第78話:薬膳料理
泥まみれになった村の共同足湯をピカピカに磨き上げ、心地よい疲労感と共に宿へ戻った私たちは再びテルマ村が誇る極上の温泉で汗を流した。
湯上がりでポカポカと火照る体を、宿が用意してくれた薄桃色の寛ぎ着に包み私たちは夕食の待つ白鷺亭の大広間へと足を運んだ。
「わぁ……! すごくいい匂いがします!」
「お腹ペコペコだよー!」
リナさんとフィナさんが目を輝かせて座敷に腰を下ろす。
私たちそれぞれの前に用意されたお膳には、朝と同じく、地元の山菜やきのこ、特産品の薬草を使った小鉢がいくつも並べられ中央には囲炉裏でじっくりと焼かれた川魚の塩焼きが香ばしい煙を立てていた。
山の恵みがふんだんに使われた、素朴だがとても丁寧に作られた料理だ。
しかし、給仕をしてくれた若女将のリリーナさんは、お膳を前にして深く、深く頭を下げたのだ。
「王都からいらした皆様に、こんな地味な粗食しかお出しできず……本当に、申し訳ありません」
「えっ? 謝るようなことなんて何もありませんよ。とても美味しそうです」
私が驚いて声をかけると、リリーナさんはきゅっと唇を噛み締め、情けなさそうに眉を下げた。
「本当は、王都の皆様に喜んでいただけるよう、高いお肉や立派な食材を仕入れて豪華なディナーをお出ししたかったんです。でも、今のこの宿にはそんな予算も、安定した輸送ルートもなくて……こんなその辺の草ばかりの料理じゃ、皆様にご満足いただけるはずがありません」
リリーナさんの言葉には、深い悲壮感が漂っていた。
母の代から徐々に客足が遠のき、自分が女将を継いでからも村の衰退を止められなかった。
その強い責任感と焦りが、彼女の思考回路をどんどん極端な方向へ走らせてしまったのだろう。
「王都のお客様を呼ぶには、王都の高級レストランのような豪華な肉料理やフルコースを出さなければいけないのに……私には、それができないんです」
彼女の目には、うっすらと涙が浮かんでいた。
その痛切な思いを聞いて私は思わずため息をつきそうになるのを堪えた。
(地方創生において、最も陥りやすい罠でしょう。都会への強いコンプレックスから、無理に都会の真似事をして、王都と同じ土俵『レッドオーシャン(競争激化市場)』で勝負しようとしてしまう。それは、予算も地の利もない地方が、一番やってはいけない悪手ですよね)
「リリーナさん。頭を上げてください」
私は静かな、しかし凛とした声で若女将に語りかけた。
「王都の真似事をする必要なんて、一切ありませんよ。……いただきます」
私はお箸を手に取り、小鉢に盛られた見慣れない緑色の薬草のお浸しを口に運んだ。
――シャキッ、という瑞々しい歯ごたえ。
その直後、鼻へ抜ける爽やかな香りと、心地よいほろ苦さ。
噛み締めるほどに、カツオにも似た濃厚な出汁の旨味がじゅわっと口いっぱいに広がる。
「美味しい……!」
思わず限界事務員としての仮面が外れ、素の感嘆がこぼれ出た。
朝食の時も思ったが、この村の野菜や山菜は、味が信じられないほど濃いのだ。
「ほ、本当ですか……? 慰めでおっしゃっていただかなくても……」
「慰めではありません」
私は箸を置き、リリーナさんを真っ直ぐに見つめた。
「リリーナさん。都会の脂っこい食事と、終わらない仕事のストレスで胃腸を疲弊させた大人たちが、わざわざ何日も馬車に揺られてこんな辺境の温泉まで来て何を求めていると思いますか?」
「え……それは、非日常の豪華な食事、でしょうか」
「違います。彼らが本当に求めているのは、豪華な肉ではなく『癒やし』です。暴飲暴食で荒れた胃腸を優しく労わり、山の清らかな空気と共に、体の芯から毒素を抜いてくれる(デトックスしてれる)食事なんです」
前世で月末決済のたびに営業部と経理部の板挟みになり、ストレスで常に胃を痛めコンビニのゼリー飲料しか喉を通らなかった限界事務員の私が言うのだから間違いない。
