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魔女のバインダー  作者: 水色蛍
限界事務員、異世界プロジェクトマネジメント編
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第59話:リナ・ヴェルナ

 王都の市場は、星迎えの準備でごった返していた。

 行き交う人々の吐く白い息が冬の冷たい空気に溶け込み、石畳には雪が踏み固められて滑りやすくなっている。


 あちこちの屋台からは、香草をたっぷりまぶした肉の焼ける匂いや、甘い果実酒の香りが漂っていた。


「おじさん、この一番大きくて美味しそうな骨付き肉、ちょうだい!」


「おお、リナちゃん! 景気いいねぇ。星迎えのごちそうかい?」


「うん! アオイからボーナスもらったから、奮発しちゃう!」


 私はずっしりと重い肉の包みを受け取り、ホクホク顔で市場を後にした。

 普段の私は、職場である『アリフィ商会』から歩いて二十分ほどの住宅地にある、小さな煉瓦造りのアパートで一人暮らしをしている。


 でも、今日から三日間は商会の『星迎え休日』だ。


 だから今日は、王都の城壁の外――乗合馬車に揺られて二時間ほど行った先にある、郊外の実家へ帰省することにしていた。


 ガタゴトと揺れる馬車の窓から、少しずつ畑や雑木林が増えていく雪景色を眺める。

 こうして実家に帰るのは、ずいぶんと久しぶりだ。


 最後に帰ったのは、前のパーティリーダーだったガストンさんに「お前はもういらない」と追放され、冒険者ギルドでアオイに拾われるより少し前のこと。


 あの時の私は、毎日剣の素振りをして手にマメを作っても空回りばかりで、仲間からは怒鳴られ、身も心もボロボロに削り切られていた。


 実家の両親にも心配をかけたくなくて、作り笑いを浮かべて数日だけ滞在し、逃げるように王都のアパートに戻ったのを覚えている。


(……でも、今の私は違うもんね)


 私は、自分の胸と肩を守る青き軽鎧――『踊る鉄床亭』のアンドレが調整し、お給料で買った上質なミスリル銀の鎧をそっと撫でた。


 アオイが私の「足場」を整えてくれたおかげで、私の剣はもう迷わない。


 馬車を降り、雪の積もる田舎道を歩いて、見慣れた木造の平屋にたどり着く。


「ただいまー!!!」

「リナ!? おお、リナじゃないか!」

「まあ、急に帰ってくるんだから! ……って、あれ?」


 勢いよくドアを開けると、薪ストーブの暖かな空気と、懐かしい木の匂いが私を包み込んだ。

 出迎えてくれた父さんと母さんは、私の顔を見るなり目を丸くして固まってしまった。


「どうしたの、二人とも。幽霊でも見たみたいな顔して」


「いや……お前、なんだかすごく、綺麗になったというか……」


「本当ねぇ。前は目の下にクマを作って、今にも折れそうな顔をしてたのに。お肌もツヤツヤだし、その立派な鎧、どうしたの!?」


 驚く両親に、私はえへへと胸を張った。


「ふふん、色々あったんだよ。今はすごくいい職場で働いてるから、毎日ちゃんと食べて、しっかり眠れてるの。ほら、今日は私が市場で一番いいお肉を買ってきたん

 だからね!」


「まあまあ! 父さん、早くストーブの火を強くしてちょうだい!」


 両親の顔がパァッと明るくなり、実家の台所は一気に星迎えの準備で活気づいた。


 *


「よーし、こっちの雪かきも終わったよ!」


 午後。私は実家の手伝いとして、屋根の雪下ろしや家の前の道の雪かきをしていた。

 冷たい風が頬を刺すが、太ももの素肌から空気中の魔力の流れを感じ取ることで、体温を一定に保つコツは掴んでいる。


 剣の修練で鍛えた筋肉のおかげで、雪かきなんて軽い準備運動みたいなものだ。

 ふと視線を上げると、近所の子供たちが三、四人、家の前の緩やかな坂道で雪遊びをしていた。


 子供たちは笑い声を上げながら、凍ってツルツルになった坂道を木の板に乗って滑り降りている。だが、その滑り降りた先――道の端には、農作業用の古い鉄のスキが立てかけられていた。


(あっ……あの角度で滑ったら、勢い余って鉄のスキにぶつかる)


 戦士としての感覚が、危険を告げた。

 昔の私なら、きっと大きな声で「危ないよ!」と注意するか、子供が滑って転んだ瞬間に、慌てて飛び出して受け止めていただろう。


 けれど、今の私の頭には、商会で毎日見ているアオイの後ろ姿が浮かんでいた。


『怪我をしてから治すのではなく、そもそも怪我をしない環境を作ることが大切です』


 アオイなら、きっとこうする。

 私は剣を抜かず、大きな声も出さず、黙って小屋の裏から雪除け用の大きな木箱を二つ持ってきた。そして、子供たちが滑るルートの少し手前――鉄のスキにぶつかる前の絶妙な位置に、その木箱を「ハの字」になるようにスッと配置し、その前にクッション代わりの藁をたっぷりと置いたのだ。


「わぁーっ、滑るー!」

「あっ、コースが変わった!?」


 滑り降りてきた子供の乗る木の板は、私が置いた木箱の側面にコツンと当たり、自然なカーブを描いて安全な雪溜まりの方へと逸れていった。


 ドサッ! と柔らかい雪の上に落ちた子供たちは、「今の曲がり方、かっこいい!」「俺もやるー!」と、鉄のスキのことなど全く気づかないまま、無邪気に遊びを続けている。


(……うん。これなら、誰も怪我をしないし、遊びの邪魔にもならないね)


