第74話:特命・地方創生プロジェクト
昨晩、ダニーおじさんから報酬でいただいた高級肉は、宿屋の女将・マルグリッドさんの手によって絶品の香草焼きと、とろけるようなビーフシチューへと姿を変えた。
その素晴らしいディナーの余韻がほんのりと胃袋に残る、翌朝のアリフィ商会。
私がストーブの上でコトコトと沸かしたお湯で淹れたハーブティーの湯気が、春の柔らかな日差しの中でキラキラと舞っていた。
「はぁ……なんて優雅でホワイトな朝なんでしょうか」
私がマグカップを両手で包み込み、平和を噛み締めていた時だった。
「やあ、朝から寛いでいるところをすまないね」
カラン、とドアベルを鳴らして入ってきたのは、お忍びの私服姿に身を包んだ第一騎士団長のラインハルト様だった。
「ラインハルト様! どうされましたか、こんな朝早くに」
「実は、王城からの『特命』を伝えに来たんだ」
ラインハルト様は真剣な表情で、一枚の豪奢な羊皮紙をカウンターに置いた。
「王国の北の辺境に、『テルマ』という温泉村がある。かつては王族の保養地や薬湯として栄えた名湯なのだが、近年は魔物の増加や導線の悪さからすっかり寂れ、物流も滞ってしまっていてね。国王陛下は、あの村を再び活気ある観光地として再建したいとお考えなのだ」
「温泉村の、再建……ですか」
「ああ。そこで、数々の業務改善を行ってきたアリフィ商会の手腕を見込んで、数ヶ月間の『村おこし特命担当(特命プロジェクトマネージャー)』として、テルマ村の地方創生を任せたいという長期出張の辞令だ」
プ、プロジェクトマネージャー!! 地方創生プロジェクト!!
私は心臓が跳ね上がるのを感じた。
(こ、この私が!? 前世で、地元の秋田県湯沢市の街おこしや温泉地の再建などに密かに憧れ、企画書を妄想したこともある私にとって、これはちょっとした夢の仕事です!)
「やります! ぜひお引き受けします!」
私が即答すると、横で話を聞いていたリナさんとフィナさんがバンザイをして歓声を上げた。
「やったー! 温泉旅行だーっ!」
「美味しい山の幸がたくさん食べられますね! リナちゃん、明日の朝にはすぐ出発しましょう!」
「ちょっと待ってください、お二人とも!」
私は慌てて、ウキウキと踊り出そうとする社員たちを引き止めた。
「これは慰安旅行ではなく、出張ですよ。浮かれすぎないように」
「わかってるよ~」
リナさんが、ぷくっと頬を膨らませて見せる。
その仕草があまりにも可愛らしくて少し絆されそうになったが、私は総務としての鉄仮面を被り直した。
「それに、明日出発なんて絶対にダメです! 現在抱えている王都での定期案件はどうするんですか! 商業ギルドへの休業申請は!? お得意様への根回し(ステークホルダー・マネジメント)もせずに数ヶ月も店を空けたら、商会の信用が失墜して倒産します!」
「うっ……冒険者なら、依頼を受けたらすぐ出発するのが普通なんだけど……」
ファンタジーの常識は、ビジネスの非常識である。
信用第一の商売において、無断で長期不在にするなど言語道断だ。
「と、とはいえ、数ヶ月も事務所を空けるとなると、突然の依頼にどう対応するか……そうです!」
私はポンッと手を打った。
「入り口に魔法の『自動音声案内(IVR)』を設置します! ギルさん、声を録音してください。『果物の運搬のご用件は1を、魔物討伐は2を……』と、100パターンほど用意して、顧客には魔法陣をタッチして要件を登録させ、後日対応するようにしましょう!」
我ながら、前世の無人オフィスのシステムを魔法で完璧に再現する素晴らしいアイデアだ。
私が胸を張って魔法陣を描こうとした――その瞬間だった。
背筋に悪寒が走り、体が不自然に跳ねた。
スキル『反復拒否』の強制発動だ。
(えっ!?)
私の意思を無視して、体は勝手に左手を耳の横に添え、見えないインカム(マイク)を頭に装着する仕草をした。そして、無機質なロボットのような顔と声で、
「お電話、ありがとうございます。大変、混み合っております。そのまま、お待ちになるか……もう一度、最初からお聞きください……」
と、緊急事態の顧客を絶望のループに叩き落とす、たらい回し全開の『使えないコールセンターのポーズ』を取ろうとし始めたのだ。
(いやあああああっ! 顧客をイライラさせるだけの自動音声案内なんて! 長いガイダンスを聞かされた挙句に「最初からお聞きください」はブチギレ案件です!!)
