第89話:One more thing
王城の小謁見の間は、息が詰まるほどの重厚な静寂に包まれていた。
ピカピカに磨かれた長テーブルの最奥には、この国の頂点に君臨する国王リュミエール陛下が鎮座している。
そしてその両脇には、国の予算を握る財務大臣や、軍事を司る防衛相といった重鎮たちが、鋭い眼光をこちらに向けていた。
「アリフィ商会よ。特命プロジェクトマネージャーとしての働きは評価しよう。だが――」
分厚い書類をパラパラとめくりながら、眉間に深いシワを刻んだ財務大臣が、冷ややかな声で口火を切った。
「テルマ村は、すでに終わった保養地だ。新たな国庫からの助成金を割くなど、死に体に水をまくような無駄遣い……いや、回収不可能な損失でしかない。我が国の財政に、辺境の限界集落を甘やかす余裕はないぞ」
その言葉に、隣に立つリナさんとフィナさんがビクッと肩を震わせた。
お堅いサイフの番人による、容赦のない先制パンチ。
だが、私は限界事務員の顔を引き締め、バインダーを胸に抱き直して堂々と一歩前へ出た。
「大臣。前提が間違っております」
私は澄んだ声で、はっきりと宣言した。
「本日は、助成金のお願い(コスト)に参ったのではありません。国庫を莫大に潤す『極めて優秀な投資案件』を持参いたしました」
「投資案件、だと?」
怪訝な顔をする重鎮たちに向けて、私は目配せをした。
リナさんとフィナさんが、大きく深呼吸をして、テーブルの上に木箱を置いた。
「こ、こちらをご覧ください!」
震える声を必死に押し殺し、フィナさんが桜色と青色の美しい小瓶を取り出した。
「テルマ村の温泉泥と薬草を用いた『美容泥パック』と『特製湯の花』です! 文字が読めない方や、薄暗い場所でも絶対に間違えて誤飲しないよう、ボトルの色と形を変える『ユニバーサルデザイン』を採用しました。そして、これは王都の職人であるイリス・ヴァンス様の実証データです。石灰や現場仕事で荒れ果てた彼女の手が、たった一度の使用で艶やかに再生しました!」
フィナさんが提示した確かな実証データと、完璧なプロダクトデザインに、文官たちが「ほう……」と身を乗り出す。
「待て待て、商品が良くても問題は流通だ」
今度は、立派な髭を蓄えた防衛相が横槍を入れた。
「王都へ運ぶために、毎回騎士団や高ランク冒険者の護衛をつけるつもりか? その莫大な護衛費用は誰が払うのだ!」
「王国の防衛予算は、1Gも不要です!」
今度はリナさんが、バッと一枚の羊皮紙を広げた。
「これは私たちが現場調査で作った『ハザードマップ』です。魔物が嫌う温泉の魔力を利用した『魔物除けのランタン』を、街道の要所に設置しました。燃料は村人たちが自ら補充します。つまり、すでに村人による自立防衛システムが完成しており、流通のための維持費は実質ゼロなんです!」
堂々と胸を張るリナさんとフィナさん。
かつては空回りしていた剣士と、パニックを起こしていた治癒士の面影はない。
彼女たちは今、私の最高の部下として、王国のトップ層を相手に見事なプレゼンをやってのけたのだ。
「むむむ……維持費ゼロで、これほどの品質の商品が量産可能だと……?」
「しかも、村の人間だけで自走する仕組みができているというのか……」
重鎮たちが顔を見合わせ、どよめき始めた。
完璧だ。
商品の価値と、安全な流通網。
二人の見事なアシストで、外堀は完全に埋まった。
(素晴らしいです、お二人とも! さあ、ここで一気に畳み掛けます! 国の予算の半分をテルマ村に全振りさせ、私がこの国の美容業界を牛耳る独占権を――!)
限界事務員としての利益至上主義な悪だくみが脳裏をよぎり、私が一歩前に踏み出した、その瞬間だった。
――ビシィッ!!
(あっ!しまった!私のバカあ!!)
