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魔女のバインダー  作者: 水色蛍
限界事務員、異世界プロジェクトマネジメント編
56/63

第56話:ワンオンワンという名のお茶会

 アリフィ商会の事務所では、今日も暖房係のギルさんがストーブの前で丸くなり、心地よい温もりを提供してくれている。


 私は、お気に入りの茶葉をポットに入れ、丁寧にお湯を注いだ。

 ふわりと立ち昇る湯気とともに、柑橘系に似た爽やかな香りが室内に広がる。

 そして、市場のパン屋で買ってきた甘い焼き菓子を、綺麗なお皿に並べた。


「あの……アオイさん。このお茶と、美味しそうなお菓子は……?」

「もしかして私たち、何か失敗しちゃった……? 怒られるの?」


 向かいの席に座ったリナさんとフィナさんが、少しだけ身を縮めて不安そうに私を見上げている。

 私はふわりと微笑み、二人の前に温かい紅茶の入ったカップを置いた。


「いいえ、お二人は毎日完璧にタスクをこなしてくれていますよ。今日は少し趣向を変えて、半休にしてお茶会をしようと思ったんです。……『ワンオンワン』というものを」


「ワン、オンワン……?」


 異世界にそんな単語もシステムもあるはずがなく、二人は不思議そうに小首を傾げた。


「はい。いわゆる個別面談ですね。でも、安心してください。」


 私は自分の紅茶を一口飲み、その温かさにホッと息を吐いた。


「これは評価ではなく、お二人が『これからどうなりたいか』『何を学びたいか』を、リラックスして語り合うための時間です。まずはリナさん、いかがですか?」


 美味しい焼き菓子を一口齧り、緊張が解けたのか、リナさんは真剣な表情で姿勢を正した。


「私……以前、前のパーティリーダーだったガストンさんが、ギルドで謝ってくれたじゃない」


「ええ。ありましたね、そんなことが」


 冒険者ギルドの窓口の導線改善をしたあの日、ガストンさんはリナさんに「俺がもっとお前を見ていれば」と深く頭を下げてくれた。リナさんもまた、自分の足元が見えていなかったことを素直に認め、二人の間のわだかまりは綺麗に溶けたのだ。


「あの時、私わかったの。ただ剣を振って敵を倒すだけじゃダメなんだって。アオイはいつも、戦う前に『足場』や『環境』を整えて、誰も怪我をしないようにしてくれた」


 リナさんは、自分の剣の柄をそっと撫でた。


「だから私、これからは自分の剣の腕だけじゃなくて、周りの状況を見る力をつけたい。依頼人がどこで躓きそうか、魔物がどこから来そうか。そういう『危険リスク』を未然に防いで、現場をコントロールできるようになりたい。……アリフィ商会の、ただの剣士じゃなくて、最強の盾になりたいな、って」


(……なんと。それは前世のビジネス用語で言うところの、現場を知り尽くした上でチームを動かす『プレイングマネージャー』への成長宣言! 素晴らしい『リスクアセスメント(危険予知)』の視点です!)


 私は内心で激しく感動しながら、深く頷いた。


「素晴らしい目標です、リナさん。あなたのその優しさと視野の広さは、必ず商会を守る大きな盾になりますよ」


「えへへ、やった! アオイに褒められた!」


 リナさんが嬉しそうに笑うのを見て、隣に座っていたフィナさんが、今度はギュッと両手を握りしめて口を開いた。


「あ、あの! 私も、考えていたことがあるんです!」

「フィナさんもですか? ぜひ聞かせてください」


「私、治癒魔法でお怪我を治すのは得意になりました。でも……アオイさんがいつもやってるみたいに、『そもそも怪我をしない、病気にならない環境づくり』を作りたいんです。商会のみんなの、専属のお医者さん……みたいになれたらいいなって」


(それは……予防医療! さらに『産業医』としてのキャリアプラン!!)


 私の限界人事センサーが、嬉しさのあまり悲鳴を上げている。

 だが、フィナさんの言葉はそれだけではなかった。


「それから、私、新しいお薬を作ってみたいんです。例えば、暗い洞窟の中でも、焦っていても『絶対に間違えない薬瓶』とか。ボトルの形を回復薬と毒消しで全く違う形にしたり、暗闇でも光るタグを付けたりして……。それを、商会オリジナルの商品として売り出したいです!」


「あと、アオイさんが作ってくれた帳簿の紙! あれ、字が読めない依頼人さんもいるから、色付きのスタンプを押すだけで報告できるように、私が作り直してもいいですか?魔道具も使うことになるから、これから勉強するから、時間かかっちゃうかもですけど……」


 私は、手に持っていたティーカップを落としそうになった。


(『ユニバーサルデザイン(UI/UX)』の視点を持ったプロダクト開発! さらに、経理フォーマットの自立的アップデート提案!? フィナさん、あなたという人は……アリフィ商会のCFO(最高財務責任者)兼、開発責任者の器ですよ!!)


