第94話:大改造計画
テルマ村での地方創生プロジェクトを成功させ、特大の特別報酬を手にした私たち『アリフィ商会』は、その資金を全額、事務所の全面改装という『設備投資(CAPEX)』に回すことを決断した。
そして今日。
初夏の爽やかな風が吹き込む事務所に、フィナさんが淹れてくれた甘いカモミールティーの香りが漂う中、私たちが呼び出した専属の建築職人が到着した。
「アオイ! その節は本当に世話になったな!」
威勢の良い、ハスキーでよく通る声と共に事務所へ入ってきたのは、二本足で歩く猫の獣人の女性、カグラさんだった。
ピンと立った三角の耳と、愛らしさと鋭さが同居した魅力的なルックス。
彼女は今、真新しい丈夫な作業着に身を包み、腰のあたりに開けられた専用の穴から、しなやかな長い尻尾を機嫌よく揺らしていた。
「カグラさん、お久しぶりです! すっかり板について、立派な職人さんですね」
「へへっ、だろ? 親方の下で、毎日みっちりしごかれてるからな!」
カグラさんはボーイッシュに笑い、その後ろから、彼女の師匠であり『ヴァルキュリア工房』の親方である職人、イリスさんが大きな工具箱を肩に担いで入ってきた。
「よお、アオイ。とんでもなく景気のいい話を持ってきたらしいじゃないか。全面改装なんて、うちの工房にとっても大仕事だぞ」
「ええ! 私たちアリフィ商会のこれからの事業拡大を見据えた、一大プロジェクトです」
私は満面の笑みでバインダーを開き、昨晩徹夜(アドレナリン全開)で描き上げた羊皮紙を、バンッとデスクの上に広げた。
「これが、私たちの理想のオフィスレイアウト図……すなわち『要件定義書』です!」
私はドヤ顔で、図面を指し示した。
「一階には、ゆったりお茶が飲めるリナさんの休憩スペースと、巨大な壁面収納! そして二階には、フィナさんが薬を調合するための専用のラボ(実験室)と、一日の疲れを癒やすための、大量のお湯を張れるでっかいお風呂を作ってください!」
完璧な夢のホワイトオフィス。
これを見れば、イリスさんも「最高の図面だ」と褒めてくれるはず……そう思っていたのだが。
図面を見たイリスさんは、ピタッと動きを止め、深く険しい眉間のシワを作った。
そして、おもむろに足で床板をドンドンと踏み鳴らす。
「……アオイ。こいつは無理だ」
「えっ?」
「一階の収納や休憩スペースはいい。だが、この古い木造の基礎のまま、二階に重い実験機材と、大量の水を張るでっかい風呂なんか作ったら……間違いなく、重さに耐えきれずに床が抜けるぞ」
「あっ……」
イリスさんの鋭い指摘に、私はハンマーで頭を殴られたような衝撃を受けた。
私は限界事務員としての初歩的な見落としに、顔から火が出るほど恥ずかしくなった。
「す、すみません……! 私の要件定義が甘かったです……!」
「まあ、素人は上モノ(機能)ばかり気にするからな。基礎の重要性に気付けないのは仕方ないさ」
イリスさんは苦笑いして、図面をトントンと指で叩いた。
「この間取りを実現するには、基礎の補強が必要不可欠だ。だが、それを見極めるためには、まずこの建物の骨組みの現状を正確に把握しなきゃならん。……ただ、この建物の天井裏や床下はあまりに狭すぎる。私みたいなデカい図体じゃ到底入れないし、おまけに真っ暗だ」
イリスさんが腕を組んで唸った、その時だった。
「親方! なら、私の出番だ!」
カグラさんが、一歩前に進み出た。
「私の身軽さなら、どんなに狭い天井裏でも足場を組まずにスルスル入れる! それに、夜目が利くから、松明がなくても暗闇の奥までハッキリ見えるぞ!」
「よし、頼んだぞカグラ! 梁の腐食具合と、耐力壁の位置を正確に見てきてくれ」
「任せておけ!」
カグラさんは、近くの棚から壁のわずかな出っ張りへと、まるで重力など存在しないかのような軽やかさで跳躍した。
そして、天井の点検口の板をヒョイッと外し、あっという間に暗い天井裏へと姿を消してしまった。
「親方! 東側の梁、三本目に少し腐食が入ってる! 耐力壁の位置はここから三尺のところだ!」
天井裏から、カグラさんのハスキーで元気な声が響いてくる。
獣人特有の『暗視能力』によって、松明の明かりが一切ない完全な暗闇の中でも、彼女の目は正確に建物の状態を把握しているのだ。
「いいぞカグラ! こっちの寸法はどうなってる?」
「こっちは問題ない! 柱の太さは五寸だ!」
