飾りをね、ひとつ壊しちゃったこと」
「え?」
リスさんは、レジを打とうとしていた手を止めた。
「まさか……」
砂金さんは、腰を屈めて、ゆっくりとガラスの飾りをひとつひとつ見て言った。
「間違いないわよ?23個しかないでしょ?昔は、24個だったの」
「それ、私が壊したんです」
「え?」
リスさんが白状し、二人は顔を見合わせた。
「あー、リスさん、それ、きっと思い違いだわ。三太郎がね、ここへ一緒に買い物に来て、まだ二歳だったんだけど、手を離しちゃった私が悪いのよね。真っ先にこのツリーへぴゅーって飛んで来ちゃって、あっという間に飾りを取って落としたの。近くにリスさんもいたものだから、自分がやったと思い込んじゃったんじゃないかしら」
リスさんは、目をぱちくりと瞬かせた。
「……そんなことがあったんですか?」
「そうよー。これ、ご両親が旅行で買ってきた大事なものだって知ってたから、もう知歌子さんに平謝りで、三太郎抱えて逃げるように帰ったもの」
「そんなことが……」
「ごめんなさいね」
「そんな昔のこと、もういいんです。それに、数えてみてください。今、21個しかなくって、明らかに、三ちゃんだけじゃなくて、私も壊してます。2個」
「そうなの?!」
リスさんは笑い、砂金さんも笑った。
砂金さんは、注文の袋を受け取ると、私に言った。
「ね、来春さん」
「はい」
「来春さんがうちにお嫁に来てくれたら、三太郎の名字、三多にするつもりよ?」
「え?」
「サンタサンタロウって、フリガナふると、もう、絶対にいいと思うから!」
私の口から、頼りない声が漏れた。
「はぁ……」
「お日さまサンサンって感じも、お花屋さんにぴったりじゃない?……あ、それよりね」
それより、まだ何か考えていらっしゃるのだろうか……。
「床屋さんの安井さんなんだけど」
「え?」
「最近、お店を閉めてるみたい……みっちゃん、何か聞いてる?」
砂金さんは、カウンターの左端で静かにコーヒーを飲んでいるみっちゃんへ声を掛けた。
みっちゃんは、のんびりとこちらを振り返った。
「いや、ぼくはこの通り、切ってもらったばかりだからね」
そう言うみっちゃんの髪は、さすが床屋さんの安井さんの手によって、一分の乱れもなく整えられていた。
「そうねぇ……みっちゃんの髪を見ると、そうだわね。じゃ、うちの三太郎が行ったときは、たまたまだったのね」
砂金さんは納得した様子だった。みっちゃんは、コーヒー片手に、頷きながら言った。
「安井さんも、風邪くらいひくよ」
砂金さんは、それもそうね、と笑った。
砂金さんと入れ替わりに、冬のコートに身を包んだ古賀さんがやってきた。
古賀さんは、外の小さな屋根の下で、パタパタと肩に乗った雪を払い落としてから扉を押した。
カランコロン
「こんにちは」
「いらっしゃいませ」
古賀さんは、いつものように、ショーケース奥にいるリスさんに微笑みかけ、次に私にも挨拶をする。
手に提げている紙袋に雪が掛かるのは全く気にならない様子で、扉の横に立てかけるようにして置くと、手袋をとってポケットへ入れた。それから、コートを脱ぎ、コート掛けに掛かっているみっちゃんの茶色いコートの横に行儀よく掛けようとして、はたと気づいた。
「うわ」
いつも様々な焼き菓子が載っているテーブルが、シュトーレンによって占拠されていることに驚いたのだった。
「すごい」
それからやっと、辺りを見渡して、その変化に気がついたようだった。
「うわぁ。一気にクリスマスですね!」
リスさんは、そんな古賀さんの顔をにこにこしながら見ていた。
「ええ、昨日、来春さんと頑張りました」
古賀さんはリスさんに微笑みながら言った。
「去年いただいたシュトーレン、本当に美味しかったです。あの、白いところの湿り気の味が、…………どうしてかドイツで勉強していた頃を思い出しました。薄く切って食べてたんですけど、すぐ姪っ子たちに見つかってしまって……」
急に悲しげな顔になったので、大方、あの姪御さんたちへ所有権が移ってしまったのだろう。
「じゃあ、今年は姪御さんたちにもお持たせしますよ」
想像がついたリスさんは、優しく言った。
「あ、そういう意味では……」
そこへ、ゆっくりと扉が押された。
