第三十五話 僕と友達になろう
決着はついた。
何とも締まらない結幕だが、イスラフィールが気絶したせいか、ユーリシティアに掛かっていたイスラフィールの神域も解かれ、今は横になって静かに眠っている。
「ん……、んゆ?」
そんな中、地面に仰向けに倒れて気絶していたイスラフィールが目を覚ます。
ちなみに体液で汚れたルーテシアとイスラフィールの下着はルーテシアの魔法で綺麗になっていた。戦闘では使いづらい水属性の魔法も下着の汚れた水分だけ排除するといった様なニッチな使用法に利用出来るなど普段使いの魔法として汎用性には優れていた。
目を覚ましたイスラフィールはルーテシアを見ると驚いたようにファイティングポーズを取りながら距離を取る。
「あ、あなた騙してたわね!お、男だなんて聞いてない!」
「まあ、身内以外は僕が男の娘って知らないからね」
イスラフィールはルーテシアが異性と認識してから自身の変化に動揺する。
体が熱い。心臓の鼓動が早くなる。ルーテシアを見ると顔が火照る。
吸血鬼の異性に対する愛情表現の一つが吸血行為なのだ。時間をかけてゆっくりと相手を思いながら血を頂く。
だから吸血鬼というのは基本的に人間の女性からしか血を吸わない。
男とはうら若い女性に対して情欲を抱くものだし、特殊な性癖が無い限りは同性で吸血などしない。
一方の女性の吸血鬼は逆に異性に対して吸血行為を行わない。吸血鬼にとって吸血というのはキスに近しい行為なのである。そんな行為をやたらめったらに相手を選ばず行えば、その評判はあばずれの情婦と忽ちなってしまうだろう。だから女性の吸血鬼も吸血を行うのは人間の女性となる。同性ならまだしも異性に対して簡単に吸血は出来ないのである。
その点、イスラフィールは男の娘であるルーテシアに吸血をしてしまったのである。しかもねっとりと執拗に。それはお互いの舌を絡めるディープキスと等しい行為であり、そんな事を異性であるルーテシアとしてしまった事にイスラフィールは呆然とした。
ふとルーテシアの顔を見る。
それだけでイスラフィールはルーテシアを意識せざるを得ない。
整った顔立ちはとても美しく、さらさらと風に揺れる髪に目を奪われる。
そんな彼に自分がした事を思い出す。
イスラフィールは恥ずかしさで茹で蛸のように顔を赤くした。
恥ずべき事をしたとは言え、そんなものは一時的な過ちだ。忘れてしまえば良い。
が、イスラフィールが吸血した相手は何とも運が悪いことに男の娘の淫魔であるルーテシアだ。
つまりインキュバスであるルーテシアの血を、異性を性的に誘惑する特性を持つ特殊な血を、それはもう大量にイスラフィールは摂取してしまったのである。
当然、異性間の吸血という行為に加え、そんな媚薬のような血を飲み込んでしまったイスラフィールはルーテシアを意識するだけで頭の中に大量の脳内物質が溢れかえる。
アドレナリン、ドーパミン、エンドルフィンなどなど……。
一度体験した至福の体験はイスラフィールを苦しませる。
それは麻薬を摂取した後に訪れる中毒症状のようであり、ふらふらと視線を彷徨わせながらいつの間にかイスラフィールはルーテシアに抱きついていた。
「ちょ、ちょっと!?」
また血を吸われるのではないかと驚いたルーテシアは慌てて抱きつくイスラフィールを引き剥がした。
そんなに力を入れてないのに小さな悲鳴を上げながら地面に倒れ込んだイスラフィールは酷い焦燥感に駆られた。
自分はルーテシアに拒絶されたのではないかと、そう思ったらてともやるせなくなった。
ルーテシアに抱きついた時の安心感。ふと鼻に香る良い匂いがひたすらに愛おしい。
そんな相手が自分を突き離したのだ。
イスラフィールはただただ悲しくなった。それがルーテシアの、インキュバスとして成せる業だとしても、イスラフィールにはもうどうでも良かった。
ルーテシアと一緒に居たい。肌に触れたい。言葉を交わしたい。そしてあわよくば少しでも良いから彼の血が欲しい。
