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魔女のバインダー  作者: 水色蛍
限界事務員、異世界プロジェクトマネジメント編
53/62

第53話:人の心とルールの整理

 冬の寒さが本格化してきた王都。

 アリフィ商会の事務所では、今日も赤々と燃える薪ストーブが、パチパチと心地よい音を立てている。


 私は淹れたてのハーブティーの湯気を顔に受けながら、ほっと息を吐いた。

 足元では「暖房係」の小狐幻獣・ギルさんが、毛布のようにふかふかの尻尾を私の足首に巻きつけてくれている。


(ああ……暖かい。冬の室内で、凍えることなく温かいお茶が飲める。これこそがホワイト企業の特権ですね……)


 前世の限界事務員時代、冬のオフィスは常に暖房の設定温度を巡る「お局様とのリモコン争奪戦」に敗北し、足先をキンキンに冷やしながら震えてキーボードを叩いていたものだ。それに比べれば、今の環境はまさに天国である。


 そんな穏やかな午前中のことだった。

 カラン、と控えめにドアベルが鳴り、一人の来客が事務所に入ってきた。


 上質な深い青色の厚手マントに身を包み、目元までフードを深く被った、やけに背の高い男性。彼は周囲を警戒するようにキョロキョロと見回しながら、わざとらしいほど低く嗄れた声を作って言った。


「やあ、街の皆。私はただの旅の者だが、少々――」


「「「こ、国王陛下ぁぁぁッ!! ご機嫌麗しゅう存じますぅぅッ!!」」」


 私、リナさん、フィナさんの三人は、声が重なるほどの完璧なシンクロ率で、直立不動からの美しい九十度の最敬礼(お辞儀)をキメた。


 以前、王城の温室で「温度調整魔導具」の修理を依頼された際、私たちはすでに彼がお忍びで街を歩く『リュミエール十三世』その人であることを知っている。

 隠し切れない気品と、その上質すぎるマントの生地で、一秒でバレバレだった。


「し、しーっ!! バレる! 頼むから顔を上げてくれ! 今日はお忍びなのだから、せめて『リュミ』と呼んでほしい!」


 国王陛下――もとい、リュミさんは、慌てて両手で顔を覆いながら悲鳴のような声を上げた。

 私たちはそっと顔を見合わせ、苦笑しながら彼をストーブの前の特等席へと案内した。


「いらっしゃいませ、リュミさん。冷えたでしょう、温かいお茶をどうぞ」

「……ああ、すまない。アオイ殿の淹れる茶は、いつも本当に香りが良くて落ち着くよ」


 フードを下ろしたリュミさんの顔を見て、私は思わず「ひっ」と息を呑んだ。


 元々穏やかで整った顔立ちの名君だが、今日の彼は異常だった。

 目の下には、かつての私を彷彿とさせるような「どす黒い隈」がべったりと張り付き、頬はゲッソリとこけ、今にも倒れそうなほどの疲労感が漂っている。


「リュミさん……そのお顔、どうされたんですか!? まるで決算期の経理担当みたいな顔色ですよ!?」

「うむ……実は、そのことで今日はアオイ殿に助けを求めに来たのだ。私はいま、書類の山に殺されかけている」


 リュミさんは重いため息をつきながら、事の顛末を語り始めた。


 原因は「冬の各街・村への支援物資の配給手続き」だった。


 この世界では、冬を越すために『火の魔石(暖房用)』や『風の魔石(雪除け用)』といった生活魔法の要となる物資が不可欠である。王城からは毎年、各村の要請に応じて支援を行っているのだが……。


「現在の承認手順はこうだ。まず『村長』が要請書を書く。それを地域の『代官』が確認し、王城の『財務大臣』へ送る。そして最後に、この『私』がすべてに目を通し、承認のサインをして、ようやく物資が倉庫から出荷される」


(村長→代官→財務大臣→国王……。出ましたね、日本の大企業も真っ青の、超・長距離スタンプラリー!)


