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魔女のバインダー  作者: 水色蛍
限界事務員、異世界プロジェクトマネジメント編
54/62

第54話:KPIが通じない世界で、私はフラミンゴになった

「あー、美味しそう……。ねえアオイさん、リナさん。このパフェに乗ってる果物、前にケイさんがくれた南国のフルーツに似てませんか?」


 ストーブの前のソファで、フィナさんが王都で最近配られている流行りのスイーツ情報誌(紙束を綴じた簡素なカタログのようなもの)をめくりながら、うっとりとした声を上げた。

 剣の修練を終えてお茶を飲んでいたリナさんが、身を乗り出してそれを覗き込む。


「あっ、本当だ! あの甘くていい匂いがする、黄色くてとろけるやつ! ドライフルーツにしてもすっごく美味しかったよね。……あーあ、また食べたいなー」


「あれは美味しかったですね。でも、こんなに雪が降っていては、南からの交易ルートは完全に塞がっているはずです。ケイさんの商隊も、無事に冬を越せていると良いのですが……」


 私が心配そうに窓の外へ目を向けた、その時だった。


 バンッ!!!


 事務所の重い木の扉が、けたたましい音を立てて勢いよく開け放たれた。

 冷たい雪風と共に転がり込んできたのは、全身雪まみれで、顔を真っ赤にして半泣きになっている男――他でもない、噂をしていたケイ・マルディーノ本人だった。


「お!ナイスタイミング!?」

「ア、アオイさぁん!! また助けてくれぇ!!」

「ケイさん!? い、生きてらしたんですね。でも、どうしてそんなボロボロで……」


 驚く私を余所に、ケイは窓の外を指差してガクガクと震えている。


「荷馬車を……外の荷馬車を見てくれ! うちの連中が、殺し合いを始めちまう!!」


 慌てて外を覗くと、雪の積もる路上に停められた巨大な荷馬車の前で、血の気の多い護衛の冒険者たちと、分厚いコートを着込んだ屈強な御者たちが、互いの胸ぐらを掴み合って激しい怒号を飛ばしていた。


「ふざけんな! 俺たち護衛が命懸けでアイスウルフを斬り捨てたから、王都に着けたんだろうが!」


「あぁ!? 俺たち御者が吹雪の中で徹夜で馬を操縦しなきゃ、全員とっくに雪の中で凍死してたわ!」


 一触即発。今にも剣が抜かれそうな険悪な空気に、私は息を呑んだ。


「……リナ! フィナ! 行きますよ!」

「了解!」

「はいっ!」


 私たちはコートを羽織るのもそこそこに、雪の降る外へと飛び出した。

 現場に到着するなり、真っ先に動いたのはうちの優秀な戦闘と治癒のスペシャリストたちだった。


「はいはいストーップ!! 吹雪を生き抜いて王都に着いたのに、こんな安全な場所で仲間割れして怪我したら、馬鹿みたいでしょ!」


 リナさんが男たちの間に割って入り、手首の関節と重心の移動を巧みに使った「剣士の感覚」で、屈強な男たちを次々と物理的に引き剥がしていく。

 力任せではなく、力のベクトルを逸らす見事な手際だ。


「ほら、喧嘩する前に凍傷の治療が先です! そこのあなた、腕から血が出てるじゃないですか。大人しく座ってください!」


 フィナさんは有無を言わさぬ「オカン属性」を全開にし、怯む男たちの傷口に手を当てて、淡い光と共に素早く治癒魔法をかけていく。温かい魔法の光に触れ、男たちの殺気立っていた空気が、みるみると削がれていった。

 すっかり2人も頼もしくなったものだ。


 二人が場を落ち着かせたところで、私はケイさんに事情を尋ねた。


「一体、何があったんですか?」

「例年以上の猛吹雪で、南からのルートはまさに地獄だったんだ。でも、なんとか無事に王都へ到着できたから……俺は労いの意味で、特別に『危険手当(冬のボーナス)』を出そうとしたんだよ」


