第42話:アルバイト募集
王都に冷たい北風が吹き込み、吐く息がうっすらと白く染まり始めた頃。
『アリフィ商会』の業績は右肩上がりの絶好調を迎えていた。
毎日、途切れることなく依頼が舞い込み、事務所のポストである『ポス郎』は、「オテガミ、イッパイデスヨー!」と悲鳴のような歓喜の声を上げている。
だが、その大繁盛は、前世の私が最も恐れていた事態を引き起こしていた。
「ふぁぁ……っ。アオイさん、西区画のギルドへの納品書、終わりました……」
「こっちは北区画への屋根の修理、完了……っ。あー、肩がガチガチだよぉ……」
夕暮れの事務所。
魔導ストーブの火が赤々と燃える中、デスクで羊皮紙の束と格闘していたフィナさんは、うつらうつらと船を漕ぎ、目の下にはうっすらとクマができている。
外から帰ってきたリナさんは、自慢の快活な笑顔もどこへやら、重い足取りでソファに倒れ込み、ぐったりと自分の肩を揉みほぐしていた。
淹れてから時間の経った紅茶はすっかり冷め、部屋の空気には「疲労」という名の重苦しい妖気がどんよりと漂っている。
(……いけません。この空気、前世の繁忙期の月末そのものです!)
私は羽ペンを置き、かつてのブラック企業でのデスマーチの記憶をフラッシュバックさせていた。
(私が目指すのは、従業員が笑顔で定時に帰れる超ホワイト企業。このままでは、私の大切な可愛い部下たちが、過労で倒れる社畜ルートに突入してしまいます!)
私はバンッ!とデスクを叩き、勢いよく立ち上がった。
「リナさん、フィナさん! 働きすぎです、今日はもう業務終了! そして、明日から『アルバイト』を募集します!」
「あるばいと……?」
「はい! 簡単な探し物や事務所の留守番、ちょっとしたお手伝いをしてくれる『新しい仲間』を雇うんです。私たちの負担を減らすために!」
「わぁっ! 新しい仲間ですか!」
「賛成! もう私、目が回るかと思ってた!」
こうして私たちは、ポス郎の側面に、大きく「求人募集:未経験歓迎、アットホームな職場です!」という(前世で見ると一番怪しいフレーズの)張り紙を出したのだった。
*
翌日の午後。
さっそく求人の張り紙を見て、一人の(?)応募者が事務所を訪ねてきた。
カランコロン。
「はい、いらっしゃいませ!」
元気よくフィナさんが声をかけるが、扉の向こうには誰もいない。
「……下だ、小娘」
足元から聞こえた声に視線を落とすと、そこにいたのは、艶やかな金色の毛並みを持った一匹の『小狐』だった。
額にはルビーのような美しい赤い宝石が埋め込まれ、大きな耳と、きゅるんとした愛らしい瞳がこちらを見上げている。
「小狐が……喋った!?」
「ただの狐じゃねえ。カーバンクルだ。表の求人を見たぜ。アットホームな職場ってのは眉唾だが、条件次第じゃあ俺が働いてやってもいい」
カーバンクルと名乗った小狐は、短い前足を組むような仕草をして、ふっ、と鼻を鳴らした。
……待ってほしい。
見た目は完全に「きゅるん系マスコット」の極みなのに、口から出ている声は、歴戦の傭兵のような『低くて落ち着いた渋ボイス』なのだ。
(……っ! やばいです、モフモフの幻獣! 額の宝石! そしてこの見た目と声の圧倒的ギャップ! 限界モフモフオタクの私にとって、ストライクど真ん中の可愛さです!!)
私は内心で荒ぶるオタクの叫びを必死にポーカーフェイスの下に封じ込め、咳払いをして「面接官」の顔を作った。
「なるほど、カーバンクルさんですね。お名前は?」
「ギルだ。好きに呼びな」
「ではギルさん。弊社の面接にお越しいただきありがとうございます。代表のアオイです。早速ですが、雇用条件のすり合わせを行いましょう」
私はデスクから、昨晩徹夜で作った分厚い羊皮紙の束を取り出した。
(いくら相手がファンタジーな幻獣とはいえ、きちんと社会人として扱わないと失礼ですからね! ここは代表として、しっかりとした雇用契約を結ばねば!)
私は前世のビジネス知識をフル活用し、自信満々にそれをギルの前に突きつけた。
「当社は法令順守を徹底しています。これが『労働条件通知書』です。勤務時間は朝九時から夕方五時。休憩一時間。時間外労働の割増賃金規定、有給休暇の付与日数、そして業務目標(KPI)に基づく評価制度も完備しています! さあ、ここに肉球でサインを!」
私が完璧な「人間用」の契約書をドヤ顔で提示した、その瞬間だった。
――ビシィッ!!
