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魔女のバインダー  作者: 水色蛍
限界事務員、温泉村・地方創生プロジェクト編
77/100

第77話:小さな成功体験

 チュン、チュン、という小鳥のさえずりと共に、山の冷たく澄んだ空気が障子越しに部屋へと流れ込んでくる。

 テルマ村の温泉宿『白鷺亭』で迎えた、出張初日の朝。


「う〜んっ! すっごくよく眠れました!」


 隣の布団で、リナさんが両腕を上に伸ばして元気よく飛び起きた。


「本当ですね。あんなに長旅だったのに、体が羽のように軽いです」


 フィナさんも、目をこすりながらホクホクとした笑顔を見せている。


 極上の「自然の巡り」が溶け込んだテルマ村の温泉効果は、絶大だった。


 長時間の馬車の揺れによる腰の痛みも、ポーズをねじ伏せたことによる腹筋の筋肉痛も完全に消え去り、肌も心なしかツヤツヤになっている気がする。


 一階の食堂へ降りると、若女将のリリーナさんが温かい朝食を用意してくれていた。


 山の恵みである瑞々しい山菜のお浸し、特産品の薬草を練り込んだ滋味深いスープ、そしてふっくらと炊き上がった雑穀のパン。

 派手さはないが、素材の良さが五臓六腑に染み渡る、素晴らしい食事だった。


「美味しいです、リリーナさん。ごちそうさまでした」

「お口に合って良かったです、アオイ様」


 リリーナさんが嬉しそうに微笑むのを確認し、私は食後の温かいお茶を一口飲んでから、パンッと柏手を打った。


「さて、皆さん。お腹も膨れたところで、さっそく本日の業務(キックオフ)に入りましょう」


 私の号令に、リナさん、フィナさん、そして別の部屋に泊まっていた『若葉の剣』の三人(レオ君、カイト君、ミャーちゃん)が、背筋をピンと伸ばして卓を囲んだ。


「昨日の現状視察で、この村の最大の課題は、村人たちの心に根付いた『現状維持バイアス(諦め)』であることが分かりました。これを打ち破るためには、どうアプローチすべきか……」


 私は腕を組み、思考を巡らせた。


(まずは村の広場に全員を集めて、このテルマ村の10年後の未来を描いた『グランドマスタープラン』を、魔法の幻影(パワポ)を使って大々的にプレゼンし、一気に意識改革を促しましょうか――)


 ふと、前世の『意識高い系コンサルタント』がやりがちな、ドラスティックでトップダウンの改革案が頭に浮かんだ。

 黒いタートルネックを着て、ろくろを回すように手を動かしながら「イノベーション」と「シナジー」を語る自分の姿が脳裏をよぎる。


 だが、その言葉が口から出る前に、私はスッと目を閉じて自ら首を横に振った。


(……いや、違いますね)


 私の体は一切動かない。

 スキル『反復拒否』の強制的な拘束も、エラーの悪寒も発動していない。

 私は、自分の頭でハッキリと『その選択は間違っている』と理解していた。


(長年衰退してきた閉鎖的な村に、信頼関係ゼロのよそ者がいきなりやってきて、横文字を並べて壮大な夢を語ったところで、『うさんくさい詐欺師』にしか見えません。現場の反発を生むだけです。あの頑固なガンツ村長なら、間違いなく激怒するでしょう)


 私は目を開き、フッと息を吐き出した。

 スキルに止められる前に、自らの経験と学習で「失敗ルート」を潰せたこと。

 それが、限界事務員としての確かな成長の証のように思えて少しだけ誇らしかった。


「……よそ者がいきなり大きな変革(イノベーション)を口にしても、絶対に誰もついてきません。皆さんは、昨日の視察で何か気になったことはありましたか?」


 私が問いかけると、リナさんが真っ先に手を挙げた。


「建物の古さもそうだけど、メインストリートに泥や枯れ葉が積もってて、すごく歩きにくかったよ。これじゃあ、お年寄りは外に出たくなくなっちゃうと思う」


「私もそう思います」とフィナさんが続く。


「村の方々は私たちを警戒していました。いきなり『村を変える』と言うより、まずは私たちが『村の役に立つ安全な人たち』だと安心してもらうべきではないでしょうか」


 二人の的確な意見に、私はパァッと表情を明るくした。


「素晴らしい視点です、お二人とも! 私が教えたビジネスの『顧客目線』が完璧に身についていますね!」


 私を中心に、活発に意見を出し合いながら戦略を構築していくアリフィ商会の様子を見て、若葉の剣の三人は目を丸くしていた。


「すげえ……アリフィ商会って、ただ依頼をこなすだけじゃなくて、こうやって『戦場(村)』の状況を徹底的に分析して動くのか……」

「剣を振るう前に、勝負の半分は決まってるってことだね」

「うんっ、すごく勉強になる……!」


 レオ君たちがヒソヒソと感嘆の声を漏らしているのを横耳に挟みつつ、私は力強く頷いた。


「リナさんとフィナさんの言う通りです。閉鎖的な組織や、諦めが蔓延している現場を動かすために必要なのは、壮大な計画書ではありません。目に見える小さな実績を作り、『ここなら変われるかもしれない』という希望を抱かせること。すなわちビジネスにおける『スモール・サクセス(小さな成功体験)』です」


