園長先生と伝説のお弁当 ②
園長先生は、まるで園児に接するように、優しい笑顔でみっちゃんをのぞき込んだ。60代のみっちゃんへ、である。みっちゃんは不審な目を向けて押し黙った。
「あまりにも久しぶりに『みっちゃん』って聞いて、すぐに思い出せなかったよ。いやぁ、歳をとるって、そういうことだよね。でも、昔のことって、いざ思い出すと、鮮明に記憶にあるんだね。
ぼくね、みっちゃんのことをよく覚えているんだ。みっちゃんたちは、ぼくのことを覚えていないと思うんだけど」
さくらさんが、そんな二人に加わろうと、園長先生の横に腰掛けた。
園長先生の、素晴らしく包容力のある声響き渡り、ベッカライウグイスの天井がドーム状であったかと錯覚する。
「もう六十年くらいかな、ほんとうにずいぶん前になるんだけれど、ぼく、園長をやっていた親父に言われて、学生時代の夏休みにアルバイトをしたことがあったんだ。
つばめ幼稚園で。
先生たちには、副園長先生、なんて呼ばれてからかわれながら、君たちの写真を撮ったり、トイレ掃除や、外遊びや、なんでもやったよ。もう、毎日、朝から夕方まで、園児にもみくちゃにされてたね……」
六十年も前の話を、まるで昨日のことのように、園長先生は生き生きと語った。みっちゃんに向き合う横顔の、丸い目が、子どものように輝いて見えた。
「そのとき、親父が園の廊下で、お迎えに来たお母さんと立ち話をしていたんだ。『うちの子が偏食で困ってる』って」
園長先生は、昔話がおかしくてたまらない、というように楽しそうに笑っていた。
「ぶふっ!!みっちゃんっ、あははっ!あれよ、あれ!」
その横で、さくらさんが肩を震わせ、とうとう堪えきれなくなって吹き出した。
そのとたん、園長先生は、ものすごい肺活量を笑い声に投入した。
「わっはっははは」
その声は、ベッカライウグイスの平らな天井に響き渡った。さすが園長先生である、どれほど遠くから園児に声をかけても園児は必ず振り返って走り寄るだろう、と私はへんなところで感動した。
園長先生は、笑い泣きの涙を拭きながら、ようやく話を続けた。
「親父は、園長室にきみのお母さんを呼んで、くくくっ……僕にお茶を持ってこさせたんだよ」
続けたが、それ以上は機能しない。
代わりに、さくらさんが声を大きくして一気に言った。
「みっちゃんのお弁当!おかず、シャケの皮だったの!」
リスさんと私は、驚いてみっちゃんを見た。
目を反らすみっちゃん。
「ごはんと、シャケの皮だけ!」
さくらさんが繰り返す横で、園長先生は、笑いの崩壊から、なんとか立ち直ろうとしていた。
「そう、その、お弁当の件で。もう、おかあさんの悩みは深かったよ?僕は、耳を疑ったよ」
みっちゃんが押し黙っている横で、園長先生とさくらさんは、肩をふるわせて笑いを堪えようにも堪えられていない。
「親父がどんなことを話したかは覚えていないんだけど、たぶん、成長とともに嗜好も変わるから、あまり心配しないようにとでも言ったんだと思う。
それよりも僕に『みっちゃん』を迎えに行ってくるように言ってね、ぼくは、年長さんの君を探しに園内を探し歩いたら、開けっぱなしになってた教室の窓の外から、声が聞こえてきたんだよ。
男の子が、園庭の丘の上で『おーっほっほっほ』って口に手を添えて、高らかに笑っていたんだ。
魔女っ子ごっこの真っ最中でね。そのとき、僕は、みっちゃんがどの子かまだ分からなかったから、園庭全体に向かって
『みっちゃーん、お母さんがお迎えに来ているよー』
って、叫んだら、君が
『このペンダントが目に入らないの?!』
って、ぐるんぐるん、両手を広げて、プロペラみたいに回りながら駆け下りてきたんだよ、僕のところまで」
さくらさんが、叫んだ。
「思い出した!みっちゃんが、そのまま転げ落ちて脳しんとう起こした時だ!」
園長先生は、はぁはぁと息が苦しそうになりながら続けた。
「ぼく、もうここに就職しようって、決めたね、そのとき」
さくらさんは、爆笑した。
リスさんと、私も声をかみ殺して笑った。
「いやぁ、君には、感謝しなくちゃね。ありがとうね、みっちゃん。
ぼくが親父のやっていた幼稚園やこどもが大好きになったきっかけを作ってくれたのが、みっちゃんだから」
園長先生は、そう言うと、みっちゃんに握手を求めた。
みっちゃんが、しぶしぶ手を差し伸べると、園長先生は、みっちゃんよりもずっと小さな両手で、みっちゃんの右手を包んだ。みっちゃんは、じっと、その手を見つめていた。
「ここにくると、みっちゃんにまた会えるかも知れないね。それに、四十七期生の……」
園長先生が頭から記憶をひねり出そうとしていたのを、さくらさんが救った。
「勘野さくらです、園長先生!」
「さくらさんか……、帰ったら、四十七期生のアルバムを見ておくよ。パンもとっても美味しいし、またおつかいに来てみるよ。それにしても、つばめ幼稚園きっての、伝説のお弁当の持ち主に会えるとは!