私の体は自らの意思を無視し、スタイリッシュに右手の指をパチンと鳴らした。そして、前世のカリスマIT社長のように斜めに構え、「One more thing(もう一つある)」とでも言いたげなドヤ顔で、着てもいない見えないタートルネックの首元をグイッと引っ張るポーズを取らされたのだ。
「な、なんだ、あの自信に満ち溢れた不可解なポーズは……!?」
「ただならぬオーラだ。よほどこの投資案件に絶対の自信があるらしい……ゴクリ」
重鎮たちが、私の謎のポーズを見て勝手に勘違いし、息を呑んでいる。
(ち、違います! 欲をかいて国の予算を独占しようとするのは、独占禁止法違反です! そんな過剰な要求を叩きつければ、せっかくの商談が破談になります!!)
私は腹筋をプルプルと震わせながら、見えないタートルネックから手を離し、強引に姿勢を元に戻した。
……あぶない。スキルが止めてくれなければ(ポーズの恥ずかしさはともかく)、欲をかいて自滅するところだった。私は深呼吸をし、軌道修正を図る。
「……失礼いたしました。私が申し上げたいのは、過剰な予算の要求ではありません。初期投資として国にお願いしたいのは、この商品を王都で売り出すための『宣伝費と初回の流通手配』のみです」
私はバインダーを開き、国王陛下と財務大臣を真っ直ぐに見据えた。
「陛下、大臣。思い出してください。かつて王族御用達であった、テルマ村のあの温泉を」
私の静かな問いかけに、リュミエール国王と大臣がピクリと反応した。
「激務で疲れ果てた体を芯から温めてくれた、あの優しい硫黄の香りを。ただのお湯ではない、大地の生命力が溶け込んだ極上の『自然の巡り』を。……あの村は、決して終わった保養地などではありません。王都の疲労した大人たちが最も求めている『癒やし』そのものです」
かつてその湯に浸かった記憶が蘇ったのか、財務大臣の強張っていた顔が、わずかにほころんだ。
「この商品が王都で軌道に乗れば、莫大な『税収』を生み出します。さらに、この品質ならば他国への『外交の切り札(特産ギフト)』としても通用します。そして何より、村が経済的に自立し人が集まれば、北の辺境を守る強固な『自然の防衛拠点』となり、国の安全保障にも繋がるのです」
私は一言一句に力を込めて締めくくった。
「これは単なる村おこしではありません。税収・外交・防衛の三つを同時に満たす、国家戦略レベルの『投資』なのです」
しんと静まり返った会議室に、私の声だけが響き渡った。
重鎮たちは完全に押し黙り、提示された完璧なビジネスロジックと、温泉への郷愁の前に反論の言葉を失っていた。
「……見事だ」
長い沈黙を破ったのは、財務大臣だった。
「これほど完璧に練られた事業計画書を出されては、もはや国庫の紐を緩めぬ理由がない。……よかろう。初期の宣伝費と流通手配、我が省が責任を持とう」
お堅いサイフの番人が、ついに敗北(納得)を認めた。
「はっはっはっ! 余の目に狂いはなかったな!」
リュミエール国王が、玉座で愉快そうに大笑いした。
「よくぞあのテルマ村を、ここまで立て直してくれた! アリフィ商会よ、見事な働きであった!」
ドンッ! と、王国の決裁書に、王室の黄金のハンコが力強く押し付けられた。
*
「はぁぁぁぁぁ……終わったぁ……」
「死ぬかと思いました……」
王城の廊下に出た瞬間。
緊張の糸が完全に切れたリナさんとフィナさんが、まるでスライムのように床にへたり込んだ。
「ふふっ、お疲れ様でした、お二人とも。最高のアシストでしたよ」
私はバインダーを胸に抱き、床に座り込む二人に手を差し伸べた。
限界事務員としての知識と、彼女たちの成長が噛み合って勝ち取った、完璧な勝利だ。これほどの達成感は、前世のどんなプロジェクトを成功させた時よりも甘美だった。
「さあ、立ち上がってください。今日は王都で一番美味しいレストランへ行きましょう。私たちの勝利に、極上の美酒で乾杯です!」
「「やったー!!」」
王城の窓から差し込む昼下がりの陽光が、私たちの晴れやかな顔を明るく照らしている。
失敗を恐れず、仲間を信じて導いた地方創生プロジェクト。
その第一フェーズは見事な大団円を迎え、私たちは満面の笑みで、活気あふれる王都の街へと足を踏み出したのだった。