私の中に備わったスキル『反復拒否』が、強烈なエラー判定を下した。
「……んぐっ!?」
私の体は勝手に立ち上がり、両腕をカクッ、カクッと、まるで『ぜんまい仕掛けが壊れた時計』や『感情を失った無機質なロボット』のように、不自然で硬直した動きを刻み始めようとした。
(ひえええっ!? なんですかこの、心を持たない社畜マシーンみたいなロボットダンスは!?)
私は動き出そうとする自分の両腕を、必死の思いでガシィッ! と胸の前で交差させ、己の筋力で強引に押さえ込んだ。
(ストップ! 止まりなさい私の体! ……ハッ! わかりました!)
私は冷や汗を流しながら、自力でポーズをキャンセルし、激しく息を吐いた。
(いくら誠実な対応のつもりでも、自由な生態を持つ幻獣に、人間の『ガチガチの数値管理』や『労働時間』を押し付けるのは、彼らの感情や余白を無視した機械的な搾取! 結局それは、相手がすぐ辞めてしまう『採用失敗ルート』ですね!?)
私は内心で涙を流した。
(肉体的にポーズを抑え込むの、毎度毎度すっごく疲れるんです! しかし人間以外のマネジメント……むずいです、むずいよお!)
「ア、アオイさん……? なんだか急に立ち上がって、一人で自分を抱きしめて震えてますけど……」
「寒気でもしたの!?」
「だ、大丈夫です! ちょっと前世の凝り固まった常識を、自力でへし折っただけですから……っ!」
私は大きく深呼吸をして、自信満々で出した分厚い契約書を、自らの手でビリビリに破り捨てた。
*
「……ギルさん。失礼しました。幻獣であるあなたに、人間の枠組みを押し付けるところでした」
私は目線を彼と同じ高さに合わせるため、床にしゃがみ込んだ。
「契約内容を、あなた専用の『特別枠』に変更します。ご希望の条件はありますか?」
ギルは呆れたように私を見ていたが、やがて渋い声で答えた。
「……仕事終わりの一服と酒を許してくれ。あぁ、煙草は事務所の外で吸うからよ」
「えええ??お酒と煙草、ですか」
「ああ。酒は『スモルダリング・オーク』。煙草は『ナイトリーフ』だ。それさえ用意してくれりゃ、きっちり働いてやるぜ」
きゅるんとした小狐の口から出る、あまりにもハードボイルドな要求。
幻獣というものは全くもって分からない。
「わかりました。それらは必要経費として現物支給いたします。業務内容は、迷子探しや探し物、そして冬の間の『事務所の暖房係』。……それから、疲れている私たちの『癒やし』です」
「ふん。安い御用だ」
ギルはぽふっ、と小さな肉球を私の手に乗せ、契約は無事に成立した。
*
それから数日後。
新入社員のギルは、控えめに言って『地味に超有能』だった。
「ギルちゃん、暗くて棚の奥の書類が見えないよー」
「……ほらよ」
リナさんが困っていると、ギルは額のルビーをふんわりと発光させ、絶妙な角度で手元を照らす照明係になってくれる。
「ギルさん、ご近所の奥様から『迷子の猫を探してほしい』って依頼が……」
「猫はな、追うもんじゃねえ。待つんだ」
ギルは渋い声でそう言うと、風下の絶妙な位置に香ばしい煮干しを置き、たった十分で迷子猫を事務所に誘い込んでしまった。
そして何より、彼の最大の功績は『アニマルセラピー兼ホッカイロ』としての役割だった。
「はぁ〜……ギルちゃんの毛並み、フワフワで温かいです〜」
「体温が高くて、最高の湯たんぽだよー!」
休憩時間になれば、リナさんとフィナさんがギルを囲み、思う存分ブラッシングをしたり、膝の上に乗せたりしている。
冷え込む事務所の中で、カーバンクルの高い体温は極上の暖房器具だった。
二人の顔からすっかりクマは消え去り、最高のモチベーションで仕事に復帰している。
(……完璧な職場環境です。これぞ真のホワイト企業)
私は魔導ストーブのそばで温かい紅茶を一口飲み、満足げに頷いた。
人間のルールに縛られない、彼らなりのペースと余白を尊重すること。それが異世界での正しいマネジメントなのだ。
夕暮れ時。
事務所の裏口の軒下で、ギルは『ナイトリーフ』の葉を細いパイプに詰め、額の宝石の熱で器用に火をつけて紫煙をくゆらせていた。
傍らには『スモルダリング・オーク』の琥珀色の液体が入った小さなグラス。
私はそっと窓越しに、そのハードボイルドな背中を見つめた。
(やれやれ。あの小娘たちの癒やしが、俺の一番の仕事のようだな……悪くねえが)
ギルがそんなふうに渋い独白を心の中で呟いているなんてことは露知らず。
限界事務員の異世界スローライフは、新しいモフモフな家族を迎え、今日もノンストレスで温かく過ぎていくのだった。




