第67話:ストライキ誘発
開戦から数時間が経過した。
王都の外では相変わらず冷たい雨が降り続いているが、私たちの臨時『補給ハブ』は淀みないカンバン方式によって、兵士たちへポーションと温かいスープを提供し続けている。
「アオイさん、第二陣のポーション在庫、まだ余裕があります!」
「温風エリアも順調に回ってるよ!」
フィナさんとリナさんの頼もしい報告に頷きながら、私はカウンターの奥に設置された大きな『水鏡』をじっと睨みつけていた。
これは、前線からの負傷者の波を事前に予測して在庫を準備するため、魔導具職人のローガンさんに無理を言って急遽設置してもらった『遠見の水鏡』だ。
水鏡の表面には、城壁から見下ろした平原と森の様子――冒険者たちと魔物の軍勢が激突している最前線の映像が、リアルタイムで映し出されている。
(……おかしいですね。いくらなんでも、魔物の数が減らなさすぎます)
モニター越しに戦況(敵の供給ライン)を分析していた私は、ある不自然な点に気づいた。
冒険者たちがいくらゴブリンやガーゴイルを倒しても、森の奥から次々と新しい群れが押し寄せてくるのだ。
ふと、私は水鏡の映像のピントを、森の最奥へとズームさせた。
そこには、一際巨大な影がうごめいていた。
丸太のように太い腕と、鋭い角を持った、見上げるほど巨大なオーガのような魔物だ。
そのオーガは自らは一切前線に出ず、後方でふんぞり返りながらムチのような禍々しい黒い魔法を振るって、足元のゴブリンや空のガーゴイルたちを、無理やり王都の障壁へ向かって突撃させていたのだ。
「……あの大将、最悪だな」
私の足元で、水鏡を見ていた幻獣のギルさんが、鼻をヒクつかせて低く唸った。
「魔物ってのは、そもそも自然の巡りの“よどみ”から生まれるもんだが……下っ端どもは本能で動いてるだけで、それが“善悪”だなんて理性はねえ。だが、あの大将は別だ。人間の支配欲や搾取みたいな、タチの悪いよどみから生まれてやがる。下っ端どもの“疲労”や“絶望”を喰って、自分の魔力に変えてるんだ。だから下っ端どもは、休むことも逃げることもできず、死ぬまで特攻させられてるのさ」
ギルさんの言葉に、私はハッとして、突撃してくるゴブリンたちの顔をよく見た。
彼らの目の下には、遠目からでもわかるほど真っ黒なクマができている。
目は死んだ魚のように濁りきり、肩で息をしながら、ただ盲目的に武器を振り回しているだけだった。
「まあ、それに対して下っ端どもは疑問なんて当然ないわけだが」
(なっ……!!)
その光景を見た瞬間、私の脳裏に強烈なフラッシュバックが起きた。
高熱でフラフラになりながらも「休むな! 売上を上げろ!」と怒鳴る上司にムチ打たれ、サービス残業をさせられていた、前世の『限界事務員だった自分』の姿だ。
あの下っ端魔物たちは……かつての私だ!!
「あいつ……許せません!」
私は立ち上がり、持っていた護身用ロッドをバンッ!とカウンターに叩きつけた。
「ただでさえ冷たい雨でコンディションが最悪なのに、後方から安全圏でムチ打つだけの圧倒的パワハラ! 終わりのないサービス残業の強要! 明らかな労働基準法違反です! 労基に駆け込みますよ!!」
私の限界事務員としての怒りは、一瞬にして沸点に達した。
壁に掛かっていた拡声の魔導具をひっつかみ、あのブラック上司に向かって水鏡越しに大説教をぶちかましてやろうと、事務所の扉を開け放とうとした。使いどころがないと思っていた物だがまさかこんな時に。
――その瞬間。
ピクリ、と私の体が不自然に跳ねスキル『反復拒否』が強制発動した。
(あっ!? なぜここで!?)
私の意思に反して、体は勝手に事務所の入り口で仁王立ちになった。
そして、頭に見えない『ストライキ』のハチマキを固く結ぶ仕草をし、メガホンを口元に構えて「不当労働反対! 搾取を許すな!」とシュプレヒコールを上げる、過激な労働組合の活動家のようなポーズを取らされそうになる。
(いやあああああっ! 剣と魔法のファンタジー防衛戦で、労働組合のストライキポーズは浮きすぎてるしダサすぎる!!)
「んんんぎぃぃぃっ!」
私は顔を真っ赤にして自らの腕をねじ伏せ、必死の思いでポーズをキャンセルした。
「ア、アオイ!? なに怒ってんの!? ていうか、外に出ちゃダメだってば!」
「アオイさん、落ち着いてください! あの魔物に人間の言葉なんて通じませんよ!?」
リナさんとフィナさんが、ドン引きしながらも私の服の裾を必死に引っ張って止める。イリスさんも「おいおい、事務員がパニックになって前線に出てどうすんだ!」とハンマーを構えながら呆れ顔だ。
ハッとして周囲を見ると、補給に来ていた若い兵士たちもポカンと私を見ている。
(なぜ失敗ルート? ……そうです。言葉の通じないブラック企業の上司に、外に出て直接説教をしたところで、聞く耳を持つはずがないからです!)
私は急速に頭を冷やし、大きく深呼吸をした。
(ブラック企業を潰す一番の方法は、ボスを物理的に殴ることじゃありません。『搾取されている社員(下っ端)により良い条件を提示して全員引き抜き、会社組織を機能不全にさせること』です!)
