第27話:先輩たちのストライキ
迷いの森で水精獣を救い、この世界の「魔法の巡り」の美しさに触れてから数日。
私たち「なんでも屋」の三人は、事務所で平和な午前中のティータイムを満喫していた。開け放たれた窓からは、爽やかな初夏の風が吹き込み、淹れたての紅茶の香りを部屋いっぱいに運んでくれる。
別に暇なわけじゃないんです。ちゃんと仕事はやっています。
いうなれば「効率が良くなってきた」といえば分るでしょうか??
「いやぁ、最近は順調ですね。ギルドの冒険者さんたちも、チェックリストを活用してくれているみたいですし」
私がクッキーをかじりながら言うと、リナさんが嬉しそうに頷いた。
「うん! アオイのおかげで、ギルド全体のエラーが減ってるって受付のお姉さんが言ってたよ!」
「ふふっ。私の特製回復薬も、お守り代わりに買っていく人が増えましたし」
フィナさんもニコニコと笑っている。
なんてホワイトで平和な日常だろうか。前世の、クレーム処理と終わらない備品発注に追われていた日々が嘘のようだ。
私が心の中で(異世界生活、最高……!)とガッツポーズを決めていた、その時だった。
カランコロンッ!
ドアベルが激しく鳴り、勢いよく事務所の扉が開かれた。
「アオイ殿! 至急、王城へ同行願いたい!」
そこに立っていたのは、王国の若き軍騎士団長、ラインハルト・クローヴィッツ様だった。
以前、ずさんな経費精算の領収書を抱えて死にそうになっていた時とは違い、今日の彼は銀の装飾が施された豪奢な騎士団長の正装に身を包み、持ち前のクールな美貌を惜しげもなく放っている。
まさに「若く優秀で冷静なイケメン」という言葉がぴったりなのだが――よく見ると、彼の端正な顔立ちには、隠しきれない焦燥感と疲労の色が滲んでいた。
「おはようございます、ラインハルト様。王城へ、ですか?」
「ああ。実は、王城の騎士団区画にある『第一武具庫』で異常事態が起きていてな。私たちだけではどうにも収拾がつかないのだ」
(……ちょっと待ってください)
私は、眉間を揉むラインハルト様の姿を見て、ふと前世の限界事務員としての鋭い疑問を抱いた。
この人、王国軍のトップである『騎士団長』のはずだ。
それなのに、なぜか書庫の整理に首を突っ込んでいたり、部下のぐちゃぐちゃな経費精算の領収書をかき集めて奔走したり、今回は武具庫(備品室)のトラブル処理に駆り出されている。
(もしかして……有能で真面目すぎるがゆえに、上の人間や他部署からあらゆる雑務を押し付けられているのでは? いわゆる『何でもやる騎士団長(便利屋)』になっているのでは……っ!?)
前世で「これも後藤ちゃんやっておいて」と無限に仕事を押し付けられていた自分の姿が重なり、私はラインハルト様に対して、海よりも深い同情とシンパシーを抱いてしまった。いや、彼の場合は「優秀だから頼られている」と、その本質や背景は私と同じだなんて到底言えたことではないのだけれど。
「わかりました。行きましょう、ラインハルト様。同じ『何でも屋』として、その案件、お引き受けします」
「な、同じとはどういう意味かわからんが、助かる!」
私は慈愛に満ちた目で彼を労い、リナさんとフィナさんを引き連れて事務所を飛び出した。
*
ラインハルト様の先導で、私たち三人は初めてリュミエール王国の王城へと足を踏み入れた。
「うわぁ……お城の中って、こんな風になってるんですね!」
フィナさんが目を輝かせて周囲を見渡す。
リナさんも「すっごい広い!」と口をぽかんと開けている。
白亜の城壁に囲まれた王城は、一つの巨大な街のようだった。
美しく手入れされた庭園には色とりどりの花が咲き誇り、甘い香りが風に乗って漂ってくる。石畳の通路を行き交う文官やメイドたちの足音が、歴史を感じさせる重厚な響きを立てていた。
これほどまでに壮大で美しい営みが、多くの人々の緻密な仕事によって維持されていることに、私はいち事務員として深い感動を覚えていた。
しかし、そんな優雅な空気も、騎士団が管理する区画の奥深く、「第一武具庫」の前に着くと一変した。
重厚な鉄の扉の前には、数人の騎士たちが困り果てた顔で立ち尽くしている。
「団長! やはり中に入れません!」
「下がっていろ」
ラインハルト様が重い扉を押し開ける。
その瞬間、ガシャァァン! という金属音と共に、一振りの剣が私たちの目の前を横切って飛んでいった。
「こ、これは……見事なポルターガイスト現象ですね」
武具庫の中は、まさに大惨事だった。
保管されている魔剣や魔法の盾たちが勝手に宙を飛び回り、主のいない甲冑がガタガタと音を立てて歩き回っている。
薄暗い室内には、埃っぽさと、古い油の酸化したような鼻を突く匂いが充満していた。そして何より、まとわりつくような不快な湿気が肌にべっとりと張り付いてくる。
「見ろ、この有様だ」
ラインハルト様は、ため息をついた。
「祈祷師を呼んで高価な魔石を供えたり、清めの儀式を行ったりしたが、全く効果がなかった。こうなれば、もはや私の剣気で一つ一つ力でねじ伏せ、物理的に鎮めるしかないか……!」
クールな顔で、とんでもなく脳筋な解決策を口にする騎士団長。
この人、優秀で冷静なはずなのに、切羽詰まるとベクトルが力技に向かってしまう癖があるようだ。
「待ってください、ラインハルト様! 無理にねじ伏せようとすれば、貴重な備品(武具)が破損してしまいます! まずは一つ押さえて、状況の確認を――」
私は、目の前をフワフワと飛んでいた一振りの短剣を、力任せに空中で掴み取ろうと手を伸ばした。
その瞬間だった。
――ビシィッ!!
