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魔女のバインダー  作者: 水色蛍
限界事務員、異世界プロジェクトマネジメント編
57/62

第57話:年末のバッチ処理

 羽ペンを置き、インク瓶の蓋をしっかりと閉める。


 使い込まれた帳簿の束を揃えて本棚に収めると、かすかに漂っていたインクの匂いが、ストーブの上で沸くお湯の匂いへと溶けていった。


「よし。今年の帳簿締め、完了です」


 私がふぅと息を吐くと、ストーブの前で丸くなっていた暖房係のギルさんが『お疲れさん』とばかりに尻尾を揺らした。


 王都は今、一年の締めくくりである『年の境』を三日後に控えている。


 この世界――少なくともこの王都周辺では、年末年始の行事を「年の境」や「かまど納め」と呼び、街のあちこちで『星迎え』という美しいお祭りの準備が進められている。


 窓の外を見れば、真っ白な雪景色の中に星に見立てた淡い魔法のランタンの光が無数に浮かび、とても幻想的だ。


「今日はもう、早めに切り上げましょう。リナさんもフィナさんも、年末はご家族と過ごすでしょうし」


「ほんと!? ありがとうアオイ〜!」


「ありがとうございます、アオイさん。じゃあ、帰りに市場でお祭り用の食材を買っていきますね」


 笑顔を見せる優秀な社員たちに、私も頬を緩める。


 今日を今年の最終営業日にして、明日からは三日間の『星迎え休日』に入る予定だった。


 前世では1度。大晦日の夜中まで残業させられ、年越しそば代わりにデスクで冷めたカップ麺をすする地獄の年末を送った経験をもつ私にとって、明るいうちに仕事納めができるなんて、まさに夢のようなホワイト労働環境である。

 毎年今年は大丈夫かと、年末が近づくにつれヒヤヒヤする思いがないだけで幸せ。


 さあ、ストーブの火を落として帰り支度を――と思った、その時だった。


 カランカランッ! と、事務所のドアベルがけたたましく鳴り響いた。


「た、助けてくれアリフィ商会! 緊急依頼だ!!」


 雪まみれで飛び込んできたのは、冒険者ギルドの職員だった。

 彼の話によると、『星迎え』のお祭りで大量に消費する『星の結晶(光の魔石の一種)』が、手違いで全く足りていないことが発覚したという。


「今からじゃ、他の冒険者に依頼を出しても時期的に受領されないし、そもそも間に合わないんだ! 腕の立つ連中はみんな、騎士団と共同で年末の街の警護や防衛任務に出払っちまってるか、とっくに休みに入っていて……。頼む、王都近郊の浅いダンジョンで採集してきてくれないか!?」


 ギルド職員は土下座せんばかりの勢いだった。


(……まさに年末のトラブルの風物詩。どこかで発注漏れが起きるアレですね)


 私はリナさんとフィナさんと顔を見合わせる。二人は嫌な顔一つせず、コクリと頷いてくれた。


「分かりました。アリフィ商会、今年最後の依頼としてお受けします」


 *


 私たちは厚手の外套を着込み、王都近郊にある浅いダンジョンへとやってきた。


 洞窟の中は、外の雪風を遮ってくれるものの、シンと冷え切った空気が肌を刺す。私たちは戦闘と採集に備え、厚手の外套を脱いでそれぞれの「現場用装備」になった。


「うー、やっぱり洞窟の中はヒンヤリするね」


 前衛を張るリナさんの装備は、胸と肩を堅牢な青い軽鎧(魔力を通しやすいミスリル銀製)で守りつつも、下半身は白い布地のスカートとニーハイブーツの間から、太ももの素肌をあえて露出させている。


 一見すると寒そうだが、これは空気中の魔力の流れを直接肌で感じ取り、回避行動の精度を上げるためだ。戦士としての感覚を極限まで研ぎ澄ました、理にかなったスタイルである。


