第99話:一輪の花
「さあ、開けますよ!」
初夏の日差しが降り注ぐ王都の昼下がり。
真新しい木と亜麻仁油の香りが漂う『アリフィ商会』の新しい扉に手を掛け、私はゆっくりとそれを押し開いた。
「わぁぁっ……!」
「すごーいっ!」
リナさんとフィナさんが歓声を上げ、生まれ変わった新事務所の中へと駆け込んでいく。
そこには、完璧なインフラの上に築かれた「究極のホワイトオフィス」が広がっていた。
部屋の中央には、広々としたアイランド型のデスク。
増え続ける書類を整理するための巨大な壁面収納。換気機能が完璧に整備されたフィナさん専用の清潔な調合ラボ。
そして奥の扉の向こうには、念願だった「足を伸ばせるでっかいお風呂」が完備されている。
「イリスさん! カグラさん! ありがとうございます、夢みたいです!」
「最っ高の拠点だよ!」
リナさんとフィナさんが、誇らしげに腕を組むイリスさんとカグラさんに満面の笑みで抱き着いた。
「はっはっは! まぁ、私にかかればこんなもんさ。最高の仕事ができたぜ」
「へへっ! 天井裏の断熱材も、私がきっちり敷き詰めたぞ!」
二人の職人が照れくさそうに笑う。
私も今すぐ彼女たちに飛びついて小躍りしたい気分だったが、(ここは商会の代表として、威厳を保たなければ)と、必死に湧き上がるはしゃぎ心をバインダーの裏に押し隠した。
「素晴らしいです。予算と工期を遵守し、完璧な『要件定義』を形にしていただきました」
私は咳払いをして、二人に向かって深く頭を下げた。
その時だった。
「お届け物でーす!」
開け放たれた入り口から、次々と荷馬車が到着し始めた。
なんと、私たちがこれまでに『ズレ』を直してきたステークホルダー(利害関係者・クライアント)たちから、怒涛の「開業祝い(リニューアル祝い)」が届き始めたのだ。
「こ、これは……!」
最初に届いた木箱を開け、私は思わず息を呑んだ。
入っていたのは、王室財務局のバルトロ監査官からの贈り物だ。
金屏風のような派手なものではなく、実務に直結する『王室御用達の最高品質の羽ペンとインク、そして美しく装丁された分厚い帳簿』のセットだった。
『アオイ殿。これでさらなる美しい数字(複式簿記)を刻んでいただきたい!』という、彼の熱く(そして少し重い)メッセージカードが添えられている。
「わぁ! アオイ、こっちもすごいよ!」
リナさんが指さしたのは、パン屋のボルクさんと果物屋のハンスさんからの『特製コラボ・フルーツタワー』だ。極上のサン・マンゴーなどの果実が、特別に焼き上げられた超巨大なデニッシュの上にタワーのように積み上げられている。
甘い匂いに、リナさんとフィナさんが大歓喜している。
さらに、宅配ギルド『流星便』のガリックさんたちからは、休憩スペースで使える『獣人特製・超特大モフモフクッション』が届いた。
「ほう、こいつは悪くねぇな」
足元にいたギルさんが、自分の定位置だとばかりに即座にクッションへダイブして丸くなる。
それだけではない。
いつも爆発寸前の魔導具を持ち込んでくるローガンさんと、東の都市の後輩エリアンさんからは、『絶対に暴走しない(?)全自動お茶淹れ魔導具』が。
武器防具屋『踊る鉄床亭』のアンドレさんとアイゼンさんからは、ミスリル銀をあしらった頑丈な『喋るポスト・ポス郎』の新しい外装(筐体)が届き、入り口で「新居オメデトウゴザイマス!」と元気に喋っている。
そしてテルマ村のガンツ村長とリリーナさんからは、新しいお風呂で使える『特製薬膳茶と温泉湯の花のデトックスセット』が届いた。
「すごい……部屋がお祝いの品でいっぱいです……!」
フィナさんが目を潤ませて周囲を見渡す。
(あ、あああ……! 嬉しすぎます! 皆様の愛が重い!)
部屋を埋め尽くすほどの品々を前に、私の心の中で限界事務員としての承認欲求と歓喜が大爆発を起こした。
前世では、どれだけ身粉にして働いても「やって当たり前」とされ、感謝されることなど一度もなかった。
それが今、これほどまでに多くの人から愛され、評価されている。
(や、ヤバいです。感極まりすぎて頭がおかしくなりそうです! これはもう、窓を全開にして王都のど真ん中に向かって『うちのクライアント最高ォォォ!』と絶叫しながら、机の上でパラパラダンスでも踊って喜びを表現するしかありませんね!?)