私の中に備わったスキル『反復拒否』が、猛烈な勢いで起動した。
「……あっ」
短剣に伸びかけた私の手が、空中でピタリと止まる。
そして、私の意志とは完全に無関係に、体がスッと奇妙な姿勢を取った。
背骨が折れそうなほどの急角度で腰を反らし、左手で顔の半分を覆い隠す。そして右手は、指先までピンと伸ばして天へ向かってビシィッと突き上げる。
それは、どこかの奇妙な冒険譚に出てきそうな、重力と人体構造を無視した極めてスタイリッシュかつ奇抜な『ジョジョ立ち』のようなポーズだった。
(あ…………ですよねえ)
顔面が瞬時に沸騰するような羞恥心に襲われながら、私は無理な体勢でプルプルと震える足の筋肉に耐えつつ、内心で遠い目をしてツッコミを入れた。
(力任せに押さえつけてその場を凌ごうとするのは、後で武具が壊れて余計にツケが回る『失敗ルート』。だから『無理やり従わせるな』っていう警告ですよね。わかります、わかりますけど……王城の屈強な騎士たちの前で、なんでこんな奇抜なポーズを取らなきゃいけないんですか!!)
「ア、アオイ殿……? なんだ、その……極めて前衛的で、芸術的な構えは……?」
ラインハルト様が、耳まで真っ赤にして戸惑っている。騎士たちも「おおっ……なんと美しいバランス」と謎の感嘆を漏らしている。
違う、これ私の趣味じゃないの。本心とか認めてないの。
お願いだから記憶から消して。
スキルの拘束が解けると同時に、私は咳払いをして、痛む腰をトントンと叩いた。
「……コホン。武具たちに対する、独自の威嚇のポーズです。気にしないでください」
私は冷酷な『総務・備品管理モード』の仮面を被り直し、武具庫の奥を見据えた。
「ラインハルト様。彼らを力でねじ伏せるのは間違いです。これは呪いでもなんでもありません。いわば――『劣悪な保管環境に対する、正当なストライキ』です」
「ストライキ、だと?」
「はい」
私は、部屋の奥にある小さな換気口を指差した。そこは、無造作に積まれた古い木箱によって完全に塞がれていた。
「換気口が塞がれ、室内に湿気が溜まり切っています。それにこの古い油の匂い。武器の手入れを怠り、酸化した油を放置していますね?」
「うっ……。確かに、最近は遠征続きで、武具庫の管理は若い騎士たちに任せきりになっていたが……」
「魔力を持つ武具は、ただの鉄の剣とは違います」
前回の泉の一件で学んだことだ。魔法とは、自然の巡り。
つまり、魔力が宿る武具もまた、ある種の『呼吸』をしているのだ。
「劣悪な環境に置かれれば、魔力の巡りが滞り、武具たちは『息苦しさ』を感じます。彼らは怒っているのではなく、手入れ不足に対する不満を訴えて暴れているんですよ。高価な魔石など不要です。必要なのは『正しい備品管理』と『環境の調律』です!」
私はポンと手を叩き、頼れる二人の部下を振り返った。
「リナさん、フィナさん! 業務開始です!」
「はいっ!」
まず私が、生活魔法で武具庫内の空気を大きく循環させた。
「――空気を、循環させてください。――息づけ!」
換気口を塞いでいた木箱を風で退かし、外の新鮮な空気を取り込み、室内の淀んだ湿気と古い油の匂いを一気に外へと掻き出す。
空気が入れ替わったことで、宙を舞っていた剣たちの動きが少しだけ鈍った。
「リナさん、今です! 剣士の作法で、彼らに正しい手入れを!」
「任せて!」
リナさんが、持参した上質な手入れ用の油と布を手に、暴れる剣の柄を絶妙なタイミングと手癖でスッと掴み取る。
「よしよし、痛くないからね。すぐに綺麗にしてあげる」
リナさんの淀みない手つきで古い油が拭き取られ、新しい油が引かれると、剣はまるで猫が撫でられているようにブルッと震え大人しくなった。
「フィナさんは、鎧の魔力的な淀みを癒してください!」
「はいっ!」
