第37話:資格勉強
秋の深まりとともに、私たち「なんでも屋」の事業は驚くほど軌道に乗っていた。
王城からの依頼を完遂し、ギルドの窓口改革を行った実績は、王都中に私たちの名前を広めていた。最近では町の人々の日常の困りごとだけでなく、商家や組合からの大口の依頼まで舞い込むようになっている。
そんなある日の午後。
事務所のポスト(魔力で自動的に手紙を仕分けてくれる喋るポストの『ポス郎』だ)が、「ギルドカラ、オテガミデスヨ!」と元気な声と共に、一通の封書を吐き出した。
差出人は『王都商業ギルド』。
中身を読んで、私は腕を組んで唸った。
「……なるほど。正式な『商会』として、法人登録をしませんかという案内ですね」
「しょうかい? 私たち、今の『なんでも屋』のままでも十分お仕事できてるけど、違うの?」
剣の手入れをしていたリナさんが首を傾げる。
「今までは、あくまで私個人の『フリーランス(個人事業主)』というゆるい形態だったんです」
私は手紙をデスクに置き、二人に説明した。
「正直、このままの気楽な立場でもいいかなと思っていたのですが……商会登録をして法人格を得ることには、大きなメリットがあります。王城や大商会との継続的な取引が可能になること。税制面での優遇措置。……そして何より、リナさんとフィナさんを、正式な『従業員』として法的に守ることができるんです」
異世界とはいえ、王国には法律がある。
商会として登録すれば、万が一仕事中に怪我をした時のギルドからの見舞金(労災保険のようなもの)や、社会的信分の保証が得られるのだ。
「私、お二人の雇用主として、そういう福利厚生はキッチリ整えておきたいんです」
「アオイさん……! 私たちのことまで、そんなに考えてくれて……っ!」
フィナさんが感動して目を潤ませている。
「よし! じゃあ善は急げだね! 登録書類、書いちゃおう!」
「はい。まずは現在の従業員名簿と、保有資格の記入欄ですね。リナさんとフィナさん、何か資格は持っていますか?」
「私? 私は冒険者ギルド認定の『Cランク剣士』だよ。一応、中級の魔物までなら単独討伐できるライセンス!」
「私は王立医学校を卒業した時にいただいた、『二級治癒士』と『基礎薬草調合師』の国家資格を持っています!」
「…………え?」
私は羽ペンを持ったまま、固まった。
えっ。この子たち、そんな立派な国家資格持ちだったの?
ただの可愛い剣士ちゃんと、ちょっとドジっ子な治癒士ちゃんじゃなかったの?
いや。そうだ。
冷静に考えればこの二人はそういう組織に属していた人間だ。
「アオイの資格は何て書くの?」
「……わ、私は……その……」
私は冷や汗をかいた。
異世界に来てからの資格など、当然何一つ持っていない。
では前世はどうか。
思い返してみれば、「忙しいから」「どうせ受かってもお給料上がらないし」と適当な理由をつけて、スキルアップのための試験から逃げ続けていた。
履歴書に書けるのは、辛うじて取った「簿記三級」くらいのものである。
(私、もしかして……この中で一番、手に職がない『無資格のただの事務員』じゃないですか!?)
ズーン、と前世からのコンプレックスが蘇り、急激に自己肯定感が底を突くのを感じた。
「とにかく、私は代表者欄に名前を書きますから……!」
焦りを誤魔化すように書類を読み進めていた私は、一番下にある【注意事項】の項目を見て、さらに絶望の底へと突き落とされた。
『※商会登録の申請には、代表者が商業ギルド主催の【商業管理資格】の試験に合格していることが必須となります。次回の試験日は来月一日。これを逃した場合、次回の開催は一年後となります』
「い、いちねんご……!」
直近の試験は「来月」。それを逃せば「来年」。
同封されていた試験のシラバス(出題範囲)を見ると、王国の税法、魔力循環インフラの規定、ギルド間取引の約款など、まるで前世の六法全書のような分厚いテキストの購入が必須と書かれていた。
「アオイさん? 顔が真っ青ですよ?」
「……胃が……急に、胃が痛くなってきました……」
前世の「勉強への苦手意識」と「落ちるのが怖いという逃げ癖」が、容赦なく私の胃壁を削り始めていた。
*
その日の夜。
私は宿屋の自室のデスクに、商業ギルドで買ってきた鈍器のように分厚い『商業管理資格・公式テキスト』をドンと置き、ページを開いた。
インクの独特な匂いと、ぎっしりと詰め込まれた細かい文字。
『第三章・魔力炉の定期点検と排熱処理法ならびに周辺環境への影響について』
『第五章・他領との魔石取引における関税と還付金の計算式』
(……うっ、文字がゲシュタルト崩壊を起こしそうです)
一行読むだけで、まぶたが重くなる。頭に入ってこない。
逃げ出したい。前世の私なら、ここで「まあ、資格なんてなくても実務経験があればなんとかなるよね!」と自分に言い訳をして、本をパタンと閉じてベッドに潜り込んでいただろう。
私は無意識に、テキストから手を離し、逃げるように立ち上がろうとした。
――しかし。
(……あれ?)
