第33話:縦割り行政の洗礼
魔法研究都市ゼノアでの、あま〜い打ち上げ。
宝石のような飴細工に舌鼓を打ち、リナさんとフィナさんのとびきりの笑顔に癒やされた翌日、私たちは王都へと帰還した。
馬車の揺れに身を任せ、手元にはエリアンさんに書かせた完璧な「仕様書」と、厳重に梱包された「コア部品」。
道中のフォレストウルフ戦での筋肉痛が少しだけ残っていたが、私の心は達成感で満たされていた。
(さあ、帰ったらまずは納品です。そして待ちに待った報酬と出張精算! 頑張った自分へのご褒美に、ちょっと良いインクでも買いましょうか)
そんな浮かれた気分で、私たちはその足で依頼主であるローガンさんの道具屋を飛ばし、彼に連れられて直接、王城の事務区画へと向かった。
今回の部品は王城直属の案件。
検収と支払いは城の経理が直接行うという手はずだったからだ。
しかし、そこで私を待っていたのは、ゼノアの幻想的な魔導灯よりも遥かに冷たく、暗い、現実の壁だった。
「――却下だ。書式が違う」
王城の一角、高く積み上げられた書類の山に囲まれた小さなデスク。
そこに座る、眼鏡の奥の目が一ミリも笑っていないお堅い文官が私の差し出した請求書を指先で弾き返した。
「……はい? 書式、ですか?」
「この『出張経費見積書』とやら、項目が細かすぎる。城の規定では『旅費一式』でまとめなければ受理できない。それから、このコア部品の検収には、第一騎士団の受領印、魔導具管理室の確認印、そして財務局の承認印が必要だ。あと、それぞれの部署の副責任者の副印もな」
「えええ〜っ!? き、聞いていないですよ、そんなスタンプラリーみたいな手続き!」
「知らないのが悪い。規定は規定だ」
「あああ……ごもっとも、です……」
私はガックリと肩を落とした。
前世のブラック企業でも、「ハンコが一つ足りない」という理由で稟議書を差し戻され、広い社内を走り回らされた記憶が鮮明に蘇る。
異世界に来てまで、この『縦割り行政の洗礼』を受けることになるとは。
「どうした、アオイ殿。浮かない顔をして」
そこへ、偶然通りかかったのは騎士団長のラインハルト様だった。相変わらずの彫刻のような美貌だが、彼の手にも大量の書類が握られている。
「ラインハルト様……。実は、納品の手続きが複雑すぎて、報酬がもらえそうにないんです」
「ああ、経理の連中か……。すまない、彼らの事務手続きには、我々軍部も口出しできなくてな。私もさっき、部下の遠征費の精算で三回差し戻されたところだ」
(騎士団長ですら、ハンコの壁には勝てないなんて……!)
この国の闇は、魔王よりも深いかもしれない。魔王がいるかは知らないけど。
イライラが限界に達した私は、ふと、カバンの中にある「あるもの」に手をかけようとした。
(ええい、面倒です! 私の風魔法で書類を全部浮かせ、一気に全部の部署を回して、無理やりハンコを奪って――。あ、ついでに偽造魔法のスクロールでも使ってパパッと終わらせてしまえば――)
――その時だった。
脳内の「失敗検知センサー」が、ピピピッ! と微かに反応した。
いつもの、体が勝手に動き出す前触れ。
『反復拒否』が発動しようとしている。
(……待って。今の思考はアウトですね。力業で承認をスキップしたり、偽造に手を染めたりするのは、コンプライアンス違反。バレれば最悪、この国での「なんでも屋」の信用は失墜、即刻国外追放のバッドエンドルート……!)
私は、体が勝手なポーズを取る『コンマ一秒前』に、自らの意志で動きを止めた。
これまでの数々の「恥ずかしいポーズ」の経験が、私の予測能力を極限まで高めていたのだ。
(発動させませんよ……! 私は、成長しているんですから!!)
