第75話:一人前のKPT
王都を出発して数時間。
馬車の車輪が石畳から土の街道へと変わり、ガタゴトというリズミカルで心地よい揺れが足元に伝わってくる。窓の外には春の暖かな日差しが降り注ぎ、新緑の草花と湿った土の香りが風に乗って鼻腔をくすぐっていた。
「わあ、アオイさん見てください! あんなところに綺麗な花が咲いてますよ!」
「ほんとだ! 王都の近くじゃ見ない種類だねぇ。すっかり春だねっ」
「……ふぁあ。揺れがちょうどよくて眠気を誘いやがる」
荷馬車の荷台で、フィナさんとリナさんが窓の外を指差してはしゃぎ、ギルさんが丸くなって大あくびをしている。
まるで完全に「春のピクニック旅行」のテンションだ。
しかし、私はただ景色を眺めて時間を潰すような限界事務員ではない。
「はい、皆さん! 景色を楽しむのはお昼休憩にして、こちらに注目してください。これより、テルマ村再建プロジェクトの『キックオフ・ミーティング』を始めます!」
私は荷台の壁に大きな羊皮紙を張り出し、持参したインクペンでササッと図を書き込んだ。
皆が不思議そうな顔で注目する中、私は咳払いをして説明を始める。
「これから私たちが向かうテルマ村について、事前に王城の資料から集めた情報をもとに『SWOT分析』を行いました。これは現状を把握するための基本的なビジネスフレームワークです」
「すわ……??」
私は羊皮紙に書かれた四つの項目を順番に指差した。
「まず『S(Strength=強み)』。これは、王族も認める極上の泉質と、特産品の薬草が採れるという点です。次に『W(Weakness=弱み)』。施設の老朽化が進んでおり、村人の高齢化で活気がないこと。そして『O(Opportunity=機会)』。今回は王城からの特命であるため、予算や行政の強力なバックアップが期待できます」
「なるほど……強みと弱み、そしてチャンスですね」とフィナさんが真剣に頷く。
「ええ。そして最後の『T(Threat=脅威)』。ここが一番の問題です。近年、街道に魔物が増加したため、安全なアクセスが確保できないことです。いくら良い温泉があっても、命がけでなければ辿り着けない場所には、観光客は絶対に呼べません」
私はペンを置き、皆の顔を見回した。
「つまり、私たちが最初に着手すべき最大のネックは、この『アクセス面の脅威』をどう排除するか――」
――ヒヒーンッ!!
私が説明の核心に入ろうとした、まさにその時だった。
馬車が急ブレーキをかけ、ガタンッ!と激しく揺れて停止した。
私はバランスを崩して危うく転びそうになり、リナさんとフィナさんが慌てて私を支えてくれた。
「な、何事ですか!?」
「前方に魔物です! フォレストウルフの群れ、数は五! こっちに向かってきます!」
御者台の横で警戒に当たっていた斥候のカイト君が、鋭い声で報告してきた。
窓から覗くと、街道の先から凶暴な牙を剥き出しにした狼型の魔物が土煙を上げて猛スピードでこちらへ迫ってくるのが見えた。
分析通りの『脅威(T)』が、いきなり現実のものとして立ちはだかったのだ。
「私がいこっか?」
リナさんが長剣の柄に手をかけて立ち上がろうとした。
だが、それより早く馬車の外で声が響いた。
「いや、リナさんは下がっていてください。ここは俺たちにやらせてください!」
リーダーのレオ君が、燃えるような赤い髪を揺らして剣を抜き、前に出たのだ。
カイト君が短剣を構え、後方ではミャーちゃんが大きな杖を握りしめている。
その彼らの姿を見た瞬間、私の脳裏に数ヶ月前の彼らのポンコツぶりがフラッシュバックした。
地図も持たず、回復薬の確認もせず、斥候は勝手に突っ走りリーダーは後衛を放置して追いかける……
あの時の、純度百パーセントのポンコツ営業タイプだった彼らの姿が。
(ああっ、ダメです! 五匹も相手にするなんて、まだまだ経験の浅い彼らには荷が重いのでは!? こういう時は私が! レオ君は右から四十五度の角度で敵を引きつけ、カイト君は左から回り込んで三秒待機、ミャーちゃんは炎の魔法を詠唱時間ぴったり五秒で撃ち込みなさい! 一歩でも私の指示から外れたら減俸ですよ!!)
