コアラ商店街連合の計画と町探検が交わる先 ③
夕べは思いがけない強風で、ベッカライウグイスの駐車場には、帽子付きのどんぐりがたくさん落ちた上に、松葉も積もっていた。
そのままにしておいたならば、さぞかし子どもたちが喜ぶであろうと思ったが、駐車場はいつも綺麗に清掃された状態でなければいけない。それは、羽鳥さんの教えでもある。
私は、脇目も振らず掃除をしながら、羽鳥さんは、今頃どうしているかなぁ、と一瞬だけ、抜けるような高い空を見上げた。
そして、すぐさま我に返った。いけない。今日はそんな時間の余裕はないのである。
リスさんと私は、今日は特別に夜明け前から出勤していた。出勤といっても、狭い道路を挟んだお隣のリスさんの家からだからだけれど。
今朝は、工場の入り口に灯っているライトが、明るく見えるほど、辺りは薄闇に包まれていた。
夜明け前の出勤は、いつ以来だろう。
耳は、私たち二人が歩く靴音しか、聞こえない。
まだ秋半ばだったが、辺りはもう徐々に寒くなってきていて、肌に冷えた空気が貼りつく。
工場の鍵を開け、真っ暗な中へ入るなり、すぐにリスさんは蛍光灯を点けた。
私たちは、隠れた一角のロッカーで調理服に着替え、耳まで覆う帽子を付ける。入り口に設置されている手洗い場で入念に手を洗う。
それからリスさんと私は、ぱたぱたと仕事を重ねていった。
リスさんは、すぐに機械のスイッチを入れ、生地のミキシングを始める。夕べのうちに仕込まれた発酵機の中の生地を出す。
その間に私は、工場からの灯りが漏れる、薄暗いお店へ出ると、次々にシェードを開けていく。窓は、まだ夜に繋がっているようだ。
それから工場へ戻ると、既にリスさんが始めている、生地の分割をせっせと手伝う。
もともと、口数の少ないリスさんと私は、少しずつ明るくなっていくお店と工場で、静かに仕事に勤しみ、それで十分居心地がよく楽しいのだが、今日は特別な一日が待っている予感を感じつつ手を動かしている。
リスさんと私の、この一年余りで培われたあうんの呼吸が、さらに磨かれて時間の流れに乗る。パンは、どんどん焼き上がり、お店は馴染んだ香りの上に、さらに新しい香りを重ねていく。
リスさんが淹れてくれた、コーヒーの香りがそこに混じり、私たちは、立ったままカップを手にし、小休憩する。
工場のラックと、パン置き場は、焼きたてのパンでいっぱいである。
それから私たちは、朝食もそこそこに、急いでお店の中心へ簡易テーブルを出すと「パンが出来る過程」の展示を準備した。
「ふぅ。これで準備万端ですね!」
「お疲れ様です!」
大きな嵌め殺しの窓から降り注ぐ朝日に、ベッカライウグイスは満たされた。
そして開店後、「町探検」の子どもたちが、先生に先導され、ベッカライウグイスの重たい扉をくぐってやってきた。
「こーんにちはー!!」
大きなバインダーを斜めに掛け、今日も子どもたちはパワー全開である。
「今日は、よろしく、お願いします!」
「ようこそ、ベッカライウグイスへ!こちらこそ、よろしくお願いします!!」
子どもたちの明るい声が、お店に響き渡った。
カランコロン
「こんにちは~」
「いらっしゃいませ」
町探検の子どもたちの第一陣は、ベッカライウグイスに賑やかな活気を振り撒いた後、礼儀正しくお礼を告げ、次の探検地へ向かい勇んで飛び出して行った。
私たちは、もうひと班を待って、お店の仕事と並行し、その準備を急ピッチで進めていたところだった。
昨日に引き続き、たいちゃんがやってきた。
たいちゃんが二日続けてやって来るのは初めてである。
たいちゃんが、ショーケースの前で、首を傾げた。
「あれ?……リスさんたち、少し疲れてません?」
低血圧で、いつも私たちから心配されてきたたいちゃんから、今日は私たちの方が心配されてしまった。
かく言うたいちゃんも、いつもの元気がない気がした。
私たちは、微笑んだ。
