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魔女のバインダー  作者: 水色蛍
限界事務員、温泉村・地方創生プロジェクト編
80/100

第80話:資産価値

 朝のミーティングを終え、アリフィ商会と『若葉の剣』の合同チームは予定通り二手に分かれてミッションを開始した。


「皆さん、危険地帯の奥には絶対に深入りしないこと。夕方には必ず戻ってきてくださいね」


「任せてよ、アオイ! 美味しい夕食に間に合うように帰ってくるから!」


 リナさんが元気に手を振り、レオ君、カイト君、ミャーちゃん、そして足元で尻尾を揺らすギルさんが、村の周囲を囲む森へと足を踏み入れていく。


 彼らフィールドワークチームの任務は、ギルの嗅覚とカイト君の斥候スキルを活かして温泉の匂い(結界)が途切れる境界線を特定し、『ハザードマップ(危険予測地図)』の土台を作ることだ。


 彼らを見送った後、私とフィナさんは若女将のリリーナさんに案内されて白鷺亭の奥にある古い蔵(倉庫)へとやってきた。

 バックオフィスチームの任務開始である。


「ゲホッ……す、すごいホコリですね」

「アオイさん、足元に気をつけてくださいね」


 重い木の扉を開けると、ひんやりとした空気と共にカビと古い紙の独特な匂いが鼻を突いた。

 薄暗い蔵の中には、木箱や棚が所狭しと並び、長年放置された書類の山がうずたかく積まれている。


「申し訳ありません。この蔵は、母の代からほとんど手付かずで……」


 リリーナさんが申し訳なさそうに灯りをともす。


「いえ、むしろこういう場所こそ情報の宝庫です。村の歴史が記録された古い台帳や地質図などを探しましょう」


 私は腕まくりをして、分厚い埃を払いながら古い羊皮紙や木簡をめくり始めた。

 インクがかすれ、パラパラと崩れそうな紙の束。

 数字の羅列を追うのは、前世から私の得意分野だ。


「……ん? リリーナさん、この数十年前の台帳にある、莫大な赤字と多額の借入金は一体なんですか?」


 私が埃にまみれた一冊の革張りの帳簿を指差すと、リリーナさんは灯りの下でその数字を見つめ寂しそうに目を伏せた。


「それは……村長がまだ若かった頃の記録です。王都の近くに新しい保養地ができ、村の予算が削られ始めた時、村長は客足を取り戻すために、村の温泉施設を大規模に拡張しようとしたんです」


「大規模な拡張……」

「はい。ですが、急な工事で山の斜面を削ったせいで土砂崩れが起き、さらには魔物の増加も重なって……工事は頓挫しました。多額の負債と、犠牲者だけが残ってしまったんです」


 私は帳簿の数字と、一緒に挟まれていた手書きの図面を交互に見比べた。


(なるほど……。予算の使い道はどんぶり勘定、スケジュールの見通しも甘い。各工程の連携を示す『ガントチャート』も、最重要動線を把握する『クリティカルパス』の概念も皆無。典型的な『見切り発車の大型プロジェクト』の末路ですね)


 ガンツ村長が頑なに外部の人間を拒絶し、「今まで通りでいい」と変化を嫌う理由が、ようやく腑に落ちた。


 彼の『現状維持バイアス』の正体は、ただの頑固さではない。

 村を思うがゆえに焦って失敗し、これ以上村人を傷つけたくないという深いトラウマからの『極端なリスク回避』だったのだ。


「何もしないことが、村を守る一番の防衛策になってしまったんですね……」


 フィナさんが悲しそうに呟く。


「ええ。ですが、リスクを取らないこと自体が最大のリスクになるのが、ビジネスの残酷なところです。……よし、過去の失敗の理由は分かりました。あとは、今この村に『何が残っているか』です」


