第91話:VIP視察
翌日の夕刻。
テルマ村の入り口に、土埃にまみれた数頭の馬と、質素だが堅牢な作りの馬車が到着した。
「よくぞ参られた、陛下。そして大臣閣下」
村を代表してガンツ村長が深々と頭を下げる。
その後ろで、私やリナさんたち、そしてリリーナさんをはじめとする村人たちが一斉に平伏した。
「うむ! 面を上げよ。今日は堅苦しい挨拶は抜きだ。あくまでお忍びの『保養』であるからな!」
馬車から降り立ったリュミエール国王陛下は、王城での豪奢な衣装とは違う、動きやすい外套姿だった。長旅の疲れも見せず、どこかウキウキとした少年のように周囲の山々を見渡している。
一方、その背後から降りてきた財務大臣や数名の文官たちは、対照的に顔色が優れなかった。
「……なんと辺鄙な。道中は魔物が出なかったとはいえ、馬車の揺れで腰が砕けそうだったぞ。おまけにこの宿……随分と年季が入っているではないか。王室の人間が泊まるような設備なのかね?」
財務大臣が、白鷺亭の木造建築を見上げて眉間に深いシワを寄せる。
お屋敷育ちで、普段から王城のふかふかの絨毯と魔導具による空調に慣れきっている彼らにとって、この大自然の真ん中にある木造の宿は、ただの「古びた小屋」にしか見えないのだろう。
(いいえ、大臣。それこそが、このテルマ村の『真の価値』なのです)
私は心の中でニヤリと笑い、限界事務員としての手腕を発揮すべく、リリーナさんに目配せをした。
「皆様、長旅でお疲れでしょう。まずは大広間にて、当宿自慢の夕食をご用意しております。どうぞ、お上がりくださいませ」
リリーナさんが、昨日のパニックが嘘のような、堂々とした、それでいて温かみのある女将の笑顔で一行を案内した。
*
白鷺亭で一番広い、畳敷きの大広間。
そこに運ばれてきたお膳を見て、財務大臣はまたしても難色を示した。
「……なんだ、これは。肉のローストや、濃厚なクリームのソースはないのか? 出てきたのは、葉っぱの汁と、草の揚げ物、それに小さな川魚だけではないか」
お膳に乗っているのは、テルマ村の春の息吹を詰め込んだ『特製デトックス薬膳』だ。
山菜の天ぷら、特産の薬草と鶏の出汁で引いた黄金色の澄んだスープ、そして清流で獲れた岩魚の塩焼き。
「ふむ、相変わらず大臣は口うるさいな。余はもう待ちきれんぞ。いただきます!」
文句を言う大臣をよそに、リュミエール国王陛下は満面の笑みで、山菜の天ぷらを口に運んだ。
サクッ、という小気味よい音が広間に響く。
「おお……! この鼻に抜ける爽やかな香りと、微かな苦み! 懐かしい……余がまだ若き王子であった頃、父上に連れられて食べたあの味だ! 胃の底から活力が湧いてくるような、大地の力強い味がする!」
陛下は目を細め、心底嬉しそうに、そして懐かしそうに薬膳スープを喉に流し込んだ。
「陛下がそこまで仰るなら……」
財務大臣も渋々といった様子で、黄金色の薬草スープに口をつける。
――その瞬間。
大臣の動きが、ピタリと止まった。
「……む?」
大臣は信じられないものを見るように、スープのお椀を見つめた。
「なんだ、これは……。いつも重くもたれていた胃の腑が、じんわりと温かくなっていく……。草の味などしない。ただただ、滋味深く、疲れた五臓六腑に染み渡るような……美味い」
「でしょう? 都会の脂っこい食事と、日々の激務によるストレス。大臣の胃腸は、すでに悲鳴を上げていたはずです」
私はお膳の横から、静かに言葉を添えた。
「王都の高級なフルコースは、健康な時には美味しくても、疲弊した体には毒(過剰な負担)になります。今の大臣の体が必要としていたのは、豪華な油ではなく、体内のよどみを洗い流す『引き算の食事』なのです」
