第72話:改めて仲間
冬の刺すような冷気が和らぎ、王都の空気にふわりと春の気配が混じり始めた頃。
アリフィ商会の事務所は、いつもと少し違う朝を迎えていた。
「おはよぉ……ごじゃいます……」
カラン、と力なくドアベルを鳴らして入ってきたリナさんの姿を見て、私はペンを持った手をピタリと止めた。
いつもなら「アオイ、おはよーっ!」と元気よく飛び込んでくるはずの彼女が、今日は足取りがフラフラで、焦点が定まっていない。
さらによく見ると、頬が林檎のように真っ赤に染まり、ハァハァと荒い息を吐いていたのだ。
「リナさん!? どうしたんですか、その顔!」
「リナさん、おでこ見せて!」
私より早く異変に気づいたフィナさんが駆け寄り、リナさんのおでこに自分のそれをピタリと合わせた。
「だ、ダメです! すごい熱です! これは季節の変わり目の春風邪か、今までの激務の疲れが出た知恵熱ですよ!」
「えへへ……なんだか、頭がぐーるぐるするよぉ……ポーション、飲めば治る、かな……」
「ダメです! 治癒魔法やポーションは外傷には効きますが、病気や疲労で『自然の巡り』が乱れている時に無理やり魔力を流し込んでも、体に余計な負担がかかるだけです!」
フィナさんにきつく叱られ、リナさんは「うぅ……」と小さくなってしまった。
アパートまで一人で帰らせるのは危険だと判断した私は、すぐさま事務所の奥にある休憩スペースのベッドにリナさんを運んで寝かせた。
「有給休暇(病休)は労働者の正当な権利です! 今日は絶対に安静にしてください」
私が毛布を首元までしっかり掛けてあげると、リナさんは布団の中から潤んだ瞳で私を見上げた。
そして、私のブラウスの袖口をキュッと弱々しい力で掴んだのだ。
「アオイ……ごめぇん……。私、迷惑、かけてるね……アオイの匂い、落ち着く……」
「「っっ!!」」
(か、可愛い……!! 普段は元気ハツラツで勇敢な剣士様が、熱を出した途端にこんな小動物みたいにふにゃふにゃになって甘えてくるなんて……ギャップ萌えの破壊力が高すぎます!)
私とフィナさんは顔を見合わせ、二人同時に爆発しそうな母性を必死に抑え込んだ。
「迷惑だなんてとんでもない。リナさんはいつも最前線で頑張ってくれているんですから、ゆっくり休んでくださいね」
冷たい水で絞ったタオルをおでこに乗せてあげると、リナさんは「えへへ……」と幸せそうに微笑んで目を閉じた。
*
リナさんがすやすやと寝息を立て始めた頃。
バンッ!と事務所の扉が勢いよく開かれ、果物屋のハンスさんが血相を変えて駆け込んできた。
「アオイちゃん! 大変だ、助けてくれ!」
「ハンスさん? どうしたんですか、そんなに慌てて」
「南の交易都市から、春の特産品『サン・マンゴー』が届いたんだが、運んでいる途中で荷車の車軸が折れちまったんだ! 何十個もある重い木箱を店まで運ばねえといけねえ。鮮度が命だから今日中に店に並べねえと、全部腐って廃棄になっちまう! 報酬は弾むから、リナちゃんの力を貸してくれ!」
私はハッと息を呑んだ。
重い木箱を数十個も運ぶ……それは、いつもならリナさんが持ち前の筋力と体力で「任せて!」と軽々とこなしてしまう『完全なる力仕事(前衛のタスク)』だ。
しかし、今はそのリナさんがベッドで寝込んでいる。私とフィナさん(後衛の事務員と治癒士)の細腕では、巨大な木箱を一つ持ち上げるのすら一苦労だろう。
「ハンスさん……実は今日、リナさんは熱を出して休んでいるんです」
「そ、そうか!? それは仕方ないか…けど…っ!」
頭を抱えて絶望するハンスさんを見て、私の心に前世の『限界事務員』としての社畜精神が燃え上がった。
(ハンスさんを見捨てるわけにはいきません! 前世では、誰かが急病で欠勤した時、残された社員が『気合い』と『根性』で二倍働いてカバーするのが社会人の常識でした! リナさんがいないなら、私が気合いで全部の木箱を運びます!!それにここは私の会社!可愛い社員が体調を崩したなら、私がそれをカバーするのみ!!!)
「お任せください、ハンスさん! 私がすべてを運びます! よぉし、気合いと根性です!!」
私が腕まくりをして鼻息を荒くした、その瞬間だった。
――ピクリ、と私の体が不自然に跳ね、スキル『反復拒否』が強制発動した。
(あっ!? しまった!)