「今日は、夜明け前から仕事をしていて、休憩の時間もあまりなかったから。それより、たいちゃんこそ、大丈夫?」
『一日パン屋さん』から、たいちゃんの健康状態は、リスさんと私の重要観察事項である。
だが、たいちゃんは一気に元気を取り戻した。
「ああっ!巡り会えた……焼きたてのっ、フィグ入り!いい匂い!」
たいちゃんの目は、まだショーケースに入れる前の焼きたてのパンを置いておく場所に注がれていた。
リスさんと私は、顔を見合わせて安堵した。どうやら、大丈夫そうである。
「今日は、学校早かったのね。そういえば、昨日も早かったような?」
たいちゃんは、パン置き場からから目を離した。
「……昨日から、三者面談が始まってて、今日、午後、私の番なんです………」
私は声を上げた。
「わー。それは、頑張って!」
「だから、栄養補給に来たんです!負けないために」
リスさんが不思議そうに尋ねた。
「負けないって、何に?」
「プレッシャーですよ!さまっざまな」
たいちゃんが、まるで取り憑いたそれをはねのけるように、顔を左右に振った。
「高校生って、たいへんなのね……」
「はいっ。焼きたてフィグのハードロール二つとカフェオレをお願いします!」
いつものようにカウンターへ行こうとしたたいちゃんを、今日は中央に出されているテーブルが阻んだ。
「わっ」
「大丈夫?ごめんね、今日は小学校の町探検で、これからもうひと班来る予定で……」
テーブルの上には、パンが出来上がるまでの工程が、「材料」→「ミキシング」→「叩く」→「一次発酵」→「分割・ベンチタイム」→「成形・二次発酵」→「焼き上がり」の順番に実物が並べられていた。リスさんの解説付きである。
「うわー、これは一目瞭然ですね!」
たいちゃんは、輝いた目で私を振り返った。
「町探検、今日なの知っていました!私、弟がいてずっと面倒見てきたから、子ども大好きなんですよ~。だからの、連日ベッカライなんです!」
「ふふふ。いっぱい来るし、面白いわよ」
「分かります!でも……たいへんそうですね、準備とか」
口ではそう言いながら、たいちゃんは、後ろ手にした手をリズムをつけて上下させながら、興味深そうにテーブルの上を見て回った。
それがあまりに楽しそうなので、リスさんと私は、たいちゃんが手伝いたいと言い出さないか、ヒヤヒヤした。たいちゃんは、パン屋さん家業が大好きなのだ。
今日は、三者面談。体力は温存しておいて欲しいところである。
リスさんは、予防線を張った。
「去年は初めてだったから、色々あたふたしちゃったけど、今年は大丈夫よ。たいちゃんは、楽しく観察してて」
私は、たいちゃんをカウンターへ誘導するように、ほかほかのパンとカフェオレを運んだ。
カウンターには、今日はたいちゃんしかいない。
みっちゃんはボランティアに行っているし、古賀さんは演奏旅行で、しばらく姿を見せていなかった。
お昼のお客さんたちがたくさん訪れてくださる少し前の時間帯、ということもある。
初秋の陽光が、眩しいほど庭に降り注いでいた。
大きな嵌め殺しの窓から、たいちゃんは外を眺めながら、ゆっくりとカフェオレを啜った。
カランコロン
「こーんにーちはーっ!!」
元気な挨拶の声が、揃ってお店に轟いた。
と思うと、どやどやと子どもたちが傾れ込んできた。
「いらっしゃいませ!」
リスさんと私も、つられてではあるが、負けていられないのである。
たいちゃんが、目を丸くしてお店の入り口の方を見ていた。
体育帽を被り、バインダーを肩から提げた子どもたちが、ショーケースの前に総勢15名、先生と保護者の方も加わって勢揃いした。
代表とおぼしき女の子が、大きな声を上げると、唱和が続く。
「ベッカライウグイスさん、店長さん、今日は、よろしくお願いします」
「よろしく、お願いします!!」
「こちらこそ、よろしくお願いします!」
リスさんと私は、大きな声で応えた。
それから、子どもたちは、わらわらと店内を見学しはじめた。