いつものように発動するはずのスキル『反復拒否』が、うんともすんとも言わない。
変なポーズも取らされないし、頭の中での警告サイレンも鳴らない。
(どうして……? 勉強から逃げて、前世と同じように無資格のまま言い訳をして生きるのは、私にとって『失敗ルート』のはずなのに)
私は静かな部屋の中で、一人立ち尽くした。
そして、ふと気づいた。
スキルが止めるのは、あくまで「物理的な行動のエラー(ズレ)」や「即座に破滅に繋がる選択」だ。
でも、「勉強から逃げる」という長期的な人生の態度は違う。
それはエラーではなく、私自身の『心の問題』。
逃げたままでも、とりあえず生きていくことはできる。
だからスキルは発動しない。
どう生きるか、どう選択するかは、私の自由意志に委ねられているのだ。
トントン。
その時、部屋の扉が控えめにノックされた。
「アオイ、起きてる?」
「アオイさん、お夜食をお持ちしました」
扉を開けると、リナさんとフィナさんが、お盆を持って立っていた。
お盆の上には、マルグリットさんの厨房を借りて作ってくれたらしい温かいミルクティーと、一口サイズに握られた夜食のおにぎり(異世界風スパイス味)が乗っている。
「二人ともどうしてここに??」
「アオイ、今日からお勉強するんでしょ? 商会のために頑張ってくれて、ありがとう」
「無理はしないでくださいね。私たち、アオイさんが頑張ってるの、ちゃんとわかってますから」
二人は私を気遣うように優しく微笑むと、お盆を机に置いて部屋を後にした。
湯気を立てるミルクティーの甘い香り。
私は、二人のお手製のおにぎりを一つ口に放り込んだ。ピリッとしたスパイスの奥に、優しい塩気がじんわりと広がる。
胸の奥底から、温かくて、強い感情が湧き上がってきた。
(……私にだって、守りたいものができたんです)
優秀な資格を持ちながら、こんな無資格の限界事務員を慕ってくれる、可愛くて大切な従業員たち。
彼女たちの居場所(会社)を、私が代表として正式に守り、証明しなければならない。
(もう、逃げません)
私は両頬をパンッ! と叩いて気合を入れ直し、再び分厚いテキストと向き合った。
*
真正面からテキストを読んでいくうちに、私の前世の『なんでもやる事務』としての経験が、奇妙な形で異世界の知識とリンクし始めた。
(待ってください。この『他領との魔石取引における関税』って、要するに前世の『輸入関税と消費税の仕組み』と全く同じ計算ロジックじゃないですか?)
私は羽ペンを握り、テキストの余白にメモを書き込んでいく。
(『魔力炉の保守点検義務』は『ボイラー設備の法定点検』。『冒険者への依頼時の免責と報酬規定』は、まんま『下請法と業務委託契約書』の概念ですね!)
異世界のファンタジーな用語に惑わされていただけで、根底にある「商業と管理のロジック」は、前世の実務経験で見慣れたものばかりだったのだ。
点と点が繋がり、線になっていく感覚。
前世での「総務兼経理」しかし、その実態は名ばかりで、事実上の「何でもやる事務」で得た知識や経験が活きている。
私の人生。無駄じゃなかったんだ。
「ふふっ……なんだ、そんなことですか」
私は面白いくらいにペンを走らせた。
さらに私は、過去の過去問(ギルドで公開されているもの)の傾向を分析した。
「出題率の低い古い学説や、実務で使わない細かい魔力波長の計算は……思い切って『捨てます』! 満点を取る必要はありません。合格ラインの七割を確実に取りに行く、ロジカルな『取捨選択』です!」
すべてを丸暗記しようとするから挫折するのだ。
現場で本当に必要な知識と、そうでないものを切り分ける。
私は分厚い鈍器のようなテキストからエッセンスだけを抽出し、自分専用の「薄くて完璧なチートノート(要点まとめ)」へと圧縮・整理していった。
深夜の静寂の中、羊皮紙をめくる音と、ペンの擦れる音だけが心地よく響き続けた。
*
そして、一ヶ月後。
商業ギルドの『商業管理資格』試験の当日。
王都の朝の冷たい空気を深呼吸しながら、私は事務所の扉を開けた。
目の下には少しだけ勉強のクマがあるかもしれないが、私の心はこれまでにないほど澄み切っていた。前世の「逃げていた自分」の面影は、もうどこにもない。
やり切ったという清々しい自信が、私を内側から支えていた。
「アオイ! はい、これ!」
「アオイさん、受け取ってください!」
出発しようとする私に、リナさんとフィナさんが駆け寄り、小さな布の袋を手渡してくれた。
リナさんからは、不器用ながらも一生懸命に縫われた『小さな剣の刺繍』が入ったお守り。
フィナさんからは、心を落ち着かせる『癒やしの薬草』がたっぷりと詰まった、いい匂いのお守り。
「アオイなら絶対大丈夫! 私たちのリーダーなんだから!」
「応援してます! 終わったら、美味しいご飯食べに行きましょうね!」
二人の真っ直ぐな瞳と、手の中にある二つのお守りの温かさ。
私はたまらなくなって、二人を両腕でギュッと力いっぱい抱きしめた。
「わっ! アオイ!?」
「あ、アオイさん、どうしたんですか?」
「……ありがとうございます。私、お二人のリーダーで本当に良かったです」
私は二人から離れ、少しだけ潤んだ目を隠すように、完璧な営業スマイルを作った。
「行ってきます。私たちの『なんでも屋』の看板、取ってきますね」
私はお守りをポケットにしっかりとしまい、スキルに頼ることなく、自らの足で人生初の大きな試験会場へと歩き出した。




