カフェオレ
新しい学期が始まり、たいちゃんは、友人を連れて時々お店に顔を見せるようになった。
とはいっても、まるで勝手知ったる我が家のように、大勢で訪れることはない。たいちゃんととても親しい女の子たち2、3人でやってくるのである。
たいちゃんを含めそのお友達も、周りの状況をよく理解して、女の子たちが集まると盛り上がってしまうというような、たとえば、カウンターに他のお客さんが居づらくなるような状態にはなることはなかった。むしろ、お客さんが多いときには、短い時間で席を立つこともあり、よく気の付く女の子たちだった。
たいちゃんたちはいつも楽しそうで、声を上げて笑い合い、そして美味しいものには目がない。
私は、そんな彼女たちを眺めているのがとても好きである。
カランコロン
「こんにちは!来春さん」
「いらっしゃいませ」
その日、たいちゃんは、授業が早く終わったらしく、「一日パン屋さん」を引き当てたときにも一緒だった、わかちゃんとマリーナさんの3人で、ベッカライウグイスを訪れていた。
マリーナさんは、麻里奈さんの名前を少し伸ばした呼び名であることを、私は、夏休みにたいちゃんから教えてもらっていた。
3人はあれこれと、ショーケースに並ぶパンを吟味して選ぶと、カウンターへ向かった。
夏の制服が、冷房の効いた店内では少し寒そうに見える。
私は、注文のパンとコーヒーの他に、特別な温かい飲みものを運んだ。
その、特別な飲み物のカップは、たいちゃんの前へ置く。
「ん?来春さん、私、飲み物は……あれ?ここでカフェオレってやってましたっけ?」
たいちゃんが、カップの中を見て言った。
「ふふふ。たいちゃんのための特別ドリンクなの」
「ええーっ」
女の子たちのさざめきは、可愛い。
「たいちゃん、いつもマイボトルでしょ?「一日パン屋さん」に来てくれたときも、コーヒーには手を付けなかったから、苦手なのかなと思って、リスさんと相談したの。それで、次にたいちゃんが来てくれたら、カフェオレにしてみましょう、っていうことになって」
「うわぁ。ありがとうございます!うれしいです!」
「いいなー!」
「よかったね、たいちゃん!」
私は、念のため、わかちゃんとマリーナさんにも聞いてみた。
「コーヒー、苦手な人っている?」
女の子たちは、首を振って答えた。
「そう?もし、苦手だったら、無理しないで何でも言ってね。たいちゃんのお友達には、カフェオレ、用意できるから」
「ありがとうございます!でも、コーヒー、大好きなんで、大丈夫です」
女の子たちは、幸せそうな頬を丸くしてお礼を言った。
揃いの夏の制服が、これから伸びやかに世界を広げていく少女たちを、まだそっと守って見えた。
「たいちゃん、学校の自販機で時々カフェオレだよね?」
「ここで特別待遇受けてるんじゃない?」
私は、笑った。
「そうですよ。たいちゃんは、『一日パン屋さん』だったので、ベッカライウグイスの一員なんです」
「えっ、私も来年引き当てたいー!」
「わかちゃん、調理、苦手じゃん」
女の子たちは再びさざめいた。
たいちゃんたちは、無邪気にあれこれ話しながら、コーヒーとカフェオレを楽しみ、それぞれが選んだパンを味わった。
学校の花壇や、授業のこと、洋服と好きな俳優と予備校……、女の子たちの話題は、とりとめもない。
工場では、リスさんがデニッシュの生地を機械に掛けて織り込んでいる。好評だった、キーウィのデニッシュが続いているためだった。
けれど、それもそろそろ終わり、間もなく栗の入荷が始まる。ショーケースには、栗のペストリーが並ぶだろう。
私は、去年の栗作業を思い出し、たいちゃんが週末にアルバイトに来てくれるといいのにな、と勝手に思った。
いやいや。たいちゃんは高校三年生。この夏も予備校で過ごした受験生なのであった。
「たいちゃん、じゃ、私たち予備校の時間だから、帰るわね」
わかちゃんとマリーナさんが、そう言って席を立った。
「ごちそうさまでした!」
「こちらこそ、お話が聞こえたんですが、予備校前なのにわざわざありがとうございます」
女の子たちは、顔を見合わせて笑った。
「栄養補給です!」
「私たち、いつも予備校の前には何か食べてたんですけど、ここなら定期で寄れるし、パンも美味しいし、静かで素敵なお店で、ね?」
「うん。たいちゃんに、いいところに連れてきてもらったなーって」
「それは、ありがとうございます」
女の子たちは、たいちゃんのいるカウンターへ向かって声を掛けた。
「たいちゃんも、明日は予備校だからね!課題、忘れないでよ」
「はーい」
じゃあ、と手を振りながら女の子たちはお店を出て行った。
たいちゃんは、のんびりと頬杖をついて、庭を眺めている。と思ったのだが、突然、レジカウンターの私を振り返るとこう尋ねた。
