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魔女のバインダー  作者: 水色蛍
限界事務員、温泉村・地方創生プロジェクト編
93/100

第93話:設備投資しましょうか

 テルマ村の地方創生プロジェクトという大仕事を終え、王都へ帰還してから数日。

 私たち『アリフィ商会』の事務所には、いつもの穏やかな日常が戻ってきていた。


 開け放たれた窓からは初夏の爽やかな風が吹き込み、木漏れ日が床に落ちている。


 私はデスクに向かい、羽ペンを走らせてテルマ村の経費精算書の最終チェックを行っていた。カリカリというペンの音と、羊皮紙とインクの混ざった匂いが心地よい。


 奥のキッチンからは、フィナさんがお湯を沸かすコトコトという音と、カモミールとミントをブレンドしたハーブティーの甘く爽やかな香りが漂ってくる。


 ソファでは、リナさんが愛用の長剣を丁寧に布で磨き上げていた。


(ああ……自分のデスク(ホーム)は最高ですね。完璧な定時退社と、平和な通常業務。これが人間らしい生活というものです)


 私が深く安堵の息を吐き出した、その時だった。


 コンコンコンッ!

 事務所の扉が、やけに力強く、かつ律儀なリズムで叩かれた。


「アオイ殿! 私だ、ラインハルトだ! 入ってもよろしいだろうか!」

「はい、どうぞ」


 ガチャリと扉が開き、ラインハルトさんが姿を現した。


 相変わらず、磨き上げられた銀甲冑に身を包み、眩しいほどの金髪と碧眼を輝かせている。


 まるで絵本から飛び出してきた王子様のような超絶イケメンなのだが、その態度はどこか大型犬のようで、尻尾をブンブン振っている幻覚が見えそうなくらい、私に向かって真っ直ぐに歩み寄ってきた。


「アオイ殿、テルマ村での任務、本当にお疲れ様であった! 陛下も大臣も、君の見事な手腕に大層感銘を受けておられたぞ!」


「お疲れ様です、ラインハルトさん。私たちは特命プロジェクトマネージャーとして、当然の業務(タスク)をこなしたまでですよ」


 私がビジネスライクに淡々と返すと、ラインハルトさんは「相変わらず謙虚だな!」と爽やかに笑い、ドンッ! と、ズッシリ重そうな大きな革袋を私のデスクの上に置いた。


「これは、王室からの『特別報酬』だ。テルマ村を再建し、王国の国庫に未来の利益をもたらしたアリフィ商会への、正当な対価である。受け取ってくれ」

「……えっ?」


 私は革袋の紐を解き、中を覗き込んだ。

 ――チャリン。

 袋の中には、眩いばかりの輝きを放つ金貨が、ぎっしりと隙間なく詰め込まれていた。


 前世の限界事務員時代には、一生かかっても絶対に拝めなかったような、桁違いのボーナス。それが今、私の目の前にある。


「へ、へへへ……金貨、金貨の山……」


 私の脳内で、社畜としての理性のリミッターがパチンと弾け飛んだ。


(これだけあれば、当分働かなくても……いや、利回りの良い金融商品に全額投資すれば、一生遊んで暮らせる不労所得が……ふへへへへ……)