 私は静かに息を吐き出した。

 誰かを危険から守るために、剣を振る必要はない。

 アオイがいつもやっている『導線を整える』って、こういうことなんだな。


 自分が剣士としてだけでなく、周りの環境をコントロールする力を少しずつ身につけているのを感じて私は雪の中で一人、小さくガッツポーズをした。


 *


 夜。実家の食堂には、私が買ってきた分厚い骨付き肉のローストが、香ばしい脂の匂いを立ててテーブルの真ん中に鎮座していた。

 母さんが焼いてくれたパンと、温かい野菜のスープ。

 天井には、父さんが飾ってくれた小さな星のランタンがチカチカと輝いている。


「はむっ! んー、お肉柔らかい! 美味しい!お兄ちゃんも帰ってくれば良いのに~」

「シードはシードで忙しいからね。」

「本当に美味いな。しかしリナ、こんな高い肉を買えるなんて、お前……まさか、ものすごく危険な仕事をしてるんじゃないだろうな?」


 ワインを飲んでいた父さんが、ふと心配そうに眉を寄せた。

 母さんも、ナイフの手を止めて私をジッと見つめる。


「危険な魔物が出る迷宮の奥深くに潜ったり、悪い貴族の護衛をしたり……。お前、前のパーティでも無理をしてばかりだったから、母さん心配で」


「あはは、違うよ! 全然違う!」


 私は口の中のお肉をごくりと飲み込んで、笑って手を振った。


「私が今働いてる『アリフィ商会』はね、街の人たちのちょっとした困りごとを解決する『なんでも屋』なの。たまーに浅いダンジョンで採集とかはするけど、基本は超安全! おまけに絶対定時退社で、残業なんて一秒もないんだよ!」


「て、定時退社……? なんでも屋で?」


「そう! うちの社長が、すっごく優秀だからね」


 両親が不思議そうな顔をしたので、私はアオイのことを語り始めた。


「アオイっていう、黒髪が綺麗なお姉ちゃんなんだけどね。すごく頭が良くて、優しくて、壊れた窓枠から騎士団の予算の計算まで、なんでも直して解決しちゃうの。でもね、仕事中はすっごくキリッとしてるのに、たまーに急に『変なポーズ』をして、一人で顔を真っ赤にしてるんだよ」


『アオイちゃん、壁の苔は毒があるかもしれないので舐めちゃダメですよ!?』

『ちがう! 舐めてない!』


 先日のダンジョンでのアオイの様子を思い出し、私は吹き出してしまった。


「すごく有能なのに、どこか抜けてて、放っておけないっていうか……。不思議で、可愛くて、本当に尊敬できるお姉ちゃんなんだ。アオイに出会ってから、私、毎日がすっごく楽しいの」


 私が夢中になって話すと、父さんと母さんは顔を見合わせ、心底ホッとしたように目尻を下げた。


「そうか。お前がそんな風に笑える職場で働けているなら、父さんたちは何も心配することはないな」


「ええ、本当に良かった。……そういえばリナ」


 母さんが、急にスープの皿をコトリと置いて、ニヤニヤとした笑みを浮かべた。


「お前ももう立派な大人なんだし、その……良い人とかいないの? お付き合いしている殿方とかさ。せっかくスタイルも良くて美人になったんだから、ねえ?」


「ブホッ!?」


 私は飲んでいたスープを危うく吹き出しそうになった。


「い、いないわよ! っていうか、今は商会の仕事が楽しくて、剣の修練もあるし、そんなこと考えてる暇なんてないもん!」


「あらあら、顔を真っ赤にして。王都には騎士様とか冒険者とか、たくさんカッコいい人がいるでしょうに。いつまでもアオイさんのお尻を追いかけてちゃダメよ?」


「もーっ! 母さんってば!!」


 私は茹でダコのように顔を赤くして、手元のパンをかじった。


 頭の中に浮かぶのは、カッコいい騎士様なんかじゃなくて、ストーブの前で果実酒を飲みながらダラダラしている干物女なアオイや、オカンみたいに私の傷を手当てしてくれるフィナの姿ばかりだ。


 恋人はいないけど、私には最高に大好きな仲間がいる。それで十分じゃないか。


 *


 お腹いっぱいお肉を食べて両親の他愛ない話を聞きながら、温かいお風呂に入って。


 幸せな気分のまま、私は自室のベッドの横にある小さな机に向かった。


 引き出しからインクとペンを取り出し、真っ白な便箋に向かう。

 窓の外では、星迎えのランタンの光が、雪明かりに反射してキラキラと輝いている。その光はきっと、王都にいるアオイの部屋の窓にも届いているはずだ。


『アオイへ! パパとママとお肉食べてるよ! すっごく美味しい!』


 ペン先が、スラスラと紙の上を滑っていく。

 アオイが私を見つけてくれなかったら、私の足場を整えてくれなかったら、私は今頃、どこかの路地裏で剣を握れなくなって泣いていたかもしれない。


 アオイがくれたのは、お金や仕事だけじゃない。自分を肯定して、前を向いて歩く力だ。


『アオイのおかげで、今年は最高の星迎えになったよ。来年もよろしくね!』


 手紙の最後にサインを書きながら、私は窓の外の星空を見上げた。

 来年はもっと、リスクアセスメント――危険を予知して防ぐ力を身につけよう。

 そうすれば、アオイの負担をもっと減らせるし、アリフィ商会に来るたくさんの人たちを笑顔にできる。


(来年も、アオイやフィナと一緒に、たくさん人を助けられたら良いな)


 私はインクの乾いた便箋を丁寧に折りたたみながら、新しい年に向けて、青き盾としての決意を静かに固めるのだった。

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