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魔女のバインダー  作者: 水色蛍
限界事務員、異世界ホワイト起業編
28/32

第28話:わだかまりを溶かして

 王城の武具庫の調律を終え、この世界の歴史と「魔法の巡り」に思いを馳せてから数日後。私たち「なんでも屋」の事務所のデスクには、紙、紙、紙の山が築かれていた。


 町の人々からの細かな依頼書、道具屋の魔導具職人ローガンさんから届いた魔導具の部品の請求書、そして今月の売上帳簿。

 戦闘や物理的な修理だけでなく、こういった純度百パーセントの事務仕事も、私たちの重要な業務の一つだ。いや、本来はこっちがメインのはずだった。

 インクのツンとした匂いと、羊皮紙が擦れるカサカサという音が、事務所の静寂に心地よく響いている。


「よしっ、こちらの伝票の仕分け、終わりました!」

「ありがとうございます、フィナさん。次はそこの売上明細の合算をお願いしますね」

「はいっ! 任せてください!」


 フィナさんが羽ペンを軽快に走らせ、リナさんが書き終わった書類に町役場へ提出するための印章をポンポンと押していく。まさに理想的なデスクワークの風景だ。


 カランコロン。


 そんな静かな時間を破り、不意にドアベルが鳴った。


「いらっしゃいませー!」


 リナさんが顔を上げると、その表情がパッと明るくなった。


「あ! セラフィさん!!」


 ドアの前に立っていたのは、冒険者ギルドの制服であるスリット入りのタイトスカートとベストを身に纏った、大人の色気漂う綺麗なお姉さまだった。

 彼女の名前はフィオレンテ・セラフィ。冒険者ギルドの受付嬢であり、リナさんがお世話になっていた人物だ。

 しかし、普段は完璧なメイクと笑顔を崩さない彼女の顔には、今日ばかりは色濃い疲労が刻まれていた。美しく結い上げられているはずの金髪も、少し解けて後れ毛が垂れている。


「リナちゃん……それに、アオイさんにフィナちゃん。おはよう」

「セラフィさん、どうしたんですか? いつもみたいな覇気がありませんよ?」


 リナさんが心配そうに駆け寄ると、セラフィさんは深いため息をついた。


「実は……今日、ギルドの裏方を担当している事務員が、流行りの風邪で急に休んでしまってね。しかも間の悪いことに、今日は月末の依頼報告が立て込んでいる上に、新米冒険者の登録手続きまで重なっていて……ギルドの窓口が完全にパンク状態なのよ」


「窓口のパンク、ですか」


 私はピクリと反応した。


「ええ。もう受付嬢だけじゃ回らなくて。もしよかったら、なんでも屋の皆さんで、今日一日ギルドの裏方や受付補佐を手伝ってもらえないかと思って駆け込んできたの。もちろん、ギルドから正式な依頼として特別報酬は弾むわ」


 セラフィさんが手を合わせて拝み込んでくる。

 前世で、経理や総務だけでなく、人が足りない時は窓口業務にまで立たされていた私にとって、彼女の悲痛な叫びは痛いほどよくわかった。


「……しかし、あいにく弊社も今日は書類仕事が立て込んでいまして」


 私がデスクの上の紙の山をチラリと見ると、セラフィさんは「うっ……そうよね、ごめんなさい」と肩を落とした。

 だが、そこで立ち上がったのは、なんとフィナさんだった。


「アオイさん、リナさん! ギルドへ行ってあげてください!」

「えっ? でも、フィナさん。この書類の山はどうするんですか?」

「今日は書類仕事がメインですし、私が留守番をして、全部一人で終わらせておきますから!」


 フィナさんは小さな胸をドンと叩き、頼もしい笑顔を見せた。


「アオイさんの『お片付け』の魔法とフォーマットのおかげで、今の私ならこれくらいのお仕事、絶対にミスなく完璧にこなせます! だから、アオイさんたちはセラフィさんを助けてあげてください!」


(……っ!)