カランコロン
「いらっしゃいませ」
のっそりと顔を出して現れたのは、ぼろぼろのたいちゃんだった。
「……こんにちは……」
いつも、髪型や身だしなみにとても気を遣っているたいちゃんが、今日は、ひっつめた髪のあちこちから後れ毛が飛び出している状態だった。短いピーコートからのぞくのは、制服ではなくジャージである。
たいちゃんは、消耗し、やつれていた。
「たいちゃん、大丈夫?!」
リスさんが、レジ横のカウンターを跳ね上げ、たいちゃんの元へ向かった。
「はい。だいじょぶです……」
たいちゃんは、リスさんに見守られてカウンターへ向かうと、へなへなと座った。
それから、両腕で顔を覆い、突っ伏してしまった。
私は、お水をたいちゃんの元に運んだ。
リスさんがかがみ込んで、たいちゃんの様子を窺う。
家まで帰り着けず、やっとのことでここに来たのだろうか……。
たいちゃんは、徐に顔を上げると、りすさんからコップを受け取って、お水を飲んだ。
半分ほど飲んで、やっと一息ついたようだった。
「はーーっ」
たいちゃんの両肩が弛緩した。
「…………疲れた……」
時計は、午後2時を回ったところで、まだ下校時間とは思われない。
たいちゃんは、ぽつりぽつりと話し出した。
「今日……球技大会だったんです……」
それで、ジャージ。
リスさんと私は納得して首を動かした。
「私たち、3年生だから、全力で…………負けました……」
たいちゃんは、がっくりと項垂れた。
リスさんと私は、顔を見合わせた。
可哀想なたいちゃん。
私は、そんなたいちゃんのために、お砂糖多めのカフェオレを作りに向かった。
「それは、残念だったわね」
リスさんは、たいちゃんを慰めた。
「私……私…………綱引きで……悔しいっ!」
たいちゃんは、急に覇気を取り戻した。
「3の6!去年から、綱引きで負け続けてて、宿敵だったんです!」
温かいコーヒーとミルクの混じる匂いが、広がる。
私は、木のトレイにカップを載せて、たいちゃんのところへ運んだ。
「ありがとうございます……」
たいちゃんは、カフェオレにそっと口を付けた。かと思うと、また悔しさが募ってきたようだった。
「…………今年は……卒業だから、勝ちたかったっ……!」
聞けば、戦利品もあったらしい。
「みんなで、いちご大福、食べたかったっ……!」
「頑張ったのにーー」
リスさんと、私は、たいちゃんの好きなハードロールを見繕い、おまけにフィナンシェも運んだりして慰め、その間、古賀さんはぽつんと取り残されたショーケースの前から、黙っていつもの右端の席へやってくると、静かに腰掛けた。
「ふうっ」
たいちゃんは、溜息を吐いてカフェオレを飲み、リスさんは古賀さんにコーヒーを運んだ。
「古賀さん、パンは何にされますか?」
古賀さんは、リスさんを見て笑った。
「今日は、リスさんのお勧めでお願いします」
そんな古賀さんを、たいちゃんがじっと見つめていた。
リスさんがショーケース奥へ戻り、古賀さんのパンの準備を始めたのを確かめ、たいちゃんは切り出した。
「あの、古賀さん」
「はいっ」
「前から思ってたんですけど、その……紙袋」
古賀さんは、はて、紙袋が何か……というふうに、みっちゃんに一度言われてからはけっして床に置くことのなくなった本日の紙袋を見た。
紙袋は、溶けた雪に濡れてくたりと、カウンター脇の壁に凭れ掛っていた。
「今日のは、なかなか強烈ですね」
「……そう、です……かね?」
古賀さんの楽譜が詰め込まれた紙袋は、実はいつも破れそうになってくると微妙な形でリニューアルを繰り返してきた、と思う。
「今日が、限界じゃないですか?」
たいちゃんは、じっと紙袋の膨らんだ底を見ていた。
糊付けされたであろう底の端が、ぼそぼそと破けかけている。
「あっ」
珍しいことにリスさんが声を上げ、工場へ駆け込んだ。
何かあったのかと、私がリスさんの後を追おうとすると、リスさんはすぐに小さなものを手のひらに握って戻ってきた。
リスさんは、レジ横のカウンターを跳ね上げて、古賀さんの元へ行った。
「あの、もしよかったらどうぞ」
「えっ」
古賀さんは、リスさんが手のひらに載せて差し出した、ウグイス色の塊を見た。
「これ……」