「アオイさん、リナさん、怪我には気をつけてくださいね」


 後衛でサポートをするフィナさんは、生成り色のショート丈医療コートを着込んでいる。コートの内側には多数のポケットがあり、整理整頓されたポーションや包帯が完璧な配置で収まっている。


 かつての「カバンの中身がブラックホール状態」だった頃の面影はない。

 腕には、護身用の小型魔力盾バックラーがしっかりと固定されていた。


 そして私自身は、いつもの深い青を基調としたローブ姿である。

 泥や水を弾く『水精霊の加護』が施された生地は現場監督にぴったりだ。


 手には、出張用として『踊る鉄床亭』のアンドレさんから購入した、魔力を弾く特殊な木材で作られた短い警棒(護身用ロッド)を握りしめている。


「大丈夫かな。奥に行けば、もっと強い魔物や獣がいる可能性があるよ」


 リナさんが長剣の柄に手をかけ、油断なく周囲を警戒する。


「念のため、この『魔物除けの香』を焚いておきましょう。効果は薄いですし、気休め程度ですけれど……」


 フィナさんがポケットから小瓶を取り出し、香を焚いてくれる。


 私たちは慎重にダンジョンの奥へと進み――目的の『星の結晶』が群生するエリアに到達した。


 だが、そこは目を覆いたくなるような惨状だった。


「なんですか、これは……」


 床には無数の美しい『星の結晶』が転がっているのだが、冬の寒さから逃れてきたダンジョン中のスライムやフロストバット(冷気を吐くコウモリ)が大量に群がり、さらに崩れた瓦礫や泥とぐちゃぐちゃに混ざり合っていた。


 まるで「ゴミ屋敷」ならぬ「ゴミダンジョン」である。


「うわぁ……。これ、魔物を倒しながら結晶を拾うの? すっごく効率悪そう」

「瓦礫の下にも埋まってますね……」


 私の限界経理センサーが、けたたましく警報を鳴らした。


(これは、年度末の『棚卸し』と『大掃除』を同時にやらされる最悪のパターン! 無秩序な現場はミスの温床です!)


「皆さん、聞いてください。ここは厳密な区画整理が必要です! ダンジョンの床にチョークで直線を引いて百のブロックに分け、魔物を倒す係、瓦礫をどかす係、結晶を数える係に分かれて、端から厳密に仕分けしながら進みましょう!」


 私は前世のガチガチな棚卸しマニュアルを引っ張り出し、ドヤ顔で指示を出そうとした。


 ――その瞬間だった。


 ピクリ、と。

 私の右腕が不自然に跳ね、スキル『反復拒否』が強制起動した。


(あっ!? しまった、スキルが……!?)


 私の意思に反して、体が勝手にダンジョンの壁際にツカツカと歩み寄る。

 そして、人差し指でツーッとダンジョンの濡れた壁を撫でて埃(?)を確認し、「あら嫌だ。隅っこに魔物の体液が残ってますわよ、お掃除が行き届いてませんわね」とでも言いたげな、恐ろしく嫌味な顔を作って、いわゆる『ネチネチした姑ポーズ』を取ろうとし始めたのだ。


(いやあああああっ!! こんな命懸けのダンジョンで姑ムーブなんてウザすぎるし、後ろから魔物に襲われて確実に死ぬ!!)


「んぎぃぃぃぃぃぃッ!!」


 私は全力で壁を撫でようとする右腕を左手で押さえ込み、嫌味な顔を作ろうとする顔面の筋肉を必死に引きつらせて抵抗した。


「アオイ? 壁撫でて何してるの? ダンジョンの味見?」

「アオイさん、壁の苔は毒があるかもしれないので舐めちゃダメですよ!?」


 リナさんとフィナさんが、ドン引きした顔で私を見ている。


(ちがう! 舐めてない! ちくしょう、ダンジョンなんて前世で経験ないから、どこが失敗ルートに繋がるのか予測できなすぎるよぉぉ!)