 私は、雷に打たれたような衝撃を受けた。

 あの、焦ってばかりで自分の能力に自信が持てなかったフィナさんが。私の推しが。こんなにも立派に、自立したアシスタントとして成長しているなんて!


(尊い…《《推しの成長》》…! 後輩が一人立ちして先輩を送り出してくれるこの圧倒的成長……! 前世の職場では絶対に味わえなかった感動です!!)


 私は内心で滝のような涙を流しながら、「……頼もしいですね。では、事務所はフィナさんに一任します」と、深く頷いた。


 *


 王都の冒険者ギルドに到着した私とリナさんは、まずは裏方の執務室に通された。

 そこは山積みの依頼書や魔物討伐の報告書で埋め尽くされており、埃と古いインクの匂いがむせ返るほど漂っていた。


「ひどい惨状ですね。まずはこの未処理の書類を分類します」


 私は即座に仕事モードに入り、前世の事務員スキルをフル稼働させて書類を捌き始めた。リナさんも隣で、内容の確認作業を手伝ってくれている。

 その中で、私はふと一枚の報告書に目を止めた。


「あれ? この辺境の魔物間引き依頼、なんで騎士団じゃなくてギルドの冒険者が受けているんですか? 国の治安維持なら、ラインハルト様たち騎士団の仕事では?」


 私の素朴な疑問に、書類をめくっていたリナさんが顔を上げた。


「ああ、それはね、騎士団とギルドで役割が全然違うからだよ」


 リナさんは、かつてギルドに所属していた剣士としての知識を交えながら、わかりやすく教えてくれた。


「騎士団は国家に直属する正規軍で、主な任務は国防や治安維持。つまり『対人戦闘』が主なんだ。重装備で集団戦を前提としているから、未知の地形や単独行動には向いていないの。それに、騎士は王命がないと動けないし、他国で勝手に武力行使したら政治問題になっちゃうでしょ? いわば『秩序を守る軍』だね」


「なるほど。お堅い公務員みたいなものですね」


「対して冒険者ギルドは、民間による危険業務の請負組織。国家の軍では対応しきれない、小規模で頻発する魔物災害に対処するのが主な役割だよ」


 リナさんは長剣の柄をポンと叩いた。


「冒険者は少人数で動くから機動力があるし、未知の魔境にも踏み込める。それに、政治的に中立だから、国境を越えて魔物災害の救助に行くこともできるんだ。つまり『世界の危険に対処する専門職』ってわけ」


「……騎士は人を相手に戦い、冒険者は世界を相手に戦う。そういうことですか」


「うん、その通り!」


 見事な棲み分けだ。ファンタジー世界のシステムも、意外と論理的にできているのだと深く感心した。

 しかし、私たちが執務室で順調に書類を片付けていると、外のホールから尋常ではない怒号が響いてきた。


「おい! 俺の依頼の報酬はまだかよ!!」

「こっちの薬草納品が先だろ! 列に割り込むな!」

「すいませーん、新米登録の書き方がわかんないんすけどー!」


 私とリナさんが慌てて執務室からホールへ出ると、そこは完全に無秩序なパニック状態に陥っていた。

 汗と土と血の匂いが充満する中、三つある受付窓口の前には、それぞれ数十人の荒くれ冒険者たちがぐちゃぐちゃに群がり、セラフィさんたち受付嬢が半泣きで対応している。

 まさに、人員不足と導線の崩壊が引き起こした『窓口のデスマーチ』である。


「見ての通りよ……。もう何が何だか……」


 セラフィさんが引きつった笑いを浮かべる。


「わかりました! ホールは手が回っていませんね! 私もあそこの空いている窓口に入って、マンパワーで片っ端から処理します! リナさんは冒険者たちを静めてください!」


 私は腕をまくり、気合を入れて一番混雑している受付カウンターへ飛び込もうとした。自分の圧倒的な事務処理速度で、この混雑を気合でねじ伏せてやる!


