第66話:ジャストインタイム
ズシン、という腹の底を揺らすような重い衝撃音が、雨の王都に響き渡った。
空を覆う半透明の魔法障壁に、飛行型の魔物――ガーゴイルの群れが次々と激突しているのだ。城壁の上では、ラインハルト団長が第一騎士団を指揮し、絶え間なく迎撃の魔法や弓矢が放たれているのが窓越しに見える。
一方、王都を囲む平原や森からは、ゴブリンを始めとする地上型の魔物が押し寄せているという。冒険者ギルドが各パーティごとに防衛線を構築し、持ち場を守って決死の戦闘を繰り広げているはずだ。
外の冷たい雨の音に混じって、怒号や剣の打ち合う金属音が風に乗って微かに聞こえてくる。
私たちの事務所では、凄腕の職人であるイリスさんの手によってわずかな時間で入り口の壁が補強され、応接用の長机が即席の大きなカウンターへと配置換えされていた。
ストーブの火は最大限に焚かれ、フィナさんが大鍋で沸かした薬草スープの湯気と、消毒用のハーブの香りが室内に充満している。
開戦から数十分後。
バンッ! と事務所の扉が乱暴に開け放たれた。
「た、助けてくれ! 寒くて死にそうだ!」
「ポーションをくれ! ありったけだ!」
「どけ、俺が先だ!」
冷たい雨と泥にまみれ、青ざめた顔をした若い兵士や新米冒険者たちが、次々と事務所になだれ込んできた。
初めての本格的な戦闘と、雨による急速な体温低下で彼らは完全にパニック状態に陥っていた。
入り口付近は我先にと押し合う者たちで溢れかえり、あっという間に身動きの取れないボトルネックが発生してしまった。
「ひっ……!」
怒号と血の匂い、泥の冷たさに圧倒され、限界事務員である私の脳のキャパシティが一瞬でオーバーフローしかけた。
(だ、ダメです、こんなにいっぺんに来られても対応しきれません! もう面倒です、在庫管理なんてどうでもいい! あそこにある木箱から、勝手に好きなだけポーションを持っていってください!)
私がパニックに飲まれ、そう叫ぼうとした、その瞬間だった。
ピクリ、と私の右腕が不自然に跳ねスキル『反復拒否』が強制起動しようとした。
私の意思に反して、両手に見えない札束を握りしめ、高笑いしながら「ほーっほっほ! 持ってけ泥棒!」と成金のようにばら撒く、下品なポーズを取らされそうになる。
(いやあああっ! なにこの成金ムーブ!?)
私は顔を引きつらせながら、必死に自分の腕を押さえ込み、自力でそのポーズをキャンセルした。
そして、ハッと我に返る。
(……違います。彼らは命がけで、この冷たい雨の中で私たちの街を守るために戦ってくれているんです。それを『面倒だ』なんて思って適当にさばくのは、後方支援を担う者として絶対にあってはならない失敗です!)
