第39話:リュミエール十三世
新しく掲げられた『アリフィ商会』の木製看板が、朝日に照らされて誇らしげに輝いている。
正式な商会として法人登記を済ませた私たちは、真新しい気持ちで事務所の扉を開け放ち、初日のお客様を待っていた。
淹れたての紅茶の香ばしい匂いと、インクの新鮮な匂いが事務所を満たしている。
「アオイさん、記念すべき初日ですね! どんなお客様がいらっしゃるんでしょうか?」
「大きな商家からの依頼かな? それとも、またご近所さんの屋根の修理とか?」
フィナさんとリナさんが、そわそわと窓の外を覗き込んでいる。
その時だった。
カポッコポッ、という規則正しい蹄の音が、私たちの事務所の前でピタリと止まった。
「やあ、なんでも屋……いや、今日からは『アリフィ商会』だったな。開業おめでとう」
現れたのは、見事な白馬に跨がり、銀銀の甲冑を朝日にきらめかせた騎士団長、ラインハルト様だった。
「ラインハルト様! わざわざご挨拶に来てくださったのですか?」
「ああ。これは私個人からの、ささやかな祝いだ」
ラインハルト様が馬から降りて差し出したのは、大きなガラスの鉢に入った、淡い光を放つ美しい花だった。
「わぁっ! 『祝福の魔導花』ですね! これ、王都で一番高価なお花ですよ!?」
フィナさんが目を丸くする。前世でいうところの「開業祝いの胡蝶蘭」のファンタジー版といったところだろうか。
魔力を吸って七色に輝く花弁は、見ているだけで心が洗われるようだ。
「ありがとうございます。大切に飾らせていただきますね」
私が深々とお辞儀をすると、ラインハルト様はふっと表情を引き締め、低い声で告げた。
「さっそくだが、城からの『指名依頼』が入っている。君たち三人で、城まで同行してもらいたい」
*
王城からの迎えの馬車に揺られながら、私の平社員ソウルはガチガチに震え上がっていた。
(城からの指名依頼……! つまり、どこかの偉い貴族様か、上層部のお歴々からの直接オファーですよね!? もし不敬があったら、立ち上げ初日でアリフィ商会が取り潰しになるかもしれません……っ)
胃がキリキリと痛み出し、無意識にフィナさんの手を強く握りしめてしまう。
馬車は王城の奥深く、一般の兵士も立ち入れないような厳重な警備の区画へと進んでいく。
やがて私たちが案内されたのは、重苦しい謁見の間ではなく、ガラス張りで明るい日差しが差し込む、広大な「温室」だった。
湿った土の匂いと、甘い花の香りが鼻をくすぐる。
「おお、よく来てくれたね。待っていたよ」
緑に囲まれた奥のスペースで、ゆったりとしたローブを羽織った初老の紳士的な男性が、水差し片手に振り返った。
少し疲れたような、けれど穏やかな目元のその人は――。
「あれ、リュミさん! 奇遇ですね、またお仕事おサボりですか?」
私はホッと肩の力を抜き、いつもの気安いトーンで声をかけた。
この温室は、私が以前「床板の沈み」を直した場所だ。
そして彼は、その時に一緒にお茶を飲んで世間話をし、後日には地下書庫の「断捨離(書類のペーパーレス化)」を一緒に断行した。
私にとっての『お疲れ気味な大人同士の、お茶飲み友達』である。
「ああ。君が新しい看板を掲げたと聞いてね。真っ先に依頼したかったんだ」
「ふふっ、ありがとうございます。で、今日はどの魔導具が壊れたんですか?」
私が親しげに笑いかけた、その直後だった。
隣に立っていたラインハルト様が、信じられないものを見るような目で私を見つめた後、スッとその場に片膝をついて深く首を垂れたのだ。
「――陛下。なんでも屋、もといアリフィ商会の三名をお連れいたしました」
……はい?
へ、へいか?
私の思考が、ピタリと停止した。
えっと。ラインハルト様が「陛下」と呼ぶ存在は、このリュミエール王国にただ一人しかいないはずである。
(……ひえええええええええっ!?)
私の脳内で、限界事務員の警報アラームが鼓膜を破るほどの音量で鳴り響いた。
(私が「適度に息抜きしましょうね〜」とか言って一緒にお茶菓子を食べて、地下書庫で不要な書類を一緒にみじん切りにして遊んでいたあのおじさまが、リュミエール十三世!? 国王陛下!?
不敬罪! これ完全に一発アウトの不敬罪ルートです! 私、今さっき国王に向かって『お仕事おサボりですか』って言いましたよね!? 終わった! アリフィ商会、初日で倒産です!!)
隣を見ると、リナさんとフィナさんも「えっ!? 王様!?」と完全に言葉を失い、小鹿のようにガクガクと震え始めている。
「はははっ、すまないね。黙っていたつもりはないんだが、名乗るタイミングを逃してしまって」
国王陛下は、困ったように笑いながら水差しをテーブルに置いた。
「実は、この温室の『魔力循環(空調)』の調子が悪くてね。君たちアリフィ商会の初仕事として、これを直してもらえないだろうか」
「は、ははーっ!! 恐れ多くもこのアオイが、粉骨砕身、王家の犬となって這いつくばってでも完璧にお直しいたしますーっ! 徹夜の突貫工事で魔力線をすべて引き直してご覧に入れますゆえ、何卒、何卒お命だけは……っ!」
私は土下座の勢いで、前世のブラック社畜時代に叩き込まれた究極の忖度ムーブメントを発動させようとした。
――その瞬間だった。
ビシィッ!!