「ね、来春さん、来春さんは、どうしてベッカライウグイスに就職したの?やっぱり、パン屋さんになりたかったから?」
私は、にっこりしてたいちゃんに答えた。
「そうね……パン屋さんになりたかったわけではないのだけれど、ちょうど仕事を探していて、そのときにベッカライウグイスに出会ったの」
去年の四月、引っ越しをして間もない頃、このベッカライウグイスへふらりと入ったときのことを思い出す。
「そうなの?!」
たいちゃんが、手のひらをカウンターについて、背を斜めに伸び上がった。
「ええ、そう」
「じゃ、来春さんは、最初、何になりたかったの?たとえば、高校生の時とか」
「高校生の時?……」
懐かしいな、と私は回想しながら答えた。
「高校生の時はね、建築家になりたかったわね」
「えっ」
たいちゃんが驚いた。建築家とパン屋さんの開きは大きい。
「それでね、建築を勉強できる学校へ進学したの」
たいちゃんは、興味深そうに私を見ている。
私のような珍しい職歴もあまりないだろうから、高校生のたいちゃんには話してもいいかな、と思った。
「もちろん、建築の色々なことを勉強しているのは楽しくて、とっても充実していたんだけれど、いざ就職ってなると、…………小さな街に住んでいるおばあちゃんと一緒に暮らしたかったから、希望に合う就職口がなくて、それで二次的に勉強して資格も持っていたから、電設会社に就職したのよ」
「電設会社?って、何をするんですか?」
「ええと、ビルや建物の電気を敷設したり、イルミネーションも、季節になると工事するわね。私は主に事務職だったけど」
たいちゃんは、驚きと納得を同居させた表情をして、息をついた。
「事務で良かった。来春さんが、ヘルメットを被ってつなぎを着てる姿が想像できないもの」
「ふふふ。一応、マイメット持ってるけど今度見る?」
「うわぁ」
結構です、とたいちゃんが首と一緒に手も振った。
「ふふふ……そういえば、たいちゃん、三年生でしょ?たいちゃんは、将来何になりたいの?」
たいちゃんの表情が曇った。
いつも明るくにこにこしている女の子なのに……私は、聞いてはいけないことを聞いてしまったかな、と思った。
が、たいちゃんは、考えながら話を続けた。
「私……小さい頃からずっと英語を習ってて、そういう関係の仕事に就くのかなって、親もそう期待してるみたいで……。でも、中学生の時にお菓子作りに目覚めたんですよね……」
私は、リスさんの休憩用にと準備していた、コーヒーサーバーを両手で持ったまま頷いた。
「お菓子って、可愛いじゃないですか?」
確かに。
「で、それから、パンも自分で作るようになったんです……手捏ねで、ばしばし叩いて……母も、弟も、私の作るお菓子やパンが大好きで、いつも楽しみにしてくれてて」
それは、そうだろう。『一日パン屋さん』の時に思ったが、私などよりずっと慣れた手つきで、上手にパンを作っていた。
「でも、そういうの仕事にできるのかな?って」
私は、たいちゃんを見た。顔に疑問符が浮かんでいたのだろう、たいちゃんは答えた。
「趣味を仕事にするのって、たいへんじゃないかなって」
たいちゃんは、手のひらを滑らせ、カウンターに肩肘をついた。
「私の周りの友達で、趣味を仕事にしたいっていう人は、なんていうのか気合いが違うんです。徹底してるっていうのか、それに懸けてるの、すべてを。小さい頃からずっと積み重ねてきて…………じゃ、そういうものが私にはないのかっていうと、そういう人ほどじゃないけど、英語がそうかな、と思って。小さい頃からずっと英語を勉強してきて、コミュニケーションがとれるのも楽しいし、世界も広がるし、…………でも…………英語で、どんな仕事に就きたいのか、そこから先の希望がないんです、私」
たいちゃんは、私の顔から視線を離し、ゆっくりと庭へ目をやった。
「…………で、ずっとどうしようって考えてて、そんな時にベッカライウグイスの『一日パン屋さん』に当たって、すごく楽しかったなって。パンを作るだけじゃなくて、買ってくれたり、食べてくれたりするお客さんの顔を見るのが。仕事として楽しかったんです」
たいちゃんが、私を見上げた。
そして、すくっと席を立った。
「まだ、時間はあるから、よく考えてみます。自分の人生だし。とりあえず、明日は予備校でも勉強してきます!課題、やらないと!来春さん、カフェオレ、ありがとうございました」
たいちゃんは、足下の荷物を持って、レジへ向かい、私はその後を追った。
「来春さんの、ヘルメット話も、信じられなくて面白かったです!今度、マイメットじゃなくて、つなぎ姿が見たいです!」
「えっ……」
私は言葉を失い、たいちゃんは元気よく帰って行った。




