第32話:いい加減にしてくだひゃい
東の魔法研究都市ゼノアの朝は、王都とはまったく違う幻想的な風景から始まった。
「うわぁ……アオイさん、見てください! 建物がすっごく高いです!」
「あそこ! 風車が勝手に回ってるよ! すごい!」
宿屋の窓から身を乗り出し、リナさんとフィナさんが子供のように歓声を上げている。
無理もない。ゼノアの街並みは、まさに「魔法技術の最先端」を体現していた。美しい幾何学模様が彫り込まれた石造りの塔が天を突き、その合間を縫うように、淡い青や緑の光を放つ『魔導灯』が、まるで意志を持っているかのように空中をふわりふわりと浮遊している。
大きな水路には、水の魔力で自動的に回転する巨大な水車が並び、清らかな水音と微かな機械の駆動音が、涼やかな秋風に乗って街全体に響き渡っていた。
「本当に、見事な街並みですね」
私は窓辺に立ち、朝日に輝く街を見下ろしながら、大きく伸びをした。
朝食は、宿屋の食堂でいただいた「ゼノア名物のパンケーキ」だ。
火の魔導具が組み込まれた特殊な鉄板で、ムラなく均一に焼き上げられた生地は、驚くほど分厚くてふっかふか。そこに、森の果実を煮詰めた甘酸っぱいシロップと、雪のように軽い口当たりの生クリームがたっぷりと乗っている。
一口食べると、温かい生地が口の中でシュワッととろけ、濃厚な甘みが脳の髄まで染み渡った。
「ん〜っ! ほっぺたが落ちちゃいそうです!」
「ね! これ、いくらでも食べられるよ!」
満面の笑みでパンケーキを頬張る二人を見ているだけで、こちらの心まで満たされていく。出張手当バンザイ。経費で落ちるご当地グルメ、最高である。
*
至福の朝食を終えた私たちは、いよいよ本来の業務――納期遅れの職人を締め上げる――に取り掛かるため、大通りから少し外れた職人街へと向かった。
王城の大型魔導具のコア部品を任されているという、ローガンさんの後輩、エリアン・ヴァンス。
さぞ立派な工房を構えているのだろうと期待して、教えられた住所の扉を開けた瞬間。
「……えっ」
「うわっ、すごい油の匂い……」
一歩足を踏み入れた途端、強烈な鉄錆と古い機械油の匂いが鼻を突いた。
そして何より、視界に飛び込んできたのは、足の踏み場もないほどの『完全なるゴミ屋敷』だった。
床には失敗したと思われる歯車や金属の破片が散乱し、机の上には中身の乾いたインク瓶と、ぐちゃぐちゃに絡まった魔力線が山のように積まれている。
「あー……くそっ、どれだ? いや、こっちの赤い線だったか……? いや違う、魔石の出力が合わない……」
そのガラクタの山の中心で鳥の巣のようにボサボサの髪をした青年が、目の下に深いクマを作ってブツブツと呟いていた。彼がエリアン・ヴァンス、その人らしい。
「あの、エリアンさんですか? 王都のローガンさんから依頼されて、コア部品の回収に来たのですが」
私が声をかけると、エリアンさんはビクッと肩を揺らし、幽鬼のような目でこちらを振り返った。
「あ、あんたらが……。す、すまない。部品のパーツは完成してるはずなんだ。でも、思いつくままに試作を繰り返しすぎたせいで……どれが正解のパーツで、どういう順番で組み立てるのか、自分でもわからなくなっちまったんだよぉ!」
彼は頭を抱えて机に突っ伏した。
(……なるほど。天才ゆえに『感覚』だけで作り進めてしまい、設計図や仕様書を一切残さなかった結果、本人すら解読不能な『ブラックボックス状態』に陥ったというわけですね)
前世のシステム開発現場でもよく見た光景だ。その人にしかわからないプログラムを組む人間は、天才であっても後で必ずこういう自滅を招く。
とはいえ、私も前世では『説明書をじっくり読まずに力業で組み立てる』癖があった。だからこそ、よく計算表の関数でエラーを出していたのだろうか、とふとして思うが。確かに動かねばならない時だ。
「仕方ありませんね。それなら、私が適当に合いそうなパーツから順番に繋げて、総当たりで――」
私が机の上の魔力線に手を伸ばし、物理的にカチャンと繋ごうとした、その瞬間だった。
――ビシィッ!!
私の中に備わったスキル『反復拒否』が起動した。
魔力線に伸びかけた私の手がピタリと止まる。
そして、私の体はスッと流れるように向きを変えた。
部屋の隅にあった、唯一荷物が積まれていないパイプ椅子。
そこに私は、極めて優雅に、かつ堂々たる威圧感を漂わせて腰掛けた。
スッと右脚を左脚の上に組み、背筋をピンと伸ばす。
木板と羽ペンを胸元で構え、顎をわずかに引いて、冷酷なまでの無表情でエリアンさんをジッと見据えた。
それは、一切の妥協を許さない『完璧な監査役(面接官)』のポーズだった。
(これはぁっ!? なんですかこの、相手のミスを重箱の隅をつつくようにネチネチと問い詰める、冷酷なキャリアウーマンみたいな所作は!!)
顔から火が出そうになりながらも、表情筋をピクリとも動かせない私は、スキルの意図を痛いほど理解した。
(仕様書なしに総当たりで組み立てるのは、後でシステム全体に致命的なバグを生む『前世と同じ失敗ルート』。だから、力業に頼らず『まずは開発者にヒアリングして仕様書を書かせろ』という警告ですね。……わかりますけど、エリアンさんが本気で怯えてるじゃないですか!)