 ――その瞬間だった。


 ビシィッ!!


 私の中に備わったスキル『反復拒否リフューザル』が、猛烈な勢いで起動した。


「……あっ待って。嘘嘘、今のなし!!人の目が多すぎる――」


 窓口に伸びかけた私の足が、床に縫い付けられたようにピタリと止まる。

 そして、私の意志とは完全に無関係に、体がスッと不自然なポーズを取った。

 両手を頭の上に持っていき、人差し指と中指を立てて「Vの字」を作る。そして、膝を曲げてその場でピョン、ピョン、と二回跳ねた。


 それは、どう見ても『うさ耳を作って跳ねる、キュートなバニーちゃん』のポーズだった。


(ぎゃああああああ!? なにこれ!? 荒くれ冒険者たちがひしめくギルドのど真ん中で、なんで私うさ耳作って跳ねてるの!? 痛い! 痛すぎる!!)


 周囲の冒険者たちが一瞬静まり返り、「あのお姉ちゃん、何やってんだ……?」という奇異の視線が突き刺さる。顔面が爆発しそうなほどの羞恥心に襲われながら、私はスキルの警告を正確に読み取った。


(マンパワーに頼って、兎のようによく動いて(跳ね回って)その場しのぎで片付けようとするな、ってことですね!? 根本的な導線システムを整理しないと、無限に人が押し寄せて私が過労死する『前世の窓口パンクと同じ失敗ルート』だという警告ですね!!)


「ア、アオイ……? なんだか、すごく……可愛いけど……?」


 リナさんが顔を赤くして戸惑っている。セラフィさんもポカンとしている。

 スキルの拘束が解けると同時に、私は咳払いをして、乱れたブラウスの襟元をビシッと整えた。なんだこのいつもの流れは。変身したヒーローか。


「……コホン。窓口に出る前の、独自の準備体操です。気にしないでください」


 私は冷酷な『総務・窓口管理モード』の仮面を被り直し、ギルドのホールを見渡した。


「セラフィさん。私が窓口に入って気合で書類を処理しても、焼け石に水です。問題は処理速度ではなく、この『無秩序な導線』にあります!」


「ど、導線……?」


「ええ! 今、新規登録も、依頼の受注も、報酬の受け取りも、すべて同じ窓口でごちゃ混ぜに行われています。だから処理にかかる時間がバラバラで、列が滞留するんです!」


 私は鞄からチョークを取り出し、リナさんに向かって叫んだ。


「リナさん! ギルドの入り口から窓口にかけて、床に真っ直ぐな線を三本引いてください!」

「わ、わかった!」


 リナさんが長剣の鞘の石突きを使って、床にチョークで線を引いていく。

 私は前世の銀行や役所で使われていた『フォーク並び』と『窓口の分業』のシステムを強制導入した。


「セラフィさん! 冒険者の皆様にアナウンスを! 一番窓口は『報酬の受け取りと報告』のみ! 二番窓口は『新しい依頼の受注』のみ! 三番窓口は『新規登録と相談』のみ! 目的別に完全に分業します!」


「な、なるほど……! 皆さん、聞いてちょうだい! 今から窓口の用途を分けます!」


 セラフィさんが大きな声でアナウンスを行う。

 しかし、血の気の多い冒険者たちは簡単には従わない。


「あぁん!? なんで俺が並び直さなきゃなんねぇんだよ! めんどくせえ!」

「そうだそうだ! こっちが先だろ!」


「うるさーいっ!!」


 不満を漏らす冒険者たちを一喝したのは、リナさんだった。

 彼女はギルドのホールの中心に立ち、歴戦の冒険者としての鋭いプレッシャーを放った。


「文句言ってる暇があったら、アオイの引いた線に沿って並びなさい! アオイのやり方に従った方が、絶対に早くお金がもらえるんだから!」


 かつて『足手まとい』と呼ばれていた少女の、堂々たる先輩風。その気迫に押され、荒くれ者たちも「うっ……わ、わかったよ」と渋々列を作り始めた。


 導線が整理されれば、あとは私の独壇場だ。


「三番窓口の新規登録は、時間がかかります。私が裏に回って、書類の事前チェックとフォーマットの穴埋めを行います! セラフィさんたちは、一番と二番の高速処理に専念してください!」