「皆さん、ご心配なく。私は戦いに出たりしませんよ。……社長として、あの子たちを『ヘッドハンティング』するだけです」
「「「ええっ!?」」」
私は拡声の魔導具を口元に構え直した。
魔物に人間の言葉は通じない。
ならば、やり方は一つだ。
「ギルさん! お願いがあります! 私の『風の魔法』に、あなたの幻獣としての『感情の波長』を乗せて、彼らに私の意思を翻訳して届けてください!」
「……相変わらず訳が分からねえが。そういう面白え社長命令なら、乗ってやろうじゃねえか』
ギルさんが、私の足元で誇らしげに胸を張り、深く息を吸い込んだ。
私は生活魔法の「風」を全開にし、事務所から前線に向かって一直線に吹き荒らした。そこに、ギルさんの高く澄んだ遠吠えが重なる。
風と波長が、下っ端魔物たちの濁った脳内に直接『イメージ(求人広告)』として語りかけていく。
「そこの下っ端魔物たち! ブラック上司の下で、使い捨ての歯車として死ぬまで働くのはやめなさい! 今すぐ、うちの拠点に転職しなさい!!」
私の前世の血が騒ぎ、抑えきれない求人のパワーワードが次々と口を突いて出た。
「うちのハブに来れば、過酷な突撃ノルマは一切ありません! 完全週休二日制! 有給休暇取得率百パーセント! 1分単位の支給や、固定残業代(みなし残業)の適切かつ超過分が全額支払いのお約束!!充実した福利厚生をお約束します! 暖かいストーブと、乾いた毛布と、フィナさん特製の美味しい肉入りスープを『ノータイム』で支給します!!」
ウォォォォォーーンッ!!
私の完全な欲のような前世の要項は見事に無視され(理解されていないと思われるが)ギルさんの咆哮が、私の放った言葉を魔物の論理へと見事に翻訳していく。
――
『怖いボスのムチはない!』
『ここで寝れば叩かれない!』
『休んで、温かい肉が食える!』
「理不尽な暴力には今すぐ決別し、安心と安全のホワイト環境を手に入れなさい!!」
その瞬間だった。
死んだような目で突撃を繰り返していた下っ端魔物たちの動きが、ピタリと止まった。
彼らは、後ろで怒鳴り散らしているブラックボスと、温かいスープの匂いが漂う私たちの事務所を交互に見比べた。
カランッ……。
一匹のゴブリンが、手から錆びた剣を落とした。
それを皮切りに、バサバサとガーゴイルたちが着地し、何百匹ものゴブリンたちが一斉に武器を放り投げた。
「ギィッ! ギギギィッ!(ストライキだ! 肉のスープを飲ませろ!)」
「ガッ! ガガィッ!(飯だ!飯さえ食えればそれでいい!!)」
なんと、すべての下っ端魔物が一斉にブラック上司に背を向け、完全なるストライキ(大規模な寝返り)を決行したのだ。
「グォォォォォォッ!?」
搾取する「下っ端の疲労と絶望」が突然供給停止となり、一人ぼっちになったブラックボス(オーガ)は、風船がしぼむように急速に小さく、ひょろひょろに弱体化していった。
その隙を、最前線にいた冒険者たちが見逃すはずがなかった。
「なんだかよく分からねえが……今だ! 叩き潰せえええっ!!」
ガストンさんが大剣を振り下ろす。
「ファ、ファイアボールッ!!」
新米の女の子冒険者が放った初級魔法の火の玉が、弱り切ったオーガの顔面に直撃した。
ドゴォォォンッ!
悲鳴を上げる間もなく、ブラックボスはあっさりと光の粒子となって消滅した。城壁の上で指揮を執っていたラインハルト団長も、敵軍が勝手に崩壊していく謎の光景に、剣を構えたまま完全に呆然と立ち尽くしているのが水鏡に映っていた。
*
防衛戦は、あまりにも唐突に終わりを告げた。
王都を包んでいた緊張感が抜け落ちる中、アリフィ商会の事務所の前には奇妙な光景が広がっていた。
「ギィ……(お腹すいた……)」
「キュルル……(温かい風……)」
武器を捨て、大人しく一列に並ぶ(フォーク並びを遵守する)ゴブリンやガーゴイルたちの姿だ。
「えええええええええ!?」
リナさんとフィナさん、そして補給に来ていた騎士たちは、信じられないものを見る目で絶叫したが、私は至極冷静だった。
「はい、横入りはダメですよ! 順番に配給します! 温風エリアで雨を乾かして! はい、スープを飲んで!」
私は、騎士たちと同じように、並んだ魔物たちにもスープと温風を提供していった。
悪意のよどみ(ブラック上司)からの搾取と労働から解放された彼らは、もう王都を襲う理由を持たない。ただの雨に濡れた腹ペコな動物と同じだ。
「……さあ、スープを飲んだら、森へお帰りなさい」
温かいスープを一気に飲み干し、涙を流し(ているように見え)ながら、魔物たちは私に深々と頭を下げて、ゾロゾロと森へ帰っていった。
「……ふん。まあ、あいつらの根っこは変わらねえ。きっと時間が経てば、また別の淀みに当てられて暴れるだろうさ」
ギルさんが、帰っていく魔物たちの背中を見送って鼻を鳴らした。
「ええ。その時は、冒険者の皆さんにしっかり『物理的なお仕置き』をしてもらう必要がありますね。私は現場には出ませんけど」
私は空っぽになったスープの大鍋を片付けながら、クスッと笑った。
血を流さずに戦局を終わらせた、限界事務員の「ホワイトな引き抜き術」。
騎士団も冒険者も、誰一人として戦場(現場)で何が起きたのか理解できていないカオスな空間の中で。
雨上がりの雲の隙間から差し込んだ優しい新年の光が、最強のバックオフィスである私たちの事務所を、暖かく照らし出していた。




