家族のかたち ①
日増しに風は冷たく乾き、歪に縮んだ落ち葉が、絡まるようして吹かれていく。
アスファルトの上には、茶色い松葉が吹き溜まり、子どもの頃は、ふかふかしたその上で遊ぶのが好きだったが、大人になった今はそんなことはもうしない。靴の裏に感じる思い出を愛おしみながら、それを掃き寄せる。
私は、水琴庵でお茶をいただいてから、考えていることがあった。
「来春さんセットは、リスちゃんセットと同じに、うちでお預かりしておくわね。だから、いつ来てもいいのよ。ふらりと寄ってちょうだいね」
と千春さんに言われ、すっかりいただいたものとなってしまった、あの美しい帛紗入れのお礼についてである。
智翠さんとは、毎週餡子の配達時に顔を合わせるし、どうしたものか、と頭を悩ませているうちに、ふと、のし梅が食べたくなってしまったのには、自分でも呆れた。
智翠さんの、綺麗な上生菓子「水霜」に巻かれた寒天の帯が、私の頭の中でいつの間にかのし梅に変換されてしまったのである。つくづく私は、上品さというものとはかけ離れた人間であった。
それは分かっていたことであるが、果たしてお礼は、どんなお品にしたらいいのか……。
美しい桜の花びらが舞う、控えめな色使いの、綺麗な緞子だったな、と思う。それは、きっと千春さんが選んでくださったものであり、さらに水琴庵そのものからいただいたような気持ちになる。
そう思うと、お礼をしたい方々は私の中で増えていった。六代目も智翠さんも、帛紗入れを見て綺麗だと思ってくださったはずである。ありがたいな、と思う。
考えているうちに、箒を動かす指先が、すっかりつめたくなった。もうすぐ冬が来てしまうのではないだろうか。
開店前の駐車場に、落ち葉は掃いても掃いても、細かな砂と一緒にどこからともなく飛んでくる。
私は、感謝と、少し複雑な思いを抱え、晩秋を迎えた。
駐車場の清掃を終え、外の埃を払ってお店に戻ると、工場からリスさんがひょこっと顔を出した。仕事中、大きな尻尾のような巻き毛は、調理帽の下にまとめられている。ふと、智翠さんの前髪と一緒だな、と思う。
「来春さん」
パンの成形中、手袋を嵌めたままのリスさんが、お店へ出てくるのはとても珍しい。何かあったのだろうかと思う。
「はい」
「もう、寒いですから、外へ出るときは何か羽織ってくださいね」
「……はい」
それだけ言うと、リスさんは工場へするりと戻った。
心配してくれる人がいるということは、嬉しいことである。
私は、すぐに工場へ向かうと、調理帽を付けてよく手を洗った。
そして、焦げ跡のある厚いミトンを付けると、タイマーの鳴ったオーブンから焼きたてのパンを出していった。
カランコロン
ベッカライウグイスの、どこかの古城のように設えられた重たい扉が、勢いよく開いた。
ショーケースに、熱の冷めたパンを並べていた私は、驚いて顔を上げた。
「いらっしゃいませ!」
「おはよー」
大柄なお客さんは、どこか眠たそうな、腫れぼったい目を見開こうとしている。
「……梶さん!」
リスさんの学生時代の同級生、梶さんの来訪である。
梶さんとリスさんは、この夏休み、○○小学校で行われた「リスさんのパン教室Ⅱ」で実に卒業以来、久しぶりに再会した。
リスさんと私は、その後、梶さんが奥さんと一緒に仲良く営んでいるイタリアンレストランへ、食事に寄せてもらった。
梶さんは、自慢そうにシェフをされている奥さんの藤香さんと、改めて息子さんの葵くんを紹介してくれた。梶さんの脚にぴったりとくっついている葵くんが可愛らしかった。
そのとき以来であるが、梶さんは、ベッカライウグイスへずっと来たがっていたのだった。
大柄な梶さんの後ろに、すっかり隠れていた奥さんの藤香さんが、横をすり抜けて姿を見せた。
「リスさん!梶さんです!」
私が工場の硝子戸へ向かって呼ぶと、リスさんは驚いた顔を上げた。手袋を脱いで、こちらへひょこっと顔を出した。
「梶くん!藤香さんも!いらっしゃいませ!」
「おはようございます!」
リスさんにはリスさんのパン、藤香さんには藤香さんのお料理、ふんわりとそれぞれの仕事を思い浮かべ、世の中ってそういうものなんだなと私は独りごちた。
「やーっとこられたよ!」
「ふふふ。忙しくてなによりよ」
