第二十八話 マリアベーゼ
「少しは落ち着いた?」
「うん……。ごめんね、イーファ……」
散々泣いたせいかユーリシティアの目は赤く腫れ、普段見せない情けない姿をイーファに見せたからか羞恥心がユーリシティアを襲った。
「ユーリに何か事情があるのは何となく分かる。それを誰にも言えないのも」
「うん……」
「いつも一人でいたのもそのせいなのね」
ユーリシティアは返事しない。
それをイーファは肯定と受け取った。
「そして当然ルーテシアさんにも言えないからユーリは困ってる。彼女の思いに応えたいけどそれをするにはあなたの秘密を打ち明けなくてはならない」
「うん……」
ユーリシティアの秘密。それが何なのかこの街で一番長く彼女と接しているイーファにはそれが何となく想像がついた。
いつまで経っても変わらない容姿に百戦錬磨を思わせるような一つも傷が無い綺麗な肌。
イーファはユーリシティアの秘密に考えているとふと似たような話があったなと思い出した。
それは昔見た劇の一幕で、確か題名は『マリアベーゼ』だ。
「不老不死の魔女……」
突然イーファから飛び出した言葉にユーリシティアは目を見開く。
「な、何それ?」
「昔からある有名な劇のお話よ。ユーリは知らない?」
明らかに動揺するユーリシティアはイーファにバレないように聞き返す。
「知らない。良かったらその物語の内容を聞いても良い?」
「いいわよ。えーっと……」
昔々、マリアベーゼという一人の女の子がいました。
その女の子はある時、悪魔にそそのかれ、ある契約をしてしまいます。
『あなたに永遠の若さを授けましょう。いつかきっとあなたは運命の人に出会えます。しかしそれがいつになるか……。明日出会えるかもしれないし、遠い未来かもしれない。でも残念ながら遠い未来のあなたはシワだらけのお婆さんです。もし運命の人との出会いが遠い未来であればあなたはお婆さんの姿で恋をしなきゃいけません。それは嫌でしょ?』
まだ恋をしたことが無かったマリアベーゼはその悪魔の声に同意する。
容姿が整っていた彼女は自分がお婆さんになることが想像出来ない。
身近にいる年寄りの祖母は好きだけど、皺くちゃの祖母はお世辞にも綺麗とは思えなかった。
そしてマリアベーゼは悪魔と契約する。
その瞬間から彼女は歳を取らなくなり、十年経とうが二十年経とうがマリアベーゼはいつまでも可憐な少女のままだった。
初めの頃はいつまでも若く美しいマリアベーゼに皆が羨望の眼差しを向け、たくさんの男性に求婚された。
しかしマリアベーゼの運命の人はいつまで経っても現れることは無かった。
自分は特別だと思っているマリアベーゼは自分の理想の男性、つまり運命の人はこんなつまらない人たちではない。もっと自分に相応しい人がいつか現れるはずだと、永遠の命を持つ彼女は妥協しなかったからだ。
その生活もいつしか終わりを迎える。
いつまでも歳を取らないマリアベーゼに他の人たちは気味悪さを覚え、両親も死別し、他の家族は彼女と距離を取る。いつの間にか住んでいる家にはマリアベーゼただ一人しかいなくなった。
そうなると彼女を守る人間は誰もいなくなり、ある日彼女は裁判を受ける事になった。いわゆる魔女狩りだ。
裁判では検察から弁護士、そして聴衆からも死刑の声が上がる。判決はもちろん死刑。
マリアベーゼは磔にされ、火刑の炎に包まれる。
それでも彼女は死なない。
不老不死の呪いがある彼女は火に焚べられようが首を吊られようが、ギロチンで首を落とされようが死ななかった。
何度も行われる刑の執行にマリアベーゼの心は苦痛に満ち、壊れる寸前だった。
ある日牢番の杜撰な仕事のせいか、牢の鍵が開いたままだった。
それを見たマリアベーゼは息を殺しながら牢を出る。
苦痛から逃げるため、もうこれ以上怖い思いをしないよう、息を殺しながら牢を脱出し、街を出る。
彼女はもう誰も信用しなかった。
人間が居ない場所へ、もう誰からも化け物を見るような蔑んだ目で見られないようにマリアベーゼはひたすらに深い森の中へと進む。
空腹は辛いが死なない彼女は耐えられる。どんなに疲れようが死なない体は限界を超えて動くことが出来た。
もうあれからもう何日経ったか分からないが、マリアベーゼは森の中で寂れた小屋を見つけた。
人が住んでいるかもしれないが疲れ果てていたマリアベーゼは恐る恐る小屋の中へと入る。
不思議と小屋の中は綺麗に掃除されており、生活感があるが人の気配は無い。
ふと部屋の真ん中のテーブルに目を向けると一枚の手紙が置いてあった。
見ては悪いと思いつつどうしても気になったのでその手紙を覗いてみると宛名にはマリアベーゼの名前が書いてあった。
震える手でその手紙を読むとマリアベーゼを不老不死にしたあの悪魔から『運命の人との出会いはあったかい?まあ、これを読んでいるのだから君はきっとまだ出会えてないのだろうけどね。そう言えば君を不老不死にした祝福の対価を貰う話をし忘れていたよ。対価は君の絶望。君は死にたくても死ねないでしょ?これかも永遠に絶望してね?』と書いてあった。
