第61話:星迎えと黒歴史
王都のメインストリートは、空中に浮かぶ無数の魔法のランタンが色とりどりの光を放ち、広場には美しく透き通る氷の彫刻が立ち並んでいた。
『年の境』を越え、新しい一年の始まりを祝う『星迎え』の祭りは、まさにファンタジー世界ならではの幻想的で熱気あふれる光景だ。
「はぁ〜……いい香りですねぇ」
私は一人、賑わう大通りを歩きながら、屋台で買ったばかりの『ホット・スパイスワイン』の入った木杯を傾けた。
シナモンとクローブの甘くスパイシーな香りが、冷たい冬の空気と一緒に鼻腔をくすぐる。
一口飲むと、体の芯からじんわりと温まりアルコールの熱がふわりと頬を染め上げた。
現在、アリフィ商会は『星迎え休日』の真っ最中だ。リナさんもフィナさんも実家に帰省しており、私はのんびりと一人で祭りを楽しんでいた。
前世の私の正月といえば、年末の激務の疲労から回復するためだけに泥のように眠りこけるか、あるいは親戚の集まりでお局様のように気を遣い続けるか……とにかく、心から休まる時間など存在しなかった。
「ふふふ……今日は無礼講です! 昼間からお酒を飲んで街を歩くなんて、なんて人間らしい豊かな休日でしょう!」
私は完全にウキウキとしたご機嫌な状態で、スパイスワインを飲み干し、続いて隣の屋台で『蜂蜜酒』のおかわりを購入した。甘くて飲みやすいアルコールが、私の自制心をどんどん溶かしていく。
ふらふらと上機嫌で歩いていると、華やかな服飾の屋台が目に留まった。
普段の私は、『限界事務員スタイル』と称して、襟元の詰まった白いブラウスに濃紺のロングスカートという、目立たず無難で実用性を第一とした仕事着ばかりを選んでいる。今日もその格好だった。
「おやっ、そこの美人さん! そんな地味な服じゃお祭りがもったいないよ! ほら、この服なんかどうだい? 長い脚出さないともったいないよ〜!」
愛想のいい店主の言葉に、普段なら「私は実用性重視ですので」と冷たくあしらうところだが、今日の私はミードの甘さで脳みそが完全にトロけていた。
「長い脚……美人……! そうですか? やっぱりそう思いますか!? 買います! これも、それも買います! 経費じゃありません! 私のポケットマネーによる経済回しです!!」
私は財布の紐を全開にし、店主に勧められるがまま、十代の女の子が着るような肩や胸元が少し開いた服と、膝が見えるほど短いスカート、さらにキラキラ光る少し派手な髪飾りとモフモフすぎる真っ白なショールまでノリと勢いで爆買いしてしまった。
そして、屋台の奥でその服にササッと着替え、事務用の大きな黒クリップを外してキラキラの髪飾りをつけた。
「うふふ、なんだか気分がアガりますねぇ〜!」
露出の高い服にモフモフのショールを羽織り、完全にタガが外れた『陽気なポンコツお姉さん』と化した私は、再び蜂蜜酒を片手に祭りの群衆へと繰り出した。
*
アルコールが回り、完全に出来上がった状態で街を歩いているとこれまでに依頼をしてくれた懐かしい顔ぶれに次々と遭遇した。
「あれっ? あそこの果物屋は……ハンスさ〜ん!」
「おわっ!? お嬢ちゃん!? なんだそのすげぇ服……ってか、臭!!酒臭っ!!」
以前、隣の店に倒れかかっていた古い木造倉庫の安全な解体を依頼してくれた、果物屋のハンスさんだ。
「ハンスさ〜ん、倉庫の跡地、ちゃんと使ってますかぁ〜? 新しい果物、美味しいですかぁ?」
「お、おう。おかげさんでな……って、おい、引っ張るな!」
私はハンスさんの腕をグイグイと引っ張って笑い合い、さらに道を先へ進んだ。
すると今度は、魔導具職人のローガンさんが、屋台のくじ引きで遊んでいるのを発見した。彼には、暴走寸前の新作の修理や、魔法研究都市でのコア部品回収など、色々と依頼をもらっているお得意様だ。
「あーっ、ローガンさーん!」
「うおっ!? アオイ!? なんだそのキラキラした格好!?」
「ちゃんと『ダブルビン方式』、回してますかぁ!? えらい! いい子ですねぇ〜!」
「い、痛い痛い! 背中バンバン叩かないでくれ! 今日はやけにテンション高いな!?」
ローガンさんの背中を景気良く叩き、私はさらに上機嫌で歩き出す。
「あっ、セラフィ〜さ〜ん!!」
道の向こうから歩いてきたのは、冒険者ギルドの受付嬢であるフィオレンテ・セラフィさんだった。彼女からは、新米冒険者パーティのOJT(現場監督)や、ギルド窓口の導線整理でお世話になった。
「アオイさん? あら、珍しい格好を……ひゃっ!?」
「セラフィ〜さん、いつもお疲れ様で〜す。セラフィ〜さんお肌綺麗〜。相変わらず雰囲気エロい〜」
「ちょっ、ア、アオイさん!? なんで急にほっぺた触ってくるんですか!? ちょっと、くすぐったいってばぁ!」
私はセラフィさんのすべすべの頬をぺたぺたと触りながら、完全に酔っ払いのオヤジムーブをかましていた。
(あれ……? 私、いま結構痛い絡み方してるのでは……?)