 *


 夕刻。

 西の空が茜色に染まり始めた頃、白鷺亭の広間にフィールドチームが帰還した。

 皆、服や靴を泥だらけにしていたがその表情は一様に明るかった。


「アオイ教官! 周辺の調査、完了しました!」


 カイト君が、バインダーに挟んだ羊皮紙をテーブルの上に広げる。

 そこには村を中心に、ギルさんの嗅覚を頼りに引かれた「魔物が寄り付かない安全圏」と「危険地帯」の境界線が、見事な精度で書き込まれていた。


 これで『ハザードマップ』の基礎は完成だ。


「素晴らしい仕事です、皆さん。これで安全な範囲が――」

「アオイ、それだけじゃないんだよ! すごいもの見つけたの!」


 私の言葉を遮るように、リナさんとミャーちゃんが目をキラキラさせて身を乗り出してきた。


 二人の手には、竹筒に入ったお湯と灰色のねっとりとした泥がたっぷり詰まった木箱が握られていた。


「境界線ギリギリの、今は誰も寄り付かない森の奥にね、昔使われていたらしい『隠れ源泉』が湧き出してたんだ!」


「でね、アオイさん! そこの源泉の底に溜まってるこの泥が、すっごく特別なんです!」


 おっとりしたミャーちゃんまでが、興奮気味に身振りを交えて語る。


「レオ君たちは『ただの汚い泥だろ』って言ったんですけど、リナさんと一緒に試しに少しだけ手に塗って洗い流してみたら……見てください、これ!」


 二人が差し出した両手を見て、私とフィナさんは息を呑んだ。

 ただでさえ若い二人の手がまるで内側から発光しているかのように、白く、透き通るようにツルツルになっていたのだ。


「これ、王都の高級サロンで金貨数枚で売ってる『美容泥パック』にそっくりじゃない?」


 美容通のリナさんが、女子力全開の笑顔で言い放つ。


「はいっ! しかも、王都のやつよりお肌がモッチモチになるんです!」


「おう、あの泥の周辺は特に魔力が濃く溜まってやがった。魔物どもは匂いがキツすぎて絶対に近づけねえ場所だぜ」


 ギルさんが水を舐めながら補足する。


「ただの汚い泥だと思って放置されていたものが、王都の貴族女性が狂喜乱舞する高級美容アイテム……!?」


 その事実を前にして、私の頭の中で高速で計算式が弾き出された。


(この美容泥を独占的に採掘し、アリフィ商会のブランドで王都の貴族向けに高単価で売り捌けば……莫大な利益が手に入ります。隠れ源泉も、高級貸切露天風呂としてリニューアルすれば、富裕層をターゲットにしたVIPビジネスが展開できる……!)


 前世の利益至上主義な思考が、一瞬だけ鎌をもたげた。

 だが、私はそっと目を閉じ小さく首を横に振った。


(それではダメです。よそ者の私たちが利益を独占するスキームを作っても、村人たちの心は置いてけぼりになります。かつての村長と同じ、村人を無視した改革になってしまう。まずは、村全体の利益と自立を優先する仕組みを作らなければ)


 私は目を開け、興奮冷めやらぬリナさんとミャーちゃんに向かって微笑んだ。


「素晴らしい大発見です、お二人とも。戦士や斥候の目線では見逃してしまう『価値』に気づけるなんて、さすがですね」


 私は赤色のインクペンを手に取り、カイト君が作成した『ハザードマップ』の上に見つかった隠れ源泉や美容泥の採取ポイントを次々とプロットしていった。


「見てください。ただの『危険予測地図(ハザードマップ)』が、テルマ村に眠る資源を可視化した『アセット・マッピング(資源調査地図)』に変わりました」


 地図の上に散りばめられた赤い印は、まるで宝の地図のようだ。


「アセット……ですか?」とリリーナさんが首を傾げる。


「『資産』という意味です。この地図に記されたものは、過去の借金ばかりが書かれた貸借対照表(バランスシート)には載っていないテルマ村の真の資産です」


 私はバインダーを閉じ、力強く宣言した。


「ガンツ村長のトラウマを癒やし、村人たちの諦めをひっくり返す準備は整いました。明日から、本格的な反撃(プロジェクト)を開始しますよ!」


「おおーっ!」


 広間に、頼もしい仲間たちの歓声が響き渡る。

 インクと古い紙の匂い、そして窓から吹き込む硫黄の香り。


 地図に書き込まれた『宝の山』を前に、限界事務員の胸は、かつてないほどの確かな手応えとワクワク感で高鳴っていた。

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