「来年のお年賀にって思って、試作品を取り寄せてたんです。もしよかったら、どうぞ」
古賀さんは、おそるおそるリスさんの手のひらからそれを持ち上げた。
たいちゃんの目がキラリと光ると、次に口元には堂々とした笑みが浮かんだ。
古賀さんが、スナップ釦で止められたウグイス色の小さな塊を開くと、〈ベッカライウグイス〉の文字とともにリスさんお得意のハードロールやデニッシュの絵が描かれたエコバッグが現れた。
「うわぁ」
古賀さんは、それを両手で広げて声を上げ、それから自分の紙袋へもう一度目をやった。
「古賀さん、よかったですね!!リスさん、最高です!」
たいちゃんが声を上げた。
「ふふふ。来年のお年賀に、クッキーと一緒に付けたらどうかと思って」
リスさんが言うと、なんとたいちゃんがそれを止めた。
「リスさん、お年賀はクッキーで十分だと思います。これは、販売するんですよ!」
「え?」
「あ……」
そこで、たいちゃんは思いとどまった。
「やっぱり、付けた方がいいかも……もらった人が喜んで使ってくれると、お店の宣伝にもなるから」
「なるほど」
リスさんも、たいちゃんの意見に納得し、古賀さんはしきりに頷いた。
「僕が、一番に宣伝しますよ」
そう言うと、古賀さんは早速、紙袋からものすごい量の楽譜をわさわさと出し、ベッカライウグイスエコバッグへ詰め替えだした。
明らかにリスさんは、こんなに入っていたんだ……という目を向けていた。
「よかったですね、これで濡れても大丈夫ですよ」
たいちゃんに言われ、古賀さんは、リスさんとたいちゃんにお礼を言った。
「ありがとうございます!」
みっちゃんは、どこか笑いを堪えたような目で、なぜかショーケース奥の私へ視線を送ってきた。
古賀さんは、リスさんから貰ったという特別なベッカライウグイスエコバッグをすっかり気に入り、たいちゃんは、徐々に疲れを癒やしていき、みっちゃんはのんびりとコーヒーを啜った。
「ごちそうさまでした」
古賀さんが、席を立つ頃には、長い秋に堰き止められていた雪が、空を埋め尽くすように降りだしていた。
古賀さんは、両手で大事そうに、ウグイス色のエコバッグを持ち上げた。それを肩に掛けると、リスさんの立つレジへと向かった。
「ありがとうございます」
会計を済ませると、古賀さんは、コート掛けに歩み寄り、自分の外套と向かい合った。
そのまま動かない。
なぜか、微動だにせず、足が床に吸い付いてしまったかのように立ち尽くしていた。
すると突然、
「あの……」
とコートへ向かって言った。
リスさんは、レジに立ったまま、不思議そうに古賀さんの背中を見ていた。
カウンターの左端に座ったみっちゃんも、真ん中に腰掛けたたいちゃんも古賀さんを振り返った。
「あの……」
古賀さんの言葉がぷつりと途切れ、リスさんを振り返ったその顔は、平静なのにシャツから覗く首元だけが異様に赤かった。
古賀さんは、ためらうように何度か首を動かしてから、やっと手にしたコートを持ち上げ、ポケットの中から封筒を摘まみ出した。
「あの、これ演奏会のチケットです」
古賀さんはそう言うと、いつから準備していたのだろう、よれよれになった白い封筒をリスさんに手渡した。
リスさんは、淡々とそれを受け取った。
「ありがとうございます」
両手で受け取りながらも、中を確認したりはしなかった。日にちや曜日、時間などを。だから、それ以上の会話もなかった。
それでも古賀さんは、少しほっとした表情を浮かべると、リスさんの目の前のレジカウンターに、貰ったばかりのエコバッグを置いて、慌ただしくコートを着込んだ。
その途中、視線を感じたのか、みっちゃんとたいちゃんの方を見た。
みっちゃんは、やれやれ、という安堵の表情を浮かべていた。
たいちゃんは、強い視線で、古賀さんに向かって親指を立てて見せたのだった。
古賀さんは、驚いたことに、ものすごく真面目な表情で同じように親指を立てて見せ、ぎこちなくたいちゃんに返事を返したかと思うと、目の前のリスさんを見ることなく、エコバッグを抱え、雪の降る外へと飛び出していった。
レジカウンターの上には、リスさんが用意していたシュトーレンの入った袋がぽつんと置き去りにされたのだった。




