第41話:ハブ&スポーク
秋が深まり、王都を吹き抜ける風に冬の気配が混じり始めた頃。
アリフィ商会の事務所では、今年初めて火の魔石を組み込んだ魔導ストーブが稼働していた。ほんのりと焦げたような石の匂いと、柔らかな温風が部屋を満たしている。
卸売市場での「どんぶり勘定」を相見積もりで解決したあの日以来、私の経理魂はすっかり自信を取り戻していた。
(やりましたね。スキルに頼らずとも、私のロジックは異世界でも通用するんです)
温かいハーブティーを傾けながら、私は書類の山を前に充実感を噛み締めていた。
バンッ!
「なんでも屋……いや、アリフィ商会のお嬢ちゃんたち! 頼む、助けてくれ!!」
勢いよく事務所の扉を開けて飛び込んできたのは、頭に大きな銀色の耳、腰に立派な尻尾を生やした狼獣人の青年だった。
王都の小口配達を担う宅配ギルド『流星便』のリーダー、ガリックさんだ。
「 どうしたんですか、そんなに慌てて」
「荷物が多すぎて、配達が全然追いつかねえんだ! ギルドの仲間たちが、過労で倒れそうなんだよ!」
彼が道を空けると、その後ろから、犬や狼の耳を持った獣人の少年少女たちがゾロゾロと入ってきた。全員がゼェゼェと荒い息を吐き、自慢のモフモフな耳と尻尾を力なくしょんぼりと垂れ下げている。
(……っ!)
その瞬間、私の限界オタクソウルが激しく共鳴した。
(獣人さんたちのモフモフな耳と尻尾……尊い! 触りたい! あのしょんぼりした耳の付け根に顔を埋めて、思う存分わしゃわしゃと撫で回して癒やしてあげたい!!)
前世から大の動物好きだった私にとって、目の前の光景は理性を吹き飛ばすには十分すぎる破壊力だった。
しかし、私はアリフィ商会の代表。ここで「うほっ!モフモフ最高ー!」と飛びつけば、ただの不審者として通報されてしまう。
「……事情はわかりました。すぐに向かいましょう」
私は必死に表情筋を引き締め、鉄壁のポーカーフェイスで頷いた。
*
流星便のギルドがある倉庫街に到着した私たちは、目を疑った。
「おう! 東区画の荷物、俺が持っていくぜ!」
「よっしゃあ! 西区画の三番地、風より速く届けてやらあ!」
「うおおおおっ! 走れ走れぇっ!!」
冬が近いというのに、ギルドの前は真夏のような熱気と、獣人たちの汗の匂いに包まれていた。
上半身裸になった熱血獣人たちが、次々と荷物を一つ引ったくっては、猛烈なスピードで王都の街へ駆け出していく。
そしてしばらくすると、「終わったぜ!」と手ぶらで全速力で戻ってきて、また新たな荷物を一つ受け取って走り出していくのだ。
「ええと……皆さん、もしかして『荷物を一つ受け取って、届けたらそのまま手ぶらで帰ってくる』というピストン輸送をしているんですか?」
「おうよ! 俺たち獣人は足が速えからな! 気合と根性で走りまくれば、そのうち終わるだろ!」
ガリックさんが親指を立てて白い歯を見せる。
(……見事なまでの『点と点のピストン輸送』ですね)
私は呆れを通り越して、少し面白くなってしまった。
前世の体育会系営業部を思わせる、あまりにも熱血で脳筋な集団だ。
同じ東区画に行く荷物でも、別々の配達員が一つずつ抱えて何度も往復している。
彼らの圧倒的な身体能力(足の速さ)があるからこそ成立している、ファンタジー特有のズレた物流システムだった。
さて、これをどう解決するか。
私は腕を組み、最近の自信に満ちた頭脳をフル回転させた。
(前回、私は力業に頼らず、ロジックで解決しました。今回も同じです。ただし、相手は人間ではなく『獣人』。ファンタジーな世界観ならではの、彼らの特性を活かしたアプローチを考えなければ……!)
閃いた。
(獣人といえば、優れた嗅覚と狩猟本能! ならば、荷物の届け先エリアごとに『マタタビ的な魔力香料』で異なる匂い付けをし、彼らの競争心と狩猟本能をゲーム感覚で煽って走らせれば、勝手にルートを構築してくれるはず! 私ってば天才プロデューサーですか!)
私は前世のビジネス知識とファンタジーの偏見をミックスさせた、自信満々な最適解を導き出し、ガリックさんに向かってドヤ顔で口を開きかけた。
「ガリックさん、良い案があり――」
――その瞬間だった。
ビシィッ!!
私の中に備わったスキル『反復拒否』が、鋭く起動した。
「……んぐっ!?」
私の体は勝手に動き出し、広場の真ん中へと歩み出る。
そして、両手に丸めた羊皮紙を強く握りしめ、足を肩幅に開いて、ピッ! ピッ! と架空の笛を吹きながら、空と地上に向けて激しく腕を振り下ろそうとした。
それはまるで、空港で飛行機を誘導する『敏腕マーシャラー』か、交差点の真ん中で踊るように交通整理をする熱血警備員のポーズだった。
(ひえええっ!? なんですかこの無駄にキレのある交通整理ポーズは!?)