 私は前世のトラウマを刺激され、こめかみを押さえた。


「リュミさん。それでは時間がかかりすぎます。村が要請を出してから物資が届くまでに、春になってしまいますよ!」


「分かっている……! 財務大臣や側近たちも『陛下はただでさえ激務なのだから、冬の配給の承認は我々に任せてください』と何度も止めてくれたのだ。だから、最初は彼らに託したんだが……」


 リュミさんは、申し訳なさそうに視線を泳がせた。


「だんだんと、むずむずしてきてしまってな。民がどれほど困っているのか、どの村がどれだけ魔石を必要としているのか……どうしても、自分の目でちゃんと見たくなってしまったのだ。彼らを信用していないわけではない! ただ、民の声を直接感じたくて、つい『やっぱり私の机にも書類を回してくれ』と頼んでしまって……」


(ああ……なるほど。優しすぎるが故の、マイクロマネジメントですね。しかしなんという名君。あゝ悲しき名君。)


 民を愛するあまり、全ての業務を自分で把握しようとして自滅する。

 典型的な「ワンマンで優しい社長」が陥る罠だ。


「結果、私の机には毎日数百枚の要請書が積み上がり、夜も眠れずサインをし続ける地獄のスタンプラリーが完成してしまったというわけだ……」


 悲壮な顔で項垂れるリュミさんを見て、私の「限界事務員センサー」がビンビンに反応した。

 これは、なんとかしてあげなければ。

 彼を救うことは、王国の民が凍死するのを防ぐことと同義だ。


(リュミさんは、民の声を知りたいだけ。ならば、承認のフローは止めずに、情報だけを共有する仕組みを作ればいい!)


「わかりました。リュミさん、ではこうしましょう!」


 私は自信満々に立ち上がり、革鞄から一枚の紙を取り出した。


「各村長に、要請書を『二枚』複写で書かせるのです! 一枚は代官から財務大臣へ回す『実務用』。もう一枚は、リュミさんの元へ直接届く『閲覧専用』! これなら、承認を止めずに民の声も読めます――」


 ――ピクリ、と。


 私の右腕が不自然に跳ねた。


(あっ……!? スキルが!?)


 私の意思に反して、腕が勝手に動き出し、空中で「書類の山に埋もれて白目を剥きながら、狂ったようにハンコを連打する」ような、ひどく滑稽なポーズを取ろうとし始めた。


(ちょっ、待って! ストップ!!)


 私は咄嗟に左手で右腕を掴み、体をビターンと自分のデスクに叩きつけて、無理やりポーズの完成を阻止した。


「アオイ殿!? どうしたんだ、急に机に突っ伏して!」


「……アオイのバグが始まったよ。今日は激しめだね」


 驚くリュミさんと、慣れた様子でお茶をすするリナさんの声が聞こえる。

 私は机に張り付いたまま、急速に頭を回転させた。


(なぜ失敗ルート? ……そうか! 村長たちに『二枚書け』なんていう事務負担を強いたら、余計に現場が混乱して不満が爆発する! エンドユーザーに手間を押し付けるシステムは最悪のUXだわ!)


 危ないところだった。私は自力でスキルの軌道修正(途中キャンセル)に成功し、むくりと顔を上げた。


「……失礼しました。今の案はナシです。現場に負担をかけてはいけません」


「お、おう。アオイ殿がそう言うなら……」


 私は再び考えた。


(現場に負担をかけず、リュミさんが情報を得られる方法……。そうだ、代官のところで『魔導具を使って自動複製』させればいい! そしてその複製した書類を全てリュミさんに送れば、承認フローと情報収集の完璧な両立ができる!)


「閃きました! リュミさん、代官たちに『自動書類複製魔導具』を配備し、すべての要請書のコピーを王城へ送らせるのです! これぞ、完璧な情報一元化システムです!!」


 これこそが最適解だ! と、私が高らかに宣言した、その瞬間だった。


 ――ビクゥンッ!!

 今度は、自力でのキャンセルすら許さないほどの強力な強制力が全身を支配した。


(えっ!? 嘘、これもダメなの!?)


 私の体は、デスクから勢いよく立ち上がると、片手で腰に当て、もう片方の手で「架空のメガネ」をクイッと押し上げる動作をした。

 さらに、顎をツンと不自然なほど高く上げ、悪の秘密結社の参謀のような、無駄にキザで傲慢なポーズをキメてしまったのだ。


「ふふふ……すべての情報は、我が手の中に集約されるのです……!」


(あああああああっ!! 何このポーズ!? 何このセリフ!? 国王陛下の前で痛すぎる中二病ポーズを取らされてる!! 恥ずかしい! 死にたい!!処される!!)


 顔から火が出るほどの羞恥心に襲われながら、私は涙目で硬直した。

 リュミさんが「ア、アオイ殿……? なぜ急に悪の黒幕みたいな笑いを……」とドン引きしている。


(なぜだ!? なぜ自動複製システムが失敗ルートなの!? ……あっ!!)