 かつてパニックで魔法が使えなくなっていた少女は、今や自ら現場の課題を見つけ、システムを改善しようとする立派なビジネスパーソンに成長していたのだ。


 抱きしめたい!もうこの2人の背骨が悲鳴を上げるくらいに抱きしめてやりたい!!


「素晴らしいです……! お二人とも、本当に素晴らしい成長です!」


 私は感動に打ち震えながら、つい、前世の血が騒ぐのを感じた。


(よし! 素晴らしい目標だ! ならば次は、これを実現するための『KPI(重要業績評価指標)』を設定しましょう! 来月までに『危険予知の報告書を月十件』! 『UI/UX薬瓶の試作品を百本製造』! 数字で目標を管理すれば、完璧な成長サイクルが――)


 無意識のうちに、私の右手は革鞄の中のペンと羊皮紙を掴もうとしていた。

 ――しかし。


(……いや。待ってください)


 私は自らの意志で、ピタリと右手の動きを止めた。


 前世の会社で、数字のノルマに追われ、本来の目的を見失って疲弊していく同僚たちを嫌というほど見てきたではないか。


 せっかく自発的に「やりたい(Will)」と語ってくれた彼女たちに、数値目標という「首輪」を無理に被せる必要があるのだろうか?


(この子たちに、数字のノルマは必要ない。彼女たちの熱意をただ信じて、必要な資金と環境だけを提供する。それが、本当のマネジメントのはずです)


 私はペンから手を離し、ゆっくりとテーブルの上に両手を置いた。


「……リナさん、フィナさん。お二人の目標を、私は全面的に承認します。具体的な数字のノルマは設けません。自分のペースで、やりたいように挑戦してください。失敗した時の責任は、すべて商会代表である私が取りますから」


 私がそう告げると、二人はパァッと花が咲いたような笑顔になり、「はいっ!!」と嬉しそうに声を揃えた。


(さあ来なさい、スキル。これが『管理を放棄した失敗ルート』だと言うのなら、私に変なポーズでも取らせて強制停止させればいいでしょう!)


 私は内心でギュッと身構え、スキルの発動を待った。


 …………。


 スキル『反復拒否』は、一切発動しなかったのだ。

 エラーのサイレンは鳴らない。

 インクの匂いもしない、ただ温かな紅茶の香りが満ちる平穏な空間が、そこにはあった。


(……スキルに、ポーズを取らされなかった)


 それはつまり、私が前世の「数字で縛るマネジメントの呪縛」から解き放たれ、自分の頭で正しい「余白」を選び取れたという、何よりの証明だった。


 じんわりと胸の奥に広がる成長の喜びに、私は一人で静かに安堵の息を吐き出した。


 *


 お茶会が終わり、リナさんとフィナさんが新しい薬瓶のアイデアを練るために市場へ買い出しに出かけた後。

 私は、ストーブの前で丸くなっているモフモフの塊に話しかけた。


「さて、最後はギルさんとのワンオンワンですね。ギルさんの今後のキャリアプランはいかがですか?」


 すると、愛らしい小狐の幻獣は、スッと細めた目をこちらに向け、鼓膜を震わせるような渋いイケボで口を開いた。


『俺の目標? ……そうだな。このストーブの薪の燃費をもう少し良くすることと……お前らが外で冷えて帰ってきた時、この部屋をいつまでも暖かく保つことだ』


「ギルさん……」


「俺もただの暖房係で終わるつもりはねェよ。毎度の酒とたばこの礼もある。細かな仕事は、今まで以上にこなしてやる。迷子のペット探し、落とし物の捜索、それに書類とか軽い荷物の配達作業……そのあたりは俺の鼻と足に任せな」


 ハードボイルドすぎるそのセリフと頼もしさに、私の限界事務員としての心が完全に射抜かれた。


「ありがとうございます……! そういえば、ギルさんって今おいくつなんですか? その貫禄、ただ者ではないと思っていましたが」


「さあな。百を超えたくらいから、数えてねェよ」


「ひゃ、百!? だ、大先輩でしたか! 流石は幻獣です。私、一生ついていきます!!」


 私が尊敬の念を込めて深く頭を下げると、ギルさんは「ふん」と鼻を鳴らし、気持ちよさそうに目を閉じた。


 数字のない目標と、互いを信じる心。

 完璧な分業で支え合うアリフィ商会は、今日も最高に温かく、定時退社に向けて穏やかな時間を刻んでいるのだった。

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