私は筋肉痛で悲鳴を上げる腹筋と背筋をフル稼働させ、見えないインカムを外すように腕を強引に引き下ろした。
ゼェゼェと息を切らす私を見て、ラインハルト様が目を丸くしている。
「あ、アオイ殿……? 突然ロボットのような喋り方になって、どうしたんだ?」
「……い、いえ。なんでもありません。(神様、筋肉痛の時にこの仕打ち、今度もし会ったら絶対に後でクレームを入れます!)」
私は乱れた息を整え、咳払いをした。
「……機械や魔法に丸投げするのではなく、血の通った『人間のネットワーク』に頼るべきですね」
*
それからの二日間、私たちは完璧な引き継ぎ(ハンドオーバー)のために王都を駆け回った。
まずは手分けして業務の引き継ぎ。
ハンスさんの果物の運搬や、ボルクさんのパン屋の手伝いなど、王都内での軽作業や定期パトロールは、付き合いのある冒険者たちに外注することにした。
さらに、イリスさんやお得意様を回り、「数ヶ月不在にしますが、代わりの者は手配済みです」と挨拶回りを徹底した。
そして最後は行政手続きだ。
商業ギルドへ出向き、税金の控除や商会のライセンスを維持するための「一時長期遠征届」の書類を、一枚の不備もなく完璧に提出した。
「よしっ! これで『立つ鳥跡を濁さず』、完璧な出張準備が完了しました!」
事務所の扉に、休業期間と緊急連絡先を記した丁寧な張り紙を貼り終え、私は満足げに頷いた。
*
そして迎えた、出発の朝。
王都の門の前には、テルマ村へ向かうための立派な荷馬車が用意されていた。
馬車の木の匂いと、春の清々しい風の香りが鼻腔をくすぐる。
「アオイ教官! 護衛の任務、お任せください!」
「出発前チェックリスト、すべて完了しています!」
「KPTの共有シートも、バッチリ用意してきましたぁ」
馬車の前でビシッと敬礼をしてくれたのは、護衛として手配された冒険者パーティ『若葉の剣』の三人
――リーダーで剣士のレオ君、斥候のカイト君、魔法使いのミャーちゃんだった。
かつては地図も持たず、回復薬も確認せずに森へ突っ込もうとしていた「ポンコツ営業タイプ」の彼らだったが、私が叩き込んだ『ホーレンソウ』と『準備』の重要性をしっかりと実践し、数ヶ月で見違えるほど成長していた。
引き締まった顔つきと、使い込まれた装備。
今では彼らも、立派な一人前の個人事業主(冒険者)のオーラを放っている。
ちなみに今回の護衛は、王城からギルドへ直接依頼がいっているため、当商会としては無償の最高の戦力だ。
「頼もしいですね。長旅になりますが、よろしくお願いします」
私が微笑んで頷くと、三人は「はいっ!」と元気よく返事をした。
「早く早くー! 温泉が私たちを待ってるよー!」
「アオイさん、乗り心地のいいクッションを敷いておきました!」
荷馬車の荷台では、リナとフィナがなぜか水着のような湯浴み着や、浮き輪のような丸いクッションを抱えて、完全に「リゾートへの慰安旅行」のテンションでウキウキとはしゃいでいた。ギルさんも呆れた顔で丸くなっている。
一方の私は、真新しい分厚いバインダーを小脇にしっかりと抱えていた。
中には、テルマ村の現状に関する『SWOT分析(強み・弱みの分析)』のシートや、再建に向けた数ヶ月分の『ガントチャート(工程表)』がぎっしりと挟まっている。
「……言っておきますが、あくまで『出張』ですからね。温泉に入るのは、業務時間外(定時後)だけですよ!」
(ふふふふ、温泉かあ。楽しみですねえ~)
私が内心を押し殺しキリッとした限界事務員の顔で念を押すと、リナさんとフィナさん、そして若葉の剣の面々までが「あはははっ」と楽しそうに笑った。
それぞれの期待と、旅行とビジネスのギャップを乗せて。
アリフィ商会の一同を乗せた馬車は、新たな舞台である北の温泉村『テルマ』の地方創生プロジェクトへ向けて、元気な蹄の音を響かせながら王都を出発したのだった。