「引き算の……食事……」
大臣はハッとしたように目を見開き、その後は一言も発することなく、夢中で山菜の天ぷらと岩魚を平らげてしまった。お堅いサイフの番人が、素朴な「草と小魚」の食事に完全に魅了された瞬間だった。
*
食後。
一行は、テルマ村最大の目玉である「温泉(大浴場)」へと向かった。
私は女湯の暖簾の前で、リナさんやフィナさんと共に、彼らが上がってくるのを待機していた。
「いくら食事が美味しかったからって、あの気難しそうな大臣さん、お風呂でも文句言わないかな?」
リナさんが少し心配そうに呟く。
「大丈夫です。ビジネス用語で言えば、これは『ブルーオーシャン戦略』です。競争の激しい王都の高級志向で戦うのではなく、『素朴な自然の癒やし』という、競合が存在しない市場で圧倒的な価値を提供する。……ターゲット(疲弊した大人たち)のニーズには、間違いなく突き刺さりますよ」
私が自信満々に頷いた、その時だった。
「はぁぁぁぁぁ〜〜〜〜……極楽、じゃあぁぁ……」
男湯の暖簾をくぐって出てきたのは、もはや「人間」の骨格を維持しているのかも怪しいほどに脱力しきった、スライムのような謎の生命体だった。
「だ、大臣!?」
フィナさんが目を丸くする。
湯上がりの浴衣をだらしなく着崩し、顔を茹でダコのように真っ赤に火照らせた財務大臣が、文官たちに両脇を抱えられながら、フニャフニャの笑顔で歩いて(引きずられて)きたのだ。
「大臣、しっかりしてください! おんぶしますか!?」
「よいのだ……もう、何もしたくない……。王城の書類も、予算の計算も、すべて忘れて、私はこのまま泥になりたい……。ああ、カチカチだった肩甲骨と腰の痛みが、嘘のように消えておる……なんだこの魔法のお湯は……」
もはや王城で見せた威厳など微塵もない。
ただの「日々の残業で限界を迎えていたおじさん」が、究極の癒やしに触れて完全に骨抜きにされた姿がそこにあった。
限界事務員だった私には、彼のその気持ちが痛いほどよく分かった。
「はっはっはっ! だから言ったであろう、ここの湯は最高だと!」
その後ろから、リュミエール国王陛下が腰に手を当てて、豪快に笑いながら出てきた。
陛下の肌もツヤツヤと輝き、長旅の疲れなど一切感じさせない。
「アオイ殿。そしてテルマ村の皆よ」
リュミエール陛下が、広間に集まっていた村長やリリーナさんたちに向かって、深く、温かい声で告げた。
「素晴らしい『おもてなし』であった。この村の空気、食事、そして温泉。すべてが昔のまま……いや、昔以上に、人の心を温かくする力に満ちておる」
陛下はポンと、スライムと化している財務大臣の肩を叩いた。
「大臣よ。王室の予算を割いて、この村の流通と宣伝を支援する価値は、十二分にあったであろう?」
「……はい、陛下。……この極上の癒やしは、間違いなく国庫を潤す、最高の『投資案件』であります……ふふふ、もう一回お湯に入ってこようかなぁ……」
フニャフニャと笑う大臣の姿に、大広間はドッと温かい笑い声に包まれた。
「やりましたね、アオイさん!」
「大成功だね!」
リナさんとフィナさんが、嬉しそうに私の両手を握って飛び跳ねる。
ガンツ村長もリリーナさんも、安堵と達成感で目を潤ませていた。
トップ層の現場視察(VIP対応)は、完璧な大成功を収めた。
これでテルマ村の再建プロジェクトは、王城の強力な後ろ盾(予算と宣伝)を完全に得たことになる。
湯上がりの硫黄の香りと、村人たちの喜びの笑顔に包まれながら、私はプロジェクトマネージャーとして、これまでで一番の深く、心地よい息を吐き出したのだった。