「ごめん、大丈夫?」
そんな彼が自分に手を差し伸べてくれる。優しく言葉をかせてくれる。ただただそれが嬉しい。
「うん……。ありがと……」
顔を伏せながらその手を取り、立ち上がる。
イスラフィールは今の顔をルーテシアに見せたくなかった。きっとその顔は今までしたことのないような顔で、きっとその顔は嬉しそうに破顔していたであろうから。
そんな様子のイスラフィールをルーテシアは心配する。
いくら相手が吸血鬼とはいえ年頃の女の子なのだ。男として女性に恥をかかせるのはしたくなかった。
「僕の血いっぱい飲んだよね?やっぱり辛い?」
ルーテシアは女の子には優しかった。
それが無理矢理自分の血を吸った相手であっても。
そのことが孤独なイスラフィールの心を溶かしていく。
イスラフィールの生い立ちはひたすらに孤独との戦いであった。
生まれてからの記憶に彼女の両親はいない。それ以外の家族の記憶も。
与えられた部屋は一面白い壁に覆われて窓も無く、ベッドが一つあるだけ。
その部屋でイスラフィールはただ言われた事をした。座学であったり、魔法の実験であったり、身体能力を確かめるテストであったり。
それが終わると給仕が食事と暇つぶしにと適当な二、三冊の本を持ってくる。
その本の内容がイスラフィールにとって世界の全てだった。
特に人間の世界で書かれた物語にイスラフィールは憧れを持った。
一人の女の子がたくさんの友達を作るのだ。女の子同士でお話ししたり、ご飯を食べたり、お茶を飲んだりする。ただ本当にそれだけの陳腐でつまらない話。
でもそんな物語の女の子にイスラフィールは憧憬を抱いた。いつも一人の自分にはこの主人公の女の子は眩しすぎたのである。
イスラフィールは飽きる事なくその本を何度も読んだ。文字が掠れて紙が擦り切れても読み続けた。
それだけが孤独を和らげる唯一の手段だったから。
そして遂にイスラフィールに転機が訪れた。
給仕が閉め忘れたのか、偶然にもその日の部屋の鍵が開いていたのだ。
すでにこの時のイスラフィールは神域の能力を開花させており、誰にも気づかれずに施設を脱走することが出来た。
イスラフィールが思ったより世界は広く、美しかった。夜が明け始めた空は赤く燃え上がり、風が運ぶ匂いは草花の清々しい香り。そんな空気を肺いっぱいに吸い込む。
イスラフィールはこの時初めて自由を感じた。
ならば自分にもあの本の女の子の様にたくさんの人間の友達を作れるのでは?と。
自分を実験動物として扱う同族なんかよりもこの本に書かれている優しい人間の女の子の友達。イスラフィールの孤独を癒してくれる本当の友達を。
それがイスラフィールが人間の世界にやって来た理由だった。
しかし、イスラフィールには友達が一向に出来なかった。
それは吸血鬼と人間という絶対の種族の壁。吸血鬼にとって人間という生き物はあまりにも脆弱だったのである。
声をかけただけで気絶する。姿を見ただけでパニックになりイスラフィールから逃げ出す。
これでは友達が出来ないと気落ちしたイスラフィールは考える。自分と渡り合える強い人間なら友達になれるのでは?と。
そこで冒険者という存在を知った。冒険者とはダンジョンで魔物を狩る強い人たちだと。
イスラフィールはエンデルを目指す。世界最大のダンジョンがある迷宮都市。ここでなら自分と友達になってくれる人間がいるはずだ。
イスラフィールは能力を使い、誰にも気づかれる事なく街に入る。街にはたくさんの人間がいた。そんな大勢の人混みの中で吸血鬼の魔力を漂わせながら街中でも歩いたら一瞬で大騒ぎになるだろう。
そこでイスラフィールが行き着いた場所は必然的にダンジョンの中になった。
ダンジョンの魔の森で友達になる予定の冒険者たちを待った。
そしてイスラフィールの前に遂に女の子の冒険者が現れたのである。その女の子と友達になるために他の冒険者を気絶させ、話をした。
