第35話:魔法の表
私のポンコツな休日部屋着姿が二人にバレてしまった、あのだらしない土曜日から数日。
王都は、一年で最も活気にあふれる季節を迎えていた。
澄み切った高い空に、ひんやりとした秋の風。
そして街のあちこちから漂ってくる、焼き栗やスパイスの効いた肉料理の香り。
明日は、王都の住民が総出で祝う大規模な『収穫祭』の日なのだ。
「アオイちゃんたち!! 大変だ、助けてくれえぇっ!」
事務所で明日の祭りのために着ていく服の相談をしていた私たちのところへ、バンッ! と勢いよくドアを開けて飛び込んできたのは、恰幅の良い初老の男性だった。王都の町内会長であり、今回の収穫祭の実行委員長を務めるボブさんだ。
「ボブさん? どうしたんですか、そんなに慌てて」
「なんでも屋のお嬢ちゃんたち! 頼む、広場の手伝いをしてくれ! このままじゃ、明日の祭りが始められねえんだ!」
ボブさんは頭を抱えて半泣きになっている。
「準備が終わらないんですか?」
「終わらないどころか、一歩も進んでねえんだよ! 職人連中が喧嘩始めちまって、もう俺の手に負えねえ!」
「騎士さんたちとかは?仲裁されないので?」
「今は祭りに向けての周辺の警備やらなんやらで忙しいんだよ」
私はリナさんとフィナさんと顔を見合わせ、すぐさま仕事モードに切り替えた。
「わかりました。すぐに向かいましょう!」
*
祭りのメイン会場となる『中央広場』に到着した私たちは、その惨状を目の当たりにして言葉を失った。
「おいコラ! 屋台の骨組みができてねえのに、どうやって飾り付けなんかできるんだよ!」
「こっちは仕込みで火を使わなきゃなんねえのに、大工の木材が邪魔で水場に行けねえんだよ!」
「あたしたちの布飾りが先よ! 後から木屑が飛んできたら布が汚れちゃうじゃない!」
広場の中央では、屈強な大工たち、包丁を握った料理人たち、そして大量の布を抱えた飾り付け担当の女性たちが、三つ巴の激しい大喧嘩を繰り広げていた。
周囲には木材、食材、装飾品がぐちゃぐちゃに散乱し、誰も自分の作業スペースを確保できていない。
「……これは、見事なまでのデッドロック状態ですね」
私は額を押さえた。
全員が「祭りを成功させたい」という強い思いを持っているのはわかる。
だが、各々が「自分の仕事を一番最初に終わらせよう」と焦るあまり、作業の順番が完全にバッティングしてしまっているのだ。
「ボブさん、全体の進行スケジュールや、各担当の作業順の取り決めはどうなっているんですか?」
「そ、そんなもんあるわけねえだろ! 毎年『適当に空いてる場所からやってくれ』って頼んでるんだが、今年は特に屋台の数が多くて、みんなパニックになっちまってるんだ!」
(出た、前世のイベント準備でもよくあった『現場の空気に丸投げ狂騒曲』……!)
各部署が連携せず、とりあえず現場に突っ込んで全員が身動きが取れなくなる最悪のパターンだ。
しかも、明日はもう本番。時間がない。
焦燥感が私の胸を締め付けた。
ここでモタモタしていれば、祭りは本当に中止になってしまう。
前世で、段取りの悪さからイベントが崩壊し、上司から土下座させられたトラウマがフラッシュバックする。あんな小さな社内イベントすら成功できなかった私。
(ええい、時間がありません! なら私が風魔法で資材を全部吹き飛ばして、無理やりスペースをこじ開けて――)
私が根本的な解決にならない力業に出ようと、両手を構えたその瞬間。脳内で、スキル『反復拒否』の警告サイレンが微かに鳴り始めた。
(あっ、いけない。またやってしまった!!無駄なポーズが発動――)
「待って、アオイ!」
ガシッ! と、私の両腕を力強く掴む手があった。
「……リナさん?」
「アオイ、焦っちゃダメだよ」
リナさんが、私の顔を覗き込んで、まっすぐなエメラルドグリーンの髪と同じ色の瞳で見つめてきた。
「これってさ、前に外壁の物流場でやった時(南の交易商人ケイさんの荷馬車整理)と同じじゃない? みんなが適当に隙間を埋めようとして動くから、詰まっちゃってるんだよ」
「……あ」
スキルの発動が、スッと霧散していくのを感じた。
「そうです、アオイさん!」
フィナさんも、私の前に立って力強く頷いた。
「今必要なのは、力業で荷物をどかすことじゃありません。アオイさんがいつも私に作ってくれる『お仕事の順番表』が必要です!」
「お仕事の順番表……?」
「はい! だって、大工さんが屋台の骨組みを終わらせないと、飾り付けの女の人たちは布を張れないんですから! 料理人さんたちの水汲みだって、木材を運ぶ道を作ってあげれば解決します!」
フィナさんの言葉に、私は雷に打たれたような衝撃を受けた。
(私がこれまで教え込んできたビジネス・ロジックが、二人の血肉になって、しっかりと根付いている……!)