私の意思に反して、体は勝手に両腕を曲げてグッと力こぶを作り、筋肉を見せつけるような『フロント・ダブル・バイセップス』という見事なマッスルポーズを取り始めたのだ。
そして、口が勝手に開く。
「筋肉は! すべてを解決――」
「んんんぎぃぃぃっ!!」
(いやあああああっ!! 限界事務員が力こぶを作ってマッスルポーズなんて恥ずかしすぎますし、そもそも『気合いでカバーする』なんて発想はブラック企業の過労死ロジックです!!)
私は顔を真っ赤にしながら、自らの腕の筋肉を必死にねじ伏せポーズが完成する前に強引にキャンセルした。ゼェゼェと息を切らす私を見て、ハンスさんとフィナさんがギョッとしている。
(特定の人間にしかできない業務がある状態、それはビジネスにおける『キーマン・リスク(属人化)』です。リナさんがいなければ業務が回らない組織は、会社として脆弱すぎます!)
私は乱れた息を整え、大きく深呼吸をした。
(物理的な筋力がないのなら、気合いではなく『知恵』で解決するしかありません!)
「フィナさん、相談があります。あなたの治癒魔法を応用して、一時的に私の血流を促進し、筋力を引き上げる『身体強化』をかけることはできますか?」
「えっ!? はい、長時間は無理ですが、自然の巡りを少し早めるくらいなら……!」
「完璧です! 行きましょう、ハンスさん!」
*
王都の大通り。
車軸の折れた荷車の前には、果実がぎっしり詰まった重そうな木箱が山積みになっていた。
私は木箱の前に立つと、生活魔法である「風」を木箱の底面に向かって薄く、そして均等に吹き付けた。
「風の巡りよ、底を滑れ!」
シューッ、という音と共に、木箱がほんの数ミリだけ地面から浮き上がる。
前世のホバークラフトと同じ、摩擦係数を極限までゼロに近づける仕組みだ。
「フィナさん、今です!」
「はいっ! 『巡りよ、活力を与えよ!』」
フィナさんの温かい光が私の体を包み込み、全身の血流がドクンと早まった。
一時的な筋力アップ状態だ。
「ふんっ!」
私が摩擦のなくなった木箱を両手で押し出すと、ズズズッ……と、私一人の力でも重い木箱がスムーズに前へ進み始めた。
「おおおっ! ! アオイちゃん、力持ちだ!」
「気合いではなく、物理法則と魔法の応用ですよ!」
「そうか、それくらいなら俺達でもなんとかなりそうか」
私は風の魔法で摩擦を消し、フィナさんのバフで押し進めるという、二人三脚の運搬フローを構築した。
魔法は万能ではないが、自然の巡り(風と血流)を組み合わせれば、足りない筋力を補うシステムは作れるのだ。
私たちは汗だくになりながら、ハンスさんの店と大通りを何度も往復した。
*
「はぁ……はぁ……終わっ、たぁ……」
夕暮れ時。すべての木箱を運び終えた私とフィナさんは、ハンスさんの店の前で座り込んでいた。
なんとか鮮度を保ったまま納品できたものの、全身の筋肉は悲鳴を上げ、魔力も底を尽きかけている。
「いつもなら、リナさんがこれを数十分で、しかも魔法なしで平気な顔で終わらせていたんですね……」
「リナさん、本当にすごい前衛だったんですね……」
私とフィナさんは、お互いの疲れ切った顔を見て苦笑いした。
(異世界に来たばかりの頃は、何でも一人でやっていました。でも、今は違います。リナさんがいて、フィナさんがいて、ギルさんがいて。それぞれが自分の役割(強み)を担ってくれているからこそ、このアリフィ商会は回っているんだと、身に染みて痛感しました)
ハンスさんからたっぷりの報酬と、お礼のサン・マンゴーを受け取り、私たちは重い足取りで事務所へと帰った。
「ただいま戻りました……」
事務所に入り、休憩スペースを覗き込むと熱が少し下がったリナさんがベッドの上で身を起こしていた。
「アオイ……フィナ……」
リナさんは私たちを見ると、ぽろぽろと大粒の涙をこぼした。
「どこ行ってたのぉ……寂しかったぁ……。目が覚めたら誰もいなくて……手、握っててほしかったのに……」
完全に熱のせいで甘えん坊モードが継続中の剣士様に、私とフィナさんの疲れは一瞬で吹き飛んだ。
「ごめんなさい、リナさん! ちょっとお仕事に行ってました!」
「もうどこにも行きませんよ。さあ、手を握りますからね」
私はベッドの脇に座り、リナさんの熱い手を両手で優しく包み込んだ。
「えへへ……アオイの手、冷たくて気持ちいい……。私、早く治して、またいっぱい働くからね……」
「ええ、ゆっくり休んでください。あなたは私たちの、かけがえのない大切な仲間ですからね」
春の甘い風が窓の隙間から吹き込む中。
私はスースーと再び寝息を立て始めたリナさんの手を握りながら、仲間というチームの絆の温かさを、静かに、そして深く噛み締めていた。