 私はだらしなく鼻の下を伸ばし、前世の悪徳商人のような顔で、袋の中の金貨をジャラジャラと撫で回した。


「アオイ、顔、顔! 悪徳商人みたいになってるよ!」


 すかさず、リナさんの呆れ果てたような的確なツッコミが飛んできた。


「はっ!?」


 私はビクッと肩を震わせ、「コホンッ!」と大げさに咳払いをした。

 いけない、いけない。ラインハルトさんの前で、限界事務員としての凛とした威厳を損なうところだった。


「……ええと、ラインハルトさん。わざわざお届けいただき、ありがとうございます。アリフィ商会として、ありがたく受領いたします」


「うむ! 君のその喜ぶ顔が見られて、私も誇らしいぞ! では、私は城での任務に戻る。何かあればいつでも頼ってくれ!」


 ラインハルトさんは満足げに頷き、金髪をなびかせながら、爽やかな笑顔と共に嵐のように去っていった。


 *


 ラインハルトさんが帰った後、事務所には私、リナさん、フィナさんの三人だけが残された。


 フィナさんが淹れてくれた温かいハーブティーを飲みながら、私たちはデスクの上に鎮座する金貨の山を囲んだ。


「これ、どうするの? 新しい武器とか買っちゃう?」


 リナさんが目を輝かせて言う。


「とりあえず、商会の口座に入れて『内部留保(貯蓄)』にしておきましょうか。不測の事態に備えて、キャッシュはいくらあっても困りませんからね」


 私が手堅い経理担当としての意見を述べた時。


「あの、アオイさん」


 フィナさんが、少し遠慮がちに手を挙げた。


「このお金で……事務所を、少し直しませんか?」


「事務所を、ですか?」


「はい。イリスさんが時々、立て付けなんかをメンテナンスしてくれているおかげで綺麗には保てていますけど……建物の根本的な『老朽化』が進んでいると思うんです」


 フィナさんの言葉に、私はハッとして事務所の中を見回した。


 言われてみれば、床板は歩くたびにギシギシと軋む音がするし、壁の隙間からは冬場になると冷たい隙間風が入り込んでいた。


 収納スペースもすでに限界で、フィナさんが調合した薬瓶の在庫が、キッチンの隅にまで積み上げられている状態だ。


「……確かに。今後の業務拡大や、冬の寒さを考えると、今のままでは限界が来ていますね」


 前世のブラック企業を思い出す。


 私たちのオフィス環境は最悪だった。

 社員の労働環境に還元されない利益など、ただの搾取でしかない。


「内部留保で現金をただ溜め込むのは、三流の経営です」


 私は立ち上がり、バインダーをドンッと叩いた。


「企業が利益を出した時、それは社員の労働環境を良くするための『設備投資(CAPEX=資本的支出)』に回してこそ、さらなる生産性の向上(ROI)に繋がるのです! 決めました。この特大ボーナスを使って、アリフィ商会の事務所を全面改装します!」


「本当!? やったー!」


「わぁっ! ありがとうございます、アオイさん!」


 リナさんとフィナさんが、嬉しそうに抱き合って飛び跳ねた。


「せっかく自分たちの城をいじるんです。どうせなら、最高にホワイトで働きやすいオフィスを作りましょう! どんな設備が欲しいか、どんどんブレインストーミング(アイデア出し)をしてください!」


「私、お茶が飲めて、足を伸ばしてゴロゴロできる広い休憩スペースが欲しい!」


 リナさんが元気に手を挙げる。


「私は、薬を調合するための専用のラボ(実験室)が欲しいです! 今のキッチンだと、匂いがご飯に混ざっちゃいそうなので……」


 フィナさんが目をキラキラさせて提案する。


「いいですね、全部採用です! 私は、増え続ける書類を整理できる巨大な壁面収納と……疲れを癒やすための、広くて足を伸ばせるでっかいお風呂(バスルーム)が欲しいです!」


 次々と飛び出す夢のような改修プラン。

 私たちは童心に返ったようにキャッキャとはしゃぎながら、白紙の羊皮紙に『理想のオフィスレイアウト図』を書き込んでいった。


「よーし! プランは固まりました! さっそく、私たちの専属の建築職人(パートナー)を呼び出しです!」


 私は羽ペンを置き、意気揚々と宣言した。


「イリスさんに、この超特大の『発注書』を叩きつけに行きましょう!」


 自分たちの足元(労働環境)を整え、さらなる飛躍を目指すためのワクワクするような「設備投資」プロジェクト。


 春から初夏へと移り変わる王都の空の下、限界事務員と仲間たちの新しい日常の1ページが、また楽しくめくられようとしていた。

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