第76話:一番のファンになること
王都を出発して数日。
馬車の窓から見える景色は、のどかな平原から、険しくも美しい緑が連なる山あいの風景へと変わっていた。
ガタゴトと揺れる車輪の音が少しずつゆっくりになり、やがて馬車が完全に停車する。
「アオイさん、着いたみたいですよ!」
窓の外を覗き込んでいたフィナさんの声に、私たちは馬車を降りた。
――ふわりと、鼻を突く独特の匂い。
硫黄の香りだ。
見上げれば、山肌にへばりつくようにして建ち並ぶ木造の家々の隙間から、真っ白な湯けむりが何本も立ち上っている。
ここが、今回の地方創生プロジェクトの舞台。
北の辺境の温泉村『テルマ』だ。
「空気がひんやりしてて、気持ちいいね!」
リナさんが大きく伸びをする横で、若葉の剣の三人――レオ君、カイト君、ミャーちゃんが、馬車の荷台からテキパキと荷物を下ろし始めていた。
「アオイ教官、俺たちの荷物も含めて、宿屋への搬入は俺たちでやっておきます!」
「うん。周辺の警戒と地理の把握も兼ねて、サッと回ってくるよ」
「教官たちは、さっそく責任者の方とお話ししてきてくださいねぇ」
すっかり頼もしくなった彼らの姿に、私は目を細めた。
「ありがとうございます。皆さんも長旅で疲れているでしょうから、無理はしないでくださいね」
「はいっ!」
元気よく荷物を抱えて駆けていく若葉の剣の三人を見送り、私とリナさん、フィナさん、そしてギルさんは、今回王都の商業ギルドを通して依頼を出してきた責任者の元へと向かった。
*
「遠いところを、よくお越しくださいました。アリフィ商会の皆様ですね」
テルマ村で一番大きいとされる温泉宿『白鷺亭』の入り口で私たちを出迎えてくれたのは、薄桃色の素朴な着物に身を包んだ、二十代前半の若き女性だった。
彼女の名前はリリーナさん。
代々、このテルマ村の誇る温泉宿を継いできた若女将だ。
「初めまして、代表のアオイと申します。今回はご依頼、ありがとうございます」
「こちらこそ、王都から凄腕の方々が来てくださると聞いて、安堵しております」
リリーナさんは深く頭を下げた後、少しだけ寂しそうに周囲の景色を見渡した。
彼女の視線の先にあるのは、かつて王族の保養地として栄えたという名湯の、隠しきれない『老朽化』のサインだった。
宿の木壁はところどころ塗装が剥がれ、通りを歩いているのは腰の曲がったお年寄りばかり。
土産物屋らしき建物もいくつかあるが、シャッターのように木の板が打ち付けられ、閉まっている店が多い。
温泉街特有の活気は、完全に失われていた。
「母の代までは、遠方からもお客様がいらっしゃって、とても賑やかだったんです。けれど、街道の魔物が増えたことや、建物が古くなったこともあり、少しずつ客足が遠のいてしまって……。私が継いでからは、かつての繁栄は見る影もありません」
リリーナさんは、きゅっと着物の袖を握りしめた。
「私はこの村のお湯が大好きなんです。なんとかして、もう一度テルマ村を活気ある場所にしたい。そう思って、王都に助けを求めたのですが……」
「その意気込み、お任せください。私たちが必ず――」
私がバインダーを開き、頼もしく請け負おうとした、その時だった。
「リリーナ。王都の連中など呼ぶなと、あれほど言っただろう」
背後から低く皺枯れた、しかし威圧感のある声が響いた。
振り返ると、杖をついた初老の男性が厳しい顔つきでこちらを睨みつけていた。
村をまとめる村長、ガンツさんだ。
「村長……でも、このままでは村が!」
「王城からの特命だか、街おこしだか知らんがな。王都の若い娘っ子たちに、この村の何がわかるというんだ」
ガンツ村長は鼻を鳴らし、私に冷ややかな視線を向けた。
「若者はみんな村を出ていった。残っているのは年寄りばかりだ。今更、余計な波風を立ててくれるな。わしらは、このまま今まで通り、細々とやっていければそれでいいんだよ」
(なるほど……)
私は内心で深く頷いた。
これは典型的な『現状維持バイアス(変化を嫌い、今のままでいいと思い込む心理)』であり、長年の衰退からくる『学習性無力感(どうせ何をやっても無駄だという諦め)』の掛け合わせだ。地方創生において、最も高く、最も厄介な壁である。
保守的な村長の態度に、私の前世の『限界事務員』としての血が、ふつふつと沸き立った。
(お言葉ですが村長! そうやって変化を恐れてイノベーションを起こさなければ、待っているのは緩やかな死(ジリ貧)です! まずは古い建物をスクラップ&ビルドし、新しいターゲット層に向けたドラスティックなマーケティング戦略で、シナジー効果を生み出すスキームを構築しなければ――!!)
私が横文字のビジネス用語を頭の中で並べ立て、口を開きかけた瞬間。
体が不自然に跳ねた。スキル『反復拒否』の強制発動だ。
(えっ!?)