 キザなポーズのまま、私は真理に気がついた。


(……もし、複製された数百枚の書類がリュミさんの元に届いたら。この真面目で優しすぎる王様は、結局『夜な夜な全てに目を通す』ことをやめない! 承認のスピードは上がっても、王様自身の『過労死ルート』が全く解決していない!!)


 私は、前世で「無駄な報告書を全部ccで送らせて、結局メール処理だけで一日が終わるダメ上司」のシステムを、異世界で構築しようとしていたのだ。


 原因に気づき、心から反省した瞬間。

 体を縛っていた見えない糸がスッと消え、私は膝から崩れ落ちた。


「……ふぅ。……リュミさん。先ほどの黒幕ポーズは忘れてください。私は今、大変な過ちを犯すところでした」


「わ、わかった。忘れるから、泣かないでくれアオイ殿」


 赤面した頬を手で仰ぎながら、私は大きく深呼吸をした。

 そうだ。システムや魔法の道具でごまかすのではない。

 ビジネスにおける根本的な解決法は、いつだって『人の心とルールの整理』だ。


「リュミさん。優しいのは素晴らしいことですが、すべての権限を握りしめることは、時に民を凍えさせ、あなた自身を殺します。手放す勇気を持ってください」


「手放す、勇気……」


「はい。今から『決裁権限の委譲』と『条件分岐』のルールを作ります」


 私は新しい紙を取り出し、簡潔な図解を書いた。


「まず、要請書を入れる封筒を『緑』と『赤』の二色に分けます。

【緑の封筒】は、『魔石五十個以下』のような、各村の通常の冬の支援です。これは、地域の代官のハンコ一つで『自動承認』とし、そのまま王城の倉庫へ直行させます。リュミさんのサインは不要です」


「なっ……私が見なくても良いと言うのか!?」


「はい。その代わり、財務大臣に月に一度だけ、『緑の封筒が合計何件あったか』という『一枚の要約表』だけを作らせて、それを見てください。それで全体像は十分に把握できます」


 リュミさんは目を見開いた。


「そして【赤の封筒】。これは、規定量を超える大規模な支援や、雪害による緊急事態の要請です。これだけを、リュミさんのデスクに届けます」


 私は、リュミさんの目を真っ直ぐに見つめた。


「こうすれば、王の判断が本当に必要な『命に関わる重要案件』にだけ、あなたの限られた時間を全力で注ぐことができます。日常の配給は滞りなく民に届き、あなたは過労から解放される。部下を信じて、システムに任せるのです」


 リュミさんは、私が描いた図解と、自分の震える手を交互に見つめた。

 やがて、彼に張り付いていたどす黒い隈が、憑き物が落ちたように少しだけ薄くなった気がした。


「……なるほど。すべてを私が背負い込むのではなく、部下を信じて任せる仕組みを作ることこそが、真に民を救い、国を回すということか。……私は、自分の不安を消すために、民を待たせていたのだな」


「ええ。あなたはもう、十分すぎるほど立派な名君ですよ、リュミさん。たまには定時で退社して、温かいスープを飲んで寝てください」


 リュミさんは、深く、深く頷いた。


「ありがとう、アオイ殿。……いや、アリフィ商会。君たちの知恵に、またしても救われたよ」


 すっかり肩の荷が下りた様子のリュミさんは、立ち上がると足元で丸くなっていたギルに目を留めた。


「おお、狐の幻獣か。見事な毛並みだな。少し撫でさせてもらっても良いだろうか?」


 リュミさんは嬉しそうにしゃがみ込み、ギルの頭をわしゃわしゃと撫でた。

 王様自らのスキンシップである。普通なら光栄の極みだが――。


「おい、爺さん。もう少し撫で方を学んだ方がいいぜ。毛並みが乱れるだろうが」


 ギルさんが、その渋すぎる超イケボで、容赦のないダメ出しを放った。


「「「ぎゃあああああああッ!! な、なんて無礼を!!」」」


 私とリナとフィナの悲鳴が、平和な事務所に響き渡る。


「むッ!?その渋さ、 なかなかな威風と見える。 」


 こうして、冬の王都の「終わらないスタンプラリー討伐」は無事に完了した。

 国家レベルの承認フローを改善した私たちアリフィ商会は、今日も完璧な分業で、定時退社をキメるのだった。



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