私は反射的に、振り下ろそうとした両腕を胸の前でガシィッ! と交差させ、己の筋力で強引にポーズをキャンセルした。
(ぐぬぬぬっ! 止まりなさい私の体! ……ハッ、わかりました! 獣人だからって本能や匂いに頼ったドーピングまがいの解決策は、彼らを『動物扱い』する労働基準法違反! しかも競争心を煽れば交通事故が増えるだけの『失敗ルート』というわけですね!?)
私はギリギリのところでポーズをねじ伏せ、荒い息を吐いた。
「アオイさん!? なんだか急に両腕をクロスして、防御姿勢を取ってますけど!?」
「大丈夫です、フィナさん……! 今、私の中の浅はかな偏見をブロックしたところです!」
私は咳払いをして、いつもの「冷静な大人」の顔を作った。
スキルの警告は正しかった。
必要なのは、本能に頼ることではない。人間と同じように、彼らの動きを知的に『交通整理(ルート最適化)』してあげることなのだ。
*
「ガリックさん、皆さんの気合と根性は素晴らしいですが、移動の無駄が多すぎます。物流には『ハブ&スポーク方式』の導入が必要です」
私は王都の地図を広げ、チョークで東西南北の四つのエリアに大きく線を引いた。
「いいですか、荷物一つで走らない! まずはこの広場を『ハブ(拠点)』とし、荷物をエリアごとに仕分けます! そして、東エリア担当になった人は、東行きの荷物を『一度に全部』持って出発するんです。点と点ではなく、線と面で網羅してください!」
私の指示を受け、アリフィ商会が誇る現場監督の二人が動き出す。
「東区画の荷物はこっちの箱ね! 重いものは私が仕分けるから任せて!」
リナさんが驚異的な筋力で、山積みの荷物を次々とエリア別の木箱に放り込んでいく。
「配達から戻った皆さんは、これ飲んでください! 疲労回復と熱中症予防に効く、特製の冷たい薬草水です!」
フィナさんが、汗だくの獣人たちに爽やかなミントの香りがする水を配って回る。
「おおっ、なるほど! これなら何度もギルドに戻ってこなくて済むぞ!」
「あそこの角を曲がれば、三件まとめて届けられるな!」
ルートが最適化されたことで、獣人たちも本来の賢さを取り戻し、効率よく荷物を捌き始めた。
彼らの圧倒的な身体能力と、私のロジカルな交通整理が完璧に噛み合った瞬間だった。
*
夕方。
日が傾き、冷たい冬の風が吹き始める頃には、ギルドの前にあった荷物の山は嘘のように消え去っていた。
いつもなら夜まで走り回っているはずの配達員たちは、すでに業務を終え、広場の端で車座になって休んでいた。
「ふう。今日もいい仕事したな」
「おう。あそこの定食屋、寄って帰るか?」
彼らは汗を拭いながら、火の魔法でたばこに火をつけ、紫煙をくゆらせながらのんびりと談笑している。
その光景は、前世の物流倉庫の裏で休憩している、ブルーワーカーのお兄さんたちと何一つ変わらない、心地よい日常のワンシーンだった。
(……なんだか、すごく安心しますね)
私はたばこの煙と冬の匂いが混ざった空気を吸い込みながら、少しだけ頬を緩めた。
「お嬢ちゃん、すげえな! いつもの半分の疲れで、もう終わっちまったぜ!」
ガリックさんが、嬉しそうに尻尾をブンブンと振りながら近づいてきた。
「ええ。ルートの可視化と適材適所の配置。アリフィ商会の基本業務です」
私が涼しい顔で答えると、他の狼や犬の獣人の子供たちも「お姉ちゃんありがとう!」「すごく楽だった!」と、私の周りに集まってきて、頭や体をすり寄せてきた。
ふわふわの毛並み。
ピコピコと動く三角の耳。
私の手に触れる、温かくて柔らかな尻尾。
「……っ!!」
ついに、私の理性が決壊した。
「ほ、本日だけ! 業務完了の特別ボーナスとして、撫でる許可をいただきます!!」
「わぁっ! お姉ちゃんの手、優しい!」
「もっと撫でてー!」
「あああ……尊い……! 毛並みが最高です! 皆さん今日はお疲れ様でした、いい子ですねぇ〜っ!」
私は獣人たちに囲まれ、夢中になって彼らの耳の裏や首筋をわしゃわしゃと撫で回した。
「アオイが、完全にモフモフの海に溺れてる……」
「ふふっ、アオイさん、すごく幸せそうですね」
リナさんとフィナさんが呆れたように笑う声を聞きながら、私は前世の激務では決して味わえなかった、極上の「モフモフの楽園」を堪能するのだった。
アリフィ商会の物流改善業務は、私の心に最高の癒やしをもたらして、無事に幕を閉じた。