 ケイさんは頭を抱えた。


「そうしたら、『俺が一番命を懸けた』『俺の働きが一番大きい』って、貢献度の査定を巡って揉めだしてしまって……。俺じゃ、誰にいくら分配するのが正解なのか、もう分からないんだ!」


(……なるほど。完全なる評価制度の崩壊ですね)


 私のいつものセンサーが、ピーンと反応した。

 命の危機という極限状態を乗り越えたからこそ、それぞれに「自分が一番頑張った」という強い自負があるのだ。曖昧な評価では誰も納得しない。


「お任せください、ケイさん。こういう時は『個別のKPI(重要業績評価指標)』を設定しましょう」


 私は前世の知識を引っ張り出し、自信満々に提案した。


「魔物を倒した数、雪かきをした時間、手綱を握った時間などを客観的に数値化し、S・A・B・Cのランク付けをして厳密に手当を分配すれば、誰もが納得――」


 そう言って革鞄からバインダーを取り出そうとした、その瞬間だった。


 ――ピクリ、と。

 私の右腕が、不自然な鋭さで跳ねた。スキル『反復拒否』の強制起動だ。


(あっ……!? スキルが!? なぜこのタイミングで!?)


 私の意思に反して、体が勝手に動き出し、バインダーを胸に抱きしめ冷酷な面接官のように「片手で相手をビシィッと指差し、冷たい見下し顔を作る」という嫌味なポーズに移行しようとする。


(ダメ!! このポーズで『お前の評価はCランクです』なんて言ったら、死線を越えた彼らのプライドをズタズタにしてしまう!)


 私は咄嗟に、指を差そうとする右腕を左手で強引に引き戻し、見下し顔を作ろうとする首の筋肉を全力で捻って抵抗した。


「ぐっ、ぬぬぬぬ……!!」


 結果として。

 私は「右腕を首の後ろに回して自分の左耳を引っ張り、片足立ちでフラミンゴのようにプルプル震えながら、顔だけ明後日の方向を向く」という、めちゃくちゃ前衛的でおかしなヨガのポーズ(あるいはお笑い芸人のギャグポーズ)の状態で硬直してしまった。


「……アオイ、急に新しいストレッチ始めたの?」

「雪の女神様への感謝の舞ですか? アオイさん、すごいです……!」


 リナが呆れ顔でツッコミを入れ、フィナが純粋なキラキラした目で拍手をしてくる。


(違う! 違うんです!! ちくしょうぅぅぅ!スキルも私に辱めを与えようと必死か!)


 私は雪の中でも顔から火が出るほど赤面しながら、フラミンゴのポーズのまま必死に思考を回転させた。


(なぜ失敗ルート? ……そうか! 死線を越えた仲間に『個別のランク付け』なんてしてしまえば、彼らの間に『あいつより俺の方が上だ』という致命的な亀裂が入る!)


 前世の会社でもそうだった。個人の成績ばかりを評価するシステムは、チームの助け合いを消滅させる。次に吹雪が来た時、「自分の評価にならない仕事(他人のカバー)」を誰もやらなくなり、パーティは確実に全滅するのだ。


 真理に気づいた瞬間、体を縛っていた見えない拘束がふっと解けた。

 私はフラミンゴのポーズを解き、咳払いをして乱れたコートを整えた。


「……ケイさん。先ほどの案は撤回します。個人の査定は不要です」


「えっ? じゃあ、どうやって手当を……」


「今回は『吹雪を乗り越え、王都の顧客に品物を無事に届けた』という、チーム全体での一つの成果です。今回の積荷の特別利益の数パーセントを、全員に『等分』で支給してください」