フィナさんが、ガタガタと動く甲冑にそっと両手を触れ、温かい治癒の光を注ぎ込む。
長年の酷使で歪んでいた魔力の流れが、彼女の処置によって優しく解きほぐされていく。
「恥ずかしい話だ。武具の手入れを怠るとは、騎士の風上にも置けない。」
三人がかりで、武具庫の端から順番に清掃と手入れを進めていく。
その最中、私は古い一振りの大剣を磨きながら、刀身に刻まれた無数の傷跡に目を奪われた。
「すごい傷ですね。どれだけの戦場をくぐり抜けてきたんでしょうか」
「……その剣は、百年前にこの国で革命が起きた際、当時の騎士団長が振るったものだと言われている」
横で手伝い始めたラインハルト様が、静かに語った。
「この武具庫にあるものの多くは、ただの武器ではない。かつての戦乱や、魔物との激しい戦いで、数多の命を散らし、そして守ってきた歴史の証なのだ」
その言葉に、私は磨いていた刀身をそっと指先で撫でた。
この豊かで美しいリュミエール王国も、最初から完成された「ホワイトな国」だったわけではないのだ。
長い歴史の中で、数え切れないほどの血が流れ、多くの失敗と後悔を重ねてきた。
それでも、過去の失敗から学び、少しずつ形を変えて、今の美しく平和な営みがある。この剣の傷跡は、その「失敗から立ち直ってきた歴史」そのものだ。
「……だからこそ、大切に管理しなければならないんですね。彼らは、この国の偉大な先輩なんですから」
私が微笑みかけると、ラインハルト様はハッとしたように目を見張り、それから深く、深く頷いた。
*
数時間後。
徹底的な換気、清掃、そしてすべての武具の手入れが完了した武具庫は、見違えるように清浄な空気に満ちていた。
あんなに暴れ回っていた魔剣や鎧たちは、嘘のようにおとなしくなり、カチャン、カチャンと、まるで自ら進んで帰るように一つ残らず元の棚や鞘へとスッと収まっていった。
「見事だ……」
ラインハルト様が、整然と並んだ武具たちを見渡して感嘆の息を漏らす。
「武具も生き物と同じで、環境と手入れを必要としていたのだな。祈祷師に頼り、力でねじ伏せようとしていた私が浅はかだった。まだまだ未熟者だよ。」
彼は私に向き直り、騎士の礼をとって深々と頭を下げた。
「アオイ殿。君たちのその類稀なる『調律』の手腕、王国の要としてぜひ手元に置きたい。どうか、王城専属の備品管理官……いや、調律師として――」
「お断りします」
私は、ラインハルト様の言葉を食い気味に遮り、ふふん、とドヤ顔を決めた。
「私たちは、しがない町の『なんでも屋』ですから。特定の組織に縛られるのは、私たちの性に合いません」
リナさんとフィナさんも、私の両隣で誇らしげに胸を張っている。
「……そうか。君らしいな。だが、本当に助かった。礼を言う」
ラインハルト様は少し残念そうに笑ったが、その顔は憑き物が落ちたように清々しかった。
十分すぎるほどの特別報酬を受け取り、私たちは王城の立派な門を後にした。
傾きかけた太陽が、白亜の城壁をオレンジ色に染めている。
「ふぅ〜、さすがに疲れましたね! でも、王城の中に入れて楽しかったです!」
フィナさんが背伸びをしながら言う。
「うん! 暴れてる剣を捕まえるの、ちょっとした訓練になって面白かった!」
リナさんも満足げだ。
「ええ、良い仕事ができましたね。ただ……」
私は、遠ざかる王城の尖塔を振り返り、一つだけ大きなため息をついた。
「……しまった。あんなに格好つけて断る前に、お城の食堂のまかないご飯、一回くらい食べさせてもらえばよかったです」
「あははっ! アオイったら、そんなこと考えてたの!?」
「もう、アオイさんは本当に食いしん坊なんですから!」
二人の可愛い笑い声が、夕暮れの空に響き渡る。
少しだけ天然な後悔を残しつつも、私たちの「なんでも屋」としての価値は、確実にこの国の歴史と調和し始めているのだった。