リスさんと梶さんは、いっぺんに学生時代に戻ったように快活だ。
「俺のとこ、定休日がここと被ってるし、その定休日は料理教室やってるしで、ほんとくたくたよ」
そう言いつつ、梶さんは先ほどまで半分閉じていた瞼を見開き、むしろ生き生きし始めた。
「でも、楽しそうよ?」
リスさんは、梶さんと藤香さんの両方に言った。
「うん、楽しいよ。好きなパンとドルチェ作って、美味しいって食べてもらって。鶯谷だって、分かるでしょ?料理教室も、恋バナとかしながら料理やパンやドルチェを作る会って感じ。あ、言っとくけど女性ばかりじゃなくて、男性の生徒さんもいるから!」
「恋バナかぁ~」
何気なくこちらを見たリスさんと目が合った。
私がリスさんを窺うのは自然な流れであるが、リスさんが私を窺うのは解せない。
梶さんと奥さんにも一緒にこちらを見られ、ますます解せない気持ちを抑えて、私は愛想笑いを浮かべるしかなかった。
「うちも、そんなのないかな~。楽しそう」
なんと、リスさんは、小さく溜息を吐いた。
私は、両手をメガホンにして「リスさんの周りにも、ありますよー」と言いたい衝動に駆られた。
「ウグイス谷のリスさんにも、いい話が舞い込まないかね~」
梶さんは、本気で首を傾げ、奥さんがそれを肘で突いた。
「あなた、失礼ねー。何にも知らないのは、あなただけよ、きっと。ねーリスさん」
「ねー、藤香さん」
梶さんは、二人にタッグを組まれ、身の置き所なく首の後ろへ手をやって、二人の視線から逃れようと身をよじった。
そのついでに、後ろのテーブルが目に留ったようだ。
「おわっ!作ってるね!」
リスさんは、主にパンを作っているが、時々焼き菓子も作って店頭に並べている。
「なつかしぃ~。エンガディーナだよ~」
「ふふふ。うちはエンガディナーね」
「おっ!さっすがドイツだねー」
「いいわね、焼き菓子。うちも置いてみる?」
「えっ?!」
何気ない藤香さんの声に、梶さんが、大きな両手で、二の腕をさすった。
「無理無理!毎日の仕込みに、休日は料理教室、これ以上は無理です!」
藤香さんが、笑った。
「それはそうと!今日はやっと来られたんだから、鶯谷のパン、食べさせてもらうよ!たっぷり!さっきから、いい匂いすぎるから!」
「ふふふ。まだあまり出そろってないんだけど、たくさん食べていってくださいな!」
リスさんは、藤香さんに笑顔を送り、梶さんはそれを全く気にせず、パン置き場で香ばしく香る焼きたてパンを覗いた。
「俺、前から興味があったんだけど、鶯谷のお母さんの時代から作ってるのってある?」
「あるわよ、たくさん」
「どれ?どれ?」
「まず、あんパン三種」
「うおー、これか!智翠のところの!……うぐいす餡なんて、もう珍しいよなーすごいな!」
「このクリームパンも、配合を一つも変えてないわ。チョココロネもそうよ」
「へーっ」
「食パンもね、うちは時流に乗らず、昔のまま。イギリスパンは私の配合だけどね」
屈んでショーケースを覗き込んでいた梶さんは、腰を伸ばしてパン置き場に並べられている長い食パンの列を見た。私は、それが時々、バスの営業所に思える。
「いいね!あとは?」
「この、三種類の煮豆が入ったパンもそう……昔は、ジャムパンも出してたけど、今はなかなかね……他のが手間暇かかるから」
「へー。ハード系も多いね?」
「それは、母の頃には出てなかったわよ?」
「ってことは、鶯谷の仕業ってことだ」
「……仕業ってなによ?」
梶さんは、楽しそうにパンを注文していった。
「あと、豆パン三つ入れて!これ、根強いよね、きっと」
リスさんが持つ、木製のトレイはもうパンが載せきれないので、私がそれを受け取ってリスさんに新しいトレイを差し出した。
藤香さんは、冷たいショーケースの方へ移動して眺めている。
「サンドイッチも、綺麗ね!」
「ありがとうございます」
シェフなのに、褒めてくださる。
「私、このクリームホーン、食べたい!葵も食べたいと思う、絶対」
私は、藤香さんの注文をトレイに準備した。クリームホーンのクリームも、巻いた生地も、リスさん特製である。ちなみに、このクリームは、クリームパンのクリームとは違うのである。
「ありがとう、来春さん。私、焼き菓子もお願いしたいな葵のおやつに……あ、ダメだ!……ドルチェが……」
