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魔女のバインダー  作者: 水色蛍
限界事務員、異世界ホワイト起業編
7/100

第7話:なんでも屋の採用面接

 深い森の木漏れ日の下、私は冷たい小川の水を手ですくい、泥で汚れた頬をバシャバシャと洗った。


「ひゃっ……! 冷たっ、でも気持ちいい……!」


 雪解け水のようなキリッとした冷たさが、緊張と疲労で火照った肌を引き締めてくれる。

 水面にそっと生活魔法の『清浄化』をかけると、ぽこっ、ぽこっと水の中から透明なスライムのような「小さな水の精霊」たちが現れ、泥や埃を嬉しそうに食べて、シャボン玉のようにフワフワと弾けて消えていった。


 なんというファンタジー。なんという癒し。

 前世のオフィスの給湯室に、この子たちを百匹くらい放ちたかった。


「アオイ、お疲れ様! ほんとにほんとにありがとう!」


 隣で同じように顔を洗い、キラキラとした笑顔を向けてくるのは、剣士のリナさんだ。

 私の『足場の指示』という環境整備のサポートを受け、彼女はあの後、残りの四匹の風抜けイタチを見事な剣筋で討伐してのけた。


「い、いえ。私は安全な場所から『そこ踏んで!』って叫んでただけですから……」

「それがすごいんだってば! アオイのおかげで、一回も空振りしなかったんだよ!」


 リナさんが私の両手をギュッと握りしめる。

 その温かい手と、純粋な感謝の言葉に、私は思わずジワリと涙ぐんでしまった。

 内心の私は、感動のあまり膝から崩れ落ちて号泣するちびキャラと化していた。

 前世のブラック労働で染み付いたトラウマのせいで、この世界の「当たり前の優しさ」に触れるたび、情緒が限界突破しそうになる。


 ともあれ、私たちは「泥だらけになって仕事をやり遂げた」という心地よい達成感を胸に、王都へと帰還したのだった。


 *


 王都の中央にある『総合依頼受付所』は、冒険者や商人たちで賑わっていた。

 木造の広いフロアには、依頼の紙が貼られた大きな掲示板があり、窓口には受付の職員……ではなく、真鍮でできた大きなカエルのような魔導具が鎮座している。


『討伐証明のシッポ、確認完了! 依頼達成、お疲れ様でした! 報酬は銀貨十枚』


 リナさんが提出した袋を飲み込んだカエル型ポストが、ガチャンッという音と共に銀貨を吐き出した。

 異世界ならではの不思議で可愛い魔導具に、私はちょっとテンションが上がる。


「やったぁ! これで農家のおじさんたちも安心だね!」


 リナさんがホクホク顔で銀貨を受け取ろうとした、その時だった。


「おっ、リナじゃねえか。なんだ、今回は一丁前に依頼を達成できたのか?」


 背後から、ひどく耳障りな、嘲笑を含んだだみ声が降ってきた。

 振り返ると、そこに立っていたのは、革鎧を着た大柄な男と、その後ろでニヤニヤと笑う二人の冒険者だった。


「あ……ガストン、先輩……」


 リナさんの肩が、ビクッと跳ねた。さっきまでの元気な笑顔が嘘のように消え、俯いてしまう。


「どうせまた空振りして、魔物を逃がしかけたりしてないよな? お前みたいな不器用な奴は、どこに行っても誰かがケツを拭かないといけなくなるんだよ」


 ガストンと呼ばれた男は、リナさんの手から無造作に銀貨の袋を奪い取った。


「あ、返して……!」


「はあ? お前、俺たちのパーティに所属してる名義でこの依頼を受けただろ。それにその様子。「何でも屋」になんか協力してもらったな?なら、上前をはねるのは当然の権利だ。どうせお前一人じゃ何もできないんだから、感謝しろよ」


 なんという理不尽。完全な搾取だ。

 怒っていい場面なのに、リナさんは反論できず、ギュッと唇を噛み締めて、悲しそうな愛想笑いを浮かべた。


「……すみません。私、いっつも失敗して、迷惑ばっかりかけてるから……」


 その諦めたような笑みを見た瞬間。視界が揺れた。

 私の脳裏に、真っ暗なオフィスの光景がフラッシュバックした。


『またお前の確認不足か。何度同じミスをすれば気が済むんだ』

『すみません、すみません……』


 システムが悪いのに。誰も環境を直してくれないのに。


 ただ「お前が不器用だからだ」と責められ続け、自分がダメなんだと自己暗示をかけ、静かにすり減っていったあの頃の私。


 今、目の前で理不尽に搾取されているリナさんの姿が、かつての私と完全に重なった。


(……許せない)


 胸の奥で、ドクン、と熱いものが跳ねた。

 でも、私はしがない元事務員だ。あんなガタイのいい男たちに凄まれたら、怖くて足がすくむ。

 無難にやり過ごそう、関わらないでおこう。

 そう思って、反射的に一歩後ろへ下がろうとした――その瞬間だった。


 ピタッ、と。

 私の体が、硬直した。


「……え?」


 そのまま、私の意志とは無関係に、右足が勝手にズンッ! と前へ踏み出した。

 さらに両手が腰に当てられ、顎をツンと反らせた謎の偉そうな仁王立ちポーズを取らされてしまう。


(あっ!? ちょ、体が勝手に変な動きを!? なんでこんな偉そうなポーズに!?)


