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魔女のバインダー  作者: 水色蛍
限界事務員、異世界プロジェクトマネジメント編
48/62

第48話:私だけの味

 王都に本格的な冬が到来し、石畳に霜が降りる厳しい寒さが続く季節。


 私が暮らしているマルグリットさんの宿屋は、暖を求めるギルドの戦士たちや、北の未開地から帰還した冒険者たちで連日大繁盛していた。


「三番テーブルさんに、熱燗と串焼き三人前! お願いします!」

「はいっ! 熱いから気をつけてくださいねー!」


 夕暮れ時の食堂は、熱気と喧騒に包まれていた。

 私はトレーに料理を乗せて立ち回り、リナさんは持ち前の筋力で大量のジョッキを運び、フィナさんは空いたテーブルを手際よく拭き上げている。


 アリフィ商会としての依頼ではない。

 日頃から美味しい食事と温かい寝床を提供してくれるマルグリットさんへの、私からのささやかな恩返し(ボランティア)だ。もちろん毎月の家賃はしっかり払っているが、彼女がくれる安心感は金貨には代えられないものだった。


 リナさんもフィナさんも「アオイさんがお世話になってる人ならば」とお手伝いを協力してくれると言ってくれた。本当に私には勿体ない子たちである。


「アオイちゃん、悪いねえ。お休みの日なのに手伝わせちまって」


 厨房から顔を出したマルグリットさんが、額の汗を拭いながら申し訳なそうに言う。


「いいんですよ。これでも前世は……いえ、私は体力には自信がありますから」


 私は完璧な営業スマイルを返しつつ、ふとフロントのカウンターに置かれた『分厚い宿泊台帳』に目を留めた。


「マルグリットさん、今日の宿泊客は何名ですか?」

「ええと、たしか二階の角部屋に常連の行商人さんが三人でしょ、それからギルドの若い子が四人、あっ、窓際が苦手なドワーフのお客さんも来るんだったね」


 マルグリットさんは台帳をパラパラとめくりながら、自分の記憶だけを頼りに次々と部屋割りや顧客の好みを暗唱していく。


(……すごい。お客様の顔と名前、好みやアレルギーまで、すべて彼女の頭の中に保存されているんですね)


 私はその圧倒的なホスピタリティに感心する一方で、限界事務員としての危機感を覚えた。


(いくらマルグリットさんが有能でも、これでは彼女一人の負担が大きすぎます。もし彼女が体調を崩せば、この宿の予約管理は一瞬でショートしてしまう……!)


 ミスは起きていない。でも、このままでは彼女がオーバーワークで倒れてしまう。

 私はエプロンの紐をキュッと結び直し、前世の総務・経理ソウルを静かに燃やし始めた。


「マルグリットさん。厨房はお二人に任せて、私はフロントの『業務改善』に入りますね」


「ぎょうむかいぜん?」


 私は物置から大きな木の板を引っ張り出し、チョークで縦横に線を引いた。

 前世のホテルなどで使われている、見開きで部屋の空き状況が一目でわかる『ガントチャート風の予約ボード』だ。


 さらに、厚紙を切り抜いて小さなカードを量産する。


「これが『顧客管理システム(CRM)』の要です。常連のお客さんのお名前と、好みの味付け、苦手な部屋の場所などをこのカードに書き込んで、ボードに紐付けるんです」


 私はマルグリットさんの記憶をヒアリングしながら、凄まじいスピードでペンを走らせ、カードを完成させていった。


「ほら、見てください。これで誰がどの部屋にいるのか、今日は誰がどんな食事を希望しているのか、視覚的に一発でわかります! あなた以外の誰もが、最高のサービスを提供できるシステムです!」


「おお……こりゃあ、わかりやすいねえ。アオイちゃん、魔法使いみたいだ」


 マルグリットさんが目を丸くして感心する。

 私は「ふふん」と鼻高々で胸を張った。


 私の前世のビジネス知識が、大好きなこの宿の力になれたことが何よりも嬉しかった。


 *


 フロントのシステム化によりチェックイン業務が劇的に効率化され、私はマルグリットさんと共に厨房に立つ余裕ができた。


 厨房は、コトコトと煮込まれる肉と根菜の匂い、そして温かな湯気に満ちていた。

 大きな鍋の中で、宿屋の名物である『特製スープ』が、琥珀色の豊かな香りを放っている。


「アオイちゃん、そっちのキャベツを適当な大きさに切ってくれるかい?」

「はい、任せてください」


 私はまな板の前に立ち、包丁を握った。

 先日、フィナさんの家でお泊まり会をした時に、自分の料理スキル(家庭力)の無さは痛感している。完璧な立方体に切ろうとして無駄に時間をかけ、不器用さを露呈してしまったのだ。


(失敗したら、どうしよう……。また野菜の大きさがバラバラになって、味が染み込まなかったら……)