 私は裏方に回り、書き損じだらけの新米冒険者の登録用紙を「ここは日付! ここは名前!」と高速で添削し、完璧な状態にしてから窓口へ流す。


 列が整理され、目的が明確になったことで、受付嬢たちの処理速度は劇的に跳ね上がり、滞留していた冒険者たちは嘘のようにスムーズに捌けていった。


 *


 数時間後。

 怒号が飛び交っていたギルドのホールは、すっかり落ち着きを取り戻していた。


「アオイさん、リナちゃん、本当にありがとう。なんでも屋の噂は聞いていたけれど、まさかギルドの運営まで改善してくれるなんて」


 セラフィさんが、私たちにたっぷりの特別報酬が入った袋を手渡してくれる。


「ふふんっ! アオイはすごいんだから!」


 リナさんが自分のことのように胸を張る。


 私たちが一息ついていると、ギルドの入り口から、見覚えのある大柄な男が歩いてきた。

 冒険者パーティ『赤銅の牙』のリーダー、ガストンだ。かつてリナさんを「使えない」と理不尽に追い出した元上司である。


「……っ」


 リナさんが少しだけ肩を揺らし、怯えたように私の後ろへ隠れた。私は警戒して前に出ようとした。

 しかし、ガストンは私たちの前で立ち止まると、気まずそうに視線を泳がせ――そして、深く頭を下げたのだ。


「……悪かった」

「えっ……」

「今日のギルドでの動きも、この間の外壁の物流場で荷物を運んでたお前の姿も、全部見てた。それに、なんでも屋の噂も聞いてる」


 ガストンは、絞り出すように言った。


「俺は、お前が剣を空振りする理由にちゃんと向き合おうとしなかった。自分が向き合うことを放棄して、お前を切り捨てたんだ。俺がもっとお前を見ていれば、お前はうちのパーティでもやれたはずなのに。もっと一緒に解決策を考えてやれば良かった……すまなかった」


 そして彼は頭を下げた。それは、明らかな反省と謝罪の言葉だった。

 リナさんは驚いたように目を丸くし、それから、ゆっくりと私の背中から歩み出た。


「ううん、いいんです。私だって、あの時は自分のことしか見えてなかったから。……でも今は、アオイやフィナちゃんのおかげで、《《自分の足元》》を見られるようになれましたから」


 リナさんが柔らかく微笑むと、ガストンはホッとしたように「そうか」と短く呟き、静かに去っていった。


 その背中を見つめながら、私は密かに感銘を受けていた。


(自分の非を素直に認めて、かつての部下に頭を下げられる。……ガストンさんは、きちんと自分の失敗から学んで、成長しているんですね)


 失敗しないことが正しさではない。間違えた後、どう向き合うかが大切なのだ。


(あの姿は、私も大人として学ばないといけませんね……)


 そんな感慨を抱きながら、私たちは夕暮れの王都を歩いて事務所へ帰った。


「あ、おかえりなさい! アオイさん、リナさん!」


 事務所のデスクには、完璧に仕分けられ、美しい文字で記帳された書類の束が整然と積まれていた。


「全部、終わらせておきましたよ!」


 フィナさんが、ほんの少しだけドヤ顔で微笑んでいる。


「……フィナさん。完璧です。最高の社員です」

「えへへ、ありがとうございます!」


 ギルドの危機を救い、事務所の仕事も滞りなく終わっている。過去のわだかまりも少しだけ解けた。


(うちの会社、最高……っ!)


 私は、今日二度目の感動の涙を密かに流しながら、三人で飲む食後の温かいお茶の準備を始めるのだった。

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