「小さな、成功体験……」


 レオ君が真剣な顔で呟く。


「はい。皆さん、宿を出たところにある『村の共同足湯』を覚えていますか?」


「ああ、お湯が止まってて、泥と枯れ葉だらけになってた石のベンチみたいな場所ですね」とカイト君が答える。


「ええ。本日のタスクは、あの足湯を全員でピカピカにすることです。ビジネスの基本は『5S(整理・整頓・清掃・清潔・躾)』。まずは村の入り口の環境整備から始めます!」


 *


 私たちは宿で掃除道具を借り、村のメインストリートにある『共同足湯』へと向かった。


 かつては村人や旅人の憩いの場だったであろうその場所は、お湯を引く竹の配管が詰まり、石で組まれた湯船には泥や落ち葉が分厚く堆積し緑色の苔がびっしりとこびりついていた。


「よし、やりましょー!!」


 私の号令と共に、アリフィ商会と若葉の剣による、魔法と物理を駆使した大清掃作戦が始まった。


「俺が配管の詰まりを見る!」


 斥候のカイト君が、身軽な動きで配管の上に飛び乗り、短剣を使って器用に詰まった泥や小枝を掻き出していく。


「ここは俺に任せろ!」


 レオ君は、足湯の木組みの屋根に絡みついた太いツルや厄介な雑草を見事な剣さばきで一刀両断にしていく。


「それじゃあ、溜まった泥を飛ばすね! 『風の巡りよ、熱を帯びて吹き抜けろ』!」


 魔法使いのミャーちゃんが杖を振るう。

 彼女が放った繊細な温風が、石にこびりついた湿った苔をあっという間に乾燥させ、綺麗に吹き飛ばしていく。


 かつては戦闘でパニックになっていた三人が、それぞれの特性を活かして見事な土木作業(環境整備)を行っている。冒険者のスキルは、戦いだけでなく、日常のタスクにもここまで応用できるのだと改めて感心してしまう。


「えいっ!」


 若葉の三人が細かい作業をする傍らで、リナさんが湯船の底に沈んでいた人間の頭より大きな岩を、ヒョイッと軽々と持ち上げて背後の茂みへと放り投げていく。


「アオイさん、仕上げの水撒き、いきますね!」


 フィナさんと私が生活魔法の「水」を使い、乾燥した泥や汚れを勢いよく洗い流していく。ギルさんも自慢の尻尾を使って、散らばった落ち葉を器用に一箇所にまとめている。


 私たちが泥まみれになりながら連携して作業を進めていると、その物音に気づいた村人たちが、遠巻きにチラチラと様子をうかがい始めた。


「なんだい、あの子たち。王都から来たっていう……」

「汚い足湯の掃除なんて始めて、何がしたいんだか」


 コソコソとした声が聞こえるが、私たちは手を止めず、ただ黙々と目の前の清掃に集中した。


 *


 数時間後。

 泥と苔にまみれていた足湯は、見違えるように美しく生まれ変わっていた。

 石組みは本来の白さを取り戻し、屋根を覆っていたツルも綺麗に刈り取られている。


「カイト君、配管の開通をお願いします!」

「よしっ!」


 カイト君が配管の根元にある最後の栓を抜くと、ゴポッ、という音と共に、竹筒から澄み切った熱い温泉がトクトクと流れ出し綺麗になった石の湯船を満たし始めた。


 湯船から、ふわりと温かい湯けむりが立ち上る。

 お湯が満たされる音と、硫黄の優しい香り。

 それは、テルマ村がかつて持っていた「活気」の小さな息吹だった。


「おお……」


 遠巻きに見ていた村人たちから、感嘆のようなどよめきが漏れた。


「何をやっているのかと思えば」


 人混みをかき分けて現れたのは、ガンツ村長だった。

 彼は生まれ変わった足湯と、湯気と汗で顔を赤くした私たちを交互に見た。


「ただ掃除しただけじゃねえか。……こんなことで、村がどうにかなるとでも思っているのか」


 村長は憎まれ口を叩いた。

 だが、その目は、綺麗にお湯が張られた足湯の底を、どこか懐かしそうにそして愛おしそうに見つめていた。


「ええ。たかが掃除です」


 私は額の汗を手の甲で拭いながら、にっこりと微笑んだ。


「ですが、ここにお湯が流れるのを見るのは、何年ぶりですか?」


 村長は答えなかった。

 ただ、無言で背を向けて立ち去っていく彼の背中は、昨日よりも少しだけ頑なさが取れているように見えた。


 大きなプレゼンで語る10年後の未来より、今目の前で流れる一つのお湯の方が、人の心には響く。


「あったかーい! アオイさん、足湯最高です!」

「ふふっ、労働の後の温泉は格別ですねぇ」


 綺麗になった足湯にさっそく足を浸し、無邪気に笑うリナさんやミャーちゃんたちを見つめながら。私はプロジェクトマネージャーとしての確かな手応えを感じ、地方創生という長く地道なプロジェクトの、確かな第一歩を踏み出したのだった。

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