マリアベーゼは手紙の通りに絶望した。
しかしそれでも彼女は懸命に生きた。
腹が減れば森の恵みを頂戴し、体や服が汚れれば川で汚れを落とし、眠くなればベッドで眠る。
無限にある時間で薬を研究し、自然と戯れれば嫌な記憶から逃げられる。
そうしてマリアベーゼは千年もの時間を一人で過ごした。
時たま森に迷い込む人もいたが一人で居たい彼女は丁寧に森から追い出した。
いつしかマリアベーゼは森に住む不老不死の魔女と呼ばれるようになった。
そうした生活をしながらまた長い月日が過ぎようとしたところにまた一人の人間が森に迷い込んだ。
それを見たマリアベーゼはいつものように森からその人間を追い出そうとしたが、その人間は騎士のような格好をしており、大怪我を負っていた。
いつもなら放っておくのだが、ほんの気まぐれでその騎士を小屋まで連れて行き手当を施した。
長い時を薬学の研究に費やした彼女の薬はまさに霊薬の如く死にかけの騎士の傷を癒やし、彼の命を救った。
目を覚ました騎士は一言、ありがとう、と。その言葉にマリアベーゼは久しぶりに人の心の温かさに触れた。
人の心とはなんと甘美たるや、マリアベーゼはその騎士が完全に治るまで看病し、あらゆる世話を請け負った。
顔はお世辞にも良いとは言えないが、マリアベーゼは騎士に恋をした。
笑顔で感謝をする騎士のはにかんだ顔に胸が熱くなる。マリアベーゼと名前を呼ばれただけで自然と笑みが溢れる。
それでもマリアベーゼは騎士と結ばれることは無い。
何故ならば自分は不老不死の魔女で彼は普通の人間である。同じ時を一緒に歩めない。
一方の騎士もマリアベーゼに恋をした。
男世帯で生きていた彼は女性という生き物に慣れていない。身近な女性は母親のみ。兄弟は全員男で騎士になってからも基本的には宿舎は野郎しかいなかった。
そんな彼が初めてマリアベーゼという美少女に甲斐甲斐しく介抱され、言葉を交わし、肌に触れる。男性には無い甘い彼女の匂いに脳が揺れ、甘い言葉に一喜一憂する。
体が治ったにも関わらず、いつしか騎士は仮病をしてでもマリアベーゼの側から離れようとしなかった。
そんなある日の夜、騎士はマリアベーゼが血を吐いて倒れているのを見つけた。
彼女の側には薬の瓶。その匂いは明らかに毒薬だった。
騎士は何故マリアベーゼが自ら命を断ったのか、理由が分からなかった。
自然と目からは滂沱の涙が溢れ、彼女の死を悼む。
しかしその時奇跡は起こった。なんと心臓が止まっていたマリアベーゼが息を吹き返したのである。
騎士は生き返ったマリアベーゼに抱きつき、服毒した理由を聞く。
マリアベーゼは答えようとしなかったが、真摯な騎士の言葉に意を決して真実を述べた。
自分は不老不死の魔女であると。
自分は不老不死でも死ぬことが出来る薬を作るためにここで暮らしていると。
これで私の恋は終わり。騎士はきっと自分を気持ち悪がって森から出ていくだろう。そしてまた自分は一人で寂しく毒薬を作り続けるのだ。
涙で顔がくしゃくしゃになる。嗚咽を漏らし、体がどうしようもなく震える。
マリアベーゼはひたすらに悲しかった。寂しかった。一人で永遠を生きるという事に疲れていた。
そんなマリアベーゼを騎士は優しく抱きしめる。涙で汚れる顔を指で拭い、慣れない様子で唇でマリアベーゼの口を塞いだ。
一瞬、マリアベーゼの頭が真っ白になる。自分は何をされているか、それを理解すると彼女は優しく騎士の抱擁を受け入れる。
それからは言葉は要らなかった。
相手が求めれば受け入れ、自分が求めれば相手も受け入れた。
気がつけば日は登っていた。
明るくなった部屋の中でマリアベーゼは今までのことを騎士に全て打ち明けた。
一言一言、マリアベーゼが受けた仕打ちを震えながらゆっくり告白する度に騎士は涙を流し、彼女を抱きしめた。
そんな私でも愛してくれますか?とマリアベーゼは騎士に尋ねる。
騎士は何度も頷き、ああ、ああ!と答える。
マリアベーゼの運命の人は遂に現れたのだ。
彼女の不老不死という咎を受け入れ、愛してくれる運命の人だ。
二人はそれからも森奥の小屋に住み続け、何度も季節が巡る。
春には花を。夏には星を。秋には月を。冬には雪を。
いつしかマリアベーゼは自身の変化に気づく。
彼女は歳を取っていたのだ。
あどけなかった少女の顔もいつしか大人の顔つきになり、子宝に恵まれなくとも二人は幸せに暮らし、共に死する時までずっと一緒だった。
恋という猛毒は不老不死を殺し、一人の少女を永遠という牢獄から解き放ったのだった。
「というような話ね」
イーファが長い時間をかけてマリアベーゼの物語をユーリシティアに話した。
空はいつの間にか日が出始めており、イーファは背伸びをしてみんなを起こしに行った。
ユーリシティアは一人静かに涙を流し、マリアベーゼに思いを馳せていた。




