第46話:わだすに、おまかせくだしゃい
アリフィ商会の定休日。
冬晴れの澄んだ青空の下、私は一人で王都の繁華街へと買い出しに出ていた。
石畳の通りには、焼き立てのアップルパイの甘い匂いや、香辛料のツンとした香りが漂っている。冷たい風に鼻先を赤くしながら、私は前世の休日のように「干物女」と化す衝動を抑え、洗剤や保存食などの日用品を買い集めていた。
「よし、これで買い出しは完了ですね。あとは真っ直ぐ帰って、布団の中で丸くなりましょう」
そう呟いて帰路につこうとした、その時だった。
ふと、通りの向こうを歩く一組の男女に目を奪われた。
背が高く、爽やかな笑顔を浮かべる金髪のイケメン青年。
そして、彼と親しげに腕を組み、頬を染めて歩いている美少女。
淡いピンク色のニットワンピースを着たその少女は、バチバチに気合の入ったお化粧をしており、少し開いた胸元や、タイツ越しの健康的な脚線美が道行く人々の視線を釘付けにしていた。
(おやおや、王都にもあんなに可愛い女の子がいるんですねぇ。あんな太ももと引き締まったウエストを独り占めできるなんて、隣の男は前世でどれだけの徳を積んだんでしょうか。ゲヘヘ……)
私は心の中の『むっつりスケベな変態オヤジ』を大暴走させながら、ニヤニヤとその美少女を観察していた。
しかし、次の瞬間。
「……あれ?」
その美少女がふと横を向いた時の、少し特徴的なポニーテールの揺れ方。
そして、歩く時の見事な体幹のバランス。
「……リ、リナさん!?」
私は持っていた紙袋を落としそうになった。
見間違えるはずがない。
我がアリフィ商会が誇る最高の前衛であり、普段は動きやすさ重視の剣士服を着ているリナさんだ。私のヒロイン枠でもある。
それ以上に大事な従業員であり、仲間だ。
それが、あんなにも女の子全開の勝負服とお化粧で、見知らぬ男と腕を組んで歩いている。何度か見たことのある私服姿よりも更に決め込んでいるではないか。
(おおおお!!! ま、まさか、彼氏!!??)
私の脳内で、限界オタクの警報がけたたましく鳴り響いた。
(確かにリナさんはスタイルも良くて可愛くて、剣を振るえば超絶カッコいいという奇跡の優良物件ですが! いつの間にあんなイケメンと!? どこで!? 馴れ初めは!?)
私は気がつくと、社長としての威厳も大人の余裕もすべてかなぐり捨て、無意識のうちに建物の陰から陰へと移動しながら、二人の尾行を開始していた。
*
「……何やってんだ、あの人は」
路地裏の木箱の陰から、電柱(魔導灯)越しに目をギラギラさせて前方を睨む私。
その背後の軒下で、小狐の幻獣・ギルが細いパイプで煙草を吹かしながら、心底呆れ果てた渋ボイスで呟いた。
「ひゃっ!? ギルさん!?」
「休日だってのに、部下のストーキングとは。うちの社長も末期だな」
ギルは呆れ顔で紫煙を吐き出しながら、しっぽを揺らす。
「ス、ストーキングではありません! 私は雇用主として、大切な従業員のプライベートにおける安全と、相手の男が彼女にふさわしいかを見極める義務が……!」
「嘘をつけ。顔に『好奇心と変態的な妄想で爆発しそう』って書いてあるぜ」
「ぐぬぬ……っ!」
ギルの図星すぎるツッコミを無視して、私は再び視線を前方に戻した。
二人は暖かな飲み物を手に、王都を一望できる高台の展望公園へと向かっていた。
冬の冷たい風が吹く中、公園のベンチに座る二人。
イケメン青年が、リナさんの顔を覗き込むようにして何かを囁き、リナさんが顔を真っ赤にして彼の胸元を軽く叩いている。
その距離、わずか数十センチ。
(キ、キス!? もしかしてこの真っ昼間からキスするんですか!?)
私の脳内で、限界干物女の変態的な妄想がトップギアに突入した。
しかし同時に、私の脳内で天使と悪魔が激しく争い始めた。
『ダメですアオイ! 部下のプライベートを覗き見するなんて、最低の行為ですよ!』(天使)
『いや! 相手はどこの馬の骨ともわからない男! ここで二人の会話を聞き出し、身元を調査するのも社長の務めだ! ほら、風魔法を使え!』(悪魔)
「ええい、背に腹は代えられません! 風魔法の振動操作で、二人の会話を盗み聞きして――!」
私が悪魔の囁きに従い、《《極めて犯罪的な魔法》》を発動させようと指先を向けた、その瞬間だった。
――ビシィッ!!
私の中に備わったスキル『反復拒否』が、猛烈な勢いでエラーのサイレンを鳴らした。
「……んぐっ!?」
私の体は魔法を放つ直前で強制的にキャンセルされ、勝手に動き出した。
レンガの壁に背中を預け、片足を壁に立てかける。そして、両手で架空の大きなカメラのレンズを構え、目を細めてターゲット(リナさんたち)に狙いを定めるような動き。
それはまるで、三流週刊誌の『激写を狙うパパラッチ(あるいは悪徳探偵)』のポーズだった。
(ひえええええっ!? なんですかこの、卑劣で生々しい犯罪者スレスレのポーズは!!)