リスさんと私は、焼き菓子のテーブルとパンのショーケースに別れて、質問があると説明をはじめる。
どの子どもたちも、パンとお菓子が大好きな、輝いた表情である。
「リスせんせーっ!このお菓子は、なに味ですかー?」
フルーツパウンドの味を説明するのは、難しい。子どもたちが見て分からないのも当然である。
「これはですね、色々な材料が入っています。レーズンも2種類入ってます。それから、アーモンドとかのナッツ類、レモンとオレンジの皮を砂糖漬けにしたのも入っています。スパイスも、色んな種類が入ってます。それで、なに味なのかっていうと、食べてみると、オレンジと、シナモンに似た味とお酒の味が一番するんじゃないかな、と思います」
「お酒ー?!」
「はい、そうです!ええと、生地っていわれる、この小麦粉で出来た部分のところですね、その部分に入ってるお酒の成分は、オーブンで焼かれている間に、ほぼなくなっているんですが、レーズンが、もうひったひたに、半年くらいお酒に漬かっているのがたくさん入っています。そのアルコールは、焼いても残っているので、子どもは食べられません。
えっと、置いてあるお菓子の、裏を見てみてもらえますか?」
子どもたちが、思い思いのお菓子を手に取って裏を見る。
「そこに、ブランデーとか、ラム酒とかコアントローって書いてあるのがありますか?」
子どもたちが、口々に言い出した。
「ある!ある!」
「ブランデー!」
先生や、保護者の方も、子どもたちの手を覗き込んだ。
「それは、お酒の種類の名前なので、書いてあるのは、残念ながら、子どもが安心して、たくさん食べられるお菓子じゃないの」
「これ、書いてない!」
「クッキー、書いてない!」
リスさんは、にこやかに言った。
「書いてないお菓子も、たくさんあるでしょう?それは、子どもたちに美味しく食べてもらいたいお菓子なので、安心して食べて大丈夫です。人それぞれ、アレルギーがあったり、子どもたちの成長にはまだ早い材料が使われていたり色々するので、お菓子も、裏を見て、お家のひとに聞いてから食べてみてくださいね」
「おれ、この前、お酒の入ったケーキ食べた!」
そう発言した男の子に、みんなの視線が集まった。
「美味しかった!!」
男の子は満足そうに大きな声を上げた。
リスさんは、頷きながら言った。
「うんうん。それは、きっと、お家の人が、このお菓子は少ししかお酒が使われていないようだから、たくさん食べなければ大丈夫、って判断されたんだと思います。そういう、お酒の名前が書いてあっても、ほんの少ししか使われていないお菓子もあるので、お家の人に聞いてみて、これは大丈夫!って言われたものは、食べても大丈夫ですよ」
「早く大人になりたいー!」
フルーツケーキを手にした女の子がリスさんに言った。
「ふふふ。お菓子は、お酒そのものじゃないので、高校生くらいから食べても大丈夫、って私は学校の家庭科の授業で教わりました。高校生になったら、挑戦してもいいかも。あ、でも、裏に書いてあることは良く読んでくださいね」
「はーい」
子どもたちは、納得したように、手にしていたお菓子をテーブルの上に戻した。付き添いの保護者の方々も、頷いていた。
先生が、全員の子どもたちをまとめるように言った。
「じゃあ、今、リス先生から大切なことを教えていただいたので、メモしましょうか」
子どもたちは、肩に掛けていた大きなバインダーをくるりと回して手にし、なにやら一生懸命書きだした。
書き終わった子どもから、パンのショーケースに移りはじめ、これまたなにやら一生懸命書き留めている。
昨年も目にしたことだが、パンの種類や、お店の様子など、目に留るものについて、実に真剣にメモしているのだ。
書き終わり、ショーケースのパンについてあれこれ話している子が多くなった。
先生が、それを見計らったように、中央に準備されたテーブルへの移動が始まる。
