第49話:職人の誇り
吐く息が白く染まる、冬の王都。
私たちは今、とあるご家庭での出張依頼を終え、底冷えのする石畳の通りを歩いていた。
「あー、小さい子って本当に元気だね! いっぱい遊んでもらっちゃった!」
「ふふっ、リナさん、遊ぶのがメインじゃなくて『家具の組み立て補助』が今日の依頼ですよ」
私は隣を歩くリナさんに笑いかけた。
今日のお客様は、旦那さんがギルドの冒険者で長期不在にしており、小さなお子さんを抱えて一人で奮闘しているお母さんだった。
新しく買った冬用の木製ベッドを組み立てたいが、子どもから目が離せず困っていたのだ。
私とリナさんが交代でお子さんの相手をしながら、無事にベッドを組み立て終えると、お母さんは涙ぐみながら感謝してくれた。
「でも、久しぶりにああいう依頼が来たね。最近はなんだかお堅いお仕事ばっかりだったから」
「そうですね。たまに専門的な大工仕事や建築の依頼も来ますけど、家を建てるような規模のものは私たちじゃできませんし、お断りしてお専門の職人さんにお任せするしかありませんからね」
冷たい風に鼻先を赤くしながら、私たちは和やかな足取りで事務所へと帰還した。
*
「ただいま戻りましたー」
「おかえりなさい、アオイさん、リナさん。温かいお茶、淹れますね」
事務所の扉を開けると、魔導ストーブの柔らかな熱気と、フィナさんの淹れてくれた紅茶の香りがふんわりと私たちを包み込んだ。
ストーブの特等席では、小狐の幻獣ギルが「お疲れさん」とばかりに尻尾を揺らしている。
「さて、今日の作業報告書をまとめて……と。ん?」
私は自分のデスクに向かい、そこに乗っている羊皮紙の山を見て顔を引きつらせた。
『王都第三地区・税務処理に関する相談』
『ギルド間の業務提携に伴う書類の不備チェック』
『琥珀糖の小さな工房・運用改善の相談』
(……なんですかこれ。完全に前世の総務・経理の月末業務じゃないですか!!)
私は限界事務員の顔の皮を被りつつ、内心で激しいツッコミを入れた。
(せっかく異世界に転生して、身体を動かして人助けをする『なんでも屋』というスローライフ(?)を手に入れたはずなのに! なぜか業績が上がるにつれて、ゴリゴリのデスクワークやコンサルタント業務が増えているんですか! 私の人生、どこまで行っても裏方の事務職からは逃れられない運命なんですかね!?)
「んー、私も手伝うけど、文字ばっかり見てると頭が痛くなっちゃうなぁ」
リナさんが羊皮紙の束をペラペラとめくりながら、うーんと背伸びをした。
「前みたいに、思いっきり体を動かしたり、工具を使ったりする仕事が増えないかなぁ」
「リナさんは本当に体を動かすのが好きですね。まあ、体力勝負の依頼が来たら、真っ先にお願いしま――」
私がそう答えかけた、その時だった。
バンッ!!
事務所の扉が、壊れんばかりの勢いで荒々しく開け放たれた。
「い、いらっしゃいませ!?」
フィナさんがビクッと肩を揺らす。
冷たい冬の風と共にズカズカと事務所に踏み込んできたのは、一人の女性だった。
年齢は二十代前半くらいだろうか。
ショートヘアがよく似合う、凛とした顔立ちの美人だ。
身長は私より頭一つ分以上高く、百七十センチは優に超えている。
動きやすい作業着風のズボンと厚手のシャツの上からでも、無駄のない筋肉がしなやかについているのがわかる。
健康的な美しさと、体育会系特有の威圧感を併せ持つ、職人のような出で立ちだった。
「アンタが、この『アリフィ商会』の代表か」
彼女は私の前に立つと、見下ろすように鋭い視線を向けてきた。
「は、はい。アオイと申しますが。あなたは?」
「私はイリス。イリス・ヴァルキュリアだ。王都で建築職人をやってる」
イリスさんは腕を組み、まるで挑戦状を叩きつけるような強い口調で言った。
「アンタらに依頼がある。『石垣の簡単な積み直し』だ。……なんでも屋なんだろ? まさか、この程度の仕事ができないなんて言わないよな?」
あまりにも喧嘩腰な態度。
「ええと……急を要する事態でしょうか? もし緊急性がないのでしたら、現在他の書類仕事なども立て込んでおりまして……」
私は角が立たないようにやんわりと断ろうとした。
自分で「建築職人」と名乗っているのに、なぜわざわざ私たちに石垣の修理を依頼するのか、その意図が読めなかったからだ。
「なんだ、断るのか? 噂じゃ『王城御用達の凄腕』だって聞いてたのに、現場の泥仕事はやりたくないってか?」
「なっ! アオイはそんなこと言ってないよ!」
イリスさんの挑発的な言葉に、リナさんがムッとして前に出る。
「……わかりました。お引き受けしましょう。アリフィ商会は、どのようなご依頼にも真摯に向き合います」
私はリナさんを制し、真っ直ぐにイリスさんの目を見返した。
彼女の瞳の奥には、単なる嫌がらせではない、何かドロドロとした『怒り』や『悔しさ』のようなものが渦巻いているように見えたのだ。
「フィナさんとギルさんは、事務所の留守番と書類仕事をお願いします。ギルさんは、例の『落とし物探し』の依頼も進めておいてくださいね」
「はいっ、お気をつけて!」
「やれやれ、俺をこき使いやがるぜ、うちの社長は」
私はリナさんを連れ、イリスさんの案内に従って現場へと向かった。
*
現場は、王都の郊外にある古い空き家の敷地だった。