私は業火のような羞恥心で顔面を沸騰させながら、スキルの放つ強烈な警告を《《当たり前に》》理解した。
(…ですね。 つまり、「部下のプライベートを魔法で盗聴するのは完全なるコンプライアンス違反(犯罪)であり、社長としての信頼を永遠に失う一発レッドカード(エラー)」というわけですね!? わかっています、わかっていますからパパラッチは許して!)
私は「スクープいただきだぜ!」と下卑た笑いを浮かべそうになる表情筋を必死に引きつらせ、己の全筋力を動員して、架空のカメラを構える腕を強引に下ろした。
「……んぐぐぐっ! 私は、犯罪者には、なりませんっ!」
私が自力でポーズをねじ伏せようと格闘した結果、バランスを崩してしまい。
ガシャァァーンッ!!
私はその場にあった空の木箱の山に、盛大に突っ込んでしまった。
「あいたた……っ」
「おいおい、自業自得だぜ」
ギルが呆れ果てて前足で顔を覆う。
「……あれ? アオイ? どうしたの、そんなところで!」
大きな物音に気づき、ベンチに座っていたリナさんがこちらを振り向いた。
「ひゃっ!? あ、いや、これはその……! 木箱の耐久テストをですね!」
私は頭に木屑を乗せたまま、顔を真っ赤にして立ち上がった。
完全に言い逃れができない状況だ。
すると、リナさんの隣にいたイケメン青年が、立ち上がって爽やかな笑顔でこちらへ歩み寄ってきた。
「あなたが、アオイさんですか。初めまして」
「えっ? は、はい。初めまして、ですが……」
私が警戒して身構えると、彼は懐から一つの銀色のプレートを取り出した。
「私は他国の商業ギルドで働いている、シード・ヴェルナと申します。リナの兄です。」「……え?」
プレートには確かに『シード・ヴェルナ』という名前と、ギルドの紋章が刻まれていた。言われてみれば、目元や快活な雰囲気がリナさんにそっくりだ。
「あ、お兄さん……ですか」
「はい。明日の朝には任地へ帰らなければならないので、今日は久しぶりに、兄妹で思い出の場所を巡っていたんですよ」
シードさんは穏やかに笑った。
(……彼氏じゃなくて、お兄さん!?)
私は内心でホッと胸を撫で下ろすと同時に、自分の変態的な妄想とストーキング行為を死ぬほど恥じた。
「お、お兄様でしたか! これは大変失礼いたしました!」
私が慌ててお辞儀をすると、シードさんは深く頭を下げた。
「妹が、いつもお世話になっております」
「お、お兄ちゃん、やめてよ……!」
リナさんが顔を赤くしてシードさんの袖を引くが、彼は構わず言葉を続けた。
「よく手紙で、アオイさんのことを聞くんですよ。『アオイは本当にすごいんだ』『アオイの下で、ずっと一緒に頑張りたい』と……。昔から真っ直ぐすぎるこの子が、こんなに素晴らしい上司と仲間に恵まれたこと、兄として本当に感謝しています」
「お兄ちゃん!! 余計なこと言わないでってば!!」
リナさんは顔から火が出そうなほど真っ赤になり、ついにシードさんの背中をバンバンと叩き始めた。
(……リナさん)
私は、その言葉に激しく胸を打たれていた。
前世では、誰かにそんなふうに思ってもらえたことなんて一度もなかった。
ただの歯車だった私が、この異世界で、こんなにも素敵な部下(仲間)から信頼してもらえている。
「……こちらこそ!」
私は溢れそうになる涙をグッと堪え、アリフィ商会の代表として、最高にカッコいいキメ顔を作った。
「お兄様!! 《《リナしゃんのことは、わだすに、おまかせくだしゃい》》!!」
…………。
静寂。
冬の冷たい風が、ヒュオォォ、と私たちの間を吹き抜けていく。
「……ぷっ。あははははっ! アオイ、思いっきり噛んでる!」
「ふふっ。はい、妹をどうかよろしくお願いします」
リナさんがお腹を抱えて大爆笑し、シードさんも堪えきれないように笑い出した。
(ぐあああああっ! なんでこんな一番大事なところで盛大に噛むんですか私!!)
私は穴があったら入りたい気持ちで顔を覆った。
一層掘って消え去りたい。
しかし、不思議とスキル『反復拒否』は発動しなかった。
そうか。スキルは、私のこの失敗を優しく許容してくれていた。
いや、こういう時に発動してくれよ。
「やれやれ。締まらねえ社長だ」
足元のギルも、呆れながらも少しだけ楽しそうに喉を鳴らした。
「それにしてもさ」
笑い終えたリナさんが、ふと不思議そうな顔をして私を見た。
「アオイ、なんであんな木箱の後ろに隠れてたの?」
「ぎくっ!!」




