第十七話 初めての実戦
「お待たせしましたイーファさん。僕はこれが初めての戦闘なので胸をお借りします」
ルーテシアの言葉にイーファは軽い苛立ちを覚えた。
冒険者というものはいつ死んでもおかしく無いという危険が常に伴う職業である。
それをニコニコと微笑む目の前の肌に傷一つない見た目だけ立派な少女は緊張感の無い様子でイーファの胸を借りると宣ったのである。
「……刃は潰してあるので安心して下さい。ルーテシアさんが構えてから試合開始です」
「分かりました」
ルーテシアは細身の白い剣を鞘から抜き、両手で構える。
その所作はその場にいる三人の目を奪うほど洗練されていた。
しかしそれだけだった。
なるほど、確かにルーテシアの剣の構えた姿は美しい。
さぞかし舞台がこんな無骨な訓練場なんかでは無く貴顕が主催するような舞踏会だったならば間違いなく彼女が主役だろう。
ただし今この場所はあくまでも訓練場だ。
戦いをする場所であって舞を披露する場ではない。
(構えは様になってるけど強者と思えるほどの迫力は無い。今回が初めての実戦というのも納得出来る。それならば……!)
イーファは剣を構えるとルーテシアを見据える。
「行きます!!」
言葉を発したその瞬間、彼女の姿はルーテシアの眼前まで迫っていた。
風の魔法と身体強化による高速移動、さらにその勢いを利用した一撃はルーテシアの意識を刈り取るには十分だった。
「閃撃。一撃で相手をノックアウトさせる意識外からの剣撃。初見で避けるのはかなりの実力者じゃないと難しい。終わったな……」
アーノルドはイーファとルーテシアの一連のやり取りを見届けた後、ルーテシアの治療の為に治癒魔法を使えるギルド職員を呼びに行こうとした。
実力は有るのだろうが圧倒的に経験が足りない。
それがアーノルドがルーテシアに感じた物だった。
「アーノルドさん、まだですよ。ルーはまだ負けてません」
ユーリシティアはその場から去ろうとしたアーノルドに声をかける。
そんなばかなと言わんばかりに倒れたルーテシアの方へと目を向けるとそこには起きあがろうとしているルーテシアがいた。
「痛たた……。流石に今の一撃を避けるのは無理でした」
ゆっくりと立ち上がるルーテシアを見て、イーファは目を見開いた。
手加減していたといっても先ほどイーファが放った閃撃は確実にルーテシアの意識を奪う程の威力があったはずだった。
それなのにルーテシアは何事も無かったかの様にスカートに付いた土を手で振り払っている。
剣を構え直しながら落ち着いて彼女を観察する。
イーファの剣撃は確実にルーテシアの右肩辺りに当たったはずだ。
見た感じ無傷。
ルーテシアの右肩にある防具にも傷が無いと言う事は何らかの方法でイーファの剣を防いだという事になる。
まず一番に考えられるのは魔法であろう。
身体強化で防御力を上げた?
いや、それならルーテシアの防具に傷が無い説明がつかない。
それならば例えば自分と同じ様に風の魔法を使って空気の盾でも作ったのだろうか?
いや、それもかなりの確率で否定出来る。
風属性の魔法というのは防御に不向きだからだ。
魔法で空気を硬くする高いレベルの魔法を使えるとすればそれは魔法に長けた魔法使いという事になる。
同様に他の属性の魔法も考えにくい。
出来るとしたら土属性か水属性の魔法だが土属性の魔法を使った痕跡は無いし、水属性の魔法はそもそも水が無いと何も出来ない。
というか冒険者の中でも確かに魔法を主流に使う使い手もいるがルーテシアはどう見ても前衛職の剣士。
魔法よりも剣で戦うタイプだ。
となれば可能性は一つ……。
「その剣……、魔法剣ですね?」
「はい、ご明察の通り魔力によって水が収納された魔法剣です。名を比翼と言います」
そういうとルーテシアの剣からは水が溢れ出る。
溢れ出た水は地面に落ちる事なく空中にシャボン玉の様にぷかぷかと浮かんだ。
「素晴らしい技量です。あの一瞬で剣から水を生み出し、操作して硬度を上げて防御する。一朝一夕で出来る技では有りません。そのレベルに到達するまで天才だったとしても恐らく最低でも5年……、いやそれ以上でしょうか?才能に驕らず努力したのでしょう。その若さで大した物です」
実際にルーテシアがこの域に達したのに流れた時間は50年以上と掛かっているので魔法の才能としては非凡という訳では無い。
まあ、悪魔という人外の特権というやつだ。
努力する時間だけは人の一生分はあったので色々と試しながら頑張った結果だった。
あの一瞬の攻防の後、ルーテシアとイーファは数合剣を合わせる。
金属同士がぶつかる甲高い音を響かせながら両者は一歩も譲らず相手の攻撃をいなし、反撃する。
数合も打ち合っていると本当の命のやり取りをしている訳では無いがそれに近い事をしているので当然、体力気力共に限界に近い。
両者ともすでに息が上がり、汗が流れる。
本来、悪魔という種族は当然ながら人智を超えた存在だ。
それでもサキュバスやインキュバスといった淫魔は悪魔の中でも弱い部類に入る。
他を圧倒する絶対的な能力などは無く、淫魔で一番強い領主一族でさえも人間のトップクラスくらいの能力しかない。
では何故、淫魔は大悪魔の一角として台頭するのか?