庭を囲む石垣の一部が崩れ、土が剥き出しになっている。
「ここだ。崩れた石を積んで、モルタル代わりの粘土で固定するだけだ。さあ、やってみろ」
イリスさんは少し離れた場所に立ち、腕を組んで私たちを見張るような体勢をとった。
「よし、力仕事なら任せて! よいしょーっ!」
リナさんが持ち前の筋力で、重い石を次々と持ち上げていく。
私は、前世のDIY経験や、この世界に来てから培った「感覚と手癖」を頼りに、リナさんが運んできた石を組み上げ、その隙間に粘土を詰めていった。
石の重心を感じ取り、崩れないように噛み合わせを探る。
決して素人の作業ではない。
これまでも、こうして町の人たちのちょっとした困りごとを解決してきたのだ。
「……ふぅ。とりあえず、こんなところでしょうか」
三十分ほどで、崩れていた箇所は塞がり、一応の形にはなった。
私が土で汚れた手を拭い、振り返ろうとした瞬間。
「……まるでなってない」
イリスさんの低く、冷たい声が響いた。
「え?」
「石の目(重心)が全然読めてない。粘土の詰め方も甘い。あんなの、春の長雨が来たらすぐにまた崩れるぞ。……なんで、こんな出来と仕事ぶりで、アンタらは王都中で持て囃されてるんだ!」
彼女はギリッと唇を噛み締め、怒りを露わにして私たちの前に歩み寄った。
「どいてな」
イリスさんは私が積んだ石垣の前に立つと、躊躇なくそれを一度崩した。
そして、自らの手で石を拾い上げ、凄まじい手際で積み直し始めたのだ。
「うわ……すごい……」
リナさんが感嘆の声を漏らす。
イリスさんの動きには、一切の無駄がなかった。
石の形を瞬時に見極め、まるでパズルのピースをはめ込むように、ピタリ、ピタリと隙間なく積み上げていく。
手首の返し、腰の落とし方。
そのすべてが、厳しい修練によって研ぎ澄まされた『職人の経験と感覚』そのものだった。あっという間に完成した石垣は、私が作ったものとは比べ物にならないほど頑丈で、見た目も美しかった。
「……イリスさん。これほど見事な腕をお持ちなのに、なぜ、わざわざ私たちに依頼を?」
私はただ圧倒されながら、素朴な疑問を口にした。
その言葉を聞いた瞬間、イリスさんは持っていたコテを地面に叩きつけた。
「アンタらが、憎かったからだよ!!」
「っ!」
「アンタら『なんでも屋』ができてから、私みたいな下請けの職人の仕事が、ごっそり減ったんだよ!」
イリスさんは肩で息をしながら、悔しそうに顔を歪めた。
「石垣の積み直しとか、屋根のちょっとした修理とか、確かにこのくらいなら、少しやれば誰でもできるかもしれない。だから町の人たちは、安くて手軽なアンタらに頼むようになった」
彼女は泥だらけの手を、ギュッと強く握りしめた。
「でもな……私みたいに一人でやってる人間(一人親方)にとっては、こういう『小さな仕事』が、明日のパンを買うための大事な糧なんだ。お客さんに顔を覚えてもらって、『今度、家の改築も頼むよ』って言ってもらうための、大事な出会いの場なんだよ!」
私はハッとして、言葉を失った。
「大きな仕事は、城や教会と直接パイプを持ってる『工匠ギルドの連合』が全部持っていく。私たちみたいな一匹狼には、回ってこない。……で、頼みの綱の小さな仕事は、アンタらなんでも屋に取られる」
イリスさんの目から、悔し涙が一粒、石畳に落ちた。
「私は、死ぬほど怒鳴られながらも、この腕一本で食っていくために技術を磨いてきたんだ。……職人としての誇りがあるのに、仕事がない。どうやって生きていけばいいんだよ……っ!」
彼女の怒りと悲痛な叫びが、冷たい冬の風に乗って響いた。
前世でも見たことがある。
大きな企業が便利なサービスを展開したことで、町の小さな商店や下請けの職人たちが仕事と居場所を奪われ、消えていく光景。
私たちが良かれと思ってやっていた「町の人々への便利で手軽なサービス」は、意図せずして、イリスさんのような誇り高き一人親方の市場を破壊する『民業圧迫』を引き起こしていたのだ。
「……ごめんなさい。私たち、そんなこと全然気づかなくて……」
リナさんが、しょんぼりと目を伏せる。
「リナさんが謝ることはありません」
私は一歩前に出て、イリスさんを真っ直ぐに見据えた。
「イリスさんの仰る通りです。これは、アリフィ商会の代表である私の、市場への配慮と想像力が足りていなかった結果です。あなたの怒りは、正当なものです」
私は深く、完璧な角度でお辞儀をした。
「イリスさん。怒りのままに帰らないでください。一度、私たちの事務所に来ていただけませんか」
「……はぁ? なんで私が」
「現状の『市場のズレ』を、根本的に解決するためです」
私は顔を上げ、限界事務員から『経営者』の顔へと切り替わっていた。
「大手が大口を独占し、私たちが小口を奪う。このままでは、あなたのような素晴らしい技術を持った職人が干上がってしまいます。そんな損失を、私は見過ごせません」
「……」
「話し合いましょう。私たちと、あなたで。お互いの利益を守り、次の仕事へと繋げる『新しい導線』を作るために」
私の真剣な申し出に、イリスさんは戸惑うように瞬きをした。
職人の誇りと、経営のロジック。
私たちは冷たい冬の空の下、互いの立場の違いを乗り越えるための、新しい「業務改善」の第一歩を踏み出そうとしていた。