藤香さんは、肩を落とした。梶さんの作ったドルチェが残っているのだろう。
「この前の、パスタとカタラーナ、すっごく美味しかったです。上の飴がけも綺麗でした!びっくりでした!」
「ありがとう!もう、秋メニューにしてるから、また遊びがてら寄ってみてね」
藤香さんはにっこりと笑いながら、腕時計を見た。
「充くん、そろそろ……」
「あ、そうか。鶯谷、ごめん。ゆっくりコーヒーも飲めないんだ。ランチの準備があるから」
藤香さんが、残念そうに言った。
「ずっとここへ来たかったから、昨日、下ごしらえを頑張ったんだけど、業者さんの来る時間もあって……『明日、ベッカライウグイスへ行く』って言ったら、葵も来たがってたんだけど、『お土産のパン、パパとは違うのをたくさん買ってくるからね』って言い聞かせてきたのよ」
「コーヒーは、次、俺たちのところで飲んで!閉店後ゆっくりしていいからさ」
「うん、ありがとう。また、行くから、よろしくね!」
「待ってるよ!……この前、一緒に来たおじさんもまた……」
カランコロン
「こんにちは」
「いらっしゃいませ」
いつもの如く、それはみっちゃんである。
「おわっ!」
扉を開けるなり奇声を上げた梶さんを、みっちゃんはじろりと見た。
「あっ!このおじさんだっ!」
「失礼よ!」
藤香さんと梶さんは、一緒にみっちゃんへ頭を下げた。
「このおじさん……」
聞き逃さないのが、みっちゃんである。
「申し訳ありません!」
「いや、おじさんだから、気にしないで。おじいさんより、ね?」
みっちゃんはそう言うと、カウンターへ向かっていった。
「じゃ、鶯谷、また!」
「いただくの、楽しみよ!」
梶さんと藤香さんは、焼きたてのパンを抱え、これから一緒にお店に向かうのだ、と帰途についた。
入れ替わりに、弘子さんがやってきた。
「こんにちは」
「いらっしゃいませ、弘子さん」
弘子さんは、にっこりと笑うと、大好きな白あんパンを注文した。
「今日は、これからみっちゃんに送ってもらって、一緒に行くの」
弘子さんに誘われ、みっちゃんは、市の運営するフリースクールで教えていた。
みっちゃんと並び、ひろこさんはのんびりとコーヒーを飲んだ。飲みながらこちらを振り返り、ショーケースにパンを並べるリスさんに聞いたのだ。
「ね、そういえば、リスちゃん、最近、ほんとに古賀君を見ないけど、大丈夫?」
それは、まさに私も聞きたいことである。さくらさんだって、ここにいたのなら聞きたかったであろう。
私は、焼きたてを載せた天板を持ったまま、リスさんの発言を待った。
「え……大丈夫って?」
リスさんが、悠長に腰を伸ばす。
「最近、姿が見えないから。だって、夏休みから見てないもの」
「あぁ……そうね」
みっちゃんも、クリームパンを手にしたまま、リスさんを振り返った。
リスさんは小柄なので、きっとみっちゃんたちからは、ショーケースの上にようやく顔が見えるくらいであろう。
そう言うと、なんと、リスさんは何の気なしに再び腰を屈め、ショーケースへパンを移す作業を始めたではないか。
それが終わると、私が持っている天板からパン置き場へ、まだ熱いパンを並べていく。すると、突然思い出したように弘子さんの方を見た。
「あ、古賀さんね、音楽祭の後、いろいろ代役?を頼まれて、今トルコにいるってメールが来てたかしら……イスラエルだったかしら……」
リスさんはあやふやに首を傾げた。
「そ、そうなの?……それは、心配ね」
弘子さんが心なしか青ざめた。
それに反してリスさんは、少し頬を膨らませた。
「だから、私、あんまり…………」
けれど、その先を言わない。
リスさんは、ご両親を事故で亡くされているので、そういう心配から逃れたいと思っている。現に、好きなタイプはお地蔵さんのようにどっしりと動かない人、である。
しかし、リスさんは古賀さんの行き先を知っていた。
古賀さんは、リスさんを不安に陥れていることを分かっていながら、リスさんに連絡をしている。早く、飛び回る時期が終わって街へかえってくるといいのに。
リスさんは、再びパン置き場へ向かい、パンを並べ始めた。
工場のタイマーが次々と鳴り出し、お昼に向けてのパンが焼き上がっていった。