ふと、アルコール漬けの脳の片隅で、冷静な前世の私が囁いた。
こんな社会人の風上にも置けないポンコツムーブ、普段ならスキル『反復拒否』が全力でエラーを鳴らし、強制的に恥ずかしいポーズで止めに入るはずだ。
(……スキルさん? これ、失敗ルートじゃないんですか? 止めてくれないんですか?)
私は内心で問いかけたが、体はピクリとも動かない。
エラーの悪寒も、強制的な硬直も、一切来ないのだ。
(……あ、鳴らない! 止まらない! じゃあいっか〜!!)
私は、あの理不尽なスキルが沈黙していることを完全なる免罪符にして、さらに調子に乗った。
広場を抜けると、そこには生真面目で融通が利かない若手騎士、オスカー・レイヴァンさんが立っていた。彼は以前、第一騎士団の『冬期パトロールのシフト作成』と『防寒具の在庫管理』を一人で抱え込んでパンクしていたところを、私がシフトボードの仕組みを教えて解決した青年だ。
「あ、オスカーさんだぁ〜」
「アオイ殿? なぜそのような……はしたない、いえ、可愛らしい格好で……」
真面目な彼が戸惑っているのを見て、私の悪戯心が爆発した。
「お祭りなのに、警備でお仕事ですか〜? えらいですね〜」
私は、わざとらしく下から覗き込むように、グイッと彼に距離を詰めた。
モフモフのショールの隙間から、普段は見せない肩や胸元をチラつかせ、至近距離でニコォッと笑いかける。
普段はビジネスライクでクールな私が、突如として仕掛けた色気のある無防備な距離感(お姉さんムーブ)。
「なっ……近、近いです、アオイ殿!!というか、 お、お酒の匂いが……っ!!」
純情な若手騎士は、顔をトマトのように真っ赤にして、カッチカチにフリーズしてしまった。
「うふふふ、オスカーさん、カワイイ〜!」
私はコロコロと笑いながら、魔法の光に包まれた夜の街へと消えていった。
*
翌日。
窓から差し込む眩しい朝日で、私は目を覚ました。
「うっ……頭が、痛い……」
ズキズキと痛むこめかみを押さえながら体を起こす。宿屋の自室のベッドの上だ。
ふと視線を横に向けると、枕元には『キラキラ光る少し派手な髪飾り』と、『モフモフすぎる真っ白なショール』、そして十代が着るような露出度の高い服が乱雑に脱ぎ捨てられていた。
「な、なんですかこれ……?」
コンコン、とドアがノックされ、「アオイちゃん、起きてるかい?」と宿の女将であるマルグリットおばさんが部屋に入ってきた。
手には、湯気を立てるマグカップが乗ったお盆を持っている。
そしてその足元には、呆れ顔の小狐幻獣・ギルさんが立っていた。
「マルグリットおばさん……おはようございます」
「はい、おはよう。二日酔いに効く薬草茶だよ。まったく、昨日はいろんな常連さんから『アオイちゃんがえらいことになってる』って報告を受けたよ」
「……ったく。酒に飲まれるなんて、情けねえ。まだまだガキだなあんたも」
ギルさんが、その渋いイケボでやれやれとため息をついた。
「ギルさん……? 私、昨日そんなに酔ってましたか?」
「ああ。昨日市場で、若い騎士を色気仕掛けでからかって遊んでたらしいな。近所のおばちゃんたちが「アリフィの社長さんが、可愛い男漁りをしてたわよ」って嬉しそうに噂してたぜ」
「……えっ?」
その瞬間。
私の脳内に、昨日の自分の行動――店主に言いくるめられて服を爆買いしたこと、ハンスさんやローガンさんにダル絡みしたこと、セラフィさんの頬を撫で回したこと、そして極めつけに、若手騎士のオスカーさんに至近距離で色目を使ってフリーズさせた記憶が、怒涛の勢いでフラッシュバックした。
「い、いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!!」
私は叫び声を上げ、顔から火が出るほどの羞恥心でベッドの上をゴロゴロと転げ回った。
「あんなの私じゃない! 限界事務員にあるまじき失態! 痴態! なんで私、あんな恥ずかしいポンコツお姉さんムーブを!?」
「あははは! いいじゃないか。あんたはいつも気を張り詰めすぎる癖があるんだから、たまにはお酒の力を借りて、年相応にハメを外すのも可愛いもんさ」
マルグリットおばさんが楽しそうに笑う中、私は枕に顔を押し付けて爆発四散しそうになっていた。
(ちくしょう! 理不尽すぎる! 死に直結するブラック労働は容赦なく止めるくせに、なんで社会的な死(黒歴史)は止めてくれないんですか、あのスキルは! 基準がガバガバすぎるでしょう!!絶対に遊んでる!遊ばれてるんだあ!!)
私は心の中で、沈黙を貫いたスキル『反復拒否』に盛大に八つ当たりをした。
……だが、冷静になって考えてみれば。
異世界で肩の力を抜き、誰かと笑い合い、お酒を飲んで少しくらいハメを外して黒歴史を作ることは、決して「人生の失敗」などではないのだ。
それはきっと、ただ機械的に働くのではなく、人間らしい「健全な生活の余白」を取り戻したという、喜ばしい証拠。
「……うぅ。今年はお酒の量を、控えます……」
私は真っ赤な顔のまま、布団を頭から被って小さな声で誓った。
こうして、私の社会的な威厳は新年早々少しばかり(いや、かなり)削られてしまったけれど。
おばさんの優しい笑い声とギルさんの呆れ顔に包まれて、私の賑やかで平和な一年が、確かにスタートしたのだった。




