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だいちゃんとたいちゃんの夏休み ②

 だいちゃんのお母さんは、肩に掛けてきた大きな鞄から、小さなビデオカメラを取り出した。

 「あの、できるだけだいちゃんだけを撮るので、ビデオを使ってもいいでしょうか?」

 「もちろん、構いませんよ」

 リスさんが快諾すると、さっそく撮影が始まった。


 「だいちゃん、今日が来るまで毎日、いつパン屋さんになるの、いつパン屋さんになるのって、もう1000回くらい言ってたんです」

 だいちゃんのお母さんは、慣れた手つきでビデオカメラを動かしながら、言った。話しながらも、だいちゃんの表情や仕草を追う手は止らない。


 私たちと同じように、だいちゃんも楽しみにしてくれていたんだと思い、リスさんと私はなんともいえない嬉しさがこみ上げてきた。 


 「私たちも、だいちゃんが来るのをすごく楽しみにしていたんです!だいちゃん、今日は、パン屋さん、お願いしますね!たくさん、作ってください!」

 「うん!」

 だいちゃんは、キラキラした目で答えた。



 リスさんは、水色の箱の中から、白い制服を、だいちゃんに広げて見せた。

 「だいちゃん、これを着て、今日はパン屋さんになりますよ!たいへんだけど、だいちゃんなら出来ると思うから、頑張ってね!」


 リスさんに励まされ、だいちゃんは「うん!」と元気よく頷いた。


 だいちゃんのお母さんは、ビデオカメラの手を止めた。

 「こんな可愛い制服まで用意していただいて、ありがとうございます」

 「とんでもありません。あの、だいちゃんのお着替えをお願いしても……」

 「はい!だいちゃん、お着替えしますよ」

 だいちゃんのお母さんは、恐縮しながら、だいちゃんの支度を始めた。


 工場で、ミキサーの音が止んだ。

 「来春こはるさん、私、工場へ行ってるので、だいちゃんの着替えが終わったら、お願いしますね」

 「はい」


 ぷちっ。

 聞き慣れない湿った破裂音がした。


 だいちゃんを見ると、口に入っていた人差し指が外へ出て、お母さんに制服の袖を通されていた。

 耳を不織布で覆った、特別な帽子も被る。

 小さなパン屋さんの出来上がりである。


 「うわぁ。だいちゃん、すごい!パン屋さんね!」

 お母さんが、だいちゃんの仕上がりに感嘆の声を上げた。

 だいちゃんは、さっきまでのはにかみはどこへやら、胸を張って、きりりとした表情を見せた。

 「ほんとう!じゃ、だいちゃん、このマスクも付けますね」

 私は、ゴムを頭の後ろまで回した、リスさん制作の特別マスクをだいちゃんに付けた。



 一度、ベッカライウグイスのお店を出て、外から工場へ、私はだいちゃんたちを案内した。


 壁にベンチが置かれた横のドアを開けると、だいちゃんとお母さんは歓声を上げた。

 「うわぁ!」

 「なんか、なんか、いいにおいする!」

 

 工場の中は、既にイーストが活発に活動している匂いでいっぱいだった。

 だいちゃんとお母さんは、準備してきた上履きに履き替えた。

 その間に、リスさんは、イースト菌について説明を始める。

 

 「イースト菌っていう生き物が、パンになる準備を進めてるのよ」

 だいちゃんが、お母さんの肩に掴まりながら尋ねる。

 「生き物ってなぁに?」

 リスさんは、笑いながら言った。

 「だいちゃんや、だいちゃんのお母さんや、私や来春(こはる)さんもみんな生き物よ」

 だいちゃんは、目を丸くした。

 「小さいにんげんが入ってるの?」

 「ふふふ。ものすごく小さい、目に見えないくらい小さくて、人間じゃない生き物が入ってるの」

 リスさんはイースト菌の説明が大好きだが、そこまででおしまいにした。

 だいちゃんの頭の中では、小さな生き物が、よいしょよいしょとパンを作っているのかも知れない、と私は思った。



 リスさんは、工場の入り口にやってくると、だいちゃんに言った。

 「では、立派なパン屋さんになるために、よく手を洗います!」

 と、入り口横の水場で、自分の手を洗い出した。

 「りっぱってなにー?」

 「ふふふ。ものすごく美味しいパンが作れるパン屋さんってことです!」

 リスさんが言うととても説得力があった。

 それからリスさんは、盛大に石けんの泡をつけ、盛大に水を流して、だいちゃんの指を、心ゆくまで洗い上げた。

 お母さんには、事前にだいちゃんの爪切りをお願いしていたので、だいちゃんは爪の中まで綺麗になった。

 


