第84話:システムエラー。脳内処理、追いつきません
テルマ村の広場には、爽やかな朝の風と共に、真新しい木の香りが漂っていた。
ずらりと並べられた木箱の中には、村人たちの手によって見事に量産された「美容泥パック」と「特製薬草湯の花」が、緩衝材代わりの干し草に守られて大切に詰め込まれている。
「すごい数じゃ……わしらの村の泥と草が、こんな立派な商品になるなんてな」
ガンツ村長が、木箱を撫でながら感深げに呟いた。
その顔には、かつての諦めきったような暗さは微塵もなく、確かな誇りと希望が宿っている。
「ええ。生産ライン(サプライチェーン)は完璧に機能しています」
私は淹れたての薬草茶が入ったマグカップを両手で包み込みながら、満足げに頷いた。
「だが、アオイ殿。ここで一つの大きな問題がある」
村長が、ふと眉間に深いシワを寄せて山の方角を睨んだ。
「商品はできたが、これを『どうやって王都へ運ぶか』だ。テルマ村から王都までは、荷馬車で約二、三日はかかる。その道中には、依然として魔物がうようよしておるんじゃ。王都から客足が遠のいた一因じゃ」
村長の指摘に、その場にいた村人たちも不安そうに顔を見合わせた。
いくら素晴らしい商品を作っても、顧客に届ける手段(流通)がなければ一銭の利益にもならない。
「やっぱり、高い金を払って冒険者ギルドに護衛を頼み続けるしかねえべか……でも、そんなことをしたら、せっかくの儲けが全部吹き飛んじまうぞ」
村長が頭を抱える。
彼の懸念はもっともだ。毎回護衛を雇う(人件費)のは、ビジネスにおける『変動費』である。
長期的には確実に村の財政を圧迫し、いずれ破綻を招く。
(なるほど。流通の問題ですね)
私はマグカップを置き、前世の限界事務員としての社畜の血を騒がせた。
(分かりました! ならば村の全財産を担保に商業ギルドから巨額の融資を引き出し、魔物も入れないほどの巨大な城壁で覆われた『テルマ村専用・有料高速道路』を建設しましょう! ついでに通行料を取ればボロ儲けの錬金術です――)
前世の、利益至上主義の強欲な政治家のような極端な思考が脳裏をよぎった。胸に赤いバラに見立てた薬草を挿し、恰幅の良い傲慢な態様で、見えないハサミでテープカットをする自分の姿が目に浮かぶ。
――だが。
(……いや、違いますね)
スキル『反復拒否』に止められるまでもなく、私は自らの頭でその思考を完全に切り捨てた。
(予算もないのに多額の借金をして無駄なハコモノ(巨大インフラ)を作るのは、後世にツケを回し地方財政を破綻させる最悪の公共事業です! ましてや、そんな大規模工事をすれば、また村長に過去の土砂崩れのトラウマを掘り起こさせてしまいます。現場の資源を最大限に活かし、最小のコストでインフラを整えることこそ、プロマネの仕事です!)
私は、自分がスキルに頼らずとも真っ当なビジネスロジックで失敗を回避できるようになったことに、密かな成長の喜びを感じていた。
「村長、安心してください。借金をして冒険者を雇い続ける必要も巨大な壁を建設する必要もありません」
私はバインダーを開き、カイト君たちが作成した『ハザードマップ』をテーブルの上に広げた。
「巨額の借金ではなく、今ある資源を使って解決します。ギルさん、少しよろしいですか?」
足元で丸くなっていた小狐幻獣のギルさんが、面倒くさそうに顔を上げた。
「あァ? なんだ社長さん」
「以前、ギルさんは教えてくれましたよね。魔物は『自然の巡りのよどみ』から生まれるため、このテルマ村の清浄な温泉の魔力(匂い)を本能的に嫌って近づかないと」
「ああ、言ったぜ。ここら一帯は魔物にとって息苦しい「聖域」だからな」
「その性質を利用します」
私が合図を送ると、フィナさんとミャーちゃんが、黒塗りの鉄でできた小さなランタン(香炉)をいくつか運んできた。
「アオイさんの指示で、試作品を作ってみました!」
フィナさんがランタンの蓋を開けると、中には商品としては使えなかった「香りのキツすぎる泥」と「規格外の薬草」を練り合わせた固形燃料が入っていた。
「ミャーちゃん、点火をお願いします」
「はいっ! 『小さな火よ、灯れ』!」
ミャーちゃんの生活魔法で燃料に火が灯ると、ランタンからシュルシュルと白い煙が立ち上り、周囲に強烈な、しかし清らかな温泉の香りが一気に広がった。
「名付けて『特製・魔物除けのランタン』です」
驚く村長たちに、私は地図を指差しながら説明を続けた。
「明日、私たちが王都へ帰還する道中、魔物が滞留しやすい『よどみのポイント(チョークポイント)』にこのランタンを設置しながら進みます。これがあれば、戦わずして安全な『流通チャネル』が開通するはずです」
「なんと……魔物と戦わずに道を安全にするとは。アオイ殿には敵わんよ」
ガンツ村長は深く感服し、周囲の村人たちも感嘆の声を上げた。
これで、すべての準備が整った。
出立は明日の朝と決定した。
*
その日の夜。
私たちは、白鷺亭の素晴らしい大浴場に浸かっていた。
硫黄の優しい香りと、魔力を含んだピリッと熱いお湯がじんわりと体の芯まで染み渡っていく。
「はぁ〜、極楽です……」
