第69話:誇りの共有
アリフィ商会の事務所は、今日も平和で穏やかな空気に包まれていた。
ストーブの上で沸くお湯のコトコトという音と、窓の隙間から入り込む冬の終わりの冷たくも清々しい風。
インクの匂いのする帳簿にペンを走らせながら、私はふうっと一息ついた。
「アオイさん、お茶が入りましたよ。今日はミントとカモミールのブレンドです」
「ありがとうございます、フィナさん。リナさんも、剣の手入れお疲れ様です」
「うんっ! いつでも出動できるよ!」
そんな穏やかな会話を交わしていた時、カランカラン、とドアベルが鳴った。
「いらっしゃいませ、アリフィ商会へようこそ」
私が笑顔で立ち上がると、そこに入ってきたのは、見慣れない一人の女性だった。
いや、正確には『人間の女性』ではない。
ピンと立った三角の耳、しなやかな長い尻尾。
そして、顔立ちには猫特有の愛らしさと鋭さが同居している。
二本足で歩く、猫の獣人の女性だった。
「あんたが、ここの代表のアオイか?」
彼女は警戒するように少しだけ耳を伏せながら、ハスキーでよく通る声で尋ねてきた。
「はい、私が代表のアオイです。こちらは社員のリナとフィナ、そして足元にいるのが……」
「ギルだ。よろしくな」
「うおっ!? 喋るのか、この小狐!」
ギルさんの渋い低音ボイスに、猫の獣人の女性は尻尾の毛をボワッと逆立てて驚いた。獣人が幻獣がしゃべることに驚くという光景は面白い。
「ええと……知人の獣人から紹介されて来たんだ。私はカグラっていう」
カグラさんは落ち着きを取り戻すと、少し申し訳なさそうに視線を落とした。
「仕事を探しているんだ。だけど、どうにもピンとこなくてな……。ギルドで紹介されるのは、単調な荷運びか、危ない魔物討伐ばかりだ。私は、女性でも腕があればしっかり稼げて、誇りを持てるような仕事がしたいんだ。だけど、どこに相談すればいいか分からなくて……あの、なんでも屋なら、仕事の紹介みたいなこともやってるか?」
彼女の言葉に、私はピンと来た。
無駄のないしなやかな筋肉、軽やかな足取り。
そして、手先を器用に動かす仕草。
(女性でも腕一本で稼げて、誇りを持てる仕事……しかも、その身軽さと手先の器用さを活かせる場所……!)
「カグラさん。うちで直接雇用することはできませんが、あなたの希望にぴったり合う、最高の『就職先』を知っていますよ」
私はにっこりと微笑んだ。
今、王都で伸び盛りの、そして最も誇り高い仕事をしている『ひとり親方』の顔が、私の脳裏に浮かんでいた。
*
私たちはカグラさんを連れて、王都の職人街にある『ヴァルキュリア工房』を訪ねた。
房の中は、切り出されたばかりの新しい木の香りと、カンナ掛けの小気味良い音が響き渡っていた。
「……はあ!? 面接!?」
木屑まみれの作業着姿のイリスさんは、私の話を聞くなり持っていたカンナを落としそうになった。
「ああ、腕のいい手伝いが欲しいとはずっと言ってたさ! ありがたい話に防衛戦のあとの修繕依頼が山積みで、あたし一人じゃ到底回しきれねえからな! だが……あたしは親父の背中を見て育っただけで、他人に仕事を教えたことも、ましてや雇ったこともねえんだぞ! メンセツって、何をどうすりゃいいんだ!?」
端正な顔をしかめて、イリスさんが頭を抱える。
一人で工房を切り盛りしてきた凄腕の職人ゆえの悩みだ。
他人に自分の仕事をどう評価し、どう受け入れればいいのか分からないのだろう。
「ご心配なく、イリスさん」
私は胸を張って一歩前に出た。
「私が『人事担当』として面接に同席し、お二人の間を完璧に取り持ちましょう。当商会のコンサルティング業務の一環です!」
こうして、急遽イリスさんの工房の片隅に小さな木の机が用意され、イリスさんと私、そしてカグラさんが向かい合って座る『採用面接』がスタートした。
「ええと……私はカグラだ。身軽さには自信がある! やる気と体力も誰にも負けない! だから、何でもいいから仕事をさせてくれ!」
カグラさんが、猫の耳をピンと立てて元気よくアピールした。
そのひたむきな言葉を聞いた瞬間、私の脳内で前世の『ブラック企業の人事担当(常に人手不足で火の車)』としての悪い癖が、ムクムクと顔を出し始めた。
(おおっ、なんて素晴らしいガッツ! 常に人手不足の現場では、こういう「体力とやる気でなんとかします」という若者が一番ありがたいのです! 細かい条件や仕事内容の説明なんて後回しにして、とりあえず明日から現場に放り込んで、親方の背中を見て仕事を覚えさせればいいんですよ!!)
私が「素晴らしい! では即日採用で!」と、前世のブラックなノリで手を叩こうとした、その瞬間だった。
――ピクリ、と。
私の体が不自然に跳ね、スキル『反復拒否』が強制起動した。
(あっ!? しまった、またやってしまった。)
私の意思に反して、体は勝手にガタッ!と椅子を蹴立てて立ち上がった。
そして、イリスさんの大事な仕事机の上にドンッ!と片足を乗せてふんぞり返り、手にしたボールペンで机をバンバン!と叩きながら、カグラさんを見下ろすようにして「で? 君はうちの会社で何ができるの? やる気なんて誰でも言えるんだけど? 圧迫に耐えられないなら、帰っていいよ?」
という、前世の昭和の就職氷河期に存在した『偉そうな圧迫面接官』の、あまりにもウザすぎるポーズとセリフを発動させようとし始めたのだ。
(いやあああああっ!! なにこの絵に描いたようなクソ面接官ムーブ!? 初対面の求職者に対して失礼すぎるし、そもそも私の会社じゃないのに何様ですか!!)
