第34話:限界独身干物女
よく晴れた、土曜日の午前。
私、リナは馴染みの武器屋『踊る鉄床亭』で愛剣のメンテナンスを終え、王都の街をぶらぶらと歩いていた。
今日の私は私服姿だ。動きやすさを重視した革のショートパンツに、デコルテが少し開いた爽やかな白のブラウス。
ショーウィンドウに映る自分の姿を見ると、剣士として鍛え上げられた腹筋のラインや、しなやかな脚の筋肉が引き締まっていて、ちょっとだけ誇らしい。
昔の私なら、休日であっても焦って空き地で木剣を振り回し、ひたすら汗を流していた。
空振りばかりする自分が不甲斐なくて、立ち止まるのが怖かったから。
でも、アオイが「休むのも仕事です」「もっと足元の感覚を感じてください」と教えてくれたおかげで、今はこうして休日に街の匂いや風を感じる余裕が持てるようになった。
「お、リナじゃないか。調子良さそうだな」
ふと声をかけられ振り返ると、そこには元パーティのリーダー、ガストンさんが立っていた。
背中に身の丈ほどもある大剣を背負い、いつも以上に物々しい重装備を身に纏っている。
「ガストンさん。お久しぶりです」
私は自然な笑顔で、スッと背筋を伸ばして敬語で挨拶をした。もう、彼に対して萎縮する気持ちはない。
「ええ。おかげさまで、今は最高のパーティでやらせてもらっていますから。……ガストンさんは、これから遠征ですか?」
「ああ。西の辺境で、少し厄介な魔物の群れが出たらしい。ギルドからの指名依頼でな、長丁場の少し危険な任務になりそうだ」
ガストンさんの顔には、歴戦の冒険者としての厳しい緊張感が走っていた。
「そうですか……。あ、ちょっと待ってください」
私はお出かけ用の鞄をゴソゴソと漁り、小さな包みを取り出して彼に差し出した。
「これ、こないだゼノアへ出張した時に買ってきた、日持ちする焼き菓子です。よかったら、道中の非常食にしてください」
「……え?」
ガストンさんは驚いたように目を丸くし、それから少しだけ気まずそうに
けれど嬉しそうに包みを受け取った。
「……ありがとうな、リナ。ありがたく食わせてもらうよ」
「はい。気をつけて行ってきてくださいね」
彼を見送った後、私はふと、アオイのことを思い出した。
アオイは本当にすごい人だ。
頭が良くて、どんなトラブルも魔法みたいな『ビジネスの論理』でパパッと解決してしまう。
でも、実は寝起きはぽんこつだし、たまに訳のわからない奇抜なポーズを取るし、美味しいものに目がなくてすぐ釣られてしまう。
あんなに完璧なのに、どこか隙だらけなのだ。
「ふふっ。アオイは、私が前衛でしっかり守ってあげなきゃダメなんだから」
私は愛剣の柄をポンと叩き、誇らしい気持ちで市場の方へと歩き出した。
*
私、フィナは王都の市場近くにある本屋で、新しい薬草学の専門書を眺めていました。
今日はお出かけ用の、淡いピンク色のフリルがあしらわれたワンピースを着ています。
私は背が低くて童顔なので、よく子供扱いされてしまうのですが、これでも実は成人済み。リナさんのたった一つ下なんです。だから、休日くらいは少しでも大人っぽく、かつ可愛く見られたくてお洋服には気を使っているんですよ。
以前の私は、失敗を恐れて地味な服ばかり着て、いつもおどおどしていました。
でも、アオイさんが「失敗しても、お片付けすればいいんです」と教えてくれたおかげで、今は自信を持って好きな服を着て街を歩けるようになりました。
でも初めて出会った時からアオイさんの視線はちょっと変なのです。
最近は減りましたが、緊張していたのか。ちょっと頬を赤らめていました。
たまに凄い手汗だったり、前髪が揺れそうなくらい鼻息がかかるときがありました。でもそこも可愛らしいなと思ってますよ。
「うわぁぁんっ!」
外から子供の泣き声が聞こえ、私はパッと本屋を出ました。
市場の通りで、リンゴの木箱を運ぶのを手伝っていた小さな男の子が派手に転んで、膝を擦りむいて血を流していました。周囲の大人が慌てて駆け寄ろうとしています。
「大丈夫ですか? 見せてくださいね」
私は小走りで駆け寄ると、可愛く整頓された医療キットを開き、スッと男の子の膝に手を当てました。焦りはありません。
治癒魔法の『感覚』が、私の手にしっかりと馴染んでいるからです。
「――痛いの、痛いの、お片付け」