いやぁ、おつかいも楽しいね!よかったよかった!」
園長先生は、注文したパンを受け取り、会計を済ませると、朗らかにドアを開けて帰っていった。
リスさんと私は、カウンターから出て、園長先生の車が走り去るのを見送ると、みっちゃんとさくらさんにお弁当の件について聞くために、コーヒーを持ち寄り集まった、そのときだった。
カランコロン
「……虎男っ!」
「いらっしゃいま……せ……」
りすさんとさくらさんと私は、顔を見合わせた。
みっちゃんを虎男と呼べるのは、さくらさんと弘子さん、呼ぶのを聞いたことがないがみずほさん、そして、噂に聞くみっちゃんを悪役魔女っ子として大成させた、みっちゃんのお姉さんだけである。
ということは、みっちゃんの居場所を嗅ぎ当て、お店に入ってくるなり詰め寄ってくるこの人は、みっちゃんのお姉さんしかいない。
確認のため、そんな目線をリスさんに送ると、リスさんは、確かにそうだと頷いた。
リスさんと私は、そっと、そっとコーヒーを持ったまま、ショーケースの奥へと退散した。
身内のことに関わってはいけない。
しかし、そんな私たちとは反対に、さくらさんはお姉さんを歓待していた。
「うわぁ!せっちゃん!ご無沙汰しています、さくらです!」
せっちゃんと呼ばれたみっちゃんのお姉さんは、みっちゃんに向けていた険しい顔でさくらさんに向き直ると、とたんに相好を崩した。その豹変ぶりを目の当たりにし、私はおそるおそるみっちゃんを見た。顔色が悪い。みっちゃん、危うし、と思った私は援軍を呼ぶべきか、リスさんにこっそり尋ねた。
「……今日、弘子さんは……」
「弘子さんを呼んでも、ダメだと思う……」
リスさんは、声を潜めていった。
「いつかは、こうなるんだったのよ……まさか、今日とは思わなかったけれど……」
みっちゃん……。
私はみっちゃんを気の毒に思った。
リスさんは、何とか気を取り直し、コーヒーも淹れ直すと、みっちゃんたちの元へと運んだ。
「節子さん、よかったらどうぞ」
コーヒーを注いだカップを、みっちゃんのお姉さんの前へ置く。
「あらまぁリスちゃん?!ありがとう。虎男のことにすっかり気をとられちゃって。
リスちゃん、変わりなかった?綺麗になったわよ!あら、前は、綺麗じゃないっていう意味じゃないからね?もともと可愛かったから、大人になってますます綺麗になったって言いう意味よ?
ごめんなさいね、お店で大きな声を出して。虎男はすぐに家へ連れて行くから!」
リスさんは、微笑みながら曖昧な返事をするしかなかった。
さくらさんは、背もたれに寄りかかり、みっちゃんに同情の視線を送っていた。
節子さんは、我々に言った。
「ごめんなさいリスちゃん。せっかく淹れてもらったんだけれど……あ、さくらちゃん、飲んで?」
「はい。いただきます」
神妙にさくらさんは頷いた。
「じゃ、虎男、私は家にいるから、帰ってらっしゃいね、まっすぐ!」
そういうと、節子さんはすぐに立ち上がり、お店の裏にあるみっちゃんの家へと竜巻のように移動していった。
ベッカライウグイスは、しばし沈黙の帳に包まれた。
みっちゃんは、溜息を一度だけ吐くと、決心したように立ち上がった。
さくらさんは、そんなみっちゃんを見てはいなかった。唇を横にしっかり結び、窓ガラスを通して、庭に先日咲いたばかりの、秋の初めのマリーゴールドを見つめていた。
「……ごちそうさま」
みっちゃんは、勝手知ったる金額を、レジ台にあるアンティークの銀皿の上にそっと置いて、ベッカライウグイスを後にした。
節子さんの待つ家へと向かうために……。
そして、みっちゃんの受難は続いた。
唇を一文字に結んでいたさくらさんが、突如として笑い出したのだ。
「ぶはっあっははは!もうダメ!」
リスさんが言った。
「さくらさん、みっちゃん可哀想よ……」
「違うの!!園長先生、知らないんだな、と思ってくくくくっ!」
私たちは、さくらさんを見つめた。
「本当の伝説を!」
さくらさんは、ショーケースの奥にいる私たちに向き直った。
「みっちゃんのお弁当!シャケの皮の次に受け継がれたのは……いや、衝撃よ!菊組が、もう恐怖のドン底に突き落とされたね!」
リスさんと私は、固唾を飲んだ。
恐怖のお弁当……。
みっちゃんの。
「ガイコツだっ!ひよこのガイコツだって!しかも、いっぱい乗ってるんだから、ごはんの上に!!」
さくらさんは、お腹を抱え、喘ぎながら言った。
「あはははっ!ししゃもの頭だけだったのよ!!」
リスさんと私は、衝撃のあまり言葉を失った。
「りすちゃんも来春さんも、よっく見てご覧なさい!ししゃもの頭!くちばしだってあるから!」
私たちは、黙って顔を見合わせた。
そのときである。
カランコロン
「こんにちは」
「いらっしゃいま……」
そこには、紙袋を手に提げ、コートに身を包んだ古賀さんが、立っていた。
さくらさんは、ぴたりと笑い止み、我々は、驚愕の目で、古賀さんを見つめたのだった。