もしパニックのまま無管理にポーションを放出(ばら撒き)すれば、本当に必要な重傷者に物資が回らなくなる。
在庫はあっという間に枯渇し、結果的に前線の兵站が崩壊して王都は全滅するだろう。
「皆さん、少しだけ静かにしてください!!」
私は一喝するのではなく、腹の底からよく通る『社長としての凛とした声』で呼びかけた。
「大丈夫です、物資は十分にあります。全員に必ず行き渡りますから、どうか少しだけ私たちの案内に協力してください!」
私の堂々とした声と落ち着いた態度に、パニックを起こしていた兵士たちの動きがピタリと止まった。
「イリスさん! その長机を斜めに動かして、入り口から出口への『一方通行の配給レーン』を作ってください!」
「おう、任せな!」
「リナさんは入り口で、彼らを一列に並ばせてください。(前世でいう『フォーク並び』です!)」
「了解! みんな、順番に案内するからこっちに一列に並んで!」
リナさんが素早く動き、ごちゃごちゃに固まっていた集団を一筋の綺麗な列へと整頓する。導線の確保だ。
そして、私はフィナさんに向き直った。
「フィナさん、あなたの医療知識で彼らの状態を瞬時に『トリアージ(優先度判定)』してください! 先日作った、光るタグの出番です!」
「はいっ!」
前世の工場生産における最強の効率化システム、『カンバン方式』の導入である。
必要なものを、必要な時に、必要な量だけ正確に供給する。
フィナさんが列の先頭に立ち、一人ひとりの顔色と怪我の状態を瞬時に見極める。
「あなたは深い切り傷ですね、この『赤タグ』を持って進んでください」
「あなたは擦り傷です、『黄タグ』を」
「あなたは怪我はありませんが、低体温症の初期です。この『青タグ』を!」
兵士たちは光るタグを受け取ると、一方通行のレーンに沿って私のいるカウンターへと進んでくる。
「赤タグですね。はい、中級ポーションです。その場で飲んでください」
「黄タグですね。傷口にこの軟膏を塗ってください」
「青タグですね。こちらの『超強力な温風ドライヤー空間』で泥を乾かし、フィナさん特製の温かいスープを飲んで休んでください」
私は、渡されたタグと同じ色の物資『だけ』をノータイムで確実に手渡していく。
迷う時間は一秒もない。
そして、カウンターの奥では、ギルさんとイリスさんが連携し私の手元から減っていくポーションや軟膏を、裏の木箱からピッキングして絶え間なく補充してくれている。
「おい、赤のポーションが減ってきたぞ」
「わかってる! こっちの箱を開けるから手伝え、ギル!」
完璧な分業。誰一人として立ち止まることなく、淀みない川の流れのように兵站が回り始めた。
*
「す、すげえ……! さっきまでの混乱が嘘みたいだ」
「全然待たずにポーションがもらえたぞ……!」
「うおおぉ、この温かい風とスープ、生き返るぅ……っ!!」
最初は「ケチケチせずに早くよこせ!」と不満顔だった兵士たちも、この完璧な導線によって、驚くほどスムーズにかつ適切な処置を受けられることに目を見張った。
無駄なく体温と気力を取り戻した兵士や冒険者たちは、「アリフィ商会のハブ、最高だぞ!」「待たずに補給ができる!」と口々に叫びながら、次々と前線へと復帰していく。
私は額の汗を拭いながら、次々と訪れる兵士たちに的確に物資を渡し続けた。
*
開戦から数時間が経過した。
外は相変わらず冷たい雨が降り続いているが、アリフィ商会の完璧な後方支援により、傷ついた兵士たちはすぐに回復し、王都の防衛線は決壊することなく強固に持ち堪えている。
事務所の中は、泥の匂いとハーブの香り、そして温風の暖かさが入り混じり、一種の戦場病院のような独特の熱気に包まれていた。
「アオイさん、第二陣のポーション在庫、まだ余裕があります!」
「温風エリアも順調に回ってるよ!」
フィナさんとリナさんが頼もしい声を上げてくれる。
だが、私はカウンター越しに窓の外の暗雲を睨みながら、胸の奥に冷たい違和感が広がるのを感じていた。
(……おかしいですね)
補給は完璧に回っている。
こちらの被害は最小限だ。
だというのに、魔法障壁にぶつかるガーゴイルの数も、遠くから聞こえるゴブリンたちの地鳴りも一向に減る気配がないのだ。
まるで、私たちの防衛体制を見極めるように、一定のペースで絶え間なく波状攻撃を仕掛けてきている。
魔物の本能的な暴走にしては、あまりにも統率が取れすぎている。
(……もしかして。この魔物の群れの背後には、明確な意思を持った『指揮官』が存在している……?)
ただの自然災害のような魔物の襲来ではない。
何者かの悪意と知性を感じさせる不気味な状況に、私は手元のポーションの瓶の冷たさを、いつも以上に強く感じた。
「アオイ、どうしたの?」
リナさんが心配そうに私を見る。
「いえ……なんでもありません。皆さんは引き続き、自分の持ち場に集中してください。何が来ても、私たちのやるべきことは変わりません」
私は自分に言い聞かせるようにそう答え、再び真っ直ぐに前を向いた。
戦況が次のフェーズへ移行する予感が、冷たい雨の匂いと共に、ひたひたと忍び寄っていた。




