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マロンクリーム

 駆け足に秋は深まっていった。

 ベッカライウグイスへ訪れるお客さんは、上着やマフラーを身につけ始め、お互いの挨拶には、(きた)る冬への気概が滲む。

 この地方の人々にとって、冬は共通の覚悟を要する季節だった。



 そして、羽根を休めるように、古賀さんが、街に、ベッカライウグイスに帰ってきた。


 あの日、園長先生と入れ替わりにやってきた古賀さんは、いつものように、実に自然に、リスさんに「こんにちは」と挨拶をし、リスさんは驚きながらも「お帰りなさい」と迎えた。

 楽しげにショーケースを見渡して、好みのハードロールと、まるでみっちゃんのようにクリームパンを注文し、カウンター席に腰掛けた。

 椅子を引きながら、「勘野先生、こんにちは」とさくらさんに挨拶をすると、「古賀くん、遅いわー」と言われて、苦笑いをした。古賀さんは、中学生時代の美術の先生だったさくらさんには、何事もかなわない。

 さくらさんは、そんな古賀さんを横目で見ながら、「ごろごろ並んだししゃもの頭は、幼稚園児に気味悪がられたんだから!」と話を続けた。

 古賀さんは、何のことなのか分からない様子で、けれどさくらさんの話に頷きながら、注文の品を運んで来たリスさんにお土産を渡した。

 それは、小さな薄い袋と、大きなお菓子の缶で、私はその薄い袋の中身が何なのか見当がついていたし、外国の綺麗な缶に入っているクッキーは、種類は違えど、何度もいただいたことのあるものだった。リスさんは、お客さんからの何か特別な頂き物はお断りしてしまう性格なので、古賀さんは、とてもさり気ないお土産、という形になるよう気を付けていた。もっとも、古賀さんはもうお客さんなだけではないと思うのだけれど。



 帰ってきた古賀さんとともに、私たちはみんなでコーヒーを飲んだ。

 

 古賀さんは、特に土産話を披露などしないが、穏やかに笑っていた。

 私は、クッキーを一枚いただきながら、さくらさんの話を思い出し、みっちゃんのお母さんの苦労を思った。きっと、家族分のシャケの皮とししゃもの頭をいつも集め続けたのだろう。みっちゃんのお弁当には、お父さんやお母さん、お姉さんたちの分のシャケの皮が詰められていたのだろう。

 クッキーは、色々なスパイスがぜ込まれた固い生地だった。古賀さんは、どこの国へ行ったのか、どんな旅程だったのか、聞かれない限りは話さない。

 カウンターの、一番左端の席で、庭のツルウメモドキを珍しそうに眺め、コーヒーを運んだリスさんにそれを聞いていた。


 クッキーは、ベッカライウグイスの常連さんたちに摘ままれ、いつの間にかなくなる。それも、なんだかいつもの自然な時間の流れに思えた。

 節子さんもいつの間にか、三山家を後にし、やや憔悴気味のみっちゃんが一人残されて、また、時々、私たちと夕食を共にした。

 節子さんがどんなことをみっちゃんに言ったのか、私たちは知らない。みっちゃんとみずほさんのことが気になりながらも、時間がゆっくりと過ぎていく中に何か明るい手立てがないか、静かに待っていた。

 


 カランコロン

 「こんにちは」

 「いらっしゃいませ」


 お客さんが重たい扉を押し開けていらっしゃると、店内に冷たい空気が入り込む。

 けれど、それはすぐに、エアコンと工場のオーブンの熱によって、暖かく変わり、外の風に取巻かれたお客さんたちを和ませた。

 

 「あ、今年も来ましたね」

 「はい」

 お客さんが見つけてくださったのは、レジとカウンターの間にある空間に設置された、ガスストーブである。


 「寒いけど、点くのが楽しみです」

 お客さんは、ストーブの方を覗き込んで言った。

 「凍った雪道を歩いてきて、あそこで立ちながらあったまるのが大好きなんですよ」

 「ありがとうございます。今年も、紙コップですけどコーヒーをお配りする予定なので、ぜひあったまっていってくださいね」

 「必ずあったまります!」

 私たちは、そんな会話でさえ共に冬を楽しみながら、乗り越えようとした。

 リスさんのお母さんの代から使われているガスストーブは、業者さんの点検も済み、いつでも点けられる状態になっている。

 


 栗のペストリーは、準備して冷凍されていた栗の渋皮煮がすべてなくなり、もう、今年は終了となっていた。

 ベッカライウグイスのお客さんたちには、たくさんご賞味いただいて、皆さん、もうすぐ終了になる栗のペストリーとの名残を惜しんでいた。

 同時に、私たちは次にお店に並べるシュトーレンの準備に余念がない。

 けれど、リスさんは、一人のお客さんのことが心に掛かっていると、夕べの食卓で私に言った。


 カランコロン

 「こんにちは」

 「いらっしゃいませ」


 土曜日のお客さんである。

 妙齢の、優しい微笑みを浮かべるお客さんは、月に一度、土曜日に必ずベッカライウグイスを訪れてくださっていた。けれど、栗のペストリーが店頭に並んでいた頃、それを選ばれなかったのである。