私の意思を無視して、体は勝手に両手を胸の前に持ち上げ、見えない壺でも撫で回すようにクルクルと空回りさせる『ろくろを回すポーズ』を取り始めた。
そして、いかにも意識高い系のコンサルタントのようなドヤ顔を作りそうになる。
(いやあああああっ! 現場の感情や歴史を無視して、横文字の専門用語でマウントを取るトップダウンのコンサルタントなんて、現場から一番嫌われる存在です!! 典型的な『コンサル崩れの失敗ルート』です!!)
「んんんんっ!!」
私は顔を真っ赤にして、全力で両手のろくろポーズをねじ伏せた。
ブルブルと腕を震わせながら無理やり体の横にピタッと下ろすと、ガンツ村長がいぶかしげに眉をひそめた。
「……なんだあんた。腹でも痛いのか?」
「い、いえ! 長旅で少し、腕の筋が攣っただけです!」
私は咳払いをして、乱れた呼吸を整えた。
危ないところだった。
よそ者がいきなり「村を変えよう」と上から目線で語っても、反発されるだけだ。
ビジネスの基本。
それは、まず相手のプロダクト(商品)に敬意を払い、深く知ること。
「分かりました、ガンツ村長。難しい話は後回しにしましょう。私たちはまず、この村を知るために来ました」
私はまっすぐに村長の目を見た。
「どうか私たちに、この村が誇る『温泉』を体験させてください」
私の言葉に、村長は一瞬だけ虚を突かれたような顔をしたが、すぐに「ふん」とそっぽを向いた。
「……好きにしろ。だが、うちの湯は熱いぞ。王都の娘っ子が、湯あたりして倒れても知らんからな」
*
リリーナさんの案内で、私たちは村で一番古い公衆浴場(大浴場)をお借りすることになった。
脱衣所で服を脱ぎ、湯気で白く霞む浴場に足を踏み入れた瞬間、ふわりと温かい空気が全身を包み込む。
男湯には、荷物運びを終えたレオ君とカイト君、そしてギルさんが向かった。
こちら側の女湯には、私、リナさん、フィナさん、そしてミャーちゃんがいる。
「わぁ……! すっごくいい匂い! そして広い!」
「かけ湯をしてから入りましょうね、リナちゃん」
私たちは丁寧に体を流し、静かに波打つ白濁したお湯へと足を踏み入れた。
「んんぅぅ……っ」
肩までお湯に浸かった瞬間、思わず声が漏れた。
ピリッとした心地よい熱さが皮膚を刺激し、体の芯までジンジンと染み渡っていく。長旅の馬車で凝り固まった筋肉が、まるで春の雪解けのようにドロドロと解けていくのが分かった。
「はぁ〜、極楽極楽……」
「アオイさん、このお湯……ただ熱いだけじゃありません」
お湯をすくって匂いを嗅いでいたフィナさんが、驚いたように目を丸くした。
「大地から湧き出る『自然の巡り(魔力)』が、信じられないほど濃密に溶け込んでいます。極上の回復ポーションの原液に浸かっているようなものです!」
「……確かに。昨日までの筋肉痛も、一瞬で消し飛びました」
私は自分の腕をさすりながら、確信した。
施設は古く、交通の便は最悪かもしれない。
だが、このテルマ村の温泉という『プロダクト(商品力)』は、間違いなくSランクの一級品だ。
「ふぁぁ……あったかくて、溶けちゃいそうですぅ」
その時、体を洗い終えたミャーちゃんが、ポチャリとお湯に入ってきた。
湯けむりの中で、彼女が立ち上がったシルエットが見えた瞬間――私は思わず、持っていた手ぬぐいを落としそうになった。
(なっ……!?)
おっとりとした性格と、幼さの残る顔立ちのミャーちゃん。しかし、お湯に浸かる彼女のプロポーションは、十代半ばとは到底思えないほど、豊満で女性らしい曲線を描いていたのだ。
隣で気持ちよさそうにしているリナさんも、引き締まった健康的な美しさと程よいボリュームがあるし、フィナさんに至っても言うまでもない。
(なぜ!? 十代の子でこんな仕上がりになるんですか!? この世界ってなんなんですか!? 栄養価が高すぎるんですか!? 不公平! 不公平です!! 限界事務員の私が転生したんですから、せめて体型くらい劇的な上方修正があってもおかしくないじゃないですかぁぁっ!!)
私はお湯の下で自分の慎ましい胸元を見下ろし、内心で血の涙を流しながら理不尽な世界の設定にクレームを入れた。
しかし、そんな私のちっぽけな嫉妬すらもこの極上の温泉は優しく包み込み、じんわりと温めてくれる。
「……アオイ、顔赤いよ? のぼせた?」
「い、いえ。温泉の効能が素晴らしすぎるだけです」
私はパシャリと顔にお湯をかけ、熱を冷ました。
(このお湯は、本物です。あとは、この極上の素材を『どう見せ、どう届けるか』だけ)
湯上がりでポカポカになった私は、浴場の外で待っていたガンツ村長に深く一礼した。
「村長。素晴らしいお湯でした。私たちはまず、この村の『一番のファン』になることから始めます」
私の言葉に、村長がわずかに目を丸くする。
温泉で完全にリフレッシュした私の目には、この村を絶対に再建してみせるという、プロジェクトマネージャーとしての鋭い光が宿っていた。




