第82話:ジャムの法則
ガンツ村長の決裁を勝ち取った翌朝。
テルマ村の空気は、昨日までとは打って変わってどこか前向きな活気に満ちていた。
宿の窓を開けると、春の柔らかな日差しが差し込み硫黄の優しい香りと共に、山鳥のさえずりが心地よく耳に届く。
私は淹れたての温かい薬草茶を一口飲み、その滋味深い味わいにホッと息を吐いてから白鷺亭の大広間に集まったプロジェクト・チームの面々を見渡した。
「さて皆さん。村長からの正式な承認も下りたところで、本日から『テルマ村・特産品開発プロジェクト』を本格始動させます。効率的に進めるため、三つのチームに分かれてタスクを遂行しましょう」
私の言葉に、アリフィ商会の社員たちと護衛である『若葉の剣』の三人がビシッと背筋を伸ばした。
「まず、【採取・運搬チーム】はリナさんとレオ君。あなたたちの腕力と体力を活かして、美容泥と薬草を運んできてください。ただし、ただ採るだけではダメです」
「ダメって?」とリナさんが首を傾げる。
「ええ。私たちが王都へ帰った後でも、武装できない村のお爺ちゃんやお婆ちゃんたちが、安全に採取できるルートと範囲を確定させてください。属人化を防ぎ、村人だけで自走できる仕組みを作ることが目的です」
「なるほど! 村の人の足腰でも歩ける、安全な道を切り拓きながら行くってことだな。任せとけ!」
レオ君がドンと胸を叩き、リナさんも力強く頷いた。
「次に、【精製チーム】はフィナさんとミャーちゃん。採ってきた泥と薬草をブレンドし商品として小瓶に詰める作業をお願いします。これも同じく、強力な魔法は使わず、村人でも使える『生活魔法』の範囲内でのみ温度調整や乾燥を行ってください。そして、誰もが同じ品質で作れるよう、図解入りの『マニュアル(手順書)』を作成すること」
「はいっ、アオイさん!」
フィナさんが、パァッと顔を輝かせて元気よく返事をした。
以前のワンオンワン(個別面談)で、彼女は「怪我をしてから治すのではなく、そもそも怪我や病気を防ぐ環境づくりをしたい」「絶対に間違えないユニバーサルな薬瓶を作りたい」と、熱く目標を語ってくれた。
今回の誰もが安全に作れ、そして使う人が癒やされる美容プロダクトの開発はまさにアリフィ商会の開発責任者(CFO)としての彼女の、記念すべき第一歩なのだ。
「最後に、【広報・店舗改装チーム】は私とカイト君、そしてギルさんです。村の入り口にある一番大きな『潰れた土産物屋』を改装し、商品を売り出すための旗艦店を作ります!」
「俺はともかく、なんでギルさんまで店舗改装なんだ?」
カイト君が不思議そうに足元の小狐幻獣を見ると、ギルさんは大きなあくびをして尻尾を揺らした。
「馬鹿め。商売の基本は導線と匂いだ。自然の理を知る俺様がいねえと、息苦しい店になるだろうが」
「ギルさんの言う通りです。女性である私の目線、ギルドの若い男性であるカイト君の目線、そして自然の導線を熟知したギルさんの目線。この三つを重ね合わせて、最高のお店を作りましょう!」
*
私とカイト君、ギルさんの三人は村の入り口にある廃墟同然の土産物屋へとやってきた。
長い間シャッター代わりの木の板が打ち付けられていた店内は、埃っぽく、古い木材とカビの匂いが充満していた。
「まずは『5S』の徹底からです! カイト君、換気を!」
「おうっ!」
カイト君が身軽な動きで木の板を次々と外し、窓を開け放つ。
春の風がドッと流れ込み、店内の淀んだ空気を一掃していく。
私は生活魔法の「水」と「風」を駆使して、床や棚に積もった分厚い埃を洗い流し、一気に乾燥させた。
綺麗になった店内で、私たちはレイアウトの構想を練り始めた。
「カイト君、若い男性の目線から見て、この店の入り口はどうですか?」
「うーん……入り口の段差が高くて、ちょっと入りづらいッスね。あと、奥が暗くて何があるか見えないから、ふらっと立ち寄る気にはならないかも」
「なるほど、心理的なハードルですね」
『あと、風の抜け道が悪ィ。奥の壁を少しぶち抜いて、温泉の匂いが自然に流れ込んでくるようにした方がいいぞ』
「素晴らしい意見です! 採用しましょう」
私たちは不要な棚を撤去し段差に緩やかなスロープ代わりの板を渡し、ギルさんの指示に従って風通しと香りの導線を整えていった。
――そんな風に作業をしていた、お昼下がりのことだった。
「おーい、王都の娘さんや。店を開けるって聞いたから、わしらの宝物も持ってきてやったぞ!」
ガラガラと台車を押して現れたのは、ガンツ村長と、村のお爺ちゃんたちだった。
彼らが台車からドサドサと床に降ろしたのは、昔売れ残ったらしい『木彫りの不格好な熊』や、ホコリを被った『色あせたテルマ村のペナント』、果ては『温泉の成分が固まったただの石ころ』といった、完全なる不良在庫の山だった。
「せっかく立派な店にするんだ、あるもん全部並べようや! 品数が多い方が、客も選ぶのが楽しくて喜ぶべ!」
「そうだそうだ! 余ってる棚にギッチギチに詰め込もうぜ!」
お爺ちゃんたちは善意百パーセントの笑顔で、店内を前世の『某激安ジャングル(圧縮陳列)』や、田舎特有のごちゃごちゃした商店にしようと息巻いている。
(出、出ました! 田舎の直売所でよく見る『とりあえず作れるものを全部置いておけバイアス』です!)
