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魔女のバインダー  作者: 水色蛍
限界事務員、異世界プロジェクトマネジメント編
38/63

第38話:誕生『アリフィ商会』

 王都商業ギルドの1階ホールは、商人たちの熱気と、羊皮紙が擦れるカサカサという音で満ちていた。


 壁に大きく貼り出された一枚の羊皮紙。

 そこには、先日私が受けた『商業管理資格』試験の合格者の名前が記されている。


「アオイ、大丈夫だよ。手、すっごく冷たくなってる」

「アオイさんなら絶対に受かってます。深呼吸してくださいね」


 掲示板の前で、私はガチガチに緊張して震えていた。


 両隣からリナさんとフィナさんが私の手をぎゅっと握ってくれている。

 二人の温かい体温が、冷え切った私の指先にじんわりと伝わってきた。


 前世で、失敗から逃げ続け、資格試験から目を背けてきた私。

 自分の意志で、大切な従業員パートナーたちを守るために挑んだ、人生で初めての真っ向勝負。


 私はごくりと唾を飲み込み、震える視線を掲示板へと向けた。

 ズラリと並んだ名前の列。その上段、ひときわ目立つ位置に、私の名前があった。


『アオイ・フォルスター(合格)』


「……あっ」

「あった! アオイの名前、あったよ!!」

「合格です! アオイさん、すごいです!!」


 二人がパァッ! と花が咲いたような笑顔になり、私に抱きついてきた。


「う、受かり……ました……」


 その瞬間、私の中で張り詰めていた糸がプツンと切れた。


 前世での「どうせ私なんか」という諦め。

 逃げてきた自分への自己嫌悪。


 それらを乗り越え、不器用ながらも徹夜で作った『チートノート』に込めた努力が、初めて目に見える形で報われたのだ。


「うぅっ……よ、よかったぅ……っ」


 限界事務員のポーカーフェイスは崩壊し、私は二人の肩に顔を埋めてポロポロと涙をこぼしてしまった。


「アオイ、よく頑張ったね。よしよし」

「アオイさんは私たちの自慢のリーダーです。よしよし」


 二人が私より少しお姉さんぶって、私の頭を優しく撫でてくれる。

 その手が心地よくて、私はしばらくの間、ギルドのど真ん中で思い切り泣きじゃくってしまった。


 *


「おめでとうございます。これで商業管理資格はあなたのものです。では、さっそく商会の法人登記に移りましょう」


 ギルドの窓口で、受付の職員さんが分厚い台帳を開いた。


「ここに、商会の『正式名称』と、今後の契約で使う『商会印(実印)』の印影をご記入ください」


「……えっ?」


 私は涙を拭いたハンカチを持ったまま、キョトンとした。


「あの、正式名称って……今の『なんでも屋』じゃダメなんですか?」


「『なんでも屋』はあくまで屋号(通称)ですね。法人として王城や他ギルドと取引するには、正式な商会名が必要です。……まさか、決めていらっしゃらない?」


「は、はい……」


 試験の勉強に全振りしていたため、ネーミングのことなど完全に頭から抜け落ちていたのだ。


「出直してきます!」


 私は慌てて書類を引ったくり、二人を連れて事務所へと逃げ帰った。


 *


 淹れたての紅茶の香りが漂う、いつもの事務所。


 私たちはデスクを囲み、白紙の羊皮紙を前に『第一回・商会ネーミング会議』を開催していた。


「はいっ! じゃあ私から提案!」


 リナさんが元気よく手を挙げた。


「『アオイ無双商会』とか、『大魔導士商会』はどう!? これなら、アオイの凄さが一発で王都中に伝わるよ!」


「却下です。私は無双していませんし、大魔導士でもありません。あくまで生活魔法の応用です」


 私は即座に赤線を引いた。


「じゃ、じゃあ私です!」


 フィナさんが身を乗り出し、目をキラキラさせて言う。


「『エンジェル・ヒール・カンパニー』なんてどうですか!? あるいは『まじかる万能代行センター†(ダガー)』とか!」


「カンパニーとか†(ダガー)とか、ファンタジー感が完全に迷子になっていますよ! どこでそんな厨二病寄りな単語を覚えてきたんですか!」


「ふぁんたじい??ちゅうに??」


 可愛い部下たちの提案は、どれも絶妙にズレていた。


 ならば私が、前世の知識を活かして響きの良い組織名をひねり出すしかない。


(ええと、響きがかっこいい組織名……『NERVネルフ』とか、『ティターンズ』とか? ……あぁ、なんで新世紀の特務機関とか、宇宙世紀の軍閥みたいな名前ばかりが浮かぶんでしょう。試験勉強の疲れで脳がバグっているんでしょうか)


 内心で激しくセルフツッコミを入れるが、良い案は一向に浮かばない。

 会議は一時間、二時間と長引き、すっかり煮詰まってしまった。


「うう……もう何も思い浮かびません」


 私はデスクに突っ伏した。


「ええい、もう決まりません! 前世の企業にあやかって『株式会社グローバル・シナジー』とか、いかにもそれっぽい適当な横文字でいいですか!」


 私が投げやりな言葉を口にした、その瞬間だった。


 ――ビシィッ!!