私が完全にテンションのタガを外し、奇声を上げるために窓へ向かって猛ダッシュしようとした――その瞬間。
――ピクリ、と。
私の両足の筋肉が硬直した。
(あがっ!? ま、まさか……っ)
次の瞬間、スキル『反復拒否』がけたたましいサイレンと共に起動した。
私の体は窓へ向かうのを強制的にキャンセルされ、クルリと反転。
右手を優雅に胸に当て、左手でスカートの裾をふわりと持ち上げ、右足を斜め後ろに引いて深く膝を曲げる。顔には、すべてを包み込むような慈愛に満ちた完璧な微笑み。
……そう、まるで王族を迎える貴族の令嬢のような、極めてエレガントな『カーテシー(お辞儀)』のポーズでガッチリと固定されたのだ。
「ア、アオイさん? 急にどうしたんですか、その美しいお辞儀は……?」
「窓に向かって走ろうとしたかと思ったら、急にピタッと止まってご令嬢みたいになったぞ……?」
リナさんとカグラさんが、困惑した顔で私を見ている。
(ぎ、ぎぃぃぃぃっ! なんですかこのポーズは! あ、代表としての品位を保ちなさいという警告!?)
私はカーテシーの姿勢でプルプルと震えながら、内心で血の涙を流した。
確かに、喜びのあまり窓から身を乗り出して奇声を上げ、机の上で踊り狂うなど、完全にイカれた会社の代表だ。もしそんな姿を近隣住民や取引先に見られれば、アリフィ商会の評判は一瞬にして地に堕ちる。
喜び方の表現を間違えるのは、社会人として致命的な大失敗なのだ。
(くっっ!! わかりました、喜びは胸の内に秘め、エレガントに感謝します! だから許してください!)
「……こ、こほんっ。失礼しました」
私は真っ赤になった顔を誤魔化しながら、そっと立ち上がった。
「皆様からの想いの数々に、思わず最上級の感謝の礼を捧げてしまいました」
「アオイ、顔真っ赤だけど大丈夫?」
「え、ええ。大丈夫です! さあ皆さん、これらの品は単なるモノではなく、皆様からの『信頼の証』です。大切に使わせていただきましょう!」
私はバインダーを置き、皆を促した。
ローガンさんたちの全自動魔導具に恐る恐るスイッチを入れると(無事に爆発せず)美味しいお茶が淹れられた。
イリスさんとカグラさんも交え、大きなアイランドデスクの真ん中にフルーツタワーを置き、みんなで切り分けていく。
口いっぱいに広がる甘いマンゴーとサクサクのデニッシュ。
香り高いお茶。モフモフのクッションでいびきをかくギルさん。
新しい城で味わう初めてのティータイムは、関わってくれたすべての人たちの想いが詰まった、まさに『プライスレス』な時間だった。
*
夕暮れ時。
改修を終えたイリスさんとカグラさんを見送り、三人と一匹で新しいお風呂の順番をじゃんけんで決めて和んでいた頃。
カラン、と。
入り口のベルが鳴り、静かに扉が開いた。
「新しい城の完成、おめでとう」
そこに立っていたのは、お忍びの外套を羽織った常連客の「リュミさん」――すなわち、この国の頂点に立つリュミエール国王陛下だった。
「陛下!!《《じゃないですよね今は》》、――リュミさん!」
私たちが驚いて出迎えると、彼は国としての仰々しいお祝いの品ではなく、後ろ手に隠していたものをそっと差し出した。
それは、温室で大切に育てられたであろう、淡い黄色の『一輪の素朴な花』だった。
「国からの支援はすでに済ませたからな。今日はただの『お茶飲み友達』として、個人的な祝いだ」
リュミさんは優しく目を細め、その一輪の花を私の手に直接手渡してくれた。
「君たちがこの王都で直してくれた数々の『ズレ』が、巡り巡って、この国を明るくしている。……また、美味しいお茶を飲みに来てもいいかい?」
その言葉は、限界事務員としてただ「失敗しないように」必死に駆け抜けてきた私の胸の奥に、じんわりと温かく染み込んでいった。
「ええ。もちろんです」
私は受け取った一輪の花を胸に抱き、リナさん、フィナさんと顔を見合わせて、最高の笑顔で頷いた。
「いつでもお待ちしていますよ、リュミさん!」
開け放たれた窓から、初夏の夕風が新事務所を優しく吹き抜ける。
これまでの縁が結んだ、たくさんの温かい祝福。
敗を恐れるだけの呪いから解放され、仲間と共に歩み始めた私たちの『アリフィ商会』は、多幸感に満ちた新たな門出を、今、静かに迎えたのだった。