 私は姑ポーズのまま小刻みに震えながら、急速に頭を回転させた。


(なぜ失敗ルート? そうか! 『戦闘(危険)』と『仕分け(事務)』という全く性質の違う作業を、同じ空間で同時にやろうとしているからだ! 前世の工場でも、マルチタスクは最もミスを誘発する最悪の非効率!)


 真理に気づいた瞬間、体の拘束がフッと解けた。

 私は乱れたローブの襟を整え、コホンと咳払いをする。


「……失礼しました。今の仕分け案は撤回します。もっと効率的な『バッチ処理(一括処理)』を行いましょう」


「バッチ処理?」


「はい。まずは『魔物の駆除』だけを完全に独立させます」


 私は護身用ロッドを前に突き出し、生活魔法の「熱」と「風」の巡りをダンジョンの中央へと集中させた。


 ぼわんっ、と中央の空間に、ストーブのような巨大な熱気のドーム――言うなれば、魔法の『かまど』が形成される。


「魔物たちは、外の寒さから逃れてここに集まっています。ならば、もっと暖かい場所を作ってあげれば、本能的にそこへ密集するはずです!」


 私の読み通り、冷気に震えていたスライムやフロストバットたちが、暖かな『かまど』の周囲へとゾロゾロと勝手に集まり始めた。


「リナさん! 一箇所に集まったところを、お願いします!」

「了解! 任せて!」


 リナさんが地を蹴り、青き鎧を翻して密集した魔物の群れへと飛び込む。


 空気の魔力を肌で感じ取り、魔物たちの反撃を最小限の動きで回避しながら、見事な剣筋で次々と魔物を一網打尽にしていった。


 フィナさんも後方から安全にリナさんの支援に集中できる。


 そして、魔物の脅威が完全に排除され、絶対の安全が確保された後――。


「さあ、ここからは『採集(棚卸し)』の時間です。安全な現場で、焦らず拾い集めましょう」

「はいっ! これなら怪我をする心配もありませんね!」


 私たちは瓦礫の中から、美しい『星の結晶』だけをのんびりと、かつスピーディに拾い集めることができた。

 作業の「ハブ化」と「分離」による、完璧な効率化である。


 *


 大量の星の結晶をギルドへ納品し、たっぷりの報酬を受け取って事務所へ帰還した頃には、外はすっかり夕暮れになっていた。


「ただいま戻りました」

『おう。遅かったな』


 事務所の扉を開けると、ギルさんがストーブを暖かくして待っていてくれた。


 私は金庫から、今日の報酬とこれまでの利益の一部を取り出し、小さな封筒に分けて三人に手渡した。


「一年間、本当にお疲れ様でした。これは冬の特別手当ボーナスです。ご家族との『星迎え』のお祭りに使ってください」


「えっ、こんなにもらっていいの!? アオイ、大好き!!」


「アオイさん、ありがとうございます……! 私、パパとママに美味しいお肉を買って帰ります!」


 嬉しそうに笑うリナさんとフィナさんを見つめながら、私はストーブの薪をそっと動かし、火を落とす準備をした。


 これが、アリフィ商会の『かまど納め』である。


「それでは、良い『年の境』を」

「アオイもね! また来年!」

「良いお年を、アオイさん!」


 二人が元気に事務所を飛び出していく。


 一人と一匹になった事務所で、私は窓の外を見上げた。

 星迎えのランタンが、雪の王都を優しく、暖かく照らし出している。


(異世界に来て1年。失敗せずに……いえ、正しい選択を重ねて、無事に生き抜くことができましたね)


 ギルさんの渋い寝息をBGMにしながら、私は温かい紅茶を口に運んだ。

 前世のトラウマを乗り越え、頼もしい仲間たちと共に歩んだ異世界での一年。その締めくくりは、これ以上ないほど穏やかで、心からの平穏に満ちていた。

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