結果は友達に成るどころかイスラフィールそのものの存在の否定。あろうことか彼女は自身に酷い言葉をかけ、攻撃してきたのだ。
ああ、この女の子は自分と友達になってくれないのだとイスラフィールは直感する。
ならばもうこの子はいらない。イスラフィールは迷う事なく女の子の首筋に噛みつき、血を吸った。
イスラフィールの魔力が注ぎ込まれた女の子の冒険者はその瞬間に卒倒し、今も目を覚さない。
これが今回の事件の真相である。
「だからね、私はルーテシアたちとお茶会して、いっぱいお話し出来てね、本当に楽しかった」
イスラフィールのポツポツと話す本当の思いを聞いたルーテシアは彼女の悲しい話に目に涙を浮かべる。
その言葉には後悔の節々があった。彼女はただ単に女の子の友達が欲しかっただけなのだ。吸血鬼としての存在が、イスラフィールの育った環境が今回の結果を齎した。
「でも、これでもう私も終わりね。きっとあなたも私を拒絶する。あなたに酷い事をした私なんて嫌いでしょ?」
「そんなことない!!」
ルーテシアの言葉にイスラフィールは驚く。
「確かにイスラはたくさん悪い事をした。でも今のイスラはその事を後悔してる。悪いと思ってる。そうじゃなきゃそんな悲しい涙なんて出ないよ……」
イスラフィールはいつの間にか泣いていた。
一度流れ出した涙は止まる事が出来ず、次々と新しい涙が生まれた。
ルーテシアに自分の辛さを吐き出した。自分の願いを聞かせた。本当の気持ちを初めて他人に聞いてもらった。
ただそれだけで心が洗われるような気がして。
そんなイスラフィールの姿を見るルーテシアももらい泣きした。
きっと普通に暮らしていたならば彼女にはたくさんの友達が出来ていたであろう。それくらい彼女の気持ちは優しさで溢れていた。それが不遇にも過酷な環境で育った結果、今回の事件を引き起こしたのだ。
イスラフィールだけを責めるのはルーテシアには出来なかった。
「ねえイスラ。僕と友達にならない?」
「あなたと?」
「うん!」
ルーテシアの提案にイスラフィールは顔を上げる。
そしてルーテシアの顔を見た。その笑顔は本に書いてあった女の子みたいな素敵な笑顔で、あまりにも輝いていた。
そのルーテシアの気持ちに甘えても良いのだろうか?
私は、みんなに迷惑をかけた私は望みを叶えても許されるのだろうか?
イスラフィールは求めていたものを、手を伸ばせば届く夢を目の前にして葛藤する。
「やっぱり男の僕では嫌?」
「違う!違うの!あなたはとても優しくて、可愛くて、輝いてて……。そんなあなたの隣をダメな私なんかが歩いて、良いの?」
俯くイスラフィールをルーテシアは優しく抱きしめる。
「イスラ。この世界に生まれた人はね、幸せに成るために生きているんだよ?だからね、あなたも自分の気持ちに素直になって。理屈なんかじゃない。人の生きる本質は感情の発露。あなたの心が友達が欲しいと言っているならそう言えば良い。僕はイスラと友達になりたい」
ルーテシアの言葉にイスラフィールは目を開く。
イスラフィールの感情は、彼女の本質は寂しがり屋の愛に飢えた野良犬なのだ。
溜まりに溜まったその感情を今、イスラフィールは解き放った!
「うん!うん!!私もルーテシアと友達になりたい!嬉しい……。こんなにも嬉しいのは生まれて初めてよ」
はしゃぐイスラフィールを温かい目で見ていたルーテシアは気づいてなかった。
この時のイスラフィールの目は友達を見る目というよりは恋する乙女の眼差しであったことに。
「あ、でも僕が男の娘ってみんなには内緒だよ?特にユーリ先輩には」
イスラフィールは特に疑問を浮かべずに素直に頷く。
初めて出来た友達の秘密を自分は知っているのだ。
そうした優越感が今のイスラフィールには心地良かった。
こうして友達を求めて旅をしていた孤独な吸血鬼は初めて出来た男の娘の変わった友達に恋をする。
イスラフィールの恋の物語は今、始まったのである。




