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魔女のバインダー  作者: 水色蛍
限界事務員、異世界プロジェクトマネジメント編
40/62

第40話:マトリクス表

 国王陛下からの指名依頼という、これ以上ない華々しいデビューを飾った『アリフィ商会』。


 王城の温室を見事に改善したという実績は瞬く間に王都中に広まり、私たちの事務所には連日、個人から大商家までひっきりなしに依頼が舞い込むようになっていた。


 しかし、大繁盛は同時に、ある深刻な問題を引き起こす。


「アオイさん! 修理用の特殊な木材と、生活魔法の補助に使う風の魔石が、もう底を突きそうです!」


「フィナの治療用の薬草も、軟膏用の瓶も、ストックがカツカツだよー!」


 秋晴れの清々しい午前中。事務所の在庫棚を確認していたリナさんとフィナさんが、悲鳴のような声を上げた。


「ええ、把握しています。ですから今日はお二人に、とっておきの場所へ同行していただきます」


 私はデスクの引き出しから、一枚の真新しい木札を取り出し、ドヤ顔で二人に掲げてみせた。


「これは……王都商業ギルドの刻印?」

「はい。法人登記を済ませた正式な商会だけが入場を許される、業者専用の『卸売市場』への通行証パスです!」


 私は前世の経理魂を燃やし、拳を強く握りしめた。


「これまで私たちは、小売店から定価で資材を買っていました。ですが、このパスがあれば、質の良い資材を『卸値(安値)』で大量に仕入れることができます! 利益率の大幅アップ! 徹底的なコストダウンです! さあ、買い出しに行きますよ!」


「おおーっ! なんかよくわからないけど、アオイがすごく燃えてる!」


「はいっ! お供します!」


 *


 王都の南区画に位置する、業者専用の卸売市場。


 一歩足を踏み入れると、そこは一般の市場とは桁違いの熱気と喧騒に包まれていた。


 荷馬車を引く獣の匂い、乾いた木材やスパイスの香り。

 そして威勢のいい商人たちの怒号のようなやり取りが、秋の空高く響き渡っている。


「すごい活気だね! あちこちで大量の荷物が動いてる!」

「アオイさん、あそこの問屋さん、すごく人が並んでいますよ!」


 フィナさんが指差したのは、市場の中心にある一番大きな老舗の問屋だった。看板には『ドナト資材店』とある。上質な木材から純度の高い魔石、珍しい薬草まで総合的に扱っているようで、品質は確かに良さそうだ。


 しかし、その店の前では、なぜか客と店主が大声で言い争っていた。


「おい親方! 昨日この魔石は銀貨三枚だって言ったじゃねえか! なんで今日は五枚になってんだよ!」


「うるせえ! 昨日は俺の機嫌が良かったんだ! 今日は冷え込んで腰が痛えから五枚だ! 気に入らねえなら他を当たりな!」


「なんだと!? 足元見やがって!」


 店主のドナトと名乗る親方は、立派な髭を蓄えた筋骨隆々のドワーフだった。

 見れば、彼の店の商品には一切『値札』がついていない。

 彼はその日の気分や、相手の顔色、交渉の態度によって値段を決める、完全なる「どんぶり勘定」で商売をしていたのだ。


「……なるほど。価格が不透明なせいで、客との無駄な交渉に時間がかかりすぎ、列が滞留しているんですね」


 私は腕を組み、冷ややかな目で現場を分析した。

 親方自身も忙しすぎて在庫の把握ができていないようで、店の奥では質の良さそうな木材や魔石が無造作に積まれ、埃を被っている。

 なんという機会損失だろうか。


 しかし、私たちには早く資材が必要だ。並んで待つ時間も惜しい。


(幸いにもうちには王城からのたっぷりな報酬がありますから、一層、言い値で全部買い占めて――)


 私が前世の悪い癖、札束で殴るような強引な解決に走ろうと、財布の入った鞄に手をかけた、その瞬間だった。


 ――ビシィッ!!