田舎に来てまで、重たいフルコースの肉料理など食べたくはないのだ。
「ターゲット層を『都会の疲弊した大人』に絞れば、この地味な粗食は、ただの草ではなく『極上の癒やしをもたらす薬膳料理』になります。弱みを強みに変える、ビジネスにおける『価値の再定義』です」
「リブラン、ディング……?でも、ただのその辺に生えている草ですよ? そんな大層な価値なんて……」
自分たちの日常が当たり前すぎて、まだ半信半疑なリリーナさん。
すると、今まで黙々と食事を口に運んでいた魔法使いコンビ
――フィナさんとミャーちゃんが、ばっと顔を上げた。
「ただの草じゃありません! この薬草、王都の高級店で使われているものより、圧倒的に『生命力の巡り』が濃いです!」
治癒士として「内なる巡り」を診るプロであるフィナさんが、興奮気味に身を乗り出した。
「食べた瞬間から、温泉の効能と合わさって、体の内側からポカポカと魔力が湧いてくるのが分かります。ポーションの原液を食べているみたいです!」
「うんうんっ! 私もそう思います!」
今度は、魔法使いとして「外なる要素」を操るミャーちゃんが、指先に小さな『熱』の生活魔法を灯し、小鉢の山菜をほんの軽く炙ってみせた。
その瞬間、広間いっぱいに食欲を強烈に刺激する鮮烈な香りが爆発的に広がった。
「火を通しただけで、魔力がこんなに活性化するなんてありえないです。ここの土や水自体が、温泉の熱と大地の魔力(自然の巡り)をたっぷり含んでるから、そこで育った植物も規格外なんだと思います!」
「ミャーの言う通りだ。ここの草はべらぼうに美味え。幻獣の俺が言うんだから間違いないぜ」
私の足元で特大サイズの川魚を夢中で平らげていた小狐幻獣のギルさんまでが、念話で太鼓判を押した。
治癒士、魔法使い、そして幻獣。
使う魔法や力の形は違えど、「自然の巡り」という根本の理を深く理解している彼らだからこそ、この村の食材がいかに異常なポテンシャル(魔力と栄養)を秘めているかを完璧に証明してくれたのだ。
「生命力の、巡り……。私たちの村の山菜が、そんなに……?」
リリーナさんは、自分の手が作り出した料理をまるで初めて見る宝物のように見つめた。
「ええ。あなたたちが『ただの草』と卑下していたものは、外の人間から見れば、金貨を払ってでも食べたい極上の『デトックス薬膳』なんです。これぞ、テルマ村最強のキラーコンテンツですよ」
私はバインダーを開き、『W(弱み)』の欄に書かれていた「田舎の粗食」という文字をペンで力強く二重線を引いて消した。
そして、『S(強み)』の欄に、新たに「極上のデトックス薬膳料理」と書き加えた。
「……っ」
リリーナさんの大きな瞳から、ぽろぽろと大粒の涙がこぼれ落ちた。
客が来ないのは自分の料理が質素だからだと、ずっと一人で背負い込んできた呪縛が解けた瞬間だった。
「ありがとうございます……。私、もっと美味しくなるように、明日からもっと真剣に山菜と向き合ってみます……!」
リリーナさんが袖で涙を拭い、パッと明るい、若女将らしい美しい笑顔を咲かせた。
「すげえ! 肉がなくても、こんなに飯が進むなんて初めてだ!」
「おかみさん、ご飯のおかわりもらえるか!?」
「私もお魚もう一匹食べたいです!」
若葉の剣の男子たち(レオ君、カイト君)とリナさんが、空になった茶碗を突き出して元気よく叫ぶ。
「はいっ! 今すぐお持ちしますね!」
リリーナさんが弾むような足取りで厨房へと駆けていく。
開け放たれた窓からは、春の夜の涼しい風と硫黄の優しい香りが吹き込んでいる。
王都の真似事なんてしなくていい。
この村には、この村にしかない確かな価値がある。
地元の人間が地元の強みに気づき、誇りを取り戻した夕食の席は絶品の薬膳料理と共に、温かな活気と笑顔に満ち溢れていた。




