第81話:MVP
翌朝。朝霧がまだ村を白く覆いかすかな硫黄の香りが漂う中、私たちはガンツ村長の家を訪れていた。
使い込まれた木のテーブルに、昨日完成したばかりの『アセット・マッピング(資源調査地図)』を広げる。
そこには、カイト君たちが特定した安全圏と森の奥に眠る隠れ源泉、そして「美容泥」の採取ポイントが赤いインクで書き込まれていた。
「村長、ご報告します。この村の周囲には、これだけの未利用資源が眠っていました。特にこの『美容泥』は、王都の貴族女性向けに高単価で取引されるポテンシャルを秘めています。これを村の特産品として採掘・加工し、販売する事業を立ち上げたいのです」
私は自信を持って提案した。
だが、地図を見たガンツ村長の顔色は、みるみるうちに青ざめやがて激しい怒りへと変わっていった。
「馬鹿なことを言うな!!」
ドンッ!と、村長が拳でテーブルを叩く。
「あの森の奥には魔物がいるんだぞ! また山を削って、あの時みたいに土砂崩れでも起こす気か! もうこれ以上、村の若いもんを危険な目に遭わせるわけにはいかん! この話は絶対に却下だ!!」
怒鳴り散らす村長の目には、過去の拡張工事で犠牲者を出してしまった深いトラウマと、恐怖が色濃く浮かんでいた。
『現状維持バイアス』の壁は、想像以上に分厚く、そして重い。
(……このままでは、計画が頓挫してしまいます)
私は唇を噛み締めた。
そして、前世のブラック企業で培ってしまった強引な利益至上主義の思考が鎌をもたげた。
(村長が許可しないなら、仕方ありません! アリフィ商会と若葉の剣だけで勝手に山に入って泥を採集し、王都で売り捌いて既成事実を作ってしまいましょう! 利益さえ出せば、後からどうとでも――)
――ピクリ。
(ああっ!?しまった、久しぶりに)
私の意思を無視して、体は勝手に動く。
なぜか机の上にドンッと右足を乗せ、見えない葉巻を指に挟んで深く吸い込むような仕草をし、口の端をニヤリと歪めて
「へっへっへ……バレなきゃ犯罪じゃねえんだよ。野郎ども、山を根こそぎかっ払ってこい――」
と、法も倫理も無視する『悪徳社長(あるいは山賊の親玉)』のポーズを取ろうとし始めたのだ。
(いやあああああっ! 会社のルールや現地の許可を無視して強引に事業を進めるなんて、ただのコンプライアンス違反(密猟)です! そんなブラックな既成事実の作り方、絶対に許されません!!)
「んんんぎょぉぉぉぃぃぃっ!!」
私は悲鳴を上げる腹筋をフル稼働させ、机に乗せかけた足を強引に床へと引き下ろし見えない葉巻をへし折るように腕を下ろした。
ゼェゼェと息を切らす私を見て、村長がギョッとしている。
「あ、アオイ殿……? 急に足を上げようとして、どうしたんだ?」
「い、いえ! 提案を拒否されたショックで、少し足の筋が攣っただけです!(神様、毎回毎回ポーズのチョイスが悪意に満ちていませんか!?)」
私は咳払いをして、乱れた呼吸とスカートの裾を整えた。
スキルのおかげで、最悪の失敗ルートは回避できた。
相手がリスクを恐れているのなら、強行突破ではなく、徹底的な『リスクヘッジ(危険回避策)』で安心させるのがプロマネの仕事だ。
「村長。安心してください。山は削りません。大規模な工事もしません。必要なのは、バケツ一杯分の『泥』だけです」
「……バケツ一杯?」
「ええ。少しだけ、時間をいただけますか」
*
一度宿に戻った私は、若葉の剣の三人を呼び出した。
「カイト君、レオ君。安全圏のギリギリから、バレないようにバケツ一杯分だけ、
あの美容泥を採取してきてください。絶対に戦闘は避けること」
「了解です! それくらいなら俺の足で一瞬ッスよ!」
カイト君がバケツを手に、風のように森へ向かいすぐに無傷で戻ってきた。
広間に持ち込まれた泥は、温泉のミネラルをたっぷり含んでいるものの硫黄の匂いが少し強すぎた。
「フィナさん。あなたの知識で、この匂いを抑えて肌の巡りを良くする薬草をブレンドできませんか?」