「アオイ、ここに来てから一ヶ月くらい経つけど、あっという間だったねー!」
「もう少し掛かると思っていたのですが皆さんのおかげです~」
お湯の中で手足を伸ばしながら、リナさんが楽しそうに笑う。
隣では、フィナさんがお湯をすくって肌に滑らせていた。
「本当にそうですね。最初は泥だらけの足湯から始まって、村長さんを説得して、お店を改装して、村の人たちの仕事を作って……」
「ええ。限界集落のようだったこの村に、活気と『経済』が戻りました。地方創生プロジェクトの『土台作りフェーズ』としては、百点満点の成果です」
私は温泉の熱気に包まれながら、深い達成感を噛み締めていた。
村人たちの意識が変わり、自分たちの力で稼ぐ喜びを知った。
これほどやりがいのある仕事は、前世の限界事務員時代には決して味わえなかったものだ。
「さあ、しっかり温まったら上がりましょう。明日は長旅になりますからね」
*
風呂上がり。
ぽかぽかと火照る体を薄桃色の湯浴み着に包み、私、リナさん、フィナさんの三人は、割り当てられていた広い和室でくつろいでいた。
そこへ、若女将のリリーナさんがお盆を持ってやってきた。
「アオイ様、皆様。明日出立されるということで、これは私からのささやかな感謝の印です。……村の澄んだ水と、特産の薬草で仕込んだ『地酒』です」
「わぁ、お酒! ありがとうございます!」
リリーナさんが置いていったのは、竹で作られた風流な徳利とお猪口だった。
トクトクと注ぐと、前世の日本酒のように澄み切った液体からフルーティーで爽やかな香りが漂う。
「それじゃあ、テルマ村でのプロジェクト第一段階完了を祝して……乾杯!」
「かんぱーい!」
私とリナさんがお猪口を打ち合わせ、キュッと飲み干す。
「んんっ、美味しい! スッキリしてて飲みやすいですね!」
「あの、私も……一杯だけなら、お付き合いします」
普段はお酒を飲まないフィナさんが、珍しくお猪口を手に取った。
「無理しないでくださいね、フィナさん」
「はい、少しだけ……こくっ」
ちびりと口をつけた瞬間。
ボンッ! という音が聞こえそうな勢いで、フィナさんの色白の顔から首元までが、一瞬にして真っ赤に染まった。
「ふぇ……? なんか、ぽかぽかして、ふわふわしますぅ……」
「フ、フィナさん!? 一口でそんなに!?」
どうやら、フィナさんはお酒にめっぽう弱かったらしい。
とろんとした目で虚空を見つめ、えへへ、とだらしない笑顔を浮かべている。
完全に出来上がってしまった。こんなに一瞬で出来上がるなんて漫画やアニメでしか見たことない。
「こりゃダメだ。フィナ、お水飲んで寝よっか」
苦笑いするリナさんと一緒に、フニャフニャになったフィナさんをなんとか布団に押し込み私たちも早めに就寝することにした。
*
深夜。
村の静寂の中、かすかな虫の音だけが聞こえる部屋で、私は深い眠りについていた。
――もぞもぞ。
ふと、私の布団の端が持ち上がり、何かが滑り込んでくる感触があった。
「……ん?」
寝ぼけ眼を開けると、そこには、真っ赤な顔をしたフィナさんがいた。
「アオイさぁん……えへへ、お布団、お邪魔しまぁす……」
「ふぇ!? フィナさん!? 自分の布団で寝てください!」
私が慌てて声を潜めると、フィナさんは「んぅ……」と甘えた声を出しながら、私の体にすり寄ってきた。
湯上がりのシャンプーの香りとほんのり甘いお酒の匂い。
そして、薄い湯浴み着越しに伝わってくる、フィナさんの豊満で柔らかな体の感触が私の腕に、胸に、ダイレクトに密着してくる。
「アオイさん、いい匂いぃ……あったかぁい……すきぃ……」
「っっ!!??」
フニャフニャに溶けきった声で、私の首筋に顔を埋めてくるフィナさん。
まるで夜這いのようなシチュエーションに、私の脳内は完全にパニックに陥った。
私は可愛い女の子が大好きだ。
特に、フィナさんは私が推していた地下アイドルの「水瀬しずく」ちゃんに激似。
あんなに推していたアイドルが今こうして自分に抱き着いているという至高のシチュエーション。
さらに普段はしっかり者のフィナさんが、こんなに無防備に甘えてくる破壊力は計り知れない。
(だ、ダメです! 上司と部下が同じ布団で密着するなんて、コンプライアンス(セクハラ規定)的に完全アウトです! 理性を保ち、保ち……っ、ああっ、柔らかい! 柔らかすぎます!!)
「むにゃ……アオイさん、もふもふ……」
「私はギルさんじゃありませんっ! ひゃんっ、そこはダメ――」
フィナさんの温かい吐息が耳元をくすぐる。
前世でも今世でも経験したことのない、圧倒的な女子力の暴力。
限界事務員の脆い理性は、あっという間に許容量を超えた。
(――システムエラー。脳内処理、追いつきません)
パンッ!
頭の中で何かが爆発四散する音が響き、私はフィナさんを抱きとめたままオーバーヒートで気絶するように深い眠り(あるいは意識不明)へと落ちていった。
翌朝、私がいったいどんな顔で目覚めることになるのか。
王都への出立を前に、思いがけない「最大のリスク(誘惑)」に直面しながら、テルマ村での最後の夜は更けていったのだった。