 リスさんに手を拭いてもらうと、だいちゃんはぴょんぴょん跳ねながら狭い工場を見て回った。

 ベッカライウグイスの工場は、古いが手入れの行き届いた様々な器具でいっぱいである。

 だいちゃんが、大きな泡立て器に手を伸ばそうとするのを、ビデオを回しつつお母さんが注意した。

 「だいちゃん、ストップ!何かに触るときは、必ずリスさんに『いいですか?』って聞いてね。工場は、遊ぶところじゃないからね」

 だいちゃんは、頷きながらリスさんに聞いた。

 「いいですか?」

 気になっている泡立て器を指さし、リスさんは「いいですよ」とだいちゃんにそれを持たせてあげた。

 だいちゃんは、受け取った泡立て器を、重たそうに逆さにして持った。自分の顔くらいの大きさをしたホイッパー部分を顔に押し当てると、その隙間から工場を360度眺めた。

 大きな目を、糸のように細くして、ためつすがめつする姿が面白い。


 私は、だいちゃんに、影のように付き添うお母さんに話しかけた。

 「だいちゃん、本当によく見てますね」

 お母さんは、ビデオ画面のだいちゃんから目を離し、私に笑いかけた。

 「怪しいところはありますが……大きな怪我がなければそれでいいと思ってます。兄弟でも、やっぱりお兄ちゃんたちとは、違いますね。あ、でも指をくわえるのは一緒かな」

 そう言うと、優しい眉が少し傾いて、八の字になった。

 


 だいちゃんは、縦横無尽に工場のあちこちを見て回っていたが、私が思うよりずっと落ち着いていた。

 りすさんが、

 「手は後ろ、でこうやって組みます」

 という決まりをだいちゃんに伝えたため、だいちゃんはそれをしっかり守った。

 だが、泡立て器以外に、だいちゃんがりすさんに「いいですか?」と尋ねることはなかった。

 次にだいちゃんが触りたいのは、器具ではなく、パンだったのだ。



 やっとそのときがやってきた。

 リスさんは、だいちゃんを、発酵機の前へ連れて行った。

 機械の扉を開けると、たっぷりと膨らんだパン生地が顔を出した。

 「うわ!」

 

 私は、調理台の上に粉を振り、りすさんは、網目の糸引く生地を、その上へ

移した。

 パン生地が、もたっと動く。

 それをみるやいなや、だいちゃんは、大声を上げた。

 「うわぁぁぁ!くっしょん、くっしょん!おっきーーい!」

 だいちゃんの感嘆の声と、焼ける前のパンの香りが工場に充満する。

 こんなに賑やかな朝のベッカライは、初めてだった。



 「だいちゃんは、どんなパンを作りたいですか?」

 リスさんが、小さな手を大きなパン生地に今しも伸ばそうとしていただいちゃんに尋ねた。

 だいちゃんは、伸ばしかけた指の動きを止めて、リスさんを見上げた。

 目をぱっと見開く。

 「だいちゃんね、だいちゃんね、レスキュー車。あと、はやぶさと、たけのこ!」

 「レスキュー車と、ハヤブサとたけのこね!ハヤブサって、鳥だったかしら……」

 「違うよ!しんかんせん!」

 「ああ、新幹線のハヤブサなのね!」


 「じゃあね……まず……」

 リスさんは、だいちゃんの手に、用意していた一番小さな調理用手袋を嵌めると、

 「これで、よしっと」

 前夜、刻んでおいたパン用の飾りを色々出した。


 「これは、レスキュー車に使えるかな……」

 「ライト!ライト!」

 だいちゃんは、手袋を嵌めた指でオレンジピールやドレンチェリーを摘まんだ。

 「ハヤブサって、緑色だったかなぁ?」

 「そう、ピンクの線なの」

 リスさんは、粉末色素を出した。普段、アイシングに使っている、リスさん秘蔵の天然粉末色素である。ドレンチェリーも、りすさんは無着色のものをあらかじめ取り寄せていた。