「はい、任せてください! 朝の薬草茶に使った『シラユキ草』をすり潰して混ぜれば、香りが良くなって保湿効果も上がります!」
フィナさんがすり鉢で薬草をゴリゴリとすり潰すと青々しい爽やかな香りが広がった。
それを泥に混ぜ合わせ、なめらかなペースト状になるまで丁寧に練り込んでいく。
やがて完成したのは、ほんのりと花の香りがする薄灰色の美しい『高級美容泥パック』だった。
それを小さな陶器の小瓶に詰める。
「完成です。これがビジネスにおける『MVP(Minimum Viable Product)』……顧客に価値を提供できる、最小限の試作品です」
*
夕刻。私はフィナさんを伴って、再び村長の家を訪れた。
手には、分厚い書類の束と先ほど作った小瓶を持っている。
「また来たのか。何度言っても――」
「村長。まずはこれを見てください」
私は書類をテーブルに置いた。
「これは、美容泥の採掘に関する『事業計画書(稟議書)』です。山は削らず、護衛をつけた少人数の手作業でのみ採取します。そして何より、ここが重要です」
私は書類の一文を指差した。
「『護衛が少しでも危険と判断した場合、あるいは村の安全が脅かされた場合は、即座に事業を中止する』。……明確な『撤退ライン(損切りライン)』です。初期投資もゼロ。村長が恐れるリスクは、私たちが全て管理します」
村長は書類に目を落とし少しだけ押し黙った。
だが、まだ納得しきれていない様子だ。
ビジネスにおいて、完璧な計画書だけでは人の心は動かない。
心を動かすのは、いつだって「目に見える実績」と「感情」だ。
「……奥様。少しだけ、よろしいでしょうか」
私は、部屋の隅で心配そうに成り行きを見守っていた、村長の奥さん(お婆ちゃん)に声をかけた。
「えっ、私かい?」
「はい。この小瓶の中身を、奥様の手の甲に少しだけ塗らせてください」
フィナさんが小瓶を開け、奥さんのシワの刻まれた手の甲に、滑らかな泥を優しく塗りのばした。
爽やかな薬草の香りが部屋に広がる。
数分後、温かいお湯を含ませた布で泥を拭き取ると――。
「えっ……? これ、私の手、かい……?」
奥さんが、驚きの声を上げた。
泥を塗った部分だけが、まるで魔法にかけられたかのようにくすみが消えてワントーン明るくなり、シワの奥まで潤ってツヤツヤと輝いていたのだ。
「まぁ……まぁ! すごいねぇ! まるで、お嫁入りした頃の手みたいに、スベスベだよ!」
奥さんは両手を頬に当て、まるで乙女のようにパァッと顔をほころばせた。
その笑顔は長年の苦労を忘れさせるほどにキラキラと輝いていた。
「なっ……」
ガンツ村長は、奥さんのツヤツヤになった手とその弾けるような笑顔を見て絶句した。
「村長。これが、あなたの村に眠っている『価値』です」
私は静かに語りかけた。
「あなた方が守り抜いてきたこの村の土と水は、王都の女性たちを、そして目の前の奥様をこんなにも笑顔にできるんです。……これを、ただの泥として終わらせて良いんですか?」
村長は、震える手で奥さんの手を取った。
「……お前、そんなに嬉しそうな顔をするのは……何年ぶりだ」
「だって、本当に嬉しいんだもの。私たちがずっと住んできた村の泥が、こんなに素晴らしいものだったなんてねぇ」
村長の目から、ポロリと一筋の涙がこぼれ落ちた。
過去のトラウマに囚われ、何もしないことで村を守ろうとしてきた。
だが、本当に守りたかったのは、村人たちの――目の前の妻の、この笑顔だったはずだ。
「……負けたよ、アオイ殿」
村長は袖で乱暴に涙を拭うと、テーブルの上の事業計画書を引き寄せた。
「初期投資ゼロ。危険があれば即撤退。……そして、村を再び笑顔にする。その約束、絶対に守ってもらうぞ」
「はい。プロジェクトマネージャーの誇りにかけて」
ガンツ村長が、力強い手つきで計画書に承認のサイン(ハンコ)を書き込んだ。インクの匂いが、新たな始まりを告げるように香る。
小さな一つの試作品(MVP)が、頑なだった村長の心を溶かした瞬間。
テルマ村の地方創生プロジェクトは、ついに本格的な反撃の狼煙を上げたのだった。