私は額を押さえた。
ここで前世の限界事務員としての、利益至上主義な思考が一瞬だけ顔を出した。
(確かに、せっかく在庫があるなら売り捌きたいですね。木彫りの熊と美容泥パックをセットにして、『さぁーらぁーに! 今ならこのペナントもお付けして、お値段据え置き!』と、深夜のテレビショッピングのような叩き売りで一気にさばいてしまえば――)
私は無意識に、見えないカメラに向かって甲高い声で商品を高々と掲げるポーズを取ろうとした。
しかし私はその手をピタリと止め、ゆっくりと下ろした。
(……ダメです。それでは商品のブランド価値が地に落ちてしまいます)
スキル『反復拒否』に頼るまでもなく、私は自らのビジネスロジックで間違いに気づき、踏みとどまることができた。
私たちが今回ターゲットにしているのは、王都の富裕層や貴族の女性たちだ。
彼女たちが求めているのは「お得なガラクタ」ではなく、「極上の癒やしと美」である。
ブランド価値を下げるような安売り(デフレ)や抱き合わせ商法は、長期的には村の首を絞めるだけだ。
「村長、お爺ちゃんたち。お気持ちはとても嬉しいのですが、このガラクタ……いえ、宝物たちは、今回は仕舞っておきましょう」
私はキッパリと首を振った。
「ええっ? なんでだ? 品数が多い方が売れるべ?」
「いいえ、逆です。人間の心理として、選択肢が多すぎると逆に迷ってしまい、結果的に『何も買わずに帰る』という決断をしてしまうんです。これをビジネス用語で『ジャムの法則(選択のパラドックス)』と言います」
「じゃむの、ほうそく……?」
「はい。今回はターゲットを絞り、主力商品である『美容泥パック』と『特製薬草湯の花』の二つだけに極限まで絞り込みます」
私はお爺ちゃんたちを説得し、ガラクタを台車に戻してもらうと、店内のレイアウトを一新した。
不要な棚をすべて片付け、壁際に白木の美しい棚を一つだけ残す。そこに、商品をぽつん、ぽつんと等間隔で配置する。空間の「余白」を贅沢に使うのだ。
そして、天井の隅に生活魔法の「光」を小さな魔石に込めて配置し、直接商品に光を当てるのではなく壁を照らしてふんわりとした温かい『間接照明』を作り出した。
「これを『VMD』……視覚的販売戦略と呼びます。商品をただ並べるのではなく、高級サロンのような『空間デザインそのもの』に価値を持たせるんです」
薄暗く埃っぽかった土産物屋は、間接照明の柔らかな光と、白木の温もりそして奥から吹き込む硫黄の香りが絶妙に調和した、洗練された空間へと生まれ変わった。
*
夕刻。
オレンジ色の夕日が村を包む頃、採取チームと精製チームが店に合流した。
「アオイさん! 試作品、完成しました!」
フィナさんとミャーちゃんが、丁寧に布で包まれたカゴを持って駆け込んでくる。
カゴの中から取り出されたのは、美しい瑠璃色のガラス小瓶と可愛らしい丸みを帯びた桜色の陶器の瓶だった。
「青い瓶が『シラユキ草ブレンドの美容泥パック』、桜色の瓶が『疲労回復の薬草湯の花』です。文字が読めない方でも、一目で用途が分かるように色と形を変えてみました。それに、タグの紐もほどけにくい特殊な結び方にしています」
フィナさんが誇らしげに胸を張る。
前世のユニバーサルデザインの概念を見事に落とし込んだ、完璧な『UI』を持つ商品だ。
「素晴らしいです、フィナさん! 完璧なプロダクトデザインですよ!ミャ―ちゃんもありがとうございます!」
私が拍手を送ると、フィナさん達は照れくさそうにしかしとても嬉しそうに笑った。
「すげえ……これ、本当にあのボロい土産物屋か?」
泥だらけになって帰還したレオ君とリナさんも、間接照明に照らされた店内に足を踏み入れ、息を呑んで立ち尽くしている。
白木の棚の余白に、青と桜色の美しい瓶が一つずつ、スポットライトを浴びるように上品に飾られている。
それは間違いなく、王都の一等地に店を構える「高級スパの直営店」の佇まいだった。
田舎の寂れた温泉村にいることを、一瞬忘れてしまうほどの洗練された空間。
「ええ。これが、テルマ村のブランドを牽引する旗艦店です」
私は満足げに頷き、棚に並んだ美しい小瓶を見つめた。
村人でも安全に採取し、生活魔法で作れる持続可能な生産ライン。
ユニバーサルデザインが施された、価値ある極上の商品。
そして、それらを最も美しく魅せる、VMDが徹底された店舗空間。
「……あとは、ここにお客様を呼ぶだけですね」
私は、限界事務員としての全ての知識が形になったこの空間で、ふふっと悪徳……もとい、優秀なプロジェクトマネージャーの笑みを浮かべた。
極上の罠は仕掛けられた。
次なる「集客フェーズ」への期待が、春の夜風と共に私の胸を熱く焦がしていた。