 リスさんは、粘土で使うへらやのべ棒をなど準備していたものを、ずらりと調理台に並べた。

 だいちゃんの目が輝いた。

 

 

 さくらさん曰く、パンは一種の工作である。

 パン工作作家だいちゃんは、大人も驚くほどの集中力で、縦横無尽に想像と指を駆使し、造形を作り上げていった。



 時間は、瞬く間に過ぎてしまう。

 リスさんは、だいちゃんを見守りながらパンを焼き始め、私はお店の掃除を済ませると、すぐにリスさんの補佐に回った。

 

 「じゃあ、だいちゃんの作ったパンを焼いていくわね!熱くて危ないから、ここは私にやらせてね」

 「うん!」


 だいちゃんの作ったレスキュー車やハヤブサやタケノコが天板に並べられ、オーブンに収まった。

 狭い工場はオーブンに火が入ると、途端に室温が上がる。

 だいちゃんの額にはもう汗が滲み、帽子からはみ出した髪の毛が濡れていた。


 「じゃあ、パンが焼ける間に、朝ご飯にしましょうか?」

 とだいちゃんに声を掛けた。

 「ごはん!」

 だいちゃんは、粉だらけの手袋を嵌めたまま、お腹を押さえた。パン屋さんの制服の下には、ぷくぷくのお腹が詰まっているように見えた。


 


 私たちは、四人並んで、カウンター席で朝食をとった。


 「はぁーっ。素敵ですねー。こんな素敵なお店で、こんな美味しい朝ご飯がいただけるなんて」

 だいちゃんのお母さんは、だいちゃんから目を離さずに溜息を吐いた。

 だいちゃんは、両手でパンを持って、美味しそうに食べている。

 「私、人に作ってもらった朝ご飯なんて、去年実家に帰省したとき以来です」

 私は、しみじみと同意した。

 「分かります。私も、リスさんのスープは毎朝体に染み渡ります」

 リスさんは、恥ずかしそうに苦笑した。

 「そう言っていただけると………パンは、昨日のなんですけれど」

 だいちゃんとお母さんは同時に言った。

 「美味しいです!」

 「おいしー!」

 

 私たちは、おいしいおいしいとほっぺたを小さな手でぽんぽん押さえるだいちゃんの様子を見ながら、ご褒美を貰った気分で食事をした。



 チン!


 工場でタイマーが鳴った。

 リスさんが、立ち上がる。

 「パンが焼けたみたい!だいちゃん、また制服を着たり、手を洗ったりしなくちゃいけないけれど、見に行く?」

 「うん!見に行く!」


 

 工場は既に、焼けた小麦とバターのいい匂いが充満していた。

 リスさんが、4階建てオーブンの3階部分の扉を開けると、熱と蒸気と共に、香ばしい匂いがなお濃くあふれ出した。

 天板を掴み、

 「熱いので、おてては後ろにしてね」

 とだいちゃんに確認してから、調理台の上にそれを置いた。


 「うっわー!!」

 「わぁ!」


 だいちゃんのレスキュー車とハヤブサとタケノコが、色とりどりに膨らんで、それは立派と言っていいほどよく焼き上がっていた。


 「すごい!!」

 だいちゃんは、その場に静止して、パンに魅入った。

 自分で作ったはじめてのパンである。

 しかも、レスキュー車とハヤブサとタケノコである。

 マスクの下でも、だいちゃんの丸いほっぺたが紅潮しているのが分かる。

 だいちゃんが心ゆくまで見つめ終わるのを待ってから、リスさんはパンをラックに収めた。


 だいちゃんとお母さんに朝食と休憩の続きをすすめ、私たちは、焼けたパンを手早くラックへ移したり、お店のパン置き場へ移していった。

 すぐに、つぎのパンを成形し始め、発酵機へ入れる。

 二次発酵が終わったパンから、オーブンで焼き始める。

 今日は作業が遅れているが、なんとかなるだろうと思った。



 「さぁ、だいちゃん、お店の開店の時間ですよ!」

 リスさんは、だいちゃんと一緒に踏み台を持って青空の広がったお店の外へ出ると、吊り看板を扉の横に掛けた。

 だいちゃんは、看板を見上げ、パチパチと小さな手を叩いた。 

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