 前世の言葉で言えば、「チーム・プロフィットシェアリング(利益分配制度)」である。それを聞いた男たちは、案の定、不満げな声を上げた。


「はぁ!? 俺があいつと同じ額かよ! 冗談じゃねえ!」


「でも」と、私は彼らの顔を真っ直ぐに見据えた。


「魔物が出た時、剣の使えない御者さんも、松明を持って馬がパニックにならないように守ったんですよね?」


 御者の男が、ハッとして口をつぐむ。

 すかさず、リナも前に出て言った。


「護衛の皆さんも、荷馬車が雪にハマった時は、剣をスコップに持ち替えて一緒に雪かきを手伝ったんでしょう? だって、そうじゃなきゃ王都には着けなかったはずだもん」


「……っ」


 護衛の冒険者が、気まずそうに目を逸らした。


「『自分の仕事じゃないから』と見捨てなかったからこそ、あなた方は今、全員生きてここにいるんです。数字には絶対に表れない、あなた方のその『連帯感』こそが、最も価値のある仕事だったんですよ」


 私の言葉に、雪道に立っていた男たちの間に、静かな沈黙が降りた。

 やがて、御者の一人がバツが悪そうに頭を掻いた。


「……まあ、確かに。あの特大アイスウルフが出た時、一番腰抜かしてビビってたのはお前だったけどな」

「なんだと!? お前こそ、雪かきの時に腰痛ぇって泣き言ばっかり言ってただろうが!」


 言い合いのトーンは、先ほどの殺伐としたものではなく、死線を共にした戦友同士の笑い混じりの悪態に変わっていた。

 彼らは互いに肩を小突くと、「まあ、等分でいいか」「ああ、酒代には十分だ」と笑い合った。


「アオイさん……またしても、商会ごと救われちまった。あんたは本当に命の恩人だ!」


 ケイさんは涙ぐみながら私の手を取り、荷馬車の奥から甘い香りのする木箱をドッサリと取り出した。


「これ、南国で採れたばかりの最高級フルーツだ! 冷やして食うとうまいぞ。皆で食べてくれ!」


 *


 事務所に戻り、ストーブの周りで南国の甘いフルーツを堪能していると、暖房係のギルさんが私の膝に顎を乗せてきた。


「おうアオイ。さっき窓から見てたが、随分と奇抜なポーズを決めてたな。王都じゃあんな求愛ダンスが流行ってんのか?」

「……ギルさんまで、その渋いイケボでからかわないでください。あれは手首の筋を伸ばしていただけです」


 私が赤面してそっぽを向くと、フルーツを頬張っていたリナとフィナがニヤニヤしながらすり寄ってきた。


「ねえねえアオイ! さっきの片足でプルプルするポーズ、すっごく面白かったからもう一回やって見せてよ!」


「絶対にやりません! あれは事故です!!」


 私が即座に断ると、リナとフィナは顔を見合わせ、コホンと小さく咳払いをした。

 そして次の瞬間――二人は私の両腕にそれぞれギュッと抱き着き、上目遣いでとろけるような甘い声を出した。


「おねがぁい、アオイお姉ちゃん♡ リナ、どうしてももう一回見たいな?」

「私にも見せてくれませんか……? ダメ、ですか?(うるうる)」


「なっ……!?」


 私の心臓が、ドクンと大きく跳ねた。

 ヒロインと推し。可愛い社員の二人が、突如として放った、男を確実に落とすであろう破壊力抜群の『小悪魔のおねだり』。


(こ、この子たち……いつの間にこんな魔性を身につけたの!? 天然!? それとも計算!? どっちにしても可愛すぎる……!!)


「だ、ダメなものはダメですぅ……!」


 私はタジタジになりながら、真っ赤な顔で二人から逃げ回る羽目になった。


(はあはあ、し。心臓に悪い)


 外の雪はまだ降り続いているけれど、アリフィ商会の中はフルーツの甘い香りと楽しげな笑い声で、ぽかぽかと暖かかった。

 完璧な評価制度なんてなくても、この温かい連帯感さえあれば、私たちはどんな冬のズレも直していける。そう思える、穏やかな定時退社だった。

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