 一瞬、前世の私ならここで「失敗したくないから」と包丁を置いて逃げていたかもしれない。


 けれど、私はもう逃げない。

 スキル『反復拒否』に頼ることもなく、私は自分の意志で、キャベツに刃を下ろした。


「……このスープ、作ってみたかったんです」


 私は不器用ながらもトントンとキャベツを切りながら、隣で鍋を混ぜるマルグリットさんに笑いかけた。


「私が仕事で悩んだ時も、疲れた時も、不安でどうしようもなかった時も、マルグリットさんが作ってくれたスープ……。この温かさに、私はいつも救われてきたので」


 私の言葉を聞いて、マルグリットさんは木べらを動かす手を少しだけ止め、優しく目を細めた。その横顔は、まるでかつての自分を愛おしむように、あるいは迷子の娘を見守る母親のように、深い慈愛に満ちていた。


「アオイちゃん」

「はい」

「料理はね、完璧じゃなくていいんだよ。形が不揃いだって、鍋の中で一緒に煮込まれれば、ちゃあんと美味しいスープになる。……人も、同じさね」

「……はい」


 私は少しだけ不揃いになったキャベツを、大きな鍋の中にそっと流し込んだ。


 火の魔石の出力を調整し、灰汁あくを取り、スパイスをひとつまみ。

 ミリ単位の計算やマニュアルはない。お鍋のグツグツという音と、立ち上る湯気の匂いに全感覚を研ぎ澄ませる。


 スキルは一切発動しない。エラーのサイレンも鳴らない。


 間違えてもいい。

 やり直せばいい。

 失敗を恐れない日常の試行錯誤が、そこにはあった。


 *


「……できました」


 私は小皿にスープをすくい、ふうふうと息を吹きかけてから、そっと口に含んだ。

 野菜の甘みと肉の旨味が広がる。美味しい。……けれど。


「うーん……やっぱり、マルグリットさんの味の足元にも及びませんね」


 私はしょんぼりと肩を落とした。

 《《いつもの、》》心まで溶かしてくれるような完璧な一体感がない。

 少しスパイスが立ちすぎている気がするし、野菜の切り方が甘かったせいか、舌触りも少し荒い。


「これでは、お金を払ってくれるお客さんには出せないかもしれません……」


 私が残念そうに言うと、マルグリットさんが横から小皿を手に取り、ごくりとスープを味わった。


「……とても美味しいよ、アオイちゃん」

「えっ?」

「たしかに、私のいつもの味とは違う。少しスパイスが効いていて、元気が出る味だ。……でもね、心があったかくなる。とっても優しいスープだよ」


 マルグリットさんは、ポンッと私の頭を優しく撫でた。


「味をまねる必要なんてないんだよ。同じ味じゃなくていいの。あなたが『誰かを温めたい』と思って作った時点で、それはもう、立派な『あなたの味』なんだから」


「……私の、味」


 その言葉が、熱い塊になって胸の奥にストンと落ちた。

 失敗じゃない。

 これは、私が選んで、私が作った、私だけの正解なのだ。


 *


「おっ、今日のスープはなんだかいつもよりスパイスが効いてて、冷えた体に染みるぜ!」

「野菜がゴロゴロしてて食べ応えがあるな! おかわりくれ!」


 食堂に運ばれた私のスープは、冒険者たちから大好評だった。

 木製のジョッキがぶつかり合う音と、豪快な笑い声。


 湯気の向こうで「美味しい」と笑ってくれる人々の顔を見て、私は心の底からじんわりと温かい達成感に包まれていた。


「やれやれ。うちの社長は、ついに厨房までコンサルティングしちまったのか」


 営業が終わり、すっかり静かになった深夜の食堂。

 魔導ストーブの一番近くを陣取ったギルが、『スモルダリング・オーク』のグラスを傾けながら渋い声で呟く。


「ふふっ。アオイさんのスープ、すっごく美味しかったですよ!」

「うん! 毎日でも食べたいくらい!」


 賄いのスープを綺麗に平らげたフィナさんとリナさんが、満面の笑みで私に笑いかけてくれる。


「ありがとう、アオイちゃん。あの『顧客カード』のおかげで、これからはもっとお客さん一人一人とゆっくりおしゃべりする時間が作れそうだよ」


 マルグリットさんが、温かい紅茶を淹れてテーブルに置いてくれた。


「いつでも言ってくださいね。ここは私の……《《私たちの》》、大切な帰る場所ですから。システムのメンテナンスなら、いつでもやりますよ」


 私がそう言うと、マルグリットさんは「ふふっ、頼もしいねえ」と目を細めて笑った。


 窓の外では、冷たい冬の風がヒュオォォと音を立てて吹いている。


 けれど、この宿屋の中だけは、ぽかぽかと優しい空気に満ちていた。

 軋む床、古びた看板、そして笑顔の絶えない食卓。

 この温かい灯りがずっと続くように、私は限界事務員としてのスキルと、新しく見つけた「私だけの味」で、これからもみんなを守っていこう。


 紅茶の甘い香りに包まれながら、私は心からの笑顔で、大切な仲間たちとの穏やかな夜を過ごすのだった。

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