私は、感動で視界が滲むのを必死に堪えた。
いつもなら、私がパニックになって変なポーズを取らされ、そこから無理やり解決策を導き出していた。
でも今日は違う。
私が《《過ちを犯す前》》に、二人が私を止め、正しい道へと導いてくれたのだ。
「……お二人の言う通りです。私の負けですね」
私は両腕を下ろし、憑き物が落ちたように柔らかく微笑んだ。
「よし。なら、さっそく始めましょうか。魔法の順番表の作成を!」
*
私は工具袋からチョークを取り出し、広場の端にある巨大な木製の掲示板の前に立った。
「ボブさん! みんなの注目を集めてください!」
「お、おう! おめえら、ちょっとストップだ! なんでも屋のお嬢ちゃんが話があるってよ!」
ボブさんの大声に、大喧嘩をしていた職人たちが渋々といった様子でこちらを振り向く。
「いいですか皆さん! 複数人が関わる仕事には、必ず『依存関係』というものがあります! Aが終わらないと、Bはできない。それを無視して全員が同時に動くから、こうしてぶつかるんです!」
私はチョークを軽快に走らせ、掲示板に巨大な表を描き出した。
縦軸には「大工」「料理人」「装飾」。横軸には「時間」。
そして、どの作業がどのタイミングで行われるべきかを、横棒で繋げて可視化していく。
「大工の皆さん! まずは中央の通路を空け、屋台の骨組みを最優先で組んでください! 料理人の皆さん、その間に裏手から水場への動線を確保し、水汲みと仕込みを! 装飾の皆さんは、屋台が組み上がるまで待機です。その代わり、出来上がった端からどんどん布を張っていってください!」
これが、前世のイベント進行管理で使っていた『工程表』。
全体の『クリティカルパス(最重要ルート)』を可視化し、誰が・いつ・何をするべきかを明確にする。この世界では一種の魔法の表になるだろう。
「な、なるほど……。誰がいつ動けばいいか、一目でわかるぞ」
「これなら、誰の邪魔にもならねえな!」
職人たちの顔から怒りが消え、パッと希望の光が差した。
「さあ、動きますよ! リナさんは遊撃手として、一番重い木材の運搬や、遅れている場所のフォローをお願いします!」
「任せて! 今日は私の筋力が火を噴くよ!」
リナさんが腕まくりをして、屈強な大工たちに混じって次々と重い木材を運び出していく。彼女の圧倒的な身体能力に、大工たちも「嬢ちゃん、すげえな!」と舌を巻いている。
「フィナさんは、疲労が溜まっている職人さんたちに、回復魔法と特製の滋養強壮ドリンクを配ってください!」
「はいっ! 皆さん、無理しないで少し休んでからお水飲んでくださいね!」
フィナさんが戦場の天使のように立ち回り、疲弊していた職人たちの顔色をみるみるうちに良くしていく。
そして私は、掲示板の前に立ち、現場の司令塔として全体の進捗を管理し続けた。
「大工班、屋台の三番まで完了! 装飾班、入ってください!」
「料理人班、仕込み完了しました! 火入れの許可を!」
「許可します! ただし、風下に装飾の布がないか確認してから!」
衝突していたタスクが、まるで完璧に計算されたパズルのように、綺麗にカチリ、カチリと噛み合っていく。
怒号が飛び交っていた広場は、いつの間にか、全員が同じゴールに向かって活き活きと働く、心地よい熱気に包まれていた。
*
夕暮れ時。
空が茜色に染まる頃、王都の中央広場には、見事な祭りの会場が完成していた。
色とりどりの布で飾られた何十もの屋台。
中央には大きなキャンプファイヤー用の薪が組まれ、すでに料理人たちの屋台からは、お肉の焼けるたまらない匂いが漂い始めている。
「完成だ……! まさか、今日中にここまで終わるなんて!」
実行委員長のボブさんが、感極まって涙ぐんでいる。
「アオイちゃん、リナちゃん、フィナちゃん! あんたたち、最高の現場監督だ! なんでも屋に頼んで本当に良かった!」
「おおーっ! なんでも屋に乾杯だ!」
大工や料理人たちも、私たちを囲んでワッと歓声を上げてくれた。
「さあ、明日は本番だが、今日頑張ってくれたお礼だ! 前夜祭として、うちの屋台の串焼き、腹いっぱい食ってってくれ!」
「こっちの果実水も飲んでちょうだい!」
「わぁっ! ありがとうございます!」
「美味しそう〜!」
リナさんとフィナさんが、両手に串焼きと果実水のカップを持って満面の笑みを浮かべる。
「ええ、お言葉に甘えさせていただきます」
私も、香ばしい串焼きを一口かじり、あふれる肉汁の美味しさに目を細めた。
ワイワイと賑わう祭りの前夜。
その温かい光景を見つめながら、私は自分の両手をそっと握りしめた。
(今日、私はスキルに頼りませんでした)
いつもなら、私がパニックになり、スキルが変なポーズで強制的に私を止め、そこからヒントを得て解決していた。
でも今回は、私が過ちを犯す前に、リナさんとフィナさんが私を止め、自ら解決策を導き出してくれたのだ。
それは、彼女たちがただの「助手」から、共に考え、共に歩む「真のパートナー」へと成長した証だった。
そして同時に、私自身の未熟さも痛感した。
(私はいつまで、『失敗しないこと』をスキルに頼っているつもりなんでしょう)
彼女たちは、あんなにも逞しく成長しているのに。
(私も、スキルが発動する前に、自分の頭で考え、心に余裕を持てるようにならないと。……いい加減、もっと大人として成長しなければいけませんね)
いつか、スキルの警告がなくても、自分の足でしっかりと立ち彼女たちと一緒に最善の選択ができるように。
私は、秋の夜空に浮かぶ一番星を見上げながら、静かに、けれど強い決意を胸に刻んだのだった。