温かい光が膝を包み込み、擦り傷があっという間に塞がっていきます。
「ほら、もう痛くないですよ」
「ほんとだ! お姉ちゃん、ありがとう!」
私は男の子の頭を優しく撫でて、にっこりと微笑みました。
「失敗して転んじゃっても、大丈夫。また立てばいいんですから」
それは、私の大好きな先輩の受け売りです。
アオイさんは、私の憧れの完璧な大人の女性です。
でも、モフモフした幻獣を見るとへにゃへにゃになっちゃうし、戦いの時はちょっとビビりで危なっかしいところもある。
「だから、私がしっかりアシスタントとして支えなきゃって思うんです」
医療キットを閉じながら小さく呟いた、その時。
「あ、フィナちゃーん!」
市場の向こうから、リナさんが大きく手を振って駆け寄ってきました。
「リナさん! 奇遇ですね」
「ねえ、これからアオイの宿屋に遊びに行かない? あそこの角のケーキ屋で、すっごく美味しい季節のフルーツタルトを買ってさ!」
「大賛成です! アオイさん、きっと喜びますよ!」
私たちは意気投合し、甘いケーキの箱をぶら下げて、アオイさんのいる宿屋へと向かいました。
*
よく晴れた土曜日。お昼過ぎ。
私はマルグリットさんの宿屋の自室で、ベッドの上でスライムのようにドロドロに溶けていた。
「……休日は、一歩も動きたくありません……」
今の私の服装は、限界まで着古したヨレヨレのネイビーの部屋着。胸元のボタンはだらしなくはだけ、髪はクリップもつけずにボサボサに散らかっている。ベッドの上でゴロゴロしながら、読みかけの娯楽小説を開いては閉じ、閉じては開くという無駄な運動を繰り返していた。
前世の休日もこうだった。
平日に全エネルギーを使い果たす限界事務員にとって、休日は「体力回復のための完全なる無のサイクル」なのだ。
この世界に来てからはずいぶんと改善されたのだが、ごくたまにこうなってしまう。
「アオイちゃん、今日はまだ降りてこないねえ。もうお昼過ぎてるよ?」
一階からマルグリットさんの呆れたような声が聞こえた、直後。
トントンッ!
「アオイ! ケーキ買ってきたよー! 開けるねー!」
「アオイさん、遊びに来ました!」
「――えっ!?」
リナさんとフィナさんの声だ!
私はビクッと飛び起きた。
可愛い部下たちの前で、こんなヨレヨレの干物女のようなダサい姿は見せられない!
「ちょ、ちょっと待ってください! 今、完璧な上司としての威厳を整え――」
私が慌ててベッドから飛び降り、散らかった本をベッドの下に蹴り込み、部屋着のまま無理やりキリッとした立ち姿を作って「さあ入りたまえ」と見栄を張ろうとした、その瞬間。
――ビシィッ!!
私の中に備わったスキル『反復拒否』が、無慈悲に起動した。
ガチャッ。
「アオイ、入るよー……って、ええっ!?」
「アオイさん……にゃんこ、ですか?」
部屋に入ってきた二人は、ボサボサ髪でヨレヨレのダサい部屋着を着たまま、全力で猫耳ポーズを取る私を見て、呆然と立ち尽くした。
顔から業火が出そうになりながらスキルの拘束が解け、私は力なくベッドに崩れ落ちた。
「……すみません。休日の私は、ただの独身干物女です……」
私が真っ赤な顔で白状すると、二人は顔を見合わせそれから楽しそうにくすくすと笑い出した。
「もう、アオイったら! 部屋着ダサいし、急に変なポーズするし!」
「ふふっ。でも、そんな隙だらけのアオイさんも、私たち大好きですよ!」
二人が買ってきたケーキの箱を開けながら、私のベッドに遠慮なく潜り込んでくる。
(……やれやれ。威厳も何もあったものではありませんね)
私は大きなため息をつきながらも、口元が緩むのを抑えきれなかった。
休日のリナさんは、いつもの鎧姿とは違う爽やかな私服で、年相応の快活な女の子の顔をしている。
フィナさんに至っては、淡いピンクのフリルワンピースが妖精のように似合っていて、成人しているとは思えないほどの破壊的な愛らしさだ。
尊い。私の部下たち、最高に尊い。
「さあアオイ、ケーキ食べよ! ちゃんと起きて!」
「はいはい、今お茶を淹れますから」
甘いフルーツタルトの匂いと、大好きな仲間たちの明るい笑い声。
限界事務員のダラダラとした休日は、こうして賑やかに、そしてたまらなく温かく過ぎていくのだった。