「皆さん、いつも食べているパンが、どうやって出来ているのか、分かりますか?」
「うちのお母さん、パン作れるー」
「知ってるー」
「知ってる皆さんも、いるみたいですね。でも、今日はじめての人もいますし、リス先生が、分かりやすく準備してくださったので、お話をよーく聞いてくださいね」
子どもたちに囲まれて、リスさんは、酵母の話から始まり、パンが作られる過程を、ひとつひとつ説明していった。
リスさんは、パン屋さんの説明ともなると、普段のおっとりさはどこへやら、特に大好きな酵母については力説して、子どもたちにその魅力を伝えるのだった。
初めて聞く話もあり、子どもたちは夢中で聞き入り、その合間に、テーブルに置かれているものに小さな手が伸びる。
リスさんが「自由に触ってみていいですよ」と言うと、一次発酵中の生地が大人気で、フィンガーチェックの穴がぽこぽことあけられたり、ベンチタイムの丸い生地を転がしてみる子もいた。
「さぁ、では、そろそろ時間なので、リス先生と……」
先生が私をじっと見たので、私は小声で
「サンタです……」
と告げた。
たいちゃんが、カフェオレを喉に詰まらせた。
リスさんが、心配そうにたいちゃんを見る。
先生は、笑顔で動じない。
「サンタ先生に、お礼を言いましょう!」
「サンタ~?」
「サンタクロース?」
子どもたちに小さな騒ぎが起きる。
私は、例の如く、自分の制服に付けられたネーム刺繍を摘まんで言った。
「三多と書いて、サンタと読みます。よろしくお願いします!」
子どもたちは喜んで笑い出した。
リスさんは、用意していたお店の紙袋を先生にお渡しした。
「少しですが、二年生の子どもさんたち全員にお土産です」
先生は、驚いて、紙袋から溢れんばかりに覗く、ポルポローネの山を見下ろした。
それを聞きつけた子どもたちが、跳ね回って喜ぶ。
「お土産だって!」
「お土産!!」
「やったー!」
「お土産は、ポルポローネっていう、お菓子です。これは、『ポルポローネ、ポルポローネ、ポルポローネ』って、三回言ってから食べると、幸せがやってくる、と言われているので、食べるときはぜひ、三回言ってくださいね!あ、あと、裏に書いてあるシールも、よく読んでみてね」
「ポルポローネ」
「ポルポローネ……」
「ポルポローネ、ポルポローネ、ポルポローネ!」
子どもたちは、早速、魔法の言葉を唱えはじめた。
先生は、
「まだ早いですよー。では、お礼の言葉は、誰だったかな?」
気がついた男の子が、大きな声を上げた。
「リス先生、サンタ先生、今日はたくさん教えてくださって、ありがとうございました!!」
「ありがとうございました!!」
先生と保護者の方々は、私たちに丁寧にお礼を伝えながら、子どもたちをまとめ、お店を出て、次の探検先へと向かっていった。
「うっわー。すごかったですね」
お店に、ぽつんと残されたたいちゃんが呟いた。
「ふふふ。去年から引き受けたばかりなんだけど、楽しいでしょ」
リスさんは、重い扉を持ったまま、お店の外にいらしたお客さんを招いた。
「いらっしゃいませ!すみません、お待たせいたしました」
少し前にいらして、店先で待ってくださっていたお客さんが入っていらした。
「いいのよ~。うちの子も、あちこちでお世話になったから。懐かしいわ」
お客さんは、微笑んでパンを選びだされた。
私は、ふと、時計を見てびっくりし、たいちゃんに声を掛けた。
「たいちゃん、面談の時間、大丈夫?!」
たいちゃんも、時計を見上げた。
「うわ。そろそろ行きますね!」
私は、レジの前でたいちゃんの会計をする。
「来春さん…………私」
たいちゃんは、何か躊躇った。
けれど、お店を出るときに、確かにリスさんと私に言ったのだった。
「ごちそうさまでした!私、決めました!」
リスさんと私は、一瞬顔を見合わせ、何のことなのかよく分からなかったが、
「ありがとうございました。面談、頑張ってね!」
とたいちゃんを送り出した。