 私の中に備わったスキル『反復拒否リフューザル』が、鋭く反応した。


 私の右手が勝手に動き、親方に向かって「異議あり!」とでも言うように、ビシッと人差し指を突きつけようとする。


(あ、いや、待ってください! ここで言い値で散財しては、あっという間にキャッシュフローが死ぬ『倒産ルート』です! それになにより……!)


 私はギリギリのところで、突き出そうになった右腕を、自分の左手でガシッと掴んで押さえ込んだ。


(このままスキルにポーズを取らされて解決のヒントをもらうだけでは、私はいつまで経っても成長しません! 自分の意志で、最善の選択をするんです!)


 私はプルプルと震える右腕を必死に押さえ込みながら、別の選択肢を思考した。


(なら、どうしますか? 親方と真っ向から怒鳴り合って値切る?)


「親方! ならこっちも意地です! 卸売の相場を考えなさい、銀貨二枚にまけなさいよ!うん。このセリフでいきましょう」


 私が腕まくりをして喧嘩腰に出ようとした途端。


 ――ビシビシィッ!!


 今度は両腕が勝手に動き、法廷のデスクを両手でバンッと叩くような、熱血弁護士のポーズを取らされそうになる。


(ぐぬぬぬ……っ! 感情的な値引き交渉は、時間と体力の無駄遣いであり、根本的な解決にならないというエラーですか! わかっています! ポーズは取りませんから!!)


 私は自分の両腕を胸の前で無理やりクロスさせ、ガクガクと震えながらスキルと格闘した。


「ア、アオイさん!? なんだか一人でプルプル震えて、相撲でも取ってるみたいになってますけど!?」


「大丈夫です……! 私は今、前世の逃げ癖と戦っているんです……っ!」


「ぜんせ??」


 冷静になれ。限界事務員のロジックを思い出せ。

 親方の「どんぶり勘定」の根本的な原因は何か。

 それは、「価格の基準」と「在庫の把握」ができていないことだ。


「……フゥーッ」


 私は深く息を吐き出し、スキルの発動を自らの意志で完全にねじ伏せた。

 今回は、変なポーズは取らない。

 私の頭で考え、私の言葉で解決するのだ。


「リナさん、フィナさん! 手伝ってください!」

「おうっ!」

「はいっ!」


 私は列に割り込み、大声で言い争っている親方と客の間に割って入った。


「親方! あなたのその『どんぶり勘定』は、ご自身の首を絞めていますよ!」


「あぁん? なんだ嬢ちゃん。文句があるなら――」


「文句ではありません、提案です! リナさん、店の奥の在庫を全部表に出してください! フィナさんは、薬草の鮮度チェックをお願いします!」


「任せて! よいしょーっ!」


 リナさんが驚異的な筋力で、店の奥で埃を被っていた木箱を次々と店先へ運び出す。


「なっ、おい! 勝手に俺の店の在庫を……!」


「親方、怒るのは後です! 埃を飛ばしますよ――生活魔法、風よ!」


 私が指先から微風を放つと、資材に積もっていた埃が綺麗に吹き飛んだ。

 中からは、信じられないほど質の良い魔石や木材がゴロゴロと姿を現した。


「ほら、見てください。奥にはこんなに素晴らしい在庫が眠っていたじゃないですか」


「お、おう……。最近忙しくて、奥まで整理する暇がなくてな……」


 毒気を抜かれたように親方が目を瞬かせる。


「いいですか。値段がブレるから客と揉めるんです。最初から誰が見ても納得する『基準』を作ればいいんです」


 私は懐からチョークを取り出し、店先の大きな黒板に向かった。


「まず、資材を品質ごとに『Aランク(最上級)』『Bランク(標準)』『Cランク(訳あり・安価)』の三つに仕分けます。そして、それぞれの適正価格を明記した『価格表(マトリクス表)』を作るんです!」