「うわあ、アオイ急に偉そう……」
「アオイさん、顔が真っ赤ですよ!?怒ってるんですか!?」
見学していたリナさんとフィナさんが、ギョッとして駆け寄ってくる。
イリスさんとカグラさんも、完全にポカンとして私を見ていた。
(なぜ失敗ルート? ……もう当然です! お互いの条件や仕事内容のすり合わせもせずに、「とりあえずやる気があるから現場に入れ」と雑に採用するのは、早期離職やミスマッチを生む最大の原因だからです! それは求職者にとっても、受け入れる会社にとっても、不幸な『失敗』にしかなりません!分かっていたのに……!!!)
「……失礼しました。足の筋が攣りかけまして」
私は乱れたスカートの裾を整え、咳払いをして冷静な人事担当の顔(鉄仮面)を被り直した。
「イリスさん。面接とは、相手を一方的に値踏みする場ではありません。お互いの『求める条件』と『提供できる価値』をすり合わせ、対等にマッチングを行う場です。まずは親方であるあなたから、この工房の仕事の『誇り』と『求める役割』を、自分の言葉で伝えてください」
私が促すと、イリスさんはハッとしたように姿勢を正した。
そして、真っ直ぐにカグラさんの目を見つめた。
「……あたしの仕事は、魔法でパパッと家を建てることじゃねえ。魔法で作ったものは、魔力が切れればいつか崩れる。だが、あたしたち大工や石工たちが汗水流して積んだレンガや木組みは、百年先までそこに残る。魔法に頼らない、長く続くものづくり。それがあたしの『職人としての誇り』だ」
イリスさんの声には、確かな熱と重みがあった。
「だからこそ、仕事は厳しいし、危険も伴う。今は特に、屋根の修繕や地下の配管周りの仕事が山積みで人手が足りてない。あたしが求めているのは、ただ荷物を運ぶだけの奴じゃない。この『誇り』を共有し、一緒に百年先のものづくりをしてくれる相棒だ」
イリスさんの言葉を聞いたカグラさんの瞳が、パァァッと輝いた。
彼女の猫の耳がピンと立ち、尻尾が期待に揺れる。
「……百年残る、ものづくり。最高に誇り高い仕事じゃないか!」
カグラさんは身を乗り出した。
「親方! 私は猫の獣人だ。高い屋根の上の作業でも、足場を組まずに身軽に動ける! それに、夜目が利くから、暗い地下の配管作業だって松明なしで正確にこなせるはずだ! 私のこの能力を、あんたの誇り高い仕事に使ってくれ!」
(素晴らしい……!)
私は内心でガッツポーズをした。
イリスさんが提示した『職務記述書(求める役割)』に対し、カグラさんが自身の特性を『どう活かせるか』を見事にプレゼンしたのだ。これぞ完璧なコンピテンシー面接(行動特性のすり合わせ)である。
「なるほど……高い屋根と、暗所での配管作業か。それは確かに、あたしにはない強みだ」
イリスさんは顎に手を当て、真剣な職人の顔で頷いた。
「いいだろう。お前のその覚悟と能力、見込んでやる」
「本当か、親方!」
「ああ。ただし、最初は見習いだ。現場の清掃と、道具を覚えること。手入れから徹底的に仕込むぞ。基礎ができてない奴に、大事な現場は任せられないからな」
イリスさんはそう言って、一枚の紙を取り出した。
「そしてこれが、うちの工房の『労働条件』だ。給料は最初はこれくらいだが、技術が上がれば正当に評価して引き上げる。現状立て込んでいて休みは週に一日。けど落ち着けば二日は約束する。怪我をした時の治療費(労災)は工房で持つ。……これで不満はないか?」
(完璧です! 事前に私がイリスさんにレクチャーしておいた労働条件通知書の提示! これで言った言わないのトラブルも未然に防げます!)
「ああ! 望むところだ、親方! よろしく頼む!」
カグラさんは満面の笑みで、イリスさんが差し出した手を、両手でしっかりと握り返した。
*
「アオイ、今日はありがとうな。まさかあたしが、弟子を持つ日が来るとは思わなかったぜ」
「アオイさん、本当にありがとう! 私、親方の下で立派な職人になってみせるよ!」
工房の入り口で、イリスさんとカグラさんが並んで私たちを見送ってくれた。
二人のやり取りは、すでに長年連れ添った師弟のように息が合っているように見えた。
「どういたしまして。何か労働関係でトラブルがあれば、いつでもアリフィ商会にご相談くださいね」
私はにっこりと笑って一礼した。
帰り道、王都の空は美しい夕焼けに染まっていた。
「アオイ、面接の仲介なんてこともできるんだね! すごいよ!」
「ええ、二人が握手した時、なんだか私まで嬉しくなっちゃいました」
リナさんとフィナさんが、私の両隣で楽しそうに笑う。
前世で私がやっていた採用面接は、ただ欠員を埋めるためのベルトコンベア作業のようなものだった。
けれど、今日の面接は違う。
お互いの誇りと価値をすり合わせ、新しい可能性を生み出す、とても意味のある時間だったのだ。
「さあ、今日も定時退社で帰りましょう! 夕食は久しぶりにフィナさんの特製シチューがいいです!」
「ふふっ、任せてください!」
夕日に照らされた石畳の道を、私たちは軽やかな足取りで歩いていく。
王都にまた一つ、新しい『縁』を紡ぐことができた喜びを噛み締めながら、私は限界事務員としての充実した休日の夜へと向かっていった。