 私の中に備わったスキル『反復拒否リフューザル』が、容赦なく起動した。


「……んぐっ!?」


 机に突っ伏していた私の体は、バネ仕掛けのように跳ね起きた。


 スッと背筋をピンと伸ばし、手元にあった白紙のバインダーを両手でしっかりと持つ。そして、極めて厳粛な歴史の教科書に載りそうなほど真剣な面持ちで、そのバインダーを顔の横へ高く掲げた。


「新しい元号は、これにあります」と言わんばかりの、『新元号を発表する官房長官』のポーズである。


(……っはぁ!? なんですかこの、歴史に名を刻むような重々しい発表ポーズは!!)


 私はバインダーを高く掲げたまま、内心で絶叫した。


(つまり、看板(社名)は組織の魂そのもの。それを適当につけたり、前世のブラック企業の理念に引きずられたりすると、後で自分たちの軸がブレて組織が崩壊するという警告ですね!? わかります、わかりますけど……二人に見つめられながらの官房長官ごっこは恥ずかしすぎます!! 早く降ろさせて!!)


「ア、アオイさん……? その、すごくキリッとした顔で白紙を見せてくれていますけど……」

 フィナさんが困惑したように首を傾げる。

 スキルの拘束が解け、私は顔面を沸騰させながらバインダーをそっと下ろした。


「……コホン。社名選びがいかに歴史的で重要かということを、体現してみました」

「アオイ、顔真っ赤だけど大丈夫?」

「大丈夫です! 気にしないでください!」


 私は咳払いをして、二人の目を見つめ直した。スキルの警告のおかげで、目が覚めた思いだ。


「看板は、私たちの理念そのものです。私たちは、どういう組織でありたいのでしょうか」


 私は自分に言い聞かせるように、ゆっくりと言葉を紡いだ。


「私たちは、世界を救う勇者のパーティでもありませんし、大金持ちを目指す商人でもありません。ただ、目の前にある『日常のちょっとしたズレ』や『失敗』を直して、皆さんが心地よく明日を迎えられるようにする組織です。それは、これまでやってきた『なんでも屋』の業務と何一つ変わりません」


「そうだね。私たちのやってることって、特別じゃないけど、すごく大事なことだと思う」

 リナさんが優しく微笑む。


「ですから、背伸びをした名前や、適当な名前は似合いません。私たち『三人』が、これまで通り肩を並べて歩んでいけるような、そんな名前がいいんです」

 私がそう締めくくると、フィナさんがパッと顔を輝かせた。

「じゃあ……私たちの名前を繋げるのはどうですか?」


「名前を……?」

「はい! アオイさんの『ア』、リナさんの『リ』、私の『フィ』です!」


 アオイ、リナ、フィナ。


「……『アリフィ』……『アリフィ商会』」


 私がその名前を口に出して呟くと、不思議なほどスッと、胸の奥に心地よく収まった。


 リナさんがハッとして、嬉しそうに身を乗り出した。


「アオイ……それ、最高だよ! 私たち三人の商会って感じで、すごく絆を感じる!」


「はいっ! すっごく可愛くて、温かくて、私たちにぴったりの名前です!」


 二人の笑顔を見て、私の心の中の迷いも完全に晴れた。


「決まり、ですね」


 私は新しい羊皮紙を引き寄せ、一番上の欄に、心を込めて美しい文字を書き入れた。


『アリフィ商会』と。


 *


 それから数日後。

 王都の商業ギルドで無事に法人登記を済ませた私たちの事務所の前に、真新しい木製の看板が届いた。


 宿屋の女将マルグリットさんや、道具屋のローガンさん、それに町内会長のボブさんたちが、設立祝いとして贈ってくれたものだ。


「せーのっ!」


 リナさんが軽々と看板を持ち上げ、事務所の入り口のフックに掛ける。

 磨き上げられた木の板には、美しい彫り文字でこう刻まれていた。


『アリフィ商会 〜町のなんでも屋〜』


「うわぁ……すごく立派です!」

「うん! これで私たち、本当の意味で一つのパーティ……ううん、会社になったんだね!」


 フィナさんとリナさんが、看板を見上げて嬉しそうに手を繋ぐ。


 看板は立派になったけれど、私たちのやることは変わらない。


 今日も事務所の中には、紙の擦れる音と、温かい紅茶の匂い。

 そして町の人々からの「ちょっとした困りごと」が書かれた依頼書が積まれている。


 業務内容も、お客様も、この温かい雰囲気も、失うものは何もない。

 ただ、法的にも絆的にも強固になった、私たち三人だけの大切な居場所。


「さあ、アリフィ商会の初仕事ですよ。今日も一日、頑張りましょう!」

「おーっ!!」

「はいっ!」


 前世では、誰かに使われるだけの歯車だった私が。

 異世界で、一国一城の主(代表)になれた。


 新しい看板を見上げながら、私は限界事務員としての誇りと、これまでにない最高の自己肯定感を胸に、事務所の扉を大きく開け放った。

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