私は前世の『部下を信用できない嫌な上司』の癖を全開にして、彼らの行動を一つから十までガチガチに管理しようと口を大きく開いた。
――しかし。
私が大声で細かい指示を飛ばそうとしたり、スキル『反復拒否』が私の過干渉を察知して恥ずかしいポーズで強制停止させたりする。
その隙すらも、彼らは与えてくれなかった。
「敵は散開! 右から三、左から二だ!」
カイト君が、身軽に馬車の屋根に飛び乗りながら、敵の正確な位置と数を大声で『連絡』する。
「魔力充填完了! いつでも撃てます!」
ミャーちゃんが、かつてのように焦ってパニックになることもなく、落ち着いた声で詠唱の完了を『報告』する。
「よし! 俺が右の三匹を抑える! カイトは左の二匹の足を止めろ! ミャー、俺たちの間に魔法を撃ち込め!」
リーダーのレオ君が、仲間の情報を即座に統合し迷いのない声で『相談』に基づいた的確な指示を出す。
「了解!」
「いくよっ、『炎の巡りよ、赤き矢となれ』!」
三人は、私が口を挟む間もなく、見事な連携で動き出した。
カイト君が投げたナイフが左の二匹の足を正確に射抜き、動きを止める。
その隙にレオ君が右の三匹の前に躍り出て、盾と剣で完全にヘイト(注意)を引きつける。
そして、二人の間にできた完璧な空間に、ミャーちゃんの放った炎の矢が寸分の狂いもなく叩き込まれた。
ドゴォォォンッ!!
爆発音と共に炎が舞い上がり、フォレストウルフたちは悲鳴を上げてその場に倒れ伏した。
戦闘開始から、わずか数十秒の出来事だった。
かつての、行き当たりばったりで組織崩壊を起こしていた彼らの姿は、もうどこにもない。
そこには、互いの役割を完全に理解し情報を共有し合う、プロのチームがあった。
私は、開けたままだった口をそっと閉じ、ホゥッと小さく息を吐き出した。
(……なんて見事なビジネスフローでしょう。私が細かい指示を出して部下の思考を奪う『マイクロマネジメント』をしようとしたのが、恥ずかしくなります。現場の状況を一番分かっているリーダーに、作戦の立案と実行をすべて『権限委譲』する。それが、この状況における一番の正解だったのですね)
私がスキルに止められるまでもなく、自らの出る幕ではないと気づけたのは、彼らがそれだけ立派に成長してくれたからだ。
(それに私は素人。何をしゃあしゃあと指示をしようとしてたんでしょうか)
私は安堵と嬉しさで、自然と頬を緩ませていた。
「すごいすごい! レオ君たち、見違えるように強くなったねぇ!」
「ええ、本当に! 連携が完璧でしたよ!」
リナさんとフィナさんが、親戚のお姉ちゃんのように身を乗り出してパチパチと拍手喝采を送っている。
「ふぅ……残心よし! アオイ教官、討伐完了しました!」
剣を鞘に収め、三人が誇らしげな顔で馬車の窓辺に集まってきた。
「見事でしたよ、皆さん」
私が笑顔で褒めると、レオ君は照れくさそうに鼻の下を擦った。
「ありがとうございます! あ、報告の続きです。今回の『Keep(良かったこと)』はミャーの詠唱速度が上がったことと、カイトの牽制が的確だったこと。『Problem(悪かったこと)』は俺の初動が少し遅れたこと。『Try(次への課題)』は、馬車を守る際の陣形をもっと詰めることです! 以上です!」
息をするように自然にKPT(反省会)までやってのける彼らに、私は思わず目頭が熱くなりそうになった。
私が教えたビジネスの基礎が、彼らの血肉となり、確実に命を守る武器になっている。これほど教官冥利に尽きることはない。
「素晴らしい業務遂行能力と、完璧なPDCAサイクルです。……これなら、村へのアクセスという『脅威(T)』は、完全に払拭できそうですね」
私が羊皮紙の『T』の項目に二重線を引いて消すと、三人は「はいっ!」と元気よく敬礼をした。
「さあ、馬車を出しましょう。ミーティングの続きは、村に着いて、温泉に入ってからです」
「やったー! アオイさんから温泉の許可が出たよ!」
「早く行こうっ! お昼は持ってきたサンドイッチだね!」
リナさんとフィナさんの楽しげな声と、若き剣士たちの頼もしい笑い声が、春の街道に響き渡る。
私はバインダーを優しく閉じ、窓の外を見上げた。
頼もしい仲間たちと共に進む、地方創生プロジェクト。
北の空の向こうで私たちを待っているであろう未知の課題にも、今のこのチームなら、きっと完璧なソリューション(解決策)を提示できるはずだ。
私の胸は、春風のように温かい期待で大きく膨らんでいた。