私の中に備わったスキル『反復拒否』が、猛烈な勢いで起動した。
「……んぐっ!?」
這いつくばろうとした私の体は空中でピタリと止まり、スッと優雅に立ち上がった。
そして、片足を少しだけ前に出し、腰に手を当てて、王様に向かって顔を上げる。
パチンッ! と小気味良い音を立てて指を鳴らし、甘く、そして無駄にキザなウインクをバチコンと決めたのだ。
それは、まるで『宝塚の男役トップスター』が観客の心を奪うような、圧倒的にキザで尊大なポーズだった。
(ぎゃああああああああ!? 何やってるの私!? 国王陛下に向かってなんて不敬でキザなポーズを!? 斬首! これ絶対斬首されます!!)
顔面から血の気が引き、次に業火のような羞恥心で真っ赤に染まりながら、私はスキルの放つ強烈なメッセージを理解した。
(……あっ、なるほど。王様がわざわざ私を指名したのは、あの時の『気負わない大人同士の目線』を気に入ってくれたから。ここで私がただの『忖度するだけのYesマン(社畜)』に成り下がって卑屈な態度をとれば、せっかくの信頼関係が崩れてしまうという警告ですね!? わかります、ロジックは完璧に理解しました! でも指を鳴らしてウインクはやりすぎです!!)
スキルの拘束が解け、私は必死に表情筋を総動員して、いつもの「冷静な限界事務員」の顔の皮を被り直した。
「……失礼。つい、張り切ってしまいました」
私は王様をまっすぐに見据え、あえて、以前と同じ『お茶飲み友達』の距離感で言葉を紡いだ。
「ではリュミさん。いつものように、サクッと直してしまいますね。徹夜の工事なんて無駄なことは必要ありませんから」
「ふふっ。ああ、頼んだよ、アオイ君」
国王陛下は、とても嬉しそうに目を細めて微笑んだ。
傍らに立つラインハルト様がピクッと眉を動かしたが、王が笑っている手前、何も言わずに控えている。
(心臓が……心臓が口から飛び出そうです……っ! 陛下に「リュミさん」なんてフランクに呼んだ自分を全力で殴りたい……!)
内心では大号泣しながら、私は仕事に取り掛かった。
*
「さて、温室の空調のズレですが。これは魔導具の故障ではありませんね」
私は温室全体の魔力の流れ(気流)を、前世の『オフィスのレイアウト改善』の要領で可視化して分析した。
「植物が成長して葉が茂ったことで、元々の風の通り道が塞がれてしまっているんです。空気が局所的に滞留し、淀みが生まれています。……リナさん!」
「は、はいっ!」
「あそこにある一番大きな鉢植えを、壁際から三メートルほど中央へ移動させてください!」
「わ、わかりました! よいしょーっ!」
ガクガクと震えていたリナさんだったが、持ち前の筋力で巨大な鉢植えを軽々と持ち上げ、指定の場所へ移動させる。
「フィナさん! 空気の淀んでいたエリアの植物に、少しだけ治癒の魔法を。植物の生命力を高めて、自浄作用を促してください!」
「はいっ! ――癒やしの光よ!」
フィナさんの優しい魔法が植物を包み込む。
レイアウトの変更による物理的な気流の確保と、魔法による空気の浄化。
私たち三人の見事な連携によって、温室内に滞留していた重い空気がフワッと流れ出し、森の中のような清々しい風が通り抜けた。
「おお……空気が軽くなった。息をするのがとても楽だ」
リュミさんが、深く深呼吸をして感嘆の声を漏らす。
「魔力循環のズレは、ちょっとした配置の乱れから生じます。定期的にレイアウトを見直すことが大切ですよ」
私が説明を終えると、リュミさんは満足げに頷き、侍女にお茶の準備を命じた。
「素晴らしい手際だった。やはり君たちは最高のパーティ……いや、『アリフィ商会』だな。さあ、仕事の後は、お疲れの大人同士、一緒にお茶を飲もうじゃないか」
*
その後、私たちは温室の美しいテーブルで、王城の最高級の紅茶と焼き菓子を振る舞われた。
ガチガチに緊張してお菓子をこぼしそうになるリナさんとフィナさんをフォローしながら、私はリュミさんと「最近の王都の流行り」や「肩こりに効くストレッチ」といった、どうでもいい(けれど心が休まる)世間話に花を咲かせた。
「アオイ殿。……まさか、陛下とあそこまで対等に渡り合うとは。君の度胸には恐れ入る」
帰り際、王城の門まで見送ってくれたラインハルト様が、呆れたような、けれど感心したようなため息をついた。
「度胸ではありませんよ。ただの『実務経験』です」
私は内心の滝汗を隠し切り、涼しい顔で答えた。
いや。国王陛下とフランクに話すという実務経験なんかあるわけないんだが。
アリフィ商会の初仕事は、国王陛下直々の指名依頼。
見事に『王城御用達』の箔をつけ、たっぷりの報酬金を手にした私たちは、帰りの馬車の中でようやく緊張の糸を解いた。
「し、死ぬかと思いました……っ」
「アオイさん、王様に向かってウインクした時、私、本当に終わったと思いましたよ……!」
「忘れてください。あれはただの事故です」
夕陽に染まる王都の街並みを眺めながら、私はどっと押し寄せる疲労感に背もたれに寄りかかった。
でも、悪い気はしない。
どんなに身分が高くても、彼もまた、癒やしと休息を必要としている一人の「疲れた大人」なのだ。
もしまた空調が壊れたり、書類が溜まったりしたら、いつだってサクッと直してあげよう。
それが、町のなんでも屋――アリフィ商会の仕事なのだから。