 私は親方から資材の原価と希望利益をヒアリングしながら、凄まじいスピードで黒板に表を書き上げていった。


『風の魔石(Aランク):銀貨四枚(※魔力純度90%以上)』

『風の魔石(Bランク):銀貨三枚(※日常使い用)』

『修理用木材(Cランク):銅貨五枚(※節あり、強度問題なし)』


「さあ親方! これでどうですか! 客はこの表を見て、自分の予算と用途に合った資材を指名買いするだけです。いちいち値切る隙も、気分で値段を変える手間もありません!」


 完成した巨大な価格表を見た親方は、ぽかんと口を開けた。

 そして、列に並んでいた他の客たちも、黒板を見てざわめき始めた。


「おい、これなら一目で値段がわかるぞ!」

「俺は日常用の魔石で十分だから、Bランクを五つ頼む!」

「こっちのCランクの木材、節があるだけでこの安さなら買いだ! 十束もらうぜ!」


 客が次々と、価格表に沿って注文を入れ始めた。


「お、おう! Bランク五つだな、毎度あり! Cランクの木材十束、すぐに出すぜ!」


 親方も、無駄な交渉がないためスムーズに資材を渡し、代金を受け取っていく。

 先ほどまで滞留していた列が、嘘のようなスピードで消化されていった。


 *


 一時間後。

 親方の店の前からは行列が消え、その日の在庫のほとんどが綺麗に売り切れていた。


「いやぁ……お嬢ちゃん、すげえな」


 親方のドナトは、ズッシリと重くなった売上金の袋を撫でながら、信じられないという顔で私を見た。


「値段を隠して吹っかけるのが商売の基本だと思ってたが……最初から値札を見せてやった方が、こんなに回転が速くて儲かるなんてよ」


「ええ。お客様に安心と『選択の自由』を与えることは、最高のサービスに繋がりますからね」


 私は完璧な営業スマイルを浮かべ、黒板をトントンと叩いた。


「ということで親方。当『アリフィ商会』のコンサルティングにより、あなたのお店は劇的な業務改善を遂げました」


「お、おう。本当に助かったぜ」


「では、当商会には今後、このAランク資材を永続的に『特別卸値(さらに一割引)』で回してくださいね。契約成立でよろしいですね?」


「……ははっ! お嬢ちゃん、見た目は綺麗なのに、中身はとんでもなく食えない商人だな! いいぜ、お前さんのところには一番良い品を安く卸してやるよ!」


 親方とがっちりと握手を交わし、私は見事に「安定した優良なサプライチェーン(仕入れルート)」を確立することに成功したのだった。


 *


「ふぅーっ。完璧な相見積もりと、在庫管理でしたね」


 私はホクホク顔で、安く大量に仕入れた木材や魔石を積んだ手押し車を眺めた。


「アオイさん、すごいです! 最初一人で相撲を取り始めた時はどうなるかと思いましたが、あっという間に解決しちゃいましたね!」


「アオイの頭の良さ、本当に魔法みたいだよ!」


 リナさんとフィナさんが、尊敬の眼差しを向けてくれる。


 今日、私はスキルに頼らなかった。

 強制的なポーズを取らされる前に、自分の意志で衝動を押さえ込み、ロジックで解決策を導き出したのだ。


(やりました……! 私、確実に成長しています!)


 前世のトラウマを少しずつ克服し、自分の足で立っている実感があった。


「さあお二人とも! 浮いた経費で、市場の屋台飯を食べて帰りましょう!」

「やったー!」

「あの匂いのいい串焼きがいいです!」


 私たちは市場の隅にある屋台で、労働者向けの安くて美味い「香辛料たっぷりの巨大な肉串」と「濃い味付けの炒め麺」を買った。


 秋の空の下、三人で並んでかぶりつく屋台飯は、高級なレストランの食事よりも何倍も美味しく感じられた。

 アリフィ商会の未来は、今日も明るい。

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