 パニックになる頭で、私は悟った。

 スキル『反復拒否(リフューザル)』が発動したのだ。


 この理不尽な環境下で、「怯えて逃げる(泣き寝入りする)」という選択肢を、スキルが『前世と同じ最大の失敗ルート』と判定し、強制的に排除したらしい。


「なんだお前、文句あんのか?」


 ガストンが不機嫌そうに私を見下ろしてくる。

 ポーズは偉そうだが、私の膝はガクガクと震え、目には涙が浮かんでいた。

 怖すぎる。でも、体は逃げさせてくれない。

 なら、やるしかない。


「あ、ありますっ……!」


 私は震える裏声で、しかしハッキリと叫んだ。


「そ、その依頼書に基づく報酬の帰属権は、実行者の実働成果に依存します! ギルドの契約約款によれば、現場での貢献度がゼロの人間が報酬の過半数を徴収する行為は、明確な『不当搾取』であり、規約違反でしゅ……です!」


「はぁ!?」


 異世界に似つかわしくない、前世の法務・労務知識をベースにした怒涛の「事務的正論」のマシンガントーク。


「だ、大体! リナさんの剣が空振りするのは、彼女が不器用だからじゃありません! 前衛の足場を確認し、環境を整えるのはパーティの連携として当然の義務! それを怠って『お前のせいだ』と責任を押し付けるなんて、マネジメントの放棄です! 上司失格です!」


「な、なんだこいつ……早口でわけのわかんねえこと喚きやがって……!」


「規約違反として窓口の職員さんに正式に異議申し立てを行います! 監査が入れば、あなた方のパーティの信用問題に関わりますよ! さあ、その銀貨を全額返しなさい!」


 涙目で、プルプル震えながら、けれど一歩も引かずにビシィッ! と指を突きつける私。(※スキルによって体は固定されている)。


 その異様な気迫と、聞いたこともない専門用語の羅列に、ガストンたちは完全に気圧されたようだった。


「チッ、頭のおかしい奴に関わってられるか! ほらよ!」


 ガストンは忌々しげに銀貨の袋をリナさんに押し付けると、逃げるように受付所から出ていった。


 *


「……アオイ、すごい……」


 ガストンたちが去った後、私はようやくスキルの拘束から解放され、その場にへにょりと座り込んでいた。


 思えば前世も含めて人生で誰かに啖呵を切ったのは初めてだった。


 涙ぐんでへこたれる私に、リナさんがしゃがみ込み、尊敬の眼差しを向けてくる。


「あんなに震えてたのに、私のためにあんなに怒ってくれて……私、アオイのこと、一生大事にする!」

「プロポーズみたいなこと言わないでくださいよ……」


 私たちは銀貨を分け合い、私の『なんでも屋』の事務所へと帰ってきた。


 窓を開けて風を入れ、生活魔法でハーブティーを淹れる。

 魔石にぽんと触れると、「パチパチッ」と嬉しそうに踊るようにお湯を沸かしてくれた。


 立ち昇るカモミールの香りに、ようやく私の心臓のバクバクも治まってきた。


「リナさん」


 温かいティーカップを両手で包みながら、私は彼女のまっすぐな目を見て告げた。


「あなたの剣は完璧です。足場さえ整えれば、絶対に失敗しない」

「……うん」

「だから。もし行く当てがないなら――私の『なんでも屋』の、専属アシスタントになりませんか?」


 リナさんが、ハッと息を呑む。


「力仕事や剣を振るうのは、リナさんにお願いします。その代わり、あなたが躓かないように、足元の確認と環境の整備は、私が全部引き受けますから。もちろん事務作業もね」


 前世で理不尽な環境に殺された私が、今世では「環境を直す側」になる。

 そして、過去の自分に似た境遇で苦しんでいたこの子を、絶対に独りにはしない。


「アオイ……っ」


 リナさんの大きな瞳から、ポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちた。


「やるっ! 私、アオイのアシスタントになる! アオイの足元も、私が剣で守るから!」


 彼女はソファから飛び起き、私の手を力強く握りしめた。

 これで、正式にバディ成立だ。凸凹だけど、互いの弱点を補い合える最高のコンビになれる気がする。


 感動的な空気に包まれる事務所。

 私も胸がいっぱいになり、カッコよく先輩らしくビシッと締めようと口を開いた。


「よ、よし! じゃあ、初出勤記念ということで……。早速なんだけど、この経費精算の領収書の裏に、承認のサインとハンコを押してもらってもいいでしゅか?」

「えっ?」

「あっ、やだ、噛んだ。しかも異世界にハンコなんてないのに……恥ずかしい、今のは忘れてくださいぃぃ!」


 窓の外からは、穏やかな王都の風と、パン屋の香ばしい匂いが流れてくる。

 失敗できない異世界生活は、どうやらますます騒がしく、愛おしいものになっていきそうだった。

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