私はスッと、その場に端座した。
床に直接、膝を折って座り、背筋を真っ直ぐに伸ばす。
両手は膝の上で丸く結び、親指の先を軽く合わせる。
そう、完璧なる『座禅』の構えである。
「……スンッ」
「ア、アオイさん!? 急にどうしたんですか、その悟りを開いたような顔は!」
フィナさんが慌てて駆け寄るが、私は目を見開いたまま微動だにしない。
(……ひええ、とか、もう言いませんよ。無です。仏の心です……。スキルさん、見ていますか。私はあなたの警告を先読みして、自らこのポーズを選びました。怒りも、焦りも、すべてはこの無の境地に溶けて消えるのです……)
内心では「結局ポーズ取ってるじゃないですか!」と盛大にセルフツッコミを入れていたが、表面上は完全に悟りを開いた高僧の如き静寂を保っていた。
数秒後、スキルの気配が満足げに霧散した。
私はゆっくりと立ち上がり、汚れ一つないブラウスの襟を正した。
「ラインハルト様。そして文官さん」
「な、なんだ。その恐ろしく静かな気迫は……」
「お役所仕事のルールをいきなり変えるのが難しいことは、私もよく理解しています。ですが、この『無駄な待ち時間』を放置するのは、王国の損失です」
私は文官のデスクから各部署の配置図をひったくるように手に取ると、羽ペンで最短の移動ルートを書き込んだ。
「騎士団長。提案があります。今回は特例として、私の『ワークフロー最適化(並列承認)』を試させていただけませんか? 私がこの書類を持って各部署を回ります。もし、これまでの半分の時間でスタンプを揃えられたら、次回の精算からは私の提案する新フォーマットの導入を検討していただく、という条件で」
ラインハルト様は、私の真剣な――というか
執念に近い――瞳を見て、ふっと口角を上げた。
「面白い。経理の壁を打ち破れる者がいるなら、私も見てみたい。……わかった、私の権限で、今回は君のやり方を認めよう。文官、いいな?」
「団長がそう仰るなら……」
「リナさん! 台車の用意を! フィナさんは各部署への差し入れとして、癒やしの香りのハーブティーを準備してください!」
「了解っ!」
「はいっ、お任せください!」
そこからは、まさに『限界事務員の無双』だった。
私は書類を台車に乗せ、王城の廊下を全力で駆け抜けた。
ただ走るのではない。生活魔法(風)で足取りを軽くし、さらに「書類の束を宙に浮かせて、部署の入り口で三手に分ける」という並列処理を敢行。
「失礼します! 第一騎士団長お墨付きの検収書類です! フィナ特製のお茶をどうぞ! はい、ここにハンコを! はい、ありがとうございます! 次!!」
リナさんがその圧倒的な脚力で「ハンコの乾きを待つ時間」をカットするために書類を扇ぎ、フィナさんのハーブティーで文官たちの頑固な心をほぐしていく。
事務・戦闘・医療。私たちの完璧な連携が、王城の「縦割り」という名の迷宮を最短ルートで攻略していった。
*
一時間後。
文官のデスクには、全ての承認印が綺麗に、かつ上下のズレもなく完璧に押された書類が置かれていた。
「……バカな。通常なら三日はかかる手続きだぞ」
文官がプルプルと書類を震わせる。
「必要なのは、適切なルート構築と、現場へのちょっとした心遣いです」
私は額の汗を拭い、ドヤ顔を隠しきれずに告げた。
約束通り、全ての出張経費と特別報酬が、ズッシリと重い金貨袋となって手渡された。
ラインハルト様は、その様子を見て深く感銘を受けたように私を呼び止めた。
「アオイ殿。……やはり、君のような人材を町の『なんでも屋』に留めておくのは惜しい。どうだろう、我が騎士団の――」
「あ、それ以上は結構です。間に合っていますので」
私は爽やかな笑顔でスカウトを秒速で断り、リナさんとフィナさんの肩を抱いた。
「さあ、お二人とも! 今日は王城の帰りに、マルグリットさんの宿屋で一番高いメニュー……特製厚切り肉の網焼きを、みんなで囲みましょう! 私の奢りです!」
「やったぁぁーー!!」
「アオイさん、大好きです!!」
夕陽に照らされた王城の尖塔を背に、私たちは賑やかに歩き出した。
前世では「手続き」のたびに心を削られていたけれど、今は違う。
この煩わしい「日常のズレ」すら、仲間と乗り越えれば、美味しいご飯のための最高のスパイスになるのだ。
(……でも、次はもう少し、ハンコの少ない世界にしたいですね)
私は心の中で、次の「業務改善提案書」の構想を練りながら、秋の清々しい空気を胸いっぱいに吸い込んだ。