イリスさんが下から指示を出し、カグラさんが的確な『ホウレンソウ』を返す。
イリスさんはその情報を元に、手元の図面に素早く正確な補強計画を書き込んでいく。
「よし、完璧だ。さすがあたしの一番弟子だ」
「へへっ! ちょろいもんだ!」
天井の隙間から降りてきたカグラさんは、尻尾をピンと立てて誇らしげに笑った。
その顔は、煤で少し汚れていたが、とても活き活きと輝いていた。
――かつて彼女は、「女性でも腕一本で稼げて、誇りを持てる仕事がしたい」とくすぶっていた。
イリスさんの工房に弟子入りした後も、「見て感覚で覚えろ」という属人的な指導に壁を感じていた時期があった。
だが、私が「致命的なNGポイントだけを教え、あとは本人の感覚に委ねる」という『業務の標準化(SOP)』の概念をイリスさんに伝えたことで、二人の師弟関係は見事に噛み合ったのだ。
暗闇と高所という、普通の人間では尻込みするような危険な現場。
そこで彼女は今、自分の特性を最大限に発揮し、誰からも頼られるプロの職人として仕事をしている。
(……私の『適材適所』の人材マッチングは、決して間違っていなかったんですね)
私は彼女の成長した姿を見て、まるで優秀な部下を育て上げた人事担当者のように、胸の奥が熱くなるのを感じていた。
「アオイ」
現場調査を終えたイリスさんが、真剣な顔で私に向き直った。
「現状は把握できた。お前さんの希望通りの設備を作るには、基礎の補強からきっちりやり直す必要がある。そうなれば……工期も予算も、予定の倍近くに膨れ上がるぞ。どうする?」
イリスさんの問いに、リナさんとフィナさんが心配そうに私を見る。
だが、私の経理担当としての決断に、一切の迷いはなかった。
「もちろんです! クライアントの無茶振り(危険な計画)にきちんと『NO』と言い、正しいインフラ構築を提案してくれるプロフェッショナルの意見にこそ、お金を払う価値があります!」
私はバインダーを開き、羽ペンで力強くサインを書き込んだ。
「基礎の補強工事を含めた追加予算、完全承認します! どうか、私たちの理想のオフィスを作ってください!」
「はっはっは! 話が早くて助かるぜ。最高の城に仕上げてやる!」
イリスさんがニヤリと笑い、おもむろに大きなハンマーを手に取った。
「よしカグラ、商談成立だ! さっそくそこの壁の解体から始めるぞ!」
「おうっ! 親方、私がやります!」
カグラさんがハンマーを受け取り、勢いよく壁に向かって振りかぶろうとした――その瞬間。
「ストーーーップ!!!」
私は慌てて立ち上がり、両手を広げて二人の前に全力で立ち塞がった。
「な、なんだアオイ。追加予算が惜しくなったか?」
「違います! 順番がめちゃくちゃです! いきなり壁を壊し始めたら、書類も家具も、フィナさんの薬瓶も、そこの金貨の山も、全部木くずと粉塵まみれになっちゃうじゃないですか!」
私の悲痛な叫びに、イリスさんとカグラさんは「あ」という顔でピタリとハンマーを下ろした。
「いいですか。オフィスの改修工事における最初の工程は『解体』ではありません。『仮事務所への引っ越し(移転プロジェクト)』です! まずは仮拠点の確保、備品の棚卸し、そして重要書類の箱詰め(パッキング)から始めるのがビジネスの鉄則です!」
「……お、おう。そりゃそうだな。わりぃ、久々のデカい仕事にテンションが上がっちまってた」
イリスさんがポリポリと頭を掻き、カグラさんもペタンと耳を伏せて尻尾をシュンと下げた。
「ふふっ。アオイさんの言う通りですね。まずはみんなで、お片付けからです」
「よーし! それなら私、ギルドの近くに仮事務所に使えそうな手頃な貸し部屋がないか、走って探してくる!」
フィナさんがさっそく空箱を用意し始め、リナさんが元気に事務所を飛び出していく。
「ではイリスさん、カグラさん。本格的な解体工事は、私たちが完全に荷物を運び出した『明後日』からということで、工程表を引き直させてください」
「了解だ。じゃあ明後日、他の知り合いの職人とかを引き連れてきっちり壊しに来てやるよ」
安全なインフラの上に築かれる、最高にホワイトな労働環境。
ハンマーの音こそまだ響かないが、木箱に荷物を詰め込むガサゴソという音と、仲間たちの弾むような声が事務所に満ちていく。
私たちの新たな拠点を創り上げるための『設備投資(引っ越しプロジェクト)』が、ドタバタと、しかし確かなワクワクと共に、いよいよスタートしたのだった。