 リスさんが言うには、栗のペストリーを店頭に出したのは、私がベッカライウグイスに来てから、つまり今年で二度目なのだが、この二度の季節とも、土曜日のお客さんはそれを選ばれることはなかったそうだ。

 

 普段、リスさんはけっしてそんなことを口にしたりしない人であるが、どうしても気に掛かっていたのだろう、とうとう尋ねたのだった。


 「あの、もしかしてなんですが、栗はあまりお好きではありませんか?」

 リスさんに尋ねられて、お客さんは、朗らかに顔を明るくして答えた。

 「あら、大好きよ」


 リスさんとしては、ずっと定期的に来てくださっているお客さんのご意見を伺ってみたかったという気持ちだったろう。

 特に、土曜日のお客さんは、リスさんの新作をいつも喜んでくださり、ほとんどすべて召し上がってくださっている。

 だからてっきり、栗のペストリーも選んでくださると思い込んでいた。けれど、そうではないならば、次は、どんな風に作ったら召し上がっていただけるのだろうかと、私も考えた。


 「……すみません。もうずっと来ていただいていて、栗のペストリーを選ばれないのは、なにか開発不足があるのかな、と思ってうかがったんです」

 お客さんは、すぐに申し訳なさそうな顔をされた。

 「あらそれは、ごめんなさいね。とっても美味しそうだったわ、栗のペストリー。ただ、私歯が弱くって、あまり固めの生地はだめなの。それに、歳をとると喉も乾燥してしまってね、あちこちに貼りつくものだから。残念だけど……」

 リスさんは、慌てて謝った。

 「それは、申し訳ありません。気がつかないで、勝手なことを……」

 お客さんは、気を悪くなどしていない様子で、むしろどこか嬉しそうにリスさんへ言った。

 「いいのよ。もし食べられたら、きっととっても美味しいと思うわ。それよりも、私、ここへはひと月に一度しか来ないのに、栗のペストリーを注文していないっていうことを覚えていてくれたのよね、店主さん。それが、私みたいな一人暮らしの老人には、とっても嬉しいことなのよ。ありがとう」

 「そんな……。すみませんでした」

 リスさんは、もう一度頭を下げた。

 お客さんは「いいえ、いいえ」というふうに笑顔で手のひらを振ってから、ショーケースへ目を移された。


 こんなこともあるだろうから、リスさんと私は普段、どんなお客さんでもこちらの都合でお勧めしたりはしないのだが、今回ばかりは、やはり失敗だった。


 しかし、土曜日のお客さんは、いつものようににこやかにパンを選ばれた。

 「今日は、甘い物が食べたい気分で……こちらの、豆パンとコーヒーをお願いしますね……この豆パン、昔からずっと変わらない味で、大好きなのよ」

 リスさんは、トングを持つ手を止めてお客さんを見た。

 「……母の時代から、来ていただいていたんですか?」

 お客さんは、何か思うところがあったように、少しだけ眉を寄せて不思議な表情をしつつ微笑んだ。

 「そう、そうね。たまに、ときどき、ね」

 ベッカライウグイスには、そんなお客さんも多いので、リスさんはお礼を言った。

 「それは、ありがとうございます」


 土曜日のお客さんは、いつものように、カウンターに座り、秋遅い庭の様子を眺めながら、コーヒーを飲んだ。



 カランコロン

 「こんにちは」

 「いらっしゃいませ」


 土曜日のベッカライウグイは、家族連れで賑わう時間も多く、子どもたちがやってきてショーケースの前であれこれ楽しそうにパンを選ぶのを、お客さんもカウンターから振り返って眺めた。

 幾人かのお客さんに混じり、みっちゃんや古賀さんもやってきた。

 二人とも、土曜日のお客さんとは顔なじみで、挨拶をしながらカウンター席に座った。

 

 ゆるやかな時間が、1時間ほど過ぎ、そろそろ、と土曜日のお客さんが席を立った。

 「あの……」

 リスさんは、用意していたお店の小さな袋を、会計にやってきたお客さんにそっと手渡そうとした。

 お客さんは、受け取らずに聞いた。

 「なんでしょう?」

 リスさんは、申し訳なさそうに説明した。

 「あの、私、勝手なことを申し上げてすみませんでした。それで、もし、良かったら……」

 お客さんは、リスさんの手から紙袋をそっと受け取ると、中を開けてみた。

 「あらぁ」

 私は、リスさんがそれを入れているところを見ていたが、小さなカップいっぱいに詰められたマロンクリームと、お店で一番柔らかな白パンであった。

 栗の渋皮煮はすべて使いきってしまったが、マロンクリームだけは少し残っていたのである。

 「いただいて、いいの?」

 「はい」

 お客さんが嬉しそうに目もとの皺を下げたので、リスさんはほっとして喜んだ。

 「ありがとうね。ほんとうに美味しそう。とっても楽しみだわ。ありがとう」

 土曜日のお客さんが、その代金を支払おうとされるのを、リスさんが

 「これは、召し上がっていただきたい私からほんの気持ちなので……」

 と止め、

 「大福パンも、試行錯誤中なので、ぜひ来月もいらしてくださいね!」

 元気に言った。

 再びの来店を約束し、土曜日のお客さんはお店を後にしたのだった。

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