それは精神系統の高い魔法適正と異性に対する特効能力にある。
サキュバスなら男性に、インキュバスなら女性にといった具合に淫魔は異性に対して強いバフやデバフを与える。
例えばデバフであれば幻覚であったり、意図的に好意を抱かせる事による洗脳など、特に精神魔法に耐性の無い悪魔にとっては相性最悪の相手であった。
そう言った訳で淫魔一族は悪魔の世界でかなり特殊な立ち位置に居たりする。
時にはある派閥に雇われて破壊工作を行ったり、また時には別の組織に雇われて敵対する組織の懐柔工作を行ったりと特殊工作をする傭兵みたいな家業をしている。
とまあ話は脱線したがそんな淫魔のインキュバスであるルーテシアは女性に対して強力な精神作用を起こせるという事だ。
現状、イーファとルーテシアはもうどちらも残る体力は限界に近い。
元々はイーファのルーテシアに対する身の安全を配慮するために始めた模擬戦だが、ルーテシアにとってもありがたい戦闘となっていた。
何しろ貴重な対人の実戦の経験が積めるチャンスだ。
試せる事は全部試してみたい。
この時、この瞬間にルーテシアは初めてインキュバスとしての能力を解放する事にした。
「はぁ、はぁ……。どうしました?もう終わりですか?」
「はぁ、はぁ……。そうですねイーファさん。お互い限界が近いでしょうし、そろそろ幕引きでしょうか?」
そう言うとルーテシアは比翼の白剣を鞘に納め、連理の黒剣を両手で構える。
「なるほど……。それがあなたの奥の手ですか?」
「そうです。連理……。これがこの剣の名です」
リミッター解除。
そうルーテシアは小声で呟く。
瞬間、ルーテシアの魔力によって軽くなっていた連理の黒剣は本来の重さを取り戻した。
重量およそ1トン。
その重さが両腕に容赦なく襲いかかる。
魔法で身体を強化してもなお、体にかかる負担は常人にはとても耐えられない。
それでもルーテシアはイーファに向かって剣を引き摺りながら歩き始めた。
同時にインキュバスとしての異性に対する特効がルーテシアの魔力として放出された。
イーファは困惑する。
ルーテシアは連理を下段に構えてゆっくりとこちらに向かって来るだけである。
「なんなの?このプレッシャーはっ!?」
ただ歩いて来る。
ただそれだけなのにルーテシアから目が離せない。全身の震えが止まらない。
呼吸は乱れるし、汗も止まらない。
気がつけばルーテシアはイーファの目の前まで迫っていた。
「これで終わりです!」
振り抜いた重い一撃はイーファの持っていた剣を真っ二つにし、その衝撃で土煙がその場に舞い上がった。
訓練場には驚きと困惑からか数秒の間、沈黙という名の静寂が支配する。
土埃が晴れるとルーテシアは連理剣を鞘に戻してふぅと息を吐いた。
連理剣はまたルーテシアの魔力を自動的に吸い上げ、インキュバスとしての能力を封印する。
手で額の汗を拭い、倒れているイーファを見る。
目立った外傷は無く、呼吸もある。気絶しているだけであった。
イーファの無事を確認してからユーリティシアの方へと視線を向けるとそこには唖然としているアーノルドとのぼせたような様子のユーリティシアがいた。
「やった!やりましたよユーリ先輩!!」
そう叫ぶとルーテシアはユーリシティアに褒めてもらおうと一直線に駆け出した。犬かな?
「うんうん、凄かったよ。ルーならイーファに勝てると私は信じてたよ」
犬が尻尾を振る様にルーテシアはユーリシティアに甘える。
そんなルーテシアの頭を何度も撫でながら、「すごいすごい」とユーリシティアが褒めてやると「えへへ」となんとも言えない鳴き声で我らの主人公はヒロインに喉を鳴らすのであった。むしろ猫かな?