「ひっ……な、なんだよその恐ろしい目は……」
エリアンさんがガタガタと震えている。
スキルの拘束が解けると同時に、私は一つ咳払いをして脚の組みを解き、立ち上がった。
「……失礼。現状の杜撰な開発環境に対する、監査役としての無言の圧力です」
私は冷酷な『プロジェクトマネージャー・モード』の仮面を被り直した。
「エリアンさん。仕様書なき開発は、組織のガンです! そんな属人化したやり方では、いつか必ず破綻します」
「し、仕様書……?」
「ええ。まずはこの部屋の『5S』を執行します! リナさん、フィナさん!」
「はいっ!」
「整理・整頓・清掃・清潔・躾です! 床のゴミと不要な失敗作を、全て外へ出してください!」
私の指示で、二人がパタパタと軽快に動き出し、あっという間に工房の床から不要なものが消え去った。
机の上のスペースが確保されたところで、私はエリアンさんを無理やり椅子に座らせ、新しい羊皮紙と羽ペンを押し付けた。
「さあ、ヒアリングを始めます。あなたの頭の中にある『感覚』を、すべて可視化(ドキュメント化)するのです」
私は彼が握りしめていたパーツを指差した。
「この赤い魔力線は、どこに繋ぐ意図で作りましたか?」
「えっと、それは魔石の出力を抑えるための抵抗器で……」
「では、なぜその形に? どんな魔力循環を想定したのですか? 言葉にして書き出してください」
一つ一つ、論理的に紐解いていく。
最初は私の気迫に押されて答えていたエリアンさんだったが、元々「感覚」で生きている天才肌の彼にとって、その作業は酷く苦痛だったらしい。
「あーもうっ! だからここは、こう……ギュルッとしてパァンッてなるように作ったんだよ! 感覚なんだ! いちいち理屈で説明なんてめんどくさい!」
ペンを投げ出そうとした彼を見て、私はバインダーで机をバンッ! と叩いた。
「いい加減にひてくだ《《ひゃいっ》》!!」
「……え?」
「あっ」
静寂。
慣れない「喝」を入れようと気負いすぎた結果、見事なまでに噛んだ。
顔面がカァッと熱くなる。
限界事務員のメッキが剥がれ落ち、素の自分が露呈した瞬間だった。
しかし、その恥ずかしさを誤魔化すように、私は必死の形相で彼を睨みつけた。
「と、とにかく! 自分が作ったものの仕組みを他人に説明できないなんて、それは技術ではなくただの偶然です! プロの職人なら、次に繋がる『正解のルート(マニュアル)』を残しなさい!」
真っ赤な顔で涙目になりながら説教する私の姿に、エリアンさんはぽかんと口を開けた後、なぜか毒気を抜かれたようにふっと笑った。
「……わかったよ。あんたみたいな必死な顔で言われたら、俺も職人として逃げられないな」
彼は再び羽ペンを握り、自分の作ったパーツ一つ一つの意図を、丁寧に羊皮紙へと書き出し始めた。
*
「――よし、これで最後だ!」
数時間後。エリアンさんの手によって、数枚の羊皮紙にまたがる完璧な『仕様書(組み立てフローチャート)』が完成した。
頭の中が可視化されたことで、エリアンさん自身もパズルのピースが繋がったらしい。
彼は迷いのない手つきでパーツを選び出し、カチャン、カチャンと正確に組み上げていく。最後に赤い魔力線をコアに繋ぐと、フォォン……と澄んだ音と共に、見事な魔力の光が安定して灯った。
「やった……完成だ……!」
エリアンさんが、完成したコア部品を掲げて歓喜の声を上げる。
「アオイさん、あんたの言う通りだ。魔法や魔導具は自分の感覚だけで完結するものだと思ってた。でも、こうして他人に伝わる『形(設計図)』にして初めて、本物の技術になるんだな」
「ええ。これで次回からは、ローガンさんを泣かせずに済みますよ」
無事にコア部品を回収し、ついでに『仕様書作成指導コンサルタント料』の領収書をしっかりと切った私たちはすっかり片付いた工房を後にした。
外に出ると、すでに日は落ち、ゼノアの街は夜の装いに変わっていた。
空中に浮かぶ無数の魔導灯が、星空のように街を幻想的に照らし出し、冷たい夜風が火照った頬を撫でていく。
「ふぅ……無事に終わりましたね。部品も回収できましたし、明日の朝には王都へ帰りましょうか」
私がそう言うと、リナさんとフィナさんが、なぜかモジモジと顔を見合わせている。
「あのね、アオイ」
「アオイさん……」
二人は私の両袖をきゅっと掴み、潤んだような可愛い上目遣いで、大通りの屋台を指差した。
そこでは、キラキラと輝く宝石のような『魔法の飴細工』や、湯気を立てる甘い匂いの串焼きが売られていた。
「あれも、食べたいな……?」
「夜のご当地グルメ、というやつですよね……?」
――ズッキュゥゥン。
私の胸に、言葉にならない可愛さの矢が深々と突き刺さった。
(くぁああ!!尊い……! この子たち、自分が最高に可愛く見えるおねだりの方法を完全に理解してますね!?)
私は顔を覆い、天を仰いだ。
「……わ、わかりました。け、経費で落ちるか微妙なラインですが、落ちなくても私の自腹で買いますから! 今日はパァッと打ち上げにしましょう!」
「やったー!! アオイ大好き!!」
「アオイさん、最高です!」
二人に両腕を引かれながら、私は夜の魔法都市へと歩き出した。
出張の疲れも、冷酷な監査役を演じた恥ずかしさも、彼女たちの笑顔と甘い屋台の匂いに溶けて消えていく。
限界事務員の初めての出張は、どうやら最高の結果